第六話「婚約者という名の罠」
数少ないこの世界の私の友人は、馬鹿みたいに正直なこの国の綺麗な王子様であった——。
アデル・マクシミリアンという男について私は少しだけ思い出していた。この男が友人であり、家族であり、彼の最も大切な人である。彼にあんなにも愛されているのに、彼の優しさに甘えて自分は好き勝手しているなんて図々しい奴だと最初は思っていたが、男の複雑な立場と目標とその憎めない性格を知った後は、私も間接的に男に仕える事を厭う気持ちは微塵もなかった。
「貴様、良い加減にしろよ!」
「そっちこそ! 閣下が優しいからって付け上がらないでよ!」
「二人共、私は気にしていないから幼稚な言い合いは止めてくれ……」
本当に些細なことで私がよく言い争いをしたアデル・マクシミリアンという男は、実は、当時この国の亡くなったと言われていた第一王太子であった。彼の父親であるマクシミリアン王が、弟のノイマン公爵に王座を奪われた際、マクシミリアン王の友人であったシーベット辺境伯の策のもとでシーベット家に保護された、王家の正当な後継者。
アデルは疲弊していく国民の為に王座奪還を決め、そんな王太子であり友人を支えるために彼もまた国の為にと戦っていたのだが、表立っての革命を起こす前の束の間の平穏の際、私はのアデルという男と言い争うことが日課となっていた。
今思えば、私と彼は同じ側の人間であるため、反発しあっていたのだろう。
「貴様、本当にそれで良いのか?」
「貴方がそんなこと言うなんて驚いた。 ありがとう、でもこれで良いの……私は彼の側に居られるだけで幸せだから」
アデルは彼に対する私の気持ちを知っていた。それでも、状況が状況だったから無理に私に促すような事はしなかった。アデルは君主となる存在として、多くの人を自らが導かなければならないことを知っていたから、その為に彼が必要であることにも気づいていたからである。
彼ほどとは言わないが、私のことも多少友人として大事に思っていた事を前の私は知っていた。勿論、今の私も。
真っ直ぐなアデルにしては珍しく私に向かって度々口にした言葉が、苦しさと優しさと言う複雑さに包まれていたことにもすぐに気付いた。
そんな君主と友の間で板挟みになるアデルの背中を、私は友として臣下としてそっと押すことができたのは、アデルが彼の友人だからではなく、私はアデルの友人だと直接言ってくれたからである。
「俺が……俺の友の幸せを願って何が悪い!」
誰かが私の愚かな想いを知っていることが、その誰かがアデルであったことが、私にとっては幸福なことである——。
そんな前の私が知る分かりづらい優しさと愚直さを持ったアデルや彼の革命は見事成功し、今世での私が知るマクシミリアン王が誕生したのだが、彼はその境遇から王座の世襲制を廃止に追い込んだのである。これは元々聞いていた話なので、それを本当に実行したのだから大したもんだけど生まれ変わってから思ったが、それは色々な綻びを無視して押し通した物であり、血筋を重んじる貴族達からは不満が募るのはすぐのことだった。しかし、頑固者のアデルが父親を排除した貴族の意見など聞く筈もないことは男を知る者であれば誰もが分かること。
共に戦った革命軍の大変素晴らしい頭脳をお持ちの彼等の考え方をそれなりに知っていた私は、彼との約束通り今世でもアデルを陰ながら支える為に、大変素晴らしい頭脳が弾き出しそうな謀略を予想し、文字通り冷徹な仮面を被った悪役令嬢を演じているわけである。
何故アデル・マクシミリアンの話を思い出したのか。それは、私が散々アレ呼ばわりしていた存在——リヒャルド・ノイマン公爵子息が私の婚約者でありその謀略の要であるからである。
「また貴様か! 一体どれほど問題を起こせば気が済むのだ!」
お前こそアデルのお情けで助けてもらった癖してどの面さげてそんな偉そうな口を聞いているのか、と思わず言いそうになった私はお口チャックする。基本的に、アレ——お馬鹿さんなリヒャルド・ノイマンの前で私は無言を貫いてきたのである。こんな馬鹿と話すと馬鹿が移りそうになるし、流石に血縁者であるせいかアデルにほんの少しだけ似ているので、口を開けば懐かしい日々の様な言い争う言葉をぶつけてしまいそうだ、と。
「ノイマン様! シュナイダー様は私を助けてくださったんです!」
「ふん、貴様が庇う必要などない、どうせこの女に何かされたんだろう?」
お前馬鹿か、と喉まで出かかった言葉をしっかりと飲み込んだ。この状況を見てどうしたらその考えに至るのか不思議で仕方が無かったが、だからこの男は馬鹿なのである。
アデルの血縁者であるから容姿は整っているが、頭脳は天と地ほど差があった。打ち合わせをした訳ではない私達が仕組んだ政略結婚という謀略のため、幼い時からリヒャルド・ノイマンと顔を合わせる機会があったのだが、この男は自身の父親が仕出かしたことの重大さをアデルの温情によって糾弾されずに生きてきたせいか、自分が『王家の出自である』という今はすでに効力のない過去の栄光をかさにして、好き勝手生きてきた。
