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以後も度々の揺り返しに耐えながら、ようやく夜明けを迎えた。そうして明るくなるとともに、集落の惨状も露わになってきた。やはり目も当てられぬ有り様だった。無事な家屋はほとんどなく、傾きながらも辛うじて持ち堪えている庄屋の屋敷に、逃げ延びた者たちが身を寄せ合うように集まっている。
父の時慶は治兵衛らと、沈痛な表情で合議をしていた。下の集落を見てきた者も戻ってきたようだが、あまりの有り様に嗚咽を堪え切れぬ様子であった。各地に放った早馬も戻ってきたようだが、帰雲の城にはやはりたどり着けず、途中で引き返してきたとのことだった。
「やはり、ここは捨てるしかないのか……」と、時慶の声が聞こえた。その言葉に耳を疑い、氏勝は思わず口を挟んでいた。
「荻町を捨てるというのですか。父祖代々守ってきたこの土地を?」
「それも止むを得ん」と、時慶は首を振る。「見よ、庄川の水が枯れておる。おそらく上流で山崩れでもあって、流れが堰き止められているのであろう。しかしいずれ決壊して、溜まっていた水が一気に流れ込んでくるはず。そうなれば、この一帯は水浸しじゃ。その前に領民たちをどこかへ逃がさねばならぬ」
氏勝が「されど……」と言いかけると、治兵衛がゆっくりと前に進み出てくる。
「堪えてくだされ、若さま。ほんのいっときのことにございます。落ち着いたときに、また戻って来れば良いのです」
きっと氏勝以上にこの地に愛着があるはずの治兵衛に言われては、もはや頷くしかなかった。そうして、いまだ怯える領民たちを連れての大移動となった。
向かうのはここよりさらに越中との国境寄りへ下った、足倉という集落であった。山をひとつ越えてゆかねばならないが、途中の道も幸いにして断たれてはおらず、無事に進むことができた。そうして辿り着いた足倉の地も酷いありさまではあったが、庄川の流れからは離れているため、鉄砲水からは逃れられるであろうと思われた。そうして集落のはずれに帷幕を張って雨露を凌ぎながら、帰雲からの使いを待つこととなった。
いてもたってもいられぬ時を過ごしながら、数日が経った。そんなあるとき、荻町の様子を見に戻った治兵衛が血相を変えて戻ってきた。そして息を切らしながら時慶のもとに跪き、信じられぬ知らせを伝えてきた。
「大変でございます、殿……荻町に、金森の軍勢が押し寄せて来ています。その数、三百ほど……」
時慶はその知らせを、じっと目を閉じたまま聞いていた。どうやらそれも予測のうちであったようだ。
「金森の軍勢ということは……我らを助けに、わざわざ鍋山から?」
氏勝はそう尋ねたが、治兵衛は暗い表情で俯くだけであった。理由がわからず混乱していると、時慶が低い声で言った。
「わしを捕えに来たのであろう」
「父上を捕えに……何ゆえでございますか!」
耳を疑う言葉に、氏勝は思わず大声を上げた。するとようやく治兵衛が口を開く。
「あの地震のあと、各地で領民が一斉に一揆を起こしているのでございます。その鎮圧に、金森は兵を動員しておるようで……」
「一揆……されどそれで、どうして父上を……?」
地震で家や田畑を失った民が、自暴自棄になって一揆を起こし、無事だった米蔵を襲ったりするのは理解できなくもない。かの者らは、もはやそうするしかないのだ。
たとえ城主であっても止めるすべはない。この状況では、領民をすべて救うことなどできはしないのだ。だからと言って、誰がそれを責められよう。
「実は地震の前からも、少しずつ一揆は増えはじめておりました。三木や江馬の残党が、それを扇動しておったのです」
「されど……それと父上が何の関わりがある?」
「つまりわしも同様だということであろう。服従する振りをして、裏では民を煽って金森に揺さぶりをかけていると」
三木と同じように江馬も、すでに滅んだこの地の国衆である。金森に武を以て従わされたということでは、我ら内ケ島も同じなのは慥かであった。されど。
