85 葛葉のお使い
拳骨山隠れ里支部に支給する空飛ぶボートを手配した。
いつの間にか資金が潤沢になっていたので、多めに用意した。
物喰らいの穴探索用に買ってしまったボートもある。黒天狗支部にも支給しよう。
白狐の葛葉は、暗い様子のまま別館の凭浜会館のあたりで、だらだらと過ごしている。
うっとうしいので、みみ子はこき使うことにした。
樹の使い魔だったなら、少しは役に立つだろう。
「葛葉、遠征隊が帰ってきていないか、凭浜門守命に聞いてきて」
「葛葉、今日は結絵さんがいつ頃出かけたか、門守命に聞いてきて」
「葛葉、大風呂敷を預けるから、桃生比売から養いの実を五つほどもらってきて」
どんどん使った。
やっぱり使える。器用に養いの実を大風呂敷に入れて持って帰った。
はじめは嫌そうに出かけていたが、諦めたのか、きびきび働くようになってきた。
白くてふわふわの使い魔フーちゃんとは、違う意味で便利である。
使い勝手が良いので、つい、あれこれとやらせた。
それを目にしたのだろう、他の会員もなにかと言いつけていた。
もう立派に、ジジババ友の会の使いっ走りである。
事情を話してあるので、会員の中には、空飛ぶ船や流星号に乗せ、知り合いの樹に引き合わせに行ったりしていた。
新しい主は、なかなか見つからない。
みみ子も簡単にいくとは思っていない。長い目で見るしかない。
主が見つからなければ、ジジババ友の会の使いっ走りで良いだろう。
「葛葉おかえり」
みみ子は、光果が入った大風呂敷を受け取った。
「だけど遅かったねえ。途中でさぼった?」
葛葉は、不本意そうにぶんぶんと首を横に振った。
「ううー、こんこん」
文句を言っているようだが、分からない。
何が不満なのだろう。
あっ、そうか。何の気なしに白陽玉別比売の所に光果をもらいに遣ったが、天津聳地嶺は遠い。
おまけに白陽玉別比売が居るのは、山頂だった。
自分だったら一反羽衣でひとっ飛びだが、力を取り戻していないらしい葛葉は、あの高い山を自力で上り下りしたのか。
それなら、時間がかかっても仕方がない。
「いやあうっかり。山登りご苦労さん。悪かったね」
みみ子は光果を持って渡り門をくぐり、地球の本部に戻った。
謝り方が気に入らないのか、葛葉も足下をうろちょろして付いてきた。
「ごめんて言ったじゃない。悪かったわよ。
ありがとね。とっても役に立ってるわよ。助かる。
今日は、こっちで遊ぶ?」
葛葉は、黙って付いてくる。
かまわず歩き続け、樹の亡骸を納めたお堂まで来た時、車椅子を押す風魔大太郎と出会った。
車椅子に乗っている男に見覚えがある。
月見養生院の患者だったはずだ。
両親に先立たれた引きこもりだ。
「こんにちは。あれっ、ずいぶん経つのにまだ歩けないの。大変ね。
風魔さんのリハビリは上手くいってないのかしら」
声をかけたみみ子に、風魔は困った顔をした。
「一度は回復したんですよ。
歩けるようになって退院したんですけどね。自宅に戻したら引きこもりに戻っちゃって。
様子を見に行ったら、動かないから元の木阿弥です。
しょうがないので、引き取ってきました。どうしたものでしょう」
養生院では、少しずつ動かざるを得ないように状況を整えて、やっと動けるようになった。
しかし自宅では、動かなくても暮らせるようにしてしまえる。
トイレに近い部屋で、電気ポットとインスタント食品を大量に通販で買うようになった。
動かなくても生きて行けるから、動かない。
そんな話をしている間、本人は後ろめたい様子もなくぼんやりしていた。
葛葉が近づいて臭いを嗅ぐと、少しだけ視線を向けたが、特に気にする様子もない。
みみ子は考えた。
人付き合いは全く途絶えているというから、言いふらすことはないだろう。
「ちょっと目隠ししても良いかしら」
どういう人間か不明だから、念のためだ。
「庭騎さん、新しい訓練? 診断かな。
怖いことはしませんから、少しの間目隠しをしても良いですか。
心配しなくても大丈夫ですよ」
男は反抗することもなく、言いなりになった。
もうどうでもいい。そんな感じだ。
手早く目隠しをした男を、車椅子ごと渡り門を通った。