(彼の父親であり逆賊であるノイマン公爵の方がまだ賢さを持ち合わせていたというのに……)
かつての私達の討つべき敵であった男のことも思い出し流石に可哀想になったが、そんな男の愚息をこうして生き残らせている事でせめて弔わせてもらいたい。
とにかく、この馬鹿は名ばかりの公爵家という力を本気で信じているのだが、形骸化したノイマン公爵家であっても欲しいと考える存在はいる。かつてノイマン公爵側に付き、前マクシミリアン王を陥れた所謂貴族派の連中である。
再び王座を転覆させ、温情により生き延びているリヒャルド・ノイマンを傀儡として王座に据え国を乗っ取り、甘い汁だけ吸おうとする腐った貴族。
アデルが世襲制を廃止したいと打ち明けた時から、そんな輩が出てくることは予想していた。貴族の怠慢により疲弊した国を見た革命派の私達は、アデルの言う世襲制には賛成していたし、現代社会の様な資本主義を目指していた彼の先見の明には舌を巻いた物である。
だが、それを実現するとなると、民から巻き上げた金で財を築いている者が多い貴族からは反発されるだろう事は想像に容易い。そんな奴らを一門打尽にするために、私達もまたリヒャルド・ノイマンを餌にしていたのである。
世間的にはアデルの温情と言われているが、そんな訳がない。政には多少の情も必要ではあるが、それは国を支える民のためであって国を疲弊させる貴族の為であってはならない。勿論、私を含めた周囲の者達でリヒャルド・ノイマンにもそれとなく平民のことや国ことを慮るように促してはみたものの、馬鹿だから一向に気付いてくれなかった。確かに、直接アデル達の革命を見たわけではないリヒャルド・ノイマン達の世代からすると、現実を直視したくない貴族に囲われて仕舞えば、革命前の世界で育ったといっても過言ではない。
アデル達がしたことは無駄だったわけではなく、平民にとっては良い影響を齎しつつあるが、上層部が変わらなければ国を変えることは難しい。リヒャルド・ノイマンの矯正も困難である今、当初の予定通り彼を囮にして貴族派を炙り出すしかない。
では、何故私が彼の婚約者であるかと言うと——。
「リヒャルド様、いくら婚約者であろうとも、シュナイダー家である私をこの女と称すのは如何なものかと」
「っく……」
リヒャルド・ノイマンの後ろから美しい金色の眼が私を貫かんと見つめている事は華麗に無視を決めて、私は自分と婚約者の間にある貴族だからこそ超えられない壁を見せつける。悔しげに歪められた顔を見たところ、流石に馬鹿であっても貴族は貴族、私の言いたいことは理解出来たらしい。
そう、実は伯爵家であるシュナイダー家は富豪も富豪の超大富豪——単純に言え大金持ちである。ノイマン公爵家が反逆罪により財産を没収された際にそれは可哀想だと訴え、公爵家の援助を申し出た公爵家の恩人である。
そのため、如何にリヒャルド・ノイマンがあほんだらであったとしてもシュナイダー家に逆らうことは出来ず、ノイマン公爵家とシュナイダー伯爵家には、その名とは異なり逆転した力関係が存在しているのである。
「どうやら、皆さんの貴重なランチタイムをお邪魔してしまったようですね」
(そんな所で野次馬してる暇があったら、この国の歯車として役割を果たせる様にその空っぽのおつむに少しでも役立つ知識を詰め込んでこい)
そういう意図で発したけれど、そこまで察することが出来る人間は流石にいないだろう。屈折しすぎなのは分かっているが、あんなことを知った私は、もはや前の私の様な純粋さは持ち合わせていなかった。
蜘蛛の子を散らすように去っていく若葉達を冷たい仮面越しに見送り、私は折角民が汗水垂らしながら育てた食物を使って作られた美味しそうだったリリー・クライン嬢の昼食らしきものを魔術で片付け、綺麗になった食器だけを揃えて彼女に渡した。
これは、食物を無駄にしてしまったことに対する民への謝罪を込めて。
「西の校舎にパンを売りに来る商人が居るから、お腹が空いているならそこに行きなさい」
この言葉は、私を少しでも庇おうとしてくれた、優しい光の少女に対しての感謝を込めて。まぁどうせこの言葉は「貴方の様な平民が私と同じ様に食堂でランチを取るなんて烏滸がましいにも程がある恥を知りなさい」という意味に曲解される可能性は、私の悪評から想像すると、80%くらいだろう。
「ご機嫌様、婚約者様?」
流石に嫌味ったらしいとは思ったが、そうやってリヒャルド・ノイマンを意識しないと、その後ろで私をじっと見つめる金色の眼に捉えられてしまいそうで怖かったのだ。彼と同じ眼で、今の私なんか見ないで欲しい。
(あぁ、でも——)
臆病な私はまだ調べていないけど、彼に瓜二つのこの人がもしも彼と繋がっているのならば、私はこの命を賭してでもこの金色を守らねばならない。それが、私の身勝手な愛情から生まれるものだとしても、許して欲しい。
だからどうか、今だけはその眼で、未だ覚悟を決められない臆病な私を見ないでください——。