(六)
幸長らが紀州へと帰途に就いたのち、氏勝はお亀の方に家康の真意を慥かめるように求めた。大坂に赴いている家康もまもなく帰途に就き、その中途で駿府にも立ち寄るはずである。その際に、まことに浅野家を今でも赦してはいないのかと尋ねて欲しいと。
「何ゆえ、私たちがさようなことを慥かめねばならぬのですか?」
お亀は氏勝の言葉に、訝しげな顔を見せた。同じ徳川家中ならともかく、長く豊臣の将であった浅野家である。そのために、何ゆえおのれが骨折りせねばならぬと思うのも無理はない。
「某がかの将を気に入ったゆえ……では得心してくださいませぬか」
「くださいませぬ」と、即答であった。「戯れは結構、さっさと本心を申されませ。それに得心したなら、言う通りにしてもよいでしょう。信濃守、そなたには借りもありますし」
「……では」
と、氏勝は居住まいを正し、小さく咳払いをした。そうしてまっすぐお亀を見つめ、切り出す。
「先日の一件ののち考えましたところ、五郎太丸さまには存外、お味方がいないことに気が付き申した」
「さようなことはあるまい」と、お亀は意外そうに目を見開いた。「主計頭どのがおられるではないですか。それに何と言っても、上さまは五郎太がお気に入りでございます」
「平岩さまも上さまも、いつまでもご存命ではございますまい。おふたりが身罷ったのち、我らは徳川の中でどのように生きてゆけば良いのか。それを考えねばなりませぬ」
目の前の女性は、しばらくぱちぱちと目を瞬かせていた。それから小さくため息をついて、案じるような声で言った。
「さような言が誰ぞの耳に入れば、切腹どころでは済みませぬぞ?」
「まことのことではありませぬか。上さまとて人でございます。人であれば、親が子より先に死ぬは自然のこと。それに五郎太丸さまは遅い子にございました。ゆえに我らが殿はその人間の多くを、父君のいない世に生きねばなりませぬ」
「で、あったとしてもです」お亀は表情を変えずに反駁する。「それでも五郎太は上さまの子なのです。ならば徳川ある限り、家中の誰もが守り支えてくれるはずでございましょう」
「敵対する相手が、たとえ中納言さまであってもですか?」
その言葉に、お亀はとうとう黙り込んだ。そんな想定は、かの女性の頭にはなかったことなのだろう。されど氏勝たちは、それを想定しなければならなかった。
ややあって、ひどく疲れたような声でお亀は尋ねてきた。「では、私たちはどうすればよいと言うのですか?」
「我らは人脈を広げ、新たにお味方を作らねばなりませぬ。何があっても、たとえ中納言さま相手であっても、我らに合力してくださるようなお味方を」
「さような者がいるのでしょうか?」
「そうですね……例えば、長福丸さまとお付きの皆々方。おそらく立場は同じにございます。年の近い兄弟として、助け合う必要がございましょう」
長福丸の傅役である安藤帯刀は、氏勝とは比べものにならぬ古強者だ。徳川家に仕えても長く、内情にもよほど通じている。おのが主の立場が決して盤石ではないことにも気付いておろう。ならば向こうも、五郎太丸らとの共闘を視野に入れているはずだ。
お亀の方と、長福丸の生母であるお万の方との関係についてはわからない。側室の中にも、もしかしたら男には想像もつかない鞘当てがあるのやもしれぬ。それでもここは種々の感情は抑えて、手を携えて欲しいところであった。
「その他にと考えますと、やはり外へと求めるしかないでしょう。徳川ご家中の皆々様は、まずお家を守ることを考えるはずです。いよいよとなれば中納言さまに付くことでしょう」
「ゆえ、浅野家というわけですか」
「はい」氏勝は頷いた。「紀州浅野三十七万石、味方に付けて損はございませぬ」
その上親豊臣方の大物である浅野家と、徳川の一族である五郎太丸との間に良好な関係を築くことができれば、なおいっそう世は安寧に近付くに違いなかった。それは秀頼と千姫の婚儀を進めた家康の意向にも沿うはずである。何ひとつ取っても、無駄になることはなかった。




