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3 泣きっ面に蜂

そんな日々のなかでも時折、見たくない光景を見かけた。

拓海と拓海の彼女と言われる女の子が肩を並べて歩いている姿を。


小柄でふわふわした茶色の髪の女の子って感じの優しそうな女の子。

大きな拓海に抱き寄せられたら、きっと体が見えなくなるくらいの華奢な女の子。


敵意さえ向けられないようなフワッとした小動物のような可愛い笑顔。

渡り廊下で一緒にいるところ、道場に向っているのだろう時間に途中まで一緒に下校する姿を何度か遠くから見送った。


彼女は嬉しそうに微笑み、拓海は誰に対するよりも穏やかな顔で彼女の話を聞いていた。

私にも、後輩達に見せるのとも違う顔。冗談や冷やかしのかけらもない穏やかな笑顔。

長身の拓海と小柄でふんわりした彼女を羨望の目で周りは見つめていた。


「……お似合い、だね」


ずっと見てきた拓海の背中が、すごく遠くに感じた。

底知れない喪失感に気分を変えなきゃと、このままじゃダメだって、いつだって出来る限りの抵抗を試みる。だけど完全に撃沈だ。どんなに鍛えたって、自分の感情コントロールにすら、一勝出来ないなんて、不毛極まりない。


泣かないと決めたから泣かない。

だけど、酷く胸が痛かった。


でも… 私、こんなだけど、それでも、守るよ。

拓海と皆で大切にしてきたあの世界と、私達の夢だけは





************



来る日も来る日も稽古に明け暮れた。


-――気持ちもいつか、身体についてくる


鬼気迫る私の迫力に後輩たちは何かを感じたのだろうか。腫れ物に触るように気を遣っていた。でも、励んでも励んでも、励んだだけの充足感が得られない。以前とはどこか違う気持ちに私は益々苛立っていた。


その理由が分かるだけに、私はそれを認める訳にはいかなかった。


(私は、弱くない。こんな事で目標を左右されたりなんてしない…)


そんな私の気持ちにさえ気付かない残酷な拓海は、今までと何も変ることの無い態度で、日々私に話しかけた。


「もこ… 座れよ、テーピングしてやるから… 」


「もこ…数学の課題見せてくれよ!」


「もこ、俺飯食って来なかったから、腹へってヘトヘト…、なっ?帰り、飯付き合って!!奢るから…」


「明日、なんだけどさ、天気いいみたいだから、ロードバイクで遠出しないか??」


そんな拓海の誘いを私は極力自然な形で断り続けた。


最初こそ不思議そうにしていた拓海の顔は徐々に戸惑ったものに変わり、それでもそんな事が続くうちに酷く悲しい顔を見せ始め、最近ではそれに苛立ちが混ざっている事もある。


そんな拓海を見て、私だって何も思わないはずはない。

気まずいし、周りにだってもしかしたら悪い雰囲気をばら撒いてしまっているのかも知れない。だとしたらとても申し訳ないとも思うけど…


だけど、それでも私は必死に自分を律した。


(きっと不自然なのは今だけだ。いつかはそれが当たり前になる……だから……今は、そっとしておいて、お願い拓海)


私は、今日も、理由をつけて拓海と一緒に帰る事を断り、一時間ほど練習を延長させて道場を後にした。


(これで、いいんだ… いいんだよね… )


私は自分に言い聞かせていた。


これで失うもの…

今までの拓海との楽しかった思い出、誰よりも近い距離で結びついていた温かい時間。信頼関係…


でも…、距離を間違えなければ、全てを失わなくてすむのだ。


皆との絆や、共に大切に思ってきた世界や夢を守りたかった。

拓海の傍で…




綺麗な星空だ。


夜10時を廻った頃だろうか。

今日も一人での居残り稽古を希望した私はその後、一人で帰路につき、比較的人の多い公園を帰り道に選んで、空に向かって息を吐いた。


こんな夜も、今までなら当たり前のように拓海と空を見上げていたのに…


拓海のどこか恨めしそうな傷ついたような、そんな顔を見たせいだろうか、今日は妙に気持ちが騒めいて、このまま家に帰る気持ちになれなかった。


私は、目に付いた自動販売機で、微炭酸のドリンクを買って、公園のベンチに座り込んだ。

少しクールダウンが必要なようだ。普通に考えたら、こんな時間に女子高生が一人こんなところに座り込むなんて滅多にない事なのかもしれない。私だって普段ならそんなことをしない。


