(三)
翌日、氏勝は主計頭親吉の元へと呼び出され、大坂へと戻る家康に随行せよとの命を受けた。それで氏勝は、おのれの言葉がお亀を通じて慥かに家康へと伝わったのだと理解した。親吉はそれだけ告げると、供の兵たちを連れて厩橋へと帰って行った。
護衛の隊列の最後尾に並び、氏勝は大坂へと向かった。そしてある夜、宿所のある西の丸へと呼び出されると、番兵たちとともに大門の脇に立った。横には榊原式部の家臣だという四十絡みの男が並んでいる。名は慥か、戸田左門とか名乗っていた。その名を聞いて、以前に一度だけ見えたことがある相手だと思い出した。あれは慥か北条攻めの陣中、山中城での戦の際であったか。
やがて夜も更けると、わずかな供を連れて男がひとりやって来た。顔半分ほどを覆う見事な髭に、厳めしく太い眉。いかにも豪傑めいた風貌に、目だけは深い思索を窺わせて静かに澄んでいる。忘れもしない、かつておのれが仕えた藪内匠正照に違いなかった。
内匠のほうも、すぐに氏勝の姿に気付いたようであった。それでも声をかけてくることはなく、一瞬懐かしげに目を細めて、小さく頷いただけだった。そうしてまた表情を引き締め、出迎えに来た徳川兵に促され、屋内へと姿を消した。
「いかがでござろう?」
版兵のひとりが、声を殺して尋ねてきた。それで氏勝も、おのれがなぜここに呼ばれたのかを悟る。音に聞こえし藪内匠といえど、徳川家中にはその顔を見知っている者も少ないのだろう。慥かに本人であるか、それを見極める面通し役が必要であったわけだ。
「間違いござらぬ」
氏勝がそう答えると、番兵は傍らの左門に目を向ける。左門もやや自信なさげに首を傾げながらではあったが、「そうですな……会うたのはずいぶん前だが、慥かにかの者で間違いはなさそうだ」と答えていた。
番兵は頷いて、宿所のほうへと駆けていった。これでどうやら役目は終わりらしく、左門という男も小さく会釈をして去って行った。どうやら向こうも氏勝のことを覚えていたらしい。
そしてひとり残された氏勝に、背後の闇から声が掛けられた。振り返るまでもなく、誰のものかはわかった。
「お手柄にございました、山下さま」
「……藤七か。藪さまをお護りしなくて良いのか?」
「あたしが入れるのは、ここまでにございますよ。それも、山下さまのお陰にございますが」
慥かに、ここから先は伊賀者たちの領分なのだろう。家康にその気がない限りは、内匠の身も安全であるはずだった。
「我は何もしておらぬ……ただ、人を頼ったのみよ」
「それができたのも、山下さまゆえにございます。その場、そのとき、おのれが為すべきことを為す。それができるお方だと、内匠さまは仰られていました」
そう言われたところで、氏勝にはいまだ、おのれが何をしたのかもわかっていないのである。されどそれを問うてみたところで、どうせ答えは返ってこないのであろう。
「ときが来れば、おのずとわかることにございます。では……」
最後にそれだけ言って、気配は再び闇の中へと戻って行った。




