第１話 プロローグ
第１章 ファスティアの冒険者
若き銀髪の青年が、夜明け間もない大地に立っている。
彼の名は――エルス。
遠くに見える街には魔法の明かりが灯り、薄暗い空へと光を伸ばしている。天上から降り注ぐ光は弱く、エルスの周囲に広がる荒地を照らすには心許ない。
無機質な岩や石が転がる薄闇の中、彼の手にした抜き身の長剣が、わずかな光を反射して鈍い輝きを放っている。
岩の陰へ視線を移すと、それらと同程度の大きさをした、複数の蠢くシルエットが確認できた。
その一つに狙いを定め、エルスはそっと影に忍び寄る……。
「――よし、先手必勝だッ！ ひとぉぉぉつッ！」
エルスは見定めた獲物に向かい、気合いと共に剣を振り下ろす！ 斬撃により両断され、異形の生物が地面へと崩れ落ちた！
だが、それに目を落としている暇もなく、奇襲に気付いた別の生物が彼に飛びかかる！
「遅いぜッ！ ふたぁぁぁつッ！」
エルスは鋭い爪による攻撃を軽々とかわし、すれ違い様に剣で斬り裂く！
「ギェエエエッ！」
耳障りな断末魔を上げながら、あっさりとそれは地面へ倒れ伏した！
足元に転がる二体の異形――所々の造形はネズミらしき動物に似ているが、傷口からは黒く淀んだ霧のようなものが止め処なく流れ出している。
やがて――その全身は黒い霧となって虚空へ消えてしまった……。
これら異形の生物が、全人類の敵である魔物という存在だ。街からもやや遠く、安全な街道沿いからも逸れた荒地には、こうした魔物が多く徘徊していた。
「エルス！ もう一匹いるよ！」
不意に叫んだ少女の声でエルスが周囲を見遣ると、薄明かりの中から犬の頭をした人型の魔物が飛び出した！ 魔物はボロボロの剣を振り上げ、一直線に突っ込んで来る！
「ヘヘッ、いいぜ！ 戦闘開始ィ！」
異様な姿の魔物に臆することなく、エルスは真正面に剣を構えた！ そこへ魔物は狂犬の如き咆哮と共に、手にした剣を振り下ろす！
「遅いッ！」
跳躍して一撃を回避し、エルスは着地の勢いを乗せた剣を深々と魔物に突き立てた！
「これでッ、みっつだッ！ 戦闘終了――ッ！」
「ギャオオオオン！」
断末魔の叫びと共に犬頭の魔物は地面に突っ伏し、やがて全身から黒い霧を噴き出しながら消えてしまった！
「サンキュー、アリサ！ 助かったぜッ！」
エルスは声の主の方を振り向いた。
彼の言葉に応えるように、アリサと呼ばれた少女が大きく手を振っている。周囲の明るさもやや増し、彼女の茶色いポニーテールが揺れるのを確認できるが、表情までは見えない。
そして、アリサも剣を携え、手近な魔物へと斬り込んでいった。
エルスは剣を納め、さきほどの地面へ視線を戻す。既に魔物の痕跡はなく、乾いた風が虚しく砂埃を巻き上げているのみだ。犬頭の魔物が持っていたボロボロの剣も、黒霧と化し虚空に消えてしまった。
「思いきって早起きしてみたけど、戦利品は無しかぁ。ふわァァ……、冒険者も楽じゃねェなぁ」
明るさのやや増した空を見上げつつ、エルスは身体を伸ばす。普段は寝ている早朝ということもあり、思わず欠伸が漏れた。
「まッ、あとは例の依頼に賭けるしかねェな！」
「――エルス！ 後ろ後ろ！」
戦闘を終え、気が緩んでいたエルスが慌てて振り向くと、地面から巨大なミミズ型の魔物が顔を出している！ 魔物は大口を開け、威嚇の鳴き声と共に鋭い牙を剥き出した！
「おおっと！ よッよッよッ……」
エルスが慌てて剣を抜き、戦闘の構えをとるよりも早く――アリサの『声』が響いた！
「エンギル――っ！」
アリサが発動した光魔法・エンギルによって、巨大ミミズの周囲に輪のような光の刃が出現する！ 光輪は魔物の周囲を飛び交いながらその身体を斬り刻み、再び虚空へと消え去った！
「はいッ！ よっつ！ へへッ、貰ったぜッ！」
エルスは意気揚々とミミズの輪切りに剣を突き刺すが、もう既に消えかけた黒塵と化している。
「もー。『よっつ』は、わたしの分なんだからねっ」
アリサは口を尖らせつつエルスの元へ駆け寄る。二人は幼馴染で、この冒険の旅における相棒でもある。
「はいはい、わかってるって！」
「それより大丈夫だった？ 油断しちゃダメだよ？」
強靭な肉体を持ち、人間族よりも小柄な種族であるドワーフ族の血を半分引いているアリサ。その特徴に加え、エルスより年下ということもあって幼さの残る容姿だが、こう見えても武器での戦闘能力は彼よりも高い。
ただし――身体能力に恵まれている反面、魔法を苦手とするというドワーフ族の血筋の影響を彼女も受けている。しかし――。
「――もしケガしたら教えてね？ せっかく旅の前に光魔法、頑張って覚えたんだから」
「大丈夫だッて！ そン時は遠慮なく頼むからさ！」
小さく「うん」と頷くアリサに対し、エルスは満面の笑みを浮かべてみせる。
やがて二人を照らすように、天上の太陽が朝の訪れを告げる陽光を放ち始めた！
「よしッ、ここらで朝の狩りは切り上げだ！ 街に戻ろうぜ！」
エルスは、天上からの強い光に照らされている街を指差す。もう街灯の明かりはすっかり消えているようだ。
「そろそろ依頼人の所にも行きてェしな！ おまえも何か依頼、請けてンじゃねェのか？」
「うん。わたしは荷運びと、農家さんの所で収穫のお手伝いと……。エルスは？」
「へへッ、俺は店番の依頼だ！ 楽勝そうなワリに高額でさ！」
エルスは得意げに胸を張り、腰に着けた冒険バッグから一枚の紙を取り出す。それは、街を出る前に酒場の掲示板から破り取ってきた依頼状だ。彼は『報酬』と書かれた部分を、パンパンと景気良く指で弾いてみせる。
「なッ？ これでこそ早起きした価値があるってモンだろ！」
「わぁ、すごい！ じゃあ今日は美味しいもの食べられるかなぁ。ずっと水と堅いパンだけの生活だし」
「もッ……、もちろんだぜ！ 期待しててくれよなッ！」
「うんっ！ でもエルス、店番なんて出来るの？ 言葉遣い悪いし、愛想なさそうだし。わたしの荷運びの依頼状と替えてあげよっか？」
「へッ！ 俺は、おまえみたいな怪力女と違って繊細なんだよッ！」
エルスは乱暴に依頼状をバッグにねじ込むと、悪ガキのように歯を見せて笑う。
「じゃ、終わったらいつもの酒場な！」
「もー。せっかく心配してあげたのに。またあとでね。ケガしちゃダメだよ？」
「店番で怪我なんかするかよッ！ 先に行くぜ！」
心配げな表情のアリサに大きく手を振り、エルスは砂埃を巻き上げながら街へ向かって走りだした。
そして、小さくなっていく彼の後ろ姿を笑顔で見つめ、アリサもゆっくりと同じ方向へと歩き始めた――。
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