問題なく異世界へ行けた。
みみ子と風魔は、門守命に事情を説明した。
本人に分からないように声を出さずに相談した。
身も心も殻に閉じこもって出てこようとはしないこと、何を思っているのかも不明なことを伝えた。
出口を見つけてやらないと、いずれ生きては行けなくなる。
おとなしく目隠しされたままの男の手に、そっと門守命の枝を触れさせてみた。
門守命は戸惑っていた。
おびえているようだが、よく分からないらしい。
考えだしたら不安ばかりになって、不安に押しつぶされそうなことに気がついている。
だから、考えないようにしている。
そのままではまずいとは思っているようだが、本人にも出口が見つからない。
『考えないようにするためもあるのであろう。
げえむとやらいう面妖な物で、頭の中をいっぱいにしている。
諦めかけている。心の奥底では諦めたくないのに、諦めようとしている。
だから、あがいた。そうして疲れた』
なんとか説明しようとしてくれたが、人間のことだから詳しくは分からないらしい。
対処法も分からない。
お礼をいって、地球に戻った。
庭騎から目隠しをとる。
庭騎は、白狐が目の前でじっと見つめているのが見えて、驚いている。
白狐は、見つめたまま動かない。見つめ合ったまま、数分が過ぎた。
庭騎はそっと手を伸ばして、あわてて引っ込めた。
「ほう、狐が好きかい」みみ子が聞くと「狐……これは狐なんですか。初めて見た」
庭騎は、もごもごと口の中で言う。
「そうだよね。狐って見ないよね。動物園にも、あんまり居ないし」
風魔が軽く言って、養生院に戻って行った。
「じゃあね」
みみ子も軽く言って、送り出した。
引きこもるくらいだから、人間関係を増やしたくないだろう。深追いはしない。
葛葉が持ってきた光果を本部の倉庫に運ぶことにしよう。
建物に入ろうとした時に気がついた。葛葉が居ない。
どこに行ったのか気になったが、問題はないと判断した。
いやしくも、元樹の使い魔だ。何かあっても自分でなんとかするだろう。
それからしばらく葛葉の姿を見かけなくなった。
逃亡か。それならそれでかまわない。葛葉のしたいようにすれば良い。
ある日のことだ。
風魔大太郎は、あいかわらずどんよりしている庭騎真一を乗せた車椅子を押していた。
散歩である。
ただ町の中を歩くだけだが、町中の空気を感じられれば、それだけで良いかと思っている。
と、行く手に白狐が立ちふさがった。
「おお、葛葉か。お前どこに行ってたんだ。マリさんが寂しがってたぞ」
養生院の栄養士、山田マリが葛葉を気に入って、なにかとかまっていたのだ。
そんなことを言う風魔に、小さくコンと鳴いて、葛葉が歩き出した。
友の会本部とは違う方向だ。
風魔は気にせず、本部会館の方角に進もうとした。
すかさず葛葉が戻って来て進路を阻む。
風魔と車椅子が止まると、先ほどと同じ方向にゆっくりと歩き出した。
付いて来いとでも言うように、ちらりと振り返る。
「付いて来いってことか。やれやれ」
風魔は葛葉の後を追って進んだ。
この先は小学校があるはずだ。
はて、どこに連れて行くつもりなのか。
風魔が首を傾げていると、葛葉が一度立ち止まり、横に曲がった。
そこは、ベンチがあるだけの小公園だった。
葛葉は、片隅で立ち止まり、コンと鳴いた。
そこには、段ボール箱があり、子犬が横たわっていた。
くたっとしていて、どう見ても元気がない。
「もしかして、死んでるのか」
箱からもとあげてみれば、まだ息がある。
「なんとか生きてはいるみたいだが、こいつは死にかけだな」
捨てられたのだろう。こういう捨て方は、近頃見かけない。
拾ってくれる人を期待したのかもしれないが、公園に立ち寄る人が居なかったのかもしれない。
小学校も、今は冬休みだ。
誰にも見つけられずに、衰弱していたのだろう。
「酷く弱っているようだ。助かるかどうかは分からんが、見捨てるわけにもいかん。
ほらよ、本部に付くまで抱いておいてくれ」
子犬をぽんと庭騎の膝においた。
坂道のある町だから、車椅子を押すにも身を抜けない。
手を塞ぐわけにはいかない。