でも今日そうしてしまったのは、割り切れない苦しさと、少なからず自分の身は自分で守れるという自信があったからなのかもしれない。そんな自分に情けなく眉を下げる。


「はぁ…、一人寂しく生きて行けるようになる為に、強くなった訳じゃ、ないんだけどなぁ…」


そうぼやきながら上空を振り仰ぐと見事な「夏の大三角形」がまるで慰めてくれるかのように夜空に煌めいていた。それに小さな声で「ありがとう」と呼びかけ、自棄酒のように、微炭酸のドリンクを口にした。


普段、身体に悪いものは極力とらないように律している私が、こんな風に炭酸を口にするのは珍しい。とにかく気分を代えたい。一体いつまでこんな日が続くのかと思うと気が遠くなる。


(こんな事で気を揉んでいていいような時期じゃないはずなのに…)


そんな事を思っていると、突然背後に嫌な気配を感じて私は眉を潜めた。


(いる……、しかも良くない気配だ……)


即座に振り返った私の後方の木陰には、上下地味な黒のスウェットを纏って帽子を深く被り、マスクを身につけた男が挙動不審に立ってこちらを伺っていた。


(え………?これってもしかして……)


眉を潜めたくなるような、下卑た余裕のない顔をした男は、はぁはぁと気持ちの悪い息遣いで徐々にこちらに近づいてきている。


頭の中で鳴り始めた警戒警報と一つの情報が一致して私はハッとした。

最近この付近で頻出している変質者情報を思い出したのだ。


だから、後輩達には重々気をつけるように日々口にし、出来るだけ家族に迎に来てもらったり、集団で帰るように促していたのに、自分の事に関してはとことん無頓着だった。


(これは、面倒な事になっちゃったな……)


私は、困ったように表情を歪めて、自分を落ち着かせようと溜息を吐いた。

出来ることならば、相手に手を触れないに越した事はない。


気持ち悪いし…


だけど、気持ち悪いという事以上に、大きな問題がある。

明らかに正当防衛ではあると思うが、万が一それが立証されなかったり、高校生としては行き過ぎた行為なんて見なされた場合、自分の夢はもちろん、道場にも著しく迷惑がかかるからだ。


たかが…変質者だ。


今まで数々の場数を踏んできた自分なりの見解で、こちらが手傷を負う事はあり得ないと判断する。この男はそんなことなど気付いてなくて、か弱い子羊を捕まえたくらいに思っていそうだけども…


(う~ん、型のみで突然驚かせて、寝技に持ち込んで身体の自由を奪って、脅して時間稼ぎしようか…)


そんな風に危害を加えない捕まえ方を考えていると、変質者はどんどん私に近づいてきた、益々「はぁはぁ」と下卑た息を吐きながら、そしてこともあろうかこの私の前で、ズボンの前を寛げてなにやらモゾモゾし始めた。


私は完全に引き攣った。


(ま、待って、気持ち悪すぎる… やっぱりできることなら、触らない方向で…)


そう思って、私は、迷いの中で、一歩後ずさった。

そんな私の行動に、男は征服欲をそそられたかのように濁った瞳でニヤリと笑った。


そうして男は私ににじり寄った。

その時男は、一度ポケットに手を突っ込んだ。


「こっちに…、おいで……、これ、触ってよ……」


次の瞬間私は男のもう一方の手に光るものを見た。

刃をむき出しにしたカッターを見て私は舌打ちした。


(やっぱり、さわらない訳にはいかないか…)


