(五)
五郎太丸が駿府へと入ったのは、その年の夏前のことだった。それはもちろん、もうあの城で夏を過ごさせたくないというお亀の方の気持ちが、行動を速めさせたのであろう。
それと入れ替わるようにして、将軍となった家康は上洛していった。嫡男秀忠の長女・千姫と、豊臣内大臣秀頼の婚儀のためである。
日の本に残った最後の火種と言える徳川と豊臣が縁戚となることで、いよいよ天下は静謐に向かいつつある。そんな期待感が、巷には満ちはじめていた。ただし今日の和平は明日の対立の種ともなるという、乱世の記憶もいまだ消えてはいない。
そんな夏の盛りのことである。駿府に腰を落ち着けた五郎太丸を訪ねてきた者があった。太閤秀吉の縁戚であり、豊臣恩顧の大名たちの中でも最大の勢力を誇る重鎮・浅野弾正少弼長政と、その子紀伊守幸長である。
この春幕府が開かれたのに伴って、諸国の大名たちはこぞって江戸へ祝賀に集まってきていた。かの者らは将軍の名代として対応した中納言秀忠へと謁見していったが、その中で浅野親子だけは家康不在の駿府にも立ち寄り、五郎太丸へ挨拶に現れたのである。
それはこの幼君にとって、はじめてと言っていい対外的な会見であった。その大仕事を、五郎太丸は齢四つとは思えぬ落ち着きぶりでこなしてみせた。そうして対面を済ませて部屋を出ると、見送りに付き添っていた氏勝に、幸長が話しかけてきた。
「実に聡明な若君であらせられる。上さまも行く末が楽しみなことでござろうな」
世辞とわかっていても、主を称えられれば嬉しいものである。氏勝も相変わらず傍からはわかりにくいものの、ふわりと表情を緩めた。
紀伊守は氏勝よりも八つばかり若く、まだ二十代の若武者であったが、その勇名は徳川でも知らぬ者はいなかった。朝鮮征伐の折は渡海勢に加わり、大陸にて数々の武功を挙げてその名を轟かせた。さらに太閤の死後は加藤肥後守清正、福島左衛門尉正則ら武断派と共に石田治部少と対立し、関が原の大戦では木曽川で西軍の侵攻を食い止めるなど活躍を見せ、戦後紀州和歌山三十七万石を与えられている。
ただ風聞に聞く限りでは典型的な猪武者で、氏勝のもっとも苦手とする相手であるように思っていた。されどじっさい対面してみると、物腰も柔らかく理知的な、なかなかの好人物である。
わざわざ立ち寄ってもらってただ帰すわけにもいかず、その夜は酒席が用意された。さすがに五郎太丸は同席させられなかったが、小伝次正信をはじめとする小姓たちも総出の賑やかな席となった。されど体調が悪いと弾正長政は顔を見せず、現れたのは幸長ひとりであった。
「かような用意までしていただいたのに、父がすまぬの」
幸長は申し訳なさそうな顔で言う。されど高齢の長政に無理をさせるのも本意ではないので、気にすることはないと答えた。それよりも、幸長の表情がどこか晴れないことのほうが気になっていた。それは決して、父のことばかりではないように思えていたのだ。
「されど、五郎太丸さまにだけでもお会いできてよかった。でなければ、江戸まで出て行ってまったくの無駄足になるところであった。礼を申し上げる」
「無駄足、とは?」
「実はの、江戸では上さまはおろか、名代の中納言どのにもお会いできなかったのよ」
聞くと江戸城に出向くと、秀忠は別の大名の歓待中とのことで、さらに代理の土井大炊頭にしか会うことが叶わなかったという。そうして形ばかりの挨拶を済ませると、まるで追い返されるかのように城をあとにするしかなかったと。長政はそれに憤慨し、すっかり不機嫌になってしまったらしい。もしかしたら今宵の酒席に顔を見せなかったのも、身体のことは口実で、ようやく会えたのが四歳の子供であったということで、ますます臍を曲げてしまったゆえかもしれなかった。
「おそらく上さまは、いまだ父を赦してはおらぬのであろう」
「さようなことは……」と言いかけて言葉を呑んだのは、氏勝もまたそうかもしれぬと思ったゆえであった。家康と言えば我慢の人と言われているが、そういう手合いは同時に執念深く、恨みも決して忘れないものである。
浅野弾正長政は、関ケ原の戦の前、伏見にて発覚した家康暗殺計画の首謀者のひとりとされている。そのために一度は蟄居を命じられ、家督も命じられるままに子の幸長に譲って隠居させられた。されどその幸長が徳川のために功を挙げたことで、疑いは晴れたものと思っていた。それでもまだ、家康の中には長政への蟠りが残っているのであろうか。
「それは父も同じじゃ。父もまた、いまだ心の底では徳川の天下を認めておらぬ。もしかしたらそれが、上さまにもわかっておるのやもしれぬな」
「紀伊守さまもさようではござらぬか?」
氏勝が問うと、幸長は問いの真意を推し量るように、黙って顔を見返してきた。おそらく何かの失言を引き出そうとしているとでも思われたのであろう。そうではないと伝えるために、氏勝は続ける。
「ご案じめされますな。我の忠義はただ五郎太丸さまおひとりがため。上さまには別に忠義などございませぬ」
その言葉に、傍らの正信がぎょっとした顔をした。されどそれも知ったことではないと、氏勝は静かに杯を呷る。
「変わった御仁でござるな、傅役どのは……山下どのと申されたか」
「山下信濃守にございます。以後、どうぞお見知りおきを」
幸長は小さく笑って、しばらく空の盃を手の上で弄んでいた。されどやがて、意を決したようにまた口を開く。
「すべては内府さま(秀頼のこと。家康の右大臣昇格に伴って内大臣に就いた)がためよ。徳川の世を認め、誼をなおいっそう強めてゆくしか、豊臣に生き残る道はない。そう思うておる」
おそらく豊臣恩顧の将たちにも、同じように考えている者が多いのであろう。此の度家康の孫である千姫を正室として受け入れたのもそれゆえか。




