(三)
「困ったことになりましたな」
氏勝がそう言うと、お亀もさすがに責任を感じているのか、しおらしい顔で頷いた。まさかおのれの軽率な行動が、かような事態に発展するとは思ってもみなかったのであろう。かような事態、とは言うまでもなく、甲斐二十五万石への移封のことだ。
甲斐はかつては言うまでもなく、武田家の領地である。されどその武田家が滅亡すると徳川の領地となり、関東移封ののちは徳川の押さえとして、豊臣方の重臣が代わる代わる送り込まれてきていた。関が原の合戦の直前には、太閤秀吉の姻戚である浅野弾正長政が治めていた。しかしその浅野も戦後紀州へと移り、代わって入府したのが他でもない、五郎太丸の後見人である平岩主計頭親吉である。武田の旧臣である四人の奉行衆(三枝土佐守、石原四郎右衛門尉、小田切大隅守、跡部九郎右衛門尉)との分割統治という形を取り、禄高そのものは甲府郡代六万三千石に過ぎなかったが、奉行はいずれも配下の甲斐衆であり、親吉こそが事実上の甲斐の国主といえた。本拠である甲府城もまた、親吉自身が築いたものだ。つまり此度の処遇は、その親吉から領地を奪い取ったような格好になるのである。
「されど主計どのはお気を悪くすることなく、どうせおのれが死したのちは五郎太に譲るつもりであったのだから、と言ってくださっているようですが……」
「平岩さまはできたお方ですからな。されど、配下の皆さまはどう思いましょうか。よりにもよって五郎太丸さまに、主が顔を潰されたと考えてもおかしくはありませぬ」
禄高そのものは六万三千石と変わらぬままでも、家康の譜代として五郎太丸を後見する立場から、ただの家臣となってしまうのだ。それでも嫡男であれば話もわかるが、五郎太丸が徳川の家督を継ぐ可能性はほとんどない。つまり徳川家における序列としても、大幅に格下げされてしまうことになる。親吉自身は納得していても、家中の者たちは堪ったものではなかろう。
「今後の我らの振る舞い次第で、平岩さまのご家中の心は、完全に五郎太丸さまから離れます」
家康も親吉も、なお軒昂といえどそれなりの齢である。五郎太丸を守り支えてゆくなら、ふたりが死したのちのことも考えなければならない。そのとき家中の者たちの心が離れてしまっていては、我らが主は孤立無援の状態に置かれることになる。
「どうすればよいと思いますか、信濃守?」
「……まあ、今からでも平岩さまの顔を立てる形を考えることですな」
「顔を立てるというと……どうするのですか?」
「何もしないことです。甲斐のことはこれまで通り、平岩さまにお任せしましょう。我らが甲斐の領主となるはあくまでも形ばかりということにして、決して口出しはしない。すべて、これまでと何も変わらぬまま……」
「五郎太に傀儡となれと言うのですか」
「どの道まだ元服もしていない五郎太丸さまが、政務を執るのは無理にございましょう。今はまず、駿府にて学ばれることです。そして今後も何かあれば、必ず平岩さまにご意見を伺ってゆくことといたしましょう。後見人として、決して蔑ろにしてはなりませぬ」
「……はい」氏勝の言葉に、お亀もまた素直に頷いた。
「それと此度のことは、すべて某の考えでしたことといたします。お方さまもこのことは、今後いっさい触れぬようお願いいたします」
不満の矛先が五郎太丸やお亀に向かうくらいなら、みな傅役である氏勝の専横によるものとしてしまったほうがいい。そうやって泥を被るのもまた、傅役の務めである。
「すまぬの、信濃守」
「これは貸しにしておきますので」
「わかっております。これにて、先の貸しは帳消しですね」
氏勝は相変わらずの不愛想な顔で、じろりとお亀を睨んだ。
「何をおっしゃいますか。あれは某の名を勝手に使ったことですでに帳消しになっております。ゆえ、これは新しい貸しでございます」
むう、とお亀は頬を膨らませた。どうやらこの期に及んでまだ誤魔化そうとしていたらしい。まったく油断も隙もない。
「今後はこのようなことはなきように願います。某を利用するのは構いませんが、そのときは必ず相談してくだされ」
「わ・か・り・ま・し・た」と、なおも不満げに、一音ずつ区切りながら答えてくる。まあ良い、少しは済まないと思ってくれているようであるし、今はこれ以上言わずにおこう。
「ただ気にはなりまするな。此度の処遇、どうもこれまでの大殿のなさりようとは違います」
「違う、とは?」
「これまでの大殿であれば、平岩さまほどの忠臣にかようなことはなされなかった、ということです」
徳川内府家康という人物はこれまで、我が子や身内には冷たく、その代わりのように臣下の者を手厚く遇する男と言われてきた。かつて信長の命によって嫡男三郎信康を切腹させた際は、傅役の親吉が代わりに己の首を差し出すよう申し出ても、頑として聞き入れなかったほどだ。むろん必要とあれば手駒として家臣に危険を強いることもあったが、役目を果たした者には十分以上の恩賞を与えてきた。
それこそが三河武士の固い結束を育んできた原動力とも言えるのだが、その家康にしては此度のやりようはおかしい。主計頭親吉は家康にとってただの家臣ではなく、今川の人質時代から苦楽を共にしてきた同志とも言える存在なのだ。いくら五郎太丸のためとはいえ、その忠臣の顔を潰すようなことは、これまでの家康であれば決してしなかったはずだ。




