(六)
そして七月二十一日。江戸へと着いた家康は嫡男の秀忠と合流し、ついに十万余にも達した大軍勢をもって会津へと発った。
されど上杉方はその大軍に対しても一歩も引かず、正面から迎え撃つ構えだった。かの不識庵謙信も今はなく、転封されたばかりでいまだ態勢も整っていないとはいえ、それでも猛者揃いの上杉だけのことはある。たとえ十万の兵をもってしても、そう容易には落とせまい。長陣となるやもしれぬ、と誰もが予期しているようであった。
戦というものは、数ばかりではないのだ。何より、徳川方はいまだ士気が上がっていなかった。皆内心では、此度の上杉への仕打ちが言い掛かりであるとわかっているのだ。そして大軍を前にしても怖じることない上杉のありように、武士たるはかくあるべしと、むしろ共感と憧憬を覚える者も少なくなかった。これでは戦になるまい、と氏勝は思った。おそらくは布陣したのちも手は出せず、しばらくは睨み合いが続くであろうと。
されど、軍勢が下野小山にまで達した二十四日のことである。宿営地に伏見よりの早馬が到着し、佐和山にて蟄居していた石田治部少輔三成が兵を挙げたとの報が届けられた。家康はすぐさま諸将を集めて評定を開き、大軍を率いて急ぎ上方へと転進することが決まった。
兵たちは俄に色めき立った。攻めるにはうしろめたさを禁じえなかった上杉とは違い、石田治部少はまさしく奸賊。しかも宇喜多・毛利の他豊臣三奉行も加わり、兵の数でも互角とくれば、いやが上でも士気が上がる。
「おのれ石田治部、成敗してくれるわっ!」
「大戦じゃ、これぞ天下の分け目ぞ!」
これより再び上方まで駆けに駆けねばならぬというのに、それを厭う声もなかった。むしろこれまでの鬱屈を晴らすかのごとく、誰もが勇ましく噴き上がっている。気分はそれこそ、豊太閤の大返しもかくやといったところであろう。氏勝は帷幕の前に立ち、そんな兵たちをひとり醒めた目で見ていた。
家康はこれを待っていたのか。そう思えてならなかった。実のところは上杉を攻める気など最初からなく、上方を空にして三成らへと誘いをかけていたのか。だとしたら、すべては思惑通り。宇喜多や毛利でさえ、その掌の上で踊らされているということになる。
「かようなところにおったのか、信濃守」
呼ぶ声に振り返ると、藪内匠正照がそこに立っていた。間もなくここを発つのか、具足に身を固めている。されど供は誰も従えていなかった。
「籔さま……ご出立でございますか」
そう問うと、内匠は険しい顔で頷いた。中村勢は病床の一氏に代わり、弟で沼津三枚橋城主の彦右衛門一栄を陣代として、二千の兵を差し向けてきていた。
「おぬしは残るのか?」
「いかにも。我らは結城宰相(家康の二男・結城秀康)どのの寄騎として、殿に加わりまする」
もしも追い討ちがあれば、それを食い止める役目であった。兵の数は六千ほど。とはいえ今の上杉に、所領の外にまで兵を動かす余裕があるかどうか。むしろこれを好機と、領内の防備をいっそう固めることと思われた。
内匠は氏勝に並び、忙しなく立ち回る雑兵たちをともに眺めながら、ぽつりと呟くように言った。
「内府め、謀りおったのう……」
「やはりそう思われますか?」
「決まっておろう。もちろん治部どのとて誘いとわかっておられたろうが、ここで立たねばあの方も終わっていた」
慥かにここで決起しなければ、宇喜多や毛利といった反徳川方の心も離れてしまっていたであろう。そうなればもう、三成にはまったく目がなくなってしまう。つまりは家康によって、こうせざるを得ない状況にまで追い込まれていたというわけだ。
「されど、兵の数も互角にございましょう。満を持して待ち構えるぶん、地の利も治部どのにあるはず」
「さて、あの内府のことよ……十中八九勝てると踏まずに、おのれから仕掛けるとも思えぬがの」
「では、まだ何か策があると。どのような?」
そう重ねて問うと、内匠はゆっくりと首を振った。
「それはわからぬ。どうあれ、舞台に上げさせられた時点で治部どのの負けよ。内府のほうが一枚も二枚も上手であったわ」
なるほど、そうなのかもしれぬと氏勝も得心した。ここまでくるとおのれですらも、何か大きなものに絡め取られて、意のままに動かされているかのようにさえ思えてくる。
そこで、ふたりの会話が途切れた。陣の中は、いまだ誰もが慌ただしく往来している。槍や竹束を担いで走る者。数人がかりで荷駄を運ぶ者たち。あるいは馬たちでさえも、喧騒にあてられて落ち着かなげに嘶いていた。
ややあって、内匠がまた声を落として言った。「駿府より知らせが参った。殿が、身罷られたそうじゃ」
「……さようにございますか」
先の様子からして、もう長くはないことはわかっていた。おそらく徳川方への寝返りをなし、家の行く末を定めたことで、気力も尽きたのであろう。
されどいざこうなってみると、中村家を取り込んだことは徳川にとってますます大きな意味を持ってくる。もしも駿河が石田方のままであれば、こうも速やかな転進を決断できたかどうか。
「陣中にあっては葬儀もできぬ。すべては、この戦が終わってからになろう」
「弔い合戦ということでございますな」
「それもあるが……何より今後は若殿を支えて、お家をますます盛り立てて行かねばならぬ。そのためにも我らの武勇、しかと内府に見せつけねば」
内匠はそう言って、一歩足を踏み出した。それでもすぐに何かを思い出したかのように、振り返って髭面をほころばせる。
「またしばらくは会えぬであろう。達者で過ごせよ、信濃守」
「半三郎でよろしゅうございます。薮さまにまでそう呼ばれると、背中がむず痒くなりまする」
そう答えると、内匠はまた呵々と笑った。その笑いも止むのを待って、氏勝は居住まいを正して頭を下げる。
「ご武運をお祈りいたします」
「お主もな、半三郎。まだ追い討ちがないとも限らぬ。気を引き締めよ」
「はっ」と短く答えると、薮内匠は満足げに頷き、今度こそ背中を向けて歩き出す。戦の結果次第では、これが今生の別れになるやもしれぬ。そんなことを思いながら、氏勝はその背中を見送った。
徳川本軍とともに西上した中村勢は、豊臣家にあって常に先鋒を務めてきた誇りを掲げ、此度も先駆けを申し出た。されど九月十四日、そうして挑んだ関ヶ原手前の杭瀬川にて、西軍の将・島左近勝猛の軍勢に大敗を喫し、野一色頼母をはじめ多くの将兵を失ってしまう。家康はその失態に激怒し、中村家は決戦に加わることもできずに後詰へと回されることとなった。
このときを境に、中村家の命運は暗転する。豊臣きっての武門の家は、まるで坂道を転がるがごとく、凋落の一途を辿るのである。




