第三話「彼の銀を纏った私と私の黒を纏った誰か」
墓荒らしも同然だった。
愛した人の屍を求めて彷徨うなんて、狂ったのだと思われても仕方がない。でも、これは私にしか出来ないことだと知っていた私は、他人にどう思われようと構わなかった。
——実際、私が死んだ後にその事実を知った人々は、私の真黒な髪と眼も相俟って『魔女』だと罵り忌み嫌う者は多かった様だが、そう言われると知っていても、私は絶対に止めることは無かった。
私の魔術は、相手が生者では本当の力を発揮できない。相手が死して初めてその力を振るうことができるのである。この事実に最初に気付いたのは、奇しくも求めているその人であった。まさか、彼のためにこの力を振るう機会が来ようとは、甘美でありそして絶望でしかない。
「見つけたっ……」
戦場の成れの果てを只管彷徨いながら掘り返しながらその人を探し当てる無謀な行為は、魔術が使えるとはいえ女一人の力では一年近くも掛かってしまった。その中でやっと見つけたのは、最も激しい戦地の中の最も外れの森の奥。
彼は世界から隠されるかの様に、ひそりと埋められていた——。
きっと、従者である真面目で優しい男があの戦禍の中であっても忠義と礼節を尽くし、丁寧に埋めたのだろうことが一目で分かった。
激しい戦闘の所為で立派なは所々破れており、恐らく致命傷であろう肩口から脇腹にかけて斜めに裂かれた大きな傷はまるで誰かを庇ったようであった。それ以外の大きな損傷はなく、劣勢だと言われた戦況の中で、万全とは程遠い身体であっても彼の実力の高さは健在だったという証拠であった。
私はその傷を愛おしむ意味で撫でた後に、彼の顔を見遣った。
傷よりも何よりも、私を大きく苛立たせたもの——白骨化が進み窪んだ眼窩に虚空を作り出してもなお美しいその姿に不釣り合いな、禍々しい呪いの跡。
今ならはっきりと見える、彼を取り巻く忌々しい黒き呪いの鎖。雁字搦めに巻き付いたその中に、美しい輝きを放つそれが捉えられていた。
彼の魂である——。
呪いの鎖に封じ込められ、腐敗が進み既に生から遠く離れてしまった己の器の中に閉じ込められてしまっている、彼の気高い魂。
これを解き放つことが出来るのは、皮肉にもこの世界に私一人だけだった。
「こんな呪いがあったから……!」
——こんなものがあったから私は死んでしまった。
——こんなものがあったから彼は死んでしまった。
——こんなものがあったから、私と彼は出会えた。
憎しみの中に浮かんだ甘い感情。一瞬でもそれが浮かんだ私のことを、私は許せなかった。思わず握った拳から血が滲んでも、私は自分が許せなかった。そんな私を咎めるように、慰めるように、彼が一際清らかな輝きを私に差し向けたのは勘違いだったのかもしれない。
でも、その輝きが私の憎しみを消し去り、残ったのは私の中に浮かんだ感情——愛おしさだった。もう私の中には、彼へのその想いしかなかった。
「ごめんなさい」
——貴方が生きている間に助けられなかったこと。
——貴方を助けられるのが私だけであると喜んでしまったこと。
——貴方を苦しめた呪いである私が貴方と出会い、愛してしまったこと。
もしも、再び出会うことがあったとして、私を愛して欲しいとは言わない。私の知らない誰かと愛し合う貴方がいたとしても、私を見てとは言わない。だから、貴方を愛することだけは、どうか許してください。
そして私は、彼を苦しめたものと同じ力で、彼を縛る呪いを打ち砕いた。
「あぁ……!」
彼が光の粒となって何処かに解き放たれた後、私の目の前に残された彼の本骸を見た私は、歓喜の涙を流していた。死してもなお美しい彼の半身から、あの忌々しい呪いの跡が綺麗さっぱりなくなり、美しい彼の全容が明らかになったからである。
私は、空っぽの彼に縋るようにつぶやいた。
「愛しています、永遠に——」
これじゃ本当に墓荒らしだと思いながらも、私は細やかな仕返しのつもりで彼の美しい銀糸を一房攫ってやった。
先程よりも力を込めて逞しい胸板を押した私に気付いたのか、彼はやっと私を腕の中から解放した。私はその隙に素早く扇子を顔に翳したため、恐らく最初の一瞬以外に私の顔をはっきりと確認出来た者は、目の前の人以外居ないだろう。
改めて扇子越しに覗き見た彼の顔は、美しかった。