そう思って、覚悟を決めかけたとき、私は男の背後にもう一人のオロオロと動く人影を認めた。

どうやら、若い男のようだ。


男は、恐る恐るという様子で距離を保ったまま、私に話しかけた。


「あ、あの~、どうかしましたか…? 君たち、知り合いって感じじゃないよね?? 人… 呼ぼうか??」


男は私の前にいる変質者の手にしているカッターにその時気付いたのだろう。ギョッと目を見開いた。


私は、咄嗟にその男性に言った。


「大丈夫です。危ないから直ぐに離れてください。っあ… もし呼んでくれるなら、一般の方ではなく警察をお願いします。…あと、残って証人になっていただけたら、すごく助かります。」


私は、暗がりの男を見つめてそう言った。


(お願いだから、言う事を聞いて…)


「えっ、でも… そんな事をしてる間に、君が…」

男は、変質者のカッターと私を交互に見つめて躊躇っていた。


「いいから… 私、大丈夫ですから… 」

私は真剣な目で男の人を見つめた。

その瞬間、その若い男の人は、ハッとしたように私の目を見て、目を見開いた。


「…わ、わかった、ちょっとだけ、待っててね。」


若い男はそう言ってその場から去っていった。

私はその人が離れてくれた事に、心底ホッとした。


これで一般人を巻き込む事にはならないないだろう。

そして、彼が信じられる人ならば、私の正当防衛は立証されるだろう。


そう思った瞬間迷いが無くなった私は、目を細めて、変質者を睨みつけた。


「!?…」


変質者は不穏な空気を感じ取ったように一瞬 臆したように肩を震わせた。


私は、そんな変質者をあざ笑うように微笑んだ。


勝負は一瞬だった。

いや、正確に言うならば、これは勝負の内にも入らない。


男の手首を最速で払いカッターを落とした後、上段回し蹴りを喰らわせた瞬間、変質者は私の前で自分のモノをむき出しにしたまま意識を手放した。


「う~ 気持ちわるい~」


私は男の手首があたった部分を払うように男を見下して首を横にプルプルと振った。


「あ… でもこれで後輩達、あの子達、帰り道、安全になったから… よかった…のかな??」


少し待っていると、交番勤務の警察官と一緒に先ほどの男性が戻ってきて、その後数台のパトカーがサイレンを鳴らしながら仰々しい様子で駆けつけてきた。


「へっ…?」

「は!?」

「これは…?」


駆けつけた三人の警察官は絶句して、とんでもない姿でのびている犯人と、私を交互に見比べた。俯いていた私は、その後そっと顔をあげて、一応の弁解を試みた。


「あ… 私が通り魔とかじゃないですよ… この人の方が… 」


そう言った瞬間、後ろにいた男が「ぷっ…」っと吹き出した。


「何の心配だよ?大丈夫だって… ざっくり説明はしたし、こんな格好で倒れてる被害者さすがにいないでしょ…、いや、そりゃ、いるかもしれないけど、それって君が、ぷぷぷっ…」


その時になって私は、自分が年若い乙女であるにも関わらず、壮絶な光景を指差しながら、自己弁護をしていることに羞恥を覚えた。


(いや~!!!)


その瞬間後ろを振り返って、顔を赤らめた私に、男はまた面白そうに笑った。


「今更…? でも良かった、無事で 」


男は安堵したようにそう言った。


ようやく警察官により下半身を在るべき場所にしまわれた変質者が警察に連行された後、

街灯の下で若い男と一緒に事情を聞かれるために警察官に呼ばれたとき、私は初めて先ほどの若い男性の顔をはっきりとみた。


私は固まったまま、目を見開いた。


(この人、どこかで見た事がある…)


