(十一)
元服したのちも、義利は駿府にて過ごした。家康もかの息子に目をかけ、情愛をもって教え育んだようである。されどその接し方は、ときには厳しくもあった。
例えばこの頃、家康はよく義利を鷹狩りへと同行させている。そのはじめての狩りの途中、木陰にて休憩をとった際、義利が女御衆から渡された弁当を広げると、家康はそれを叱責したという。
理由もわからぬまま義利は食を摂らずに過ごし、草臥れ果てて夕刻を迎えた。家康の真意を伝えるのは、もっぱら氏勝の役目であった。
「さて……空腹ではありませぬか、殿」
そう声をかけ、氏勝は懐から焼飯を取り出した。当時の焼飯とは、一度炊いた米を水分が飛ぶまで炒めて、保存がきくようにされた戦闘糧食である。
されど義利は「……要らぬ」と首を振る。「父上は、食など摂るなと言われた」
「そうではありませぬぞ、殿」
氏勝はそう言うと、義利の前で焼飯をぽりぽりと齧った。
「大御所さまは、この鷹狩りもまた戦であると捉えているのでございましょう。ならば戦場では、将も兵と同じときに、同じものを食さねばなりませぬ。それが、兵を率いる者の心得かと」
しょげ返っていた義利が、ようやく姿勢を起こした。そうして何か言いたげに、ひとり焼飯を齧る氏勝を見上げる。
「これもまた苦からず。某は嫌いではありませぬぞ。いかがですか、殿」
義利はごくりと唾を飲み込み、おずおずと手を伸ばしてきた。そしてよほど空腹だったのであろう、いかにも美味そうに頬張った。若き主はこのとき口にした焼飯がずいぶん気に入ったようで、以後鷹狩りのときはもちろん、城にあるときも好んで食すようになったという。
むろん、厳しいばかりではなかった。あるとき義利が感冒で倒れ、高熱で生死の境を彷徨った際には、家康はみずから薬草を調合して飲ませたと記録に残っている。そして間もなく快癒すると、お亀の方と泣きながら手を取り合って喜んだという。
そうした周囲の愛情もあって、義利は若武者として順調に成長していった。ただ氏勝が気掛かりなのは、どうにも生真面目で固苦しく、笑顔も見せず気負っているように見えるところだった。駿府の将たちの間で流行している舞曲などにも興味を示さず、もっぱら書を好んで、城の書庫に入れば一日中そこで過ごしていたりもする。もう少し齢相応の溌剌さがあってもいいのではないかと思わないでもなかった。
「あのご気性は大御所さまとも、またお方さまとも違いますな。いったいどなたに似たものか……」
そう漏らすと、お亀の方も女御衆もくすくすと笑った。かの女性たちには、義利が一心にこの無愛想な傅役の真似をしているのが丸わかりなのである。その懸命さはいっそ微笑ましくもあり、どうやら当の氏勝ひとりが気付いていないらしいのが、また可笑しみを誘うのであった。




