(七)
中村家が杭瀬川で大敗した翌日の九月十五日、徳川内府家康と石田治部少輔三成、それぞれ十万を超す本軍は、関ヶ原にてついに全面衝突に至った。されど長期に及ぶと思われた戦はわずか一日で決着し、西軍は実質的な総大将であった三成が敗走し、島左近、大谷刑部ら主だった将も命を落とした。
その後十九日には小西摂津守行長が、二十一日に三成がそれぞれ捕らえられた。やがて二十七日、家康は西軍総大将・毛利輝元が退去した大阪城に入る。そして十月朔日、京の六条河原にて三成の斬首が行われた。かくして天下分け目の大戦は徳川方の勝利に終わり、内府家康は名実ともに天下人となったのである。
氏勝はその報を、下野宇都宮にて知らされた。上杉はやはり追い討ちには出ず、むしろ北の最上討伐へと兵を向けたため、戦らしい戦はないまま。いわば、蚊帳の外であった。
されどおのれには、それが似合っている気がした。世がどう動こうと、どう変わろうと、おのれには関わりのないことなのだ。そう気付くとまた、身の裡を乾いた風が吹き抜けてゆく。心は冷え冷えと醒めてゆく。
「いよいよ乱世が終わります……新しき世が来ますよ、若殿」
そっと、声に出さずにつぶやく。されどその世を並んで見たい相手は、もうここにいない。
出羽にて最上家との合戦を繰り広げていた上杉の元に西軍敗北の報が届けられると、長谷堂城に陣していた直江山城守も撤退を開始した。これを受けて下野宇都宮の徳川勢もそれぞれの領地へと戻ってゆき、のちに関ケ原の合戦と呼ばれることとなる大乱の幕は下りた。
氏勝ら平岩勢は、家康の待つ大坂へと向かう親吉ら一行を除き、その足で厩橋へと帰還した。とはいえ、ほっと息をつく間もなかった。勘定方のひとりとしての大仕事が待っていたからである。
「長のお役目、ご苦労様でございました」
半年ぶりに屋敷に戻ると、お松と女御衆が並んで氏勝を出迎えた。されどこうした応対にはいまだに慣れず、首を振りながら止めろと手振りで示す。
「我は何もしておらぬ。ただ西へ東へと走り回っておっただけよ」
「それも大事なお務めにございましょう」と、お松はにっこりと笑った。「お湯の支度もできております。まずはごゆるりと、戦の疲れを癒されますよう」
氏勝は腰を下ろして「そうも言っておられぬ」と答える。そうして女中が運んできた湯漬けを、乱暴に喉へ流し込む。
「そなたらももう聞いておるであろう。殿は此度の戦の恩賞として、甲斐へと戻られることになった。当然、我らもじゃ」
大坂にて行われた評定に於いて、まずは譜代家臣らへの恩賞が決まったらしい。もちろん宇都宮にあった親吉はその場に居合わせることはできなかったが、此度の功をもって甲斐六万五千石へ加増転封との知らせが届いていた。親吉にとって甲斐は、小田原の役後に関東へ移封される前の旧領である。その上家臣たちの中には、甲斐衆と呼ばれる武田の旧臣も少なくない。つまりみな慣れ親しんだ土地への帰還が叶ったともいえるわけで、三万石もの加増よりもそのことのほうが何よりの恩賞と言えた。
とはいえ領地を移るというのは、たとえ旧領へ復するといっても、大事であることは変わりない。家臣とその郎党からして総出の引っ越しになる上に、それぞれの禄も再配分もされることになるからだ。ひと月やふた月で終わる仕事ではなく、当分は寝る間も惜しむことになりそうだった。
「もちろん、聞き及んでおります。どうぞ家のことは任せて、お役目に励んでくだされ」
氏勝は椀を置くと、ひと言「……頼む」と言って頷いた。するとお松が思い出したように、懐から書状を取り出した。
「そういえば、姉上から文が届いておりました。ご無事でいらっしゃるようで、旦那さまにもよろしく伝えて欲しいとのことでございます」
「そうか……それは何よりじゃ」一度は離縁も覚悟していたことなどおくびにも出さずに、氏勝は答えた。
伏見の徳川屋敷にいた家康の側室たちは、三成の決起を聞くと速やかに、大阪城近くの淀城へと避難したと聞いていた。伏見城は焼け落ち、大阪城には西軍総大将の毛利中納言輝元が入り、上方は完全に反徳川に制圧された状態にあったためだ。されど三成も女たちには手を出さず、人質にもされずに過ごすことができていたらしい。
「ご不便であったろうが、よく我慢されたことよ」
「私も姉上も、貧乏暮らしに慣れておりまする。何ほどのこともございますまい」
名家の娘を好んで囲った太閤とは違い、家康は身分の低い女性を選んで側室とすることが多かった。中でも六男辰千代(のちの松平忠輝)、七男松千代の生母である茶阿の局などは、遠江の鋳物師の娘という完全に市井の女性である。このお松とお亀の方も、石清水八幡祀官家の流れを汲むとはいえ、所詮は荒れ寺の坊主の家に育った女たちだ。それだけにしたたかで逞しく、多少の不便はものともしないであろうと思われた。
「それでもお方さまは間もなく臨月じゃ。御身を大事にしていただかねば」
お松は「……そうですね」としみじみ言った。新たな子を授かったことで、仙千代を失った姉の心が少しは癒えるであろうことを願っているのであろう。数か月前に対面したときのことを思い出し、あのお方は大丈夫だと言ってやりたかったが、今はやめておいた。そうすると、余計なことまで説明しなければならなくなりそうだったからだ。