そうして私は「あっ」と思い至った。

たしか私たちは同じ学校の同じ学年だ。


クラスが一緒になったことがないから、個人的な面識は無い。

でも彼の様子から察するにお互い相手の存在は認識していたのかもしれない。


というか、その男の子 梶原颯太くんの存在を知らない同級生はそういないだろう。


栗色の髪、薄褐色の瞳で柔らかく笑う彼は、確か学年一のイケメンと噂されてる人で、私の高校で親しくしている友人の何人かも彼の事が気になるようで、日に一度はその名を口にしていた。「恰好いい、王子最高」って……


まぁ… 当の私としては、そんな友人たちの「格好いい人誰だ」の話の中に、時折、拓海の名前があがるようになった事に動揺してばかりで、≪学年の王子様≫と称される梶原君を個人的に意識することはなかったのだけれど。


「あぁ あの人がね…ふうん…」って遠目に何度か見る感じだった。綺麗な顔をしてるけど、どこか表情が乏しい感じがする人だなって…


だけど、こうして近くで微笑まれると、

なるほどだ……

うん、皆が騒ぐのも判るほどの柔らかい美貌だ。


私の周りの男の子達は、皆、例外無く厳ついから、これはある意味新鮮だった。


そんな彼は、私と目を合わせて再びにっこりと微笑んだ。


「良かった… 無事で、僕、恥ずかしい話、あんまり腕に自信なくて、守ってあげられなくて本当にごめんね…」


梶原君はそう申し訳無さそうに小さく微笑んだ。


「そんなことないよ。声をかけて、状況を見てくれて、警察を呼んでくれたから私、色んな意味ですごく助かったから…」


私は本心からそう言った。

本当に良かった。

道場に迷惑をかけずにすんだ事に私は心底ホッとしていた。


普通の人だったら、巻き込まれたくなくて、声をかけてくれるかどうかも判らない。

そして、彼が状況を見極める力を持っていてくれた事にも助けられた。


刃物をもっている男に、無闇に正義感だけで飛び掛って怪我でもしたり、もしかしてそれ以上の事があったら、私は、自分を許せなかったと思う。


梶原君はほんと「ナイスアシスト」をしてくれたと思う。彼自身は、まだ申し訳無さそうだったけれど、彼は私の恩人に間違いない。


「本当にありがとう。…梶原くんだよね。私達、同じ学校なんだよ。九重桃子。」


そう言って微笑んだら、彼は少し照れたように小さく頷いた。


「うん。僕の事、知っててくれたんだ?僕も知ってたよ、2組の九重さん。空手美少女で有名な人だよね?」


そんな梶原くんの言葉に私は、目を見開いた。


「空手、…美少女??」


私は、思わぬ事を言われて絶句した。

そんな事を言われた事は…、なくはないけど、一度大きな大会の前に有力選手として取材を受けた、格闘雑誌くらいだ。


学校で、私は極力目立たないよう、空手の事もあまり口に出さずに過ごしてきた。

昔からずっとそうだった。


(でも… そっか。 )


今になって思い至った。

昔から、私は学校でも道場が同じ幼馴染達と行動していた。


男の子は、やっているスポーツが身体に出やすいから、この数年でどんどん格闘家の体になっていく、拓海や哲ちゃん、道場の男の子達と、当たり前のように一緒にいる私が、彼らと同じ道場に通っていることは周知の事実だったのかもしれない。

私はあんまり、学校で自分がどうみられているか考える方ではないから。


「だからね… さっき一瞬、街灯の光で君の顔が見えたとき。あ…あの空手の子だって思ったんだ。それでも、やっぱり僕としては迷ったけど、何の躊躇いもなく一般人じゃなくて警察を呼べって、そういう君の瞳を見て、あぁ…この子、きっと大丈夫なんだって… 何か、素直にそう思えて。 それにしても犯人を即で気絶させるなんて、…本当にすごいんだね、君って」


そう言って、私を見て興味深そうに笑った梶原君に私は複雑だった。


「ん…うん、まぁ、毎日、道場で強豪と言われる人達と稽古してるから、はは…」


私は、何となく気まずくて羞恥に俯いた。

きっと、内心すごい怪力女、みたいに思われてるんだろうな。


(女子力と言う面では私きっと最悪だ… )