彼の美しい銀糸とは異なり、前の私とそっくりな真黒な髪を靡かせる目の前に居る男は、顔が彼と瓜二つな所為か、前の私と同じ色の癖にどこか神々しい存在の様に思わされる。
だからと言って、いきなり人様の仮面を外すのは如何なものだろうか。大胆というか普通なら無礼に値するけれど、私も本気で顔を隠したい訳ではない為、怒ってはいないのだが、意趣返しも込めてとりあえず印象付けるイベントに付き合ってもらおう。
「どうやら御令息は私の言葉を聞き取れなかった様ですね……もう一度申し上げましょうか?」
頑張って身に付けた嘘くさい悪役令嬢の様な物言いに、自分では100点満点上げたいところだ。これで評判はさらに下がるだろうが、悪評が鰻登るのであれば儲けもんである。
「いえ……こちらこそ、大変失礼致しました」
恭しく頭を下げた彼は、私に向かって仮面を差し出した。私はそれをサッと攫うと、呆気に取られていたライナにそのまま渡す。受け取って私の顔に付けてくれたのは最早無意識の行動であるライナは、実に優秀な侍女である。
「御令嬢、お名前をお伺いしても?」
彼と同じ金色の眼を揺らしながら、それとは違っていっそ清々しいくらいの斬り込み方で私の名を聞いてきた目の前の人は、肝が座っているというかなんというか、返し甲斐のある言葉を口にしてくれた事は有り難い。
「他人に名を尋ねる際は、まずは自らが名乗るべきだと思いますが?」
「失礼しました、私は騎士科二年、ルミオス・ノッラと申します」
『ノッラ』は平民が学園に入学する際によく用いる名である。通常平民は姓を持たないのだが、学園では便宜上必要になるため、姓をランダムに振り分けられる。ノッラという姓も其の内の一つである。ちなみに、卒業して上級職に携わる場合は新たな姓が国から正式に与えられるので、この学園で過ごす期間以外でその姓が使われることは無い、謂わば記号である。
となればそれを突くのが正解であるのだが、彼の襟元の飾りと腕章を見ると、目の前の男子生徒の場合は一筋縄ではいかない。
(白に金縁の腕章、襟元には金星となると騎士科でも特級クラスのしかもトップの証——とんだ大物ね)
学園内でも指折りの実力者でありこの見た目と最初の大胆な行動以外は全て紳士的な物腰であることから推測されるのは、入学前から噂されている集団の一人であると言うこと。
学内でも圧倒的な人気を誇る五人の男が居るというのは事前調査で分かっていた。ただ、学園の生徒の情報は秘匿性が高く、学園内での成績は国の繁栄に関わるせいか外部からの入手が困難であるのは分かるが、人気トップ5が誰であるかを調べるのも結構骨が折れる作業であった。正直、彼以外には男に毛程も興味がない私は、その労力を割くよりは他のことに注力したかった為、詳しくは調べなかったのである。
(見掛けたら眼福ーぐらいにしか思ってい無かったけど、こんなことなら調べておけばよかったわっ)
眼福どころか毒である。愛した人のそっくりの男と、学年は違えど最低でも後二年共に過ごさねばならないなんて、一瞬の天国と永遠の地獄である。学園の生徒の調査は入学してからすればいいや、なんて気楽に考えていた過去の自分をぶん殴りたい。
「御令嬢、大丈夫ですか?」
私が内心ぎりりと悔しがっている時間が長かったのか、ルミオス・ノッラという男子生徒は一歩近づき、心配げな視線を私に向ける。彼と似ているからと言うのもあるが、そもそもイケメン耐性は紙なので、
(あーあー無理無理キラキラしてるイケメンとかマジ近付かないでくれぇ!)
「近付かないでくださいませ」
持っていた扇子をたたみ、まるで短剣を突きつけるようにルミオス・ノッラの前に向ける。驚いてぴたりと止まってしまった彼に流石に申し訳ないが、これぐらいしないとこの人なんだかとんでもないことしそう、と思ったのだから仕方がない。結果、悪役令嬢っぽくなったのは幸いである。こんな大物に対しても不遜な態度をした、と噂になれば箔が付くだろう。
「勝手に人の物を奪い去る無礼な方に名乗る名など持ち合わせてはおりませぬので」
失礼、と付け足した私は早くこの人の元から去りたい気持ちを出さないように、颯爽と背中を向けて校舎に向かった。
だから私は知らない。残された彼が私の背中を切なげに見つめながら呟いた名のことなど——。