「そんな……濡れ衣じゃ。我らがさようなことをするわけがないであろう!」
「……半三郎よ」と、時慶はなおも静かな声で呼びかけてきた。「聡いそなたならわかるであろう。ことはそう単純ではないのだ」
ぐっ、と氏勝は言葉を飲み込んだ。そう、実は頭ではすでに理解していた。濡れ衣であることくらい、向こうもわかっているのであろうことも。わかった上で、一揆を口実にしているのだ。
金森とて本来なら、内ケ島領内の金山や銀山と、そこから生み出される富が喉から手が出るほど欲しかったはずだ。されど武家として、先に刀を収めて降伏してきた者を滅ぼすわけにはいかなかった。それに先の飛州征伐で金森方がもっとも苦戦したのは、内ヶ島領向牧戸城の合戦においてであった。その内ヶ島を無理に武力で制圧しようとすれば、金森方にもさらに大きな損害を出さずには済まなかったろう。ゆえに内心で臍を噛みながらも、本領安堵を認めるしかなかった。
されどこの地震で大きな痛手を負った今なら、内ヶ島を易々と滅ぼすことができると踏んだのだ。その上一揆の扇動を口実にすれば、武家としての体面も傷付かない。
「されどそれは……それでは、あんまりにございます」
事の次第を理解して、ついに顔を伏せてしまった氏勝の肩を、治兵衛が慰めるように無言で掴んだ。そして時慶に向き直り、続けた。
「金森勢は間もなく、この足倉にもやって来るでしょう。民たちのことは我らにお任せください。殿はどうか、お逃げを……」
時慶は目を閉じたまま、すぐには言葉を返さなかった。じっと腕を組んだまま、険しい表情で何かを思案している。
「父上……どうされるおつもりですか。まさか……」
時慶はようやっと口を開き、「……半三郎」とまた呼びかけた。「そなたは国境を越えて、上見城へ向かえ。太左衛門なら、何も聞かずに受け入れてくれるはずじゃ」
越中砺波の上見城城主・篠村太左衛門は内ヶ島の者ではなかったが、時慶は妹を娶らせて縁を結んでいた。先の佐々への援軍の際も兵を出し、また城を拠点として使わせてもくれた、事実上の同盟相手である。その上飛騨を出てしまえば、さすがに金森とて手を出せまいと考えての算段であろう。
「某は構いませぬが……父上は?」
「わしは残る。民たちを見捨てるわけにもいかぬでな」
氏勝と治兵衛が、ほとんど同時に「父上!」「殿!」と声を上げた。されど時慶はふっと表情を和らげ、治兵衛へと目を向けた。
「治兵衛よ……おぬし、死ぬつもりであったな?」
「それは……」
「わかっておる。されど、おぬしの命ではまだ釣り合いは取れぬぞ」
氏勝は、「……ああ」と漏らしてまた顔を伏せた。そのひと言で、またすべて理解できてしまった。そのおのれの聡さが、今はいっそ恨めしかった。
金森方にしてみれば一揆を口実にする以上は、ここにいる民たちも生かしておくわけにはいかぬのだ。口実をまことにするためには、見せしめとして晒す首が必要になる。そのためだけに、かの者らは無惨に殺される。辛うじて地震を生き延び、やっとここまで逃げてきたというのに。
それを止めることができるのは、この大和守時慶のみであろう。すべてを背負って死ぬ代わりに、民の助命を乞う。その交渉に使えるのは、それに見合った首のみである。
「何ゆえ……父上がそこまでせねばならぬのです」
歯の間から絞り出したような声で、ようやっとそれだけ尋ねた。その問いにも、父は優しい声で答える。
「城主というのはそういうものぞ。半三郎、そなたもよく覚えておけ」
「ならば……ならば、我もお供いたします。半三郎は、山下の嫡男にございますゆえ!」
「ならぬ」と、時慶は首を振った。「そなたは生きよ。生きて、おのれの為すべきことを為すのじゃ。よいな?」
おのれの為すべきこと。山下の家に生まれた者の務め。それは、氏勝もよくわかっていた。それは内ヶ島を支えること。あの若殿を支え、守ること。それゆえ、おのれはここで父とともに死ぬことさえ許されぬのだ。