私達は、その後、事情聴取を受ける為に、近くの交番に出向いた。


梶原くんは、見たままをハッキリ証言してくれた。

私は、その事に安堵した。


警察の人の話では、変質者の人相書きから、最近頻繁に出現していた例の変質者に間違いはないだろうとのことだった。


警察官の人には、「女の子なんだから、今後は危ないことに巻き込まれそうになったら直ぐ大きな声をだして、一刻も早く逃げるんだよ」と困ったような顔で注意されたが、その一方で「でもこういうこといっちゃ何だけど、正直手を焼いていたんだ。この辺り、学校も多くて女生徒を心配する声も多くて、早く捕まえて欲しいって訴えも毎日になっててね、だから、ありがとうね。」

そう言って、笑ってくれた。


結果的に、こんな私でも少し地域の役にたてたのかなって、思うと少し嬉しかった。


その時、交番の入り口のドアが激しく開かれて、男の途切れそうなほど激しい息遣いが聞こえた。 振り向いた瞬間私は固まった。


「もこ!?… 」


掠れた声が拓海のものだと認識するのと同時に私の顔は拓海の胸の中にあった。

ギュッと私の頭を包み込んだと思ったら、今度は勢いよく、肩を掴んで引き離された。


(いっ、痛いよ!?その動き、今日一番痛いよ?…危ないって、鞭打ちになりそうだから…)


でも拓海は、私の身体の隅々まで観察することに精一杯の様子だ。


「もこ… 何もされなかったか? どこか痛めてないか? 傷は?? 」


酷く慌てた様子で質問攻めの拓海に私は呆れたように応えた。


「拓海… 大丈夫だよ。 怪我の一つもしてないから…(首、すごく痛いけど…)」


目で確かめて、私の言葉を聞いてやっと安心できたのだろうか、拓海はその瞬間やっと安堵の顔を浮かべて「そうか…よかった。」って呟いた。


「なんで、拓海がここに駆けつけてくれたの?お母さんは?」


私はそう聞いた。さっき、警察の人が念のため、自宅に連絡したことは聞いていた。


「あぁ、おばさんもこっち向ってるはずだ。出かけのおばさんに出会って聞いてから、先に走ってここまできたから… 」


拓海は私の頬に手をあてて、まだ無事を確認しているかのようにそう言った。


「そっか… ごめんね。拓海にもお母さんにも心配かけちゃったね… 」


その瞬間、今まで心配顔だった拓海が、急に不機嫌そうに唇を歪めた。


「もこ、本当にそう思うんなら、お前、今まで通りにしろ… 一体なんなんだよ、最近の態度は? 俺、お前の考えてること全く判らねえよ。今回だってそうだろ?俺と帰ってたら、こんなことにはならなかったはずだ!」


私は、拓海の一方的な言葉に顔を歪めた。

その瞬間、拓海が怪訝な顔をした。


「判らない…?拓海はひどいよ、……なんで判らないの??」


私は泣きそうになって、拓海を睨みつけた。


「もこ…?」


そんな私の顔に怯んだような顔で拓海は私を伺った。


「私、聞かれたら、いつだってちゃんと説明しようと思ってたんだよ?拓海が、彼女ができたこと、ちゃんと私に話してくれたら、ちゃんと拓海に説明しようと思ってた」


少なからず緊張状態にあった私は、こんなタイミングで拓海に責められて、今まで溜まっていた蟠りみたいなものが溢れるように、言葉になっていた。

拓海の事責められるような立場じゃないのに……


「彼女…って、お前何を…」


その瞬間、拓海は焦ったように目を見開いた。


「私、ただの幼馴染かもしれない。だけど、酷いよ、拓海… ずっと一緒だったじゃない?

