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転生した仮面悪役令嬢と白銀の騎士は只管すれ違う  作者: 灰月鴉
第一章「馬鹿な私」
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プロローグ「そんな貴方を——」

「逃げるんだ」


 轟々と燃え盛る炎の音に掻き消されることの無い、意思の籠った強い声。背を向けている彼がどんな気持ちで放ったのか、私には分からなかった。


「どうか……君は生き延びてくれ」


 振り返ることのないその人がどんな顔でそれを放ったのか、やはり私には分からなかった。


「嫌ですっ! 私は……私は最期まで貴方と共に——」


 流したくもない涙が溢れてくるのを、必死で堪える私はきっと不細工な顔をしていたに違いない。細い管を逆流するかのように、血が全身で暴れ回っているのが分かった。迫り上がる熱いものを理性で無理矢理押さえつけても、身体は無様な程に正直だった。

 この人と離れたくないと、脆弱な理性では抑えきれない程に叫んでいた。

 ふと、背を向けていた彼がいつも身に付けていた半分の仮面をそっと外し、こちらを向いた。

 久しぶりに見たその顔は、呪いに蝕まれているとは思えぬほど清らかであった。爛れた皮膚も崩れた半顔も、全てが美しく、そして愛おしかった。

 炎と煙と怒号が渦巻く世界で、一歩、一歩と静かに私に近付く彼はあまりにも気高い。そんな彼は私の前に来ると、秘めた眼で私を見つめた。光を失った片眼は、それでもなお穢れることなく黄金色に輝いている。

 彼はそのまま、白布で覆われた掌を私の顔元に近付けた。近付くそれを受け入れようと私は、彼の美しい金を見つめたまま焦がれるように待ち続けたが、私の頬に触れるか触れないかの所で、ぴくりと怯えたように掌を止めると、誤魔化すように私の耳元に掛かる凡そ手入れなど施していない軋んだ黒髪を一房恭しく持ち上げてから、そのまま男性にしては麗しすぎる唇を寄せて口付けをした。

 息を呑む私は、勘違いしそうになる自分を叱咤した。

 私の傷んだ髪に触れる彼の指が、唇が伝える温度が私を優しく穿ち、彼の私を見つめるその視線が私の全てをぐずぐずに溶かしていく感覚はきっと都合の良い幻である——と。

 これがもし、烏滸がましくも仮に事実であったとしても、私はそれを振り切らねばならない。

 受け入れるという選択肢などあってはならない存在のくせに、それなのに、目の前で彼が触れる、まるで勝ち誇ったかの様に彼の掌の中で揺れる自らの髪の毛にさえ嫉妬心を抱いていた。


「すまない」


私のそれを知っているのだろうか、彼は私の美しいとは言えないその射干玉の髪の毛を一房、持っていた短刀でさくりと斬り取った。


「君の代わりに、この月の様に美しい御髪を共に連れて行かせてほしい」


 彼は、時々大胆な行動を取ることがある。

 この時もそうだったが既にそれは手の中にある訳で、私が嫌と言ってももう遅いし、そもそも拒否の言葉など彼に対して口にすることはない私は、彼の問い掛けとは言えない言葉に、手の中に大切そうに仕舞われている自身の分身への嫉妬心を必死で悟られないようにしながら、首をこくりと縦に振った。

 私の答えに酷く満足げな顔をした彼の眼に宿る感情を私は知りたいし、知りたくなかった。

 この甘ったるい様な擽ったい様な、それでいて切なくて心が締め付けられる様な、しかしそれですらやはり甘美であると享受したがる愚かな情念渦巻くこの瞬間が、永遠に続けばいいのにと、私は本気で思っていた。


「——卿!」


 彼を諌めるような部下の声が、私達を血生臭い戦場へと呼び戻した。

 そうだ、こんな私の身勝手で穢れた私欲に塗れた世界、一瞬たりとも長引かせてはならないし悟られてはならない。この後、私がやろうとしていることも何もかも、隠さねばならない。

 例えそれが、彼の残酷で優しい願いとは違えることになっても、私は私の存在を以て、彼の本当の願いを叶えなければならない。

 馬鹿なことを口にした先程の自分を地獄のそこに蹴り捨てた私は、それでも最期くらいは女で居たいと思ったのだから、本当に救えない大馬鹿野郎である。


「貴方に会えて、私は幸せです——」


 綺麗に笑えただろうか。貴方のせいで不揃いになってしまった髪でも、それが貴方から齎されたものであるならば、幸福でしかない。

 ここに来てから、決して楽ではなかった。苦しいことの方が多かったかもしれない。此処に立っていること自体が、本来であれば許されない。それでも、貴方と出会えたことが、貴方と過ごした時間は私の歩んできた人生の中で、いや、これから先の未来の中でも、最も尊く、そして愛おしいものである。私はそう確信していた。これ以上などあり得ないのだと。だからこそ、過去形になんてしてやるもんか。

 彼は何も言わなかった。何かを言おうとした口は僅かに開いたが、その麗しい唇からは、小さなちいさな吐息が一つ溢れただけであった。


「——卿っ!」


 二度目の声は、今度こそ私達を引き離した。時間切れ。これが本当に最期なのだと、私も彼も強く拳を握った。


「《《彼》》を、任せた」


「承知しております、閣下」


 私は、敢えていつもの様に彼の名を口にしなかった。今から私は、貴方の忠実な部下であるという私なりのけじめをつけた。彼が一瞬寂しそうに顔を歪めたのは、きっとそう、私の眼に溢れた水面が揺れたせい。


「ユヅキ……君は生き延びてくれ」


 あぁ、最期までそんなことを言うなんて、貴方はなんて残酷でそして優しいヒトなんだろう——。


 紅の海に向かって旅立つ貴方の船で一緒に沈むことを許してくれないのなら、私は貴方のオールを攫って最期まで漕いでみせるわ、貴方の目指した光の海に向かって。

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