第6話 霧に包まれた世界
第1章 ファスティアの冒険者
#1 冒険者の街
薄暗い酒場から脱出すると、二人の視界に真っ白な景色が広がった。
だが、それは眩しさのせいではない。
いつの間にか、ファスティアの街全体に『霧』が立ち込めていた。
「あっ、霧。今日は早いね」アリサは言う。
「ん? あぁ……。そうだな」エルスは呟く。
大通りは相変わらずの人混みのようで、次々と霧の中から人が現れては消えて行く。せっせと荷運びをする男たちも、道端で談笑する婦人方も、少し視界が悪くなる程度にしか気にしていない。このように霧が出ることなど、この世界で暮らす者にとっては幾度も見慣れた光景だった。
エルスも特に気にするでもなく、路肩に放置されたままの荷車に上り、積まれっ放しのワラ山に腰掛けた。
「ふう……」エルスは剣を鞘ごと外すと傍らに置き、大きく伸びをする。
「今日は朝っぱらから働き詰めだし、ちょっと一休みしようぜ」
「そうだね。じゃ、何か食べるもの買ってくるね?」
「おっ。オゴってくれるのか? サンキュー、アリサ!」
「うん。その代わり、お夕飯は期待してるからねっ!」
アリサは小さく手を振ると、小走りで霧に包まれた大通りの中へと飛び込んだ。
その後姿を見届けたエルスはワラ山に仰向けになり、真っ白な空をボンヤリと眺める。
「霧か……。こんな気分の時は、嫌なコト思い出しちまうよなぁ」
白く霞んだ空には、光を遮られた太陽の影だけが浮かんでいる。それ以外は、どこまでも真っ白な空間だけが広がっていた。
エルスは何かを掴むように、その白い空へ向かって手を伸ばす。
「――はいっ! お待たせ」
彼の伸ばした手に、アリサが持ってきた何かを掴ませた。
「おっ、勇者サンドじゃねぇか! ありがてェ!」
エルスは満面の笑みで、早速かぶり付く。「――いただきまーッス!」
「これ好きだもんね、エルス」
勇者サンドは、野菜を中心に甘辛く味付けした具材を、薄く切ったパンで挟み込んだ簡単な料理だ。外でも手軽に食べられる為、露店などでもよく販売されている。
真偽は不明だが、はるか昔に活躍した『とある勇者』が、この料理を好んだことが名前の由来らしい。
エルスは一心不乱に勇者サンドを貪り、あっという間に完食してしまった。
「ふー、美味かった! ごちそうさんッ!」
「もう食べたの? 早いねぇ」
「なんたって今日は、朝早くから動きっぱなしだったからな! 食わなきゃ保たねぇぜ」
食べ終わったエルスは再びワラ山に背を預け、再び真っ白な空へ向かって手を伸ばす。アリサは自分の勇者サンドをかじりながら、そんな彼の横顔を見てそっと微笑んだ。
「エルス、よくそれするよね」
「ああ、これか?」エルスは、伸ばした手をじっと見つめる。「なんか、ついやっちまうんだよなぁ」
「――神様探し。昔よくやってたよね。そうやって一緒に」
「ん? あの絵本の真似してたやつか? もうガキの頃の話じゃねぇか」
「エルスがよく、わたしに読んでくれたからね。ちゃんと覚えてるよ」
「霧ン中に神様の城が浮いてて、ナントカって神様が願いを叶えてくれる――ってやつだろ?」
「うん。ミストリアって神様だね。この世界を、ずっと守ってくれてるんだって」
「あー、そうそう。そんな名前だったな。でもなァ、本当に居るかどうかもわからない神に、守ってるとか言われてもなぁ」
「わたしは、神様も頑張ってくれてると思うけどなぁ。ほら、あれ――」
アリサは酒場の外壁に出来たばかりの、真新しい傷を指差した。それは、誰も触れていないにもかかわらず、みるみる元通りに修復されてゆく。他にも、馬車の車輪によって砕けた石畳や、人混みに圧されて破損したであろう露店の一部なども自然と元通りになっていった。
しかし、そんなことなど当たり前であるかのように、街の者たちは誰も気にしていない。
「あれはただ、霧が出てる時は魔力素の濃度が上がる自然現象で――って、話だろ? おまえのジイちゃんが教えてくれたじゃねェか」
「うーん。そうだけど。エルスも、おじいちゃんのお話、ちゃんと覚えてるんだね」
「まぁ、俺にとっても自分のジイちゃんみたいな人だしな! それに、なんたって『元・凄腕の冒険者』だ!」
「勇者とか冒険者が本当に好きだよねぇ。ずっと、冒険者になりたいって言ってたし」