何で、拓海の口で私に教えてくれないんだよ?」

「ちょっと待て、もこ…」狼狽えたような顔をした拓海に私の勢いはもう止まらなかった。


「ただの幼馴染にだって…、これだけずっと一緒にいたら、ちゃんと心の準備だって必要なんだよ。」


私は、涙が溢れそうになるのを必死に耐えながら拓海にそう言った。


「もこ… 」


絶句するのに、否定はしない拓海に胸を締め付けられるのは、私の気持ちがまだまだ割り切れていないから。私は痛いほどにそれを痛感していた。

でもこの気持ちを知られるわけにはいかない。


拓海を困らせたくない。

皆に迷惑をかけたくない。

あの場所で夢を追い続けたい。誰よりも拓海と一緒に。


だから、私には幼馴染を超えた視点での発言はできない。

だから精一杯、ただの幼馴染としての抗議をした。


「だって… そうでしょ?いつも通りなんて… そんなのもう無理だよ?

私には私の気遣いが必要になるんだよ?いくら幼馴染だからって、拓海の彼女さんを不快に思わせない距離をおいて生活するのがマナーでしょ?」

私の必死の訴えに、拓海は目を見開いて固まっていた。


「……お前は… 」


拓海は、妙に痛そうな顔をして私を睨みつけていた。

まるで裏切りにでもあったような、そんな顔。


(何よ… 私、悪くない… )


そう思って、私もまた、涙目で拓海を睨みつけた。


「お前は… それでいいのかよ? 」


拓海は私にそう問いかけた。

その言葉には確かな怒りの色が滲んでいた。


「なっ……、良いも悪いも、私には、そんな権利ないでしょう? 私達は、()()()幼馴染なんだから、…今までとは違うんだよ、変わらなきゃダメでしょ?だから、私、…拓海から、卒業、するんだよ、…どうして分かってくれないのよ?」


私は、自分に言い聞かせるように必死にそう言い放った。自分の言葉が一番自分を傷つけるようだった。


本当は拓海の前でだけは、幼馴染に「だだの」なんて絶対に付けたくはなかったはずなのに。


「お前っ……」


そして、その言葉を聞いた瞬間、拓海もまた、何より痛そうにその顔を歪ませた。



***********


その時不意に、梶原君の飄々とした声が私達を遮った。


「はい、それくらいにしておこう!!ここ、交番だし… 」


ハッとしてその声の主を私と拓海は見つめた。


(あ… 私としたことが、ストレスから解放されたのか、更なるストレスに晒されたのか…、こんなところで何て話をしてしまったんだろう… )


私は、しまったと、顔を真っ赤にして俯いた。

警察の人が、クスッと笑うのまで見えてしまった。

もう本当に、穴があったら入りたい。


(完全に、場違いな場所で、場違いな話を… ああ…)


「えっ… 梶原…? お前、何で、こんなところに… 」


今気付いた、という拓海の素っ頓狂な声で、私もその時になって気付いた。

拓海と梶原君は知り合いなのだろうか?

だとしたら、二人は、同じクラスになったことがあるのかも知れない。一年の時は、私たちはクラスがバラバラだったから。


私は拓海に詳細を説明した。

梶原君が、私を助けてくれようとして、私がそれを断り警察を呼んでもらって証人になってもらった事。


「そっか… 梶原が…、ありがとうな、マジ助かったわ」


拓海が梶原くんにそう言った瞬間、梶原くんは爽やかだけど、少し棘があるような笑みを浮かべた。


「別に… 一之瀬にお礼言われる事はしていないからね。今の話だと、桃子ちゃんは一之瀬の彼女って感じじゃなさそうだし?」


そう言って、梶原君は、拓海を真っ直ぐに見て、意味のありそうな笑みを向けた。


「なっ!?… お前っ… 」


その笑顔を、拓海は戸惑ったように受け止めた後、すぐに真顔で見つめ返した。

眉間にくっきりと縦皺が入っている。

梶原君はそんな拓海から、フッと目を逸らして、今度は私に向けてフワッと笑った。


(この人… 本当に花が咲いたみたいに笑顔が甘い、私の知らないタイプだよね……)


梶原くんは奇麗な目尻を下げて覗き込むように微笑んだ。

「ねぇ… 桃子ちゃん?」


至近距離で突然そう呼ばれた私の心臓は跳ねた。


「え… 」


(桃子ちゃん……?)