「冒険者はみんなの味方だしな! それに、この霧が本当に『神の力』だってンなら――俺らの父さんたちも、俺の家だって、元通りにしてくれたはずだろ?」
「うん……。そうだね――」
アリサは十三年前の――両親を失った日の記憶を思い返す。
まだ三歳だっただろうか。幼い彼女は高熱を出し、自宅で祖父のラシードに看病されていた。兄のように慕っていた幼馴染エルスの誕生日パーティーに行けずに悔やんだ彼女だったが、それにより皮肉にも魔王の襲撃から逃れることが出来た。
惨劇の後に祖父に連れられて向かったのは、見る影も無く破壊されたエルスの家だった。
瓦礫を避けた一角には、変わり果てた姿の父アーサーと母レミ、そしてエルスの父であるエルネストが静かに横たわっていた。いつしか、彼らを包み隠すかのように、辺りには霧が立ち込め始める。
その傍らには、真っ白な空に向かって精一杯に手を伸ばし、泣きじゃくりながら必死に救いを求める、幼いエルスの姿もあった。
『お願いしますッ! 神さまッ! みんなを助けてくださいッ! 生き返らせてくださいッ! ミストリアさま……、再世神さまッ……! お願いします――ッ!』
しかし、エルスの願いは聞き届けられることなく、命尽きた三人の肉体は白く輝く灰となり、キラキラと光の粒のように舞いながら霧の中へと消えていった。
無慈悲な結末に落胆し、慟哭を上げるエルスとは対照的に、幼いアリサはその光景を『きれい』だと思ったのだった。
『人はな――命が尽きると必ず、こうして霧の中へ還ってゆく。それに、壊れた家や大地を元に戻す霧でも、恐ろしい魔王に壊されたエルスの家は直らんのじゃ……』
突然に目の前で起こった状況を理解し切れていないであろう孫娘をそっと抱き上げ、祖父のラシードは静かに告げた。
『そっかぁ。じゃあエルスお兄ちゃん、ひとりぼっちだねぇ……。かわいそう』
『おお……。おぬしの両親も――居なくなったのじゃぞ……。アリサよ……』
『うん。でも、わたしにはおじいちゃんが居るし、リリィナお姉ちゃんも来てくれるし、エルスお兄ちゃんも居るからさみしくないよ?』
『……ああ、そうじゃな……。二人とも、これからはお爺ちゃんが守ってやるからの……。お爺ちゃんもリリィナも、強い冒険者じゃ! エルスだって、きっと冒険者になって、おぬしを守ってくれるだろうて……』
『うんっ! あっ、そうだ! じゃあ、わたしもみんなを守れるように、冒険者になろうっと!』
『おぬしは……、強い子じゃ……。本当に――』
「――おい、大丈夫か? アリサ」
遠くを見つめたまま呆然としているアリサに、エルスは少し心配そうに声を掛ける。
「あっ――大丈夫。えっと、冒険者って本当にすごいなぁって」
「おう! だってさ、神様に頼ったって肝心な時には助けちゃくれねェしな!」
エルスは手元のワラ束を掴み、それを強く握り締めた。
「そうさ――いつだって困ってる人を助けてくれるのは、冒険者だけなんだ……」
「エルスは神様のこと、嫌いになったの?」
「んー。神頼みなんかより、冒険者になって自分で何とかしたいって思っただけさ。別に嫌いってワケじゃねェよ」
「じゃあ、わたしのことは?」
「嫌いじゃねェよ」
「じゃあ、さっきの格好良いエルフの人は?」
「格好良いって……。おまえ、ああいうのが好きだったのか?」
「うーん。目がちょっと怖かったかな。嫌いじゃないけど、そんなに好きじゃないかも」
「あの野郎――ラァテルも、別に嫌いじゃねェよ。なんたってアイツも強ェ冒険者だしな!」
「そっか。わたしも、あの人も冒険者だもんね」
「おう! 冒険者に嫌いなヤツは居ねェ。それだけは、間違いねェな!」
そう言ったエルスの銀髪がキラキラと輝いた。どうやら霧が晴れ、再び太陽の光が地上に届き始めたようだ。
「あ、晴れたねぇ。霧」
「よし! やっと神様の辛気臭ェ霧も消えてくれたし、外で一暴れすッか!」
「やっぱり神様のことは好きじゃないのね」
「嫌いじゃねェけど好きでもねェよ!」興味なさげに言いながら、外していた剣を腰に差す。
「――さッ、それより行こうぜッ!」
エルスは荷車から勢いよく飛び降りると体に付いたワラを手で払い、元気よく大通りへ飛び出した!
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