いきなりの名前呼びにただただ戸惑う。

道場が同じ男の子以外から名前呼びされたのは何年ぶりだろう。


あれ…

そう言えば、私、道場の男の子以外、男の子の友達ってもう何年もいないかも…

世界狭いのかな…


そんな事を思っていると、拓海が苦々しく梶原君に言った。


「気安く名前で呼んでんじゃねえよ、お前ら同級生っていっても初対面同然だろうが?」


そんな苦々しい様子の拓海を再び華麗にスルーした梶原くんは私に続ける。


「じゃあ、桃子ちゃん、僕の事も颯太って呼んでよ?ジェットコースター効果って知らない?一緒に恐怖体験した男女って一気に心理的な距離が縮まって仲良くなれちゃうんだって!そのせいかな?俺、桃子ちゃんには何だか親近感を覚えちゃって、これを機会に仲良くなれたらいいなって」


そう言って、梶原君… いや、颯太君??は、何の下心も邪心も感じさせない羨ましいくらい綺麗な笑顔で私を見つめてくれた。


「は…はぁ…」


何といっていいのか判らないで固まっている私を、拓海はギョッとした顔で見つめた。

そんな颯太くんに、苦い顔をした拓海が再び何かを言いかけようとした瞬間、交番の扉が再び荒々しく開いた。


「あのっ…九重でございます。 あ…桃ちゃん。 無事だったのね、本当に良かったわ。」


安心したような母の声が聞こえた。


「お母さん… ごめんね、私は、全然大丈夫だから……」

泣きそうな母の顔が安堵の色に変わる。

心配をかけてしまった…

「そう…本当によかった。もう、いくら腕に覚えがあるからって桃ちゃん豪快すぎるからママ… 」

そう感極まりそうになっている母のところに、何故か、ニュっと颯太くんが入ってきた。


「桃子ちゃんのお母さんですか?」

そう言って、颯太君はにっこりと微笑んだ。


「え!? ええ… 」

母は、戸惑ったように応えた。


「僕、梶原颯太と言います。桃子ちゃんすごく冷静で、すごく格好良かったです。

どうか怒らないであげてください。僕、全部、見てたんで、彼女が困ることがあったら、何でも相談に乗らせてもらいますから。 どうかお母さん、これからも末永くよろしくお願いします。」


そう言って、颯太くんは、お母さんの手を握り締めて、まるで王子様のような笑顔でにっこりと微笑みかけた。


お母さんはその笑顔にやられてしまったようで、すっかり瞳孔の開いた目を見開いて、颯太くんを凝視している。


「あら、あらあらあら…」


そして勢いで「こちらこそよろしくね…」なんて言ってしまった、そんな母に颯太君は、満足そうに微笑んで、母に再び言った。


「じゃ… お母さん、近いうちにまた挨拶に伺いますから、また桃子ちゃんを通して好きなものでも教えて下さいね。」


そう言って、礼儀正しく頭を下げて、警察の皆さんにも声を駆けて席を立った。

そうして、去り際に、私に再び微笑んだ。


「じゃあね。桃子ちゃん。お休み。今日のお礼は、そうだなぁ… 水族館デートで手を打ってあげるから…、また日程は連絡するね♡」


そう言って、悪魔のような天使のような笑顔を浮かべて、至近距離から薄褐色の綺麗な瞳で私を覗き込んだ後、彼は去って行った。


私とお母さんと、拓海は放心状態で固まっていた。

でも、その放心状態は、其々、微妙に違っていた。


私は自分に起っていることさえ、よく判らなくて…

お母さんは、なんだかうっとりと心を奪われたように…

拓海の顔は明らかに引き攣っていた…


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