68 新領地ゲットだぜ
山の手入れをした方が良いと指摘されて、糸館は怖じ気づいた。
「夢ちゃん、どうしよう。我が領地はお金がかかるかも。
領民がいないから、年貢も入らないよね」
「買ってくれる人がいるなら、良かったじゃない。ラッキーだよ」
糸館夫人はにこやかに答えた。
「ええーっ。俺の領地を手放すの?
そうだ。退職金で山の手入れをして、さっきの村に住もうよ。
楽しそうだよ。悠々自適な田舎暮らし」
「克子ののところなら、夫婦そろって喜ぶかもしれないけど、不便よ」
「おお、そうだ。夢ちゃんの友達の千々石夫妻を誘えば、いけるでしょ。
あの夫婦はサバイバル生活に憧れているし。我が領民になってもらおう」
「線路とトロッコが使えるなら、私でもいけるね。
私が育った所も、少し行けば似たような場所だったし」
おかしな方向に話が流れている。
「あのー、お話中ですがね。
線路と敷地、廃村になった村は、空原さんの依頼で買い取り交渉済みです。
契約はまだですが、そっちはどうしましょう。糸館さんが買うんでしょうか。
山を売らないなら、それも決めてさい」
不藤が割って入った。
「あっ、そうですよね。
そっちを買わないなら、山の中に住んで、山道を延々歩いて買い物ですね。
インフラも一から用意するなんて、無理だわ」
夢ちゃんがギブアップである。
糸館は、諦め悪く頭を抱えて座り込んだ。
自分の目で現地を見た事がいけなかったようだ。
それまでは現実味が薄かった。こっそりと見る夢のようだった。
今、自分の足が領地を踏みしめている。
諦めかけていた夢が、そこから沸き上がって、身体の中に満ちてくる。
領地を、領主を、捨てきれなくなってきた。
ぶつぶつと何やら言っている。
退職金で足りるかな。
年金があるから、慎ましく暮らせば何とかなるかもしれない。
しかし病気になったら……。
「う〜ん、どうしようか。業界人は口が軽いからなあ」
みみ子も困った。
ここまで来て、それは無い。
みみ子のつぶやきを聞いて、糸館夫人が言った。
「口が軽いというのはツグのことですか。
ツグの口は、軽くないですよ。
時代劇に関わると、怪しい発言が多くなるけど、普段は、むしろ無口。
大事な事は、ペラペラしゃべったりしません。
安心して、何でも言ってください。大丈夫」
言われてみて納得した。
糸館継顕は、そういう男だった。
みみ子は決めた。
「糸館さん。お話があります。秘密の話です。
糸館さんの領地には秘密があります。それに関わる秘密が私たちにもあります」
「何! 我が領地に秘密!!!」
勢い良く立ち上がった。
「守るなら、お殿様には悪いようにはいたしません。
いかがなさいますかな。うひひひひ」
みみ子は、越後屋になってみた。
「おぬしも悪よのう」
来た——っ。
みみ子は歩き出した。
木々の間を縫って、下草を払った道とも言えない場所をたどって登れば、ジジババ友の会にあるより大きな岩が見えた。
工具箱を背負った名人と熊山が降りてきた。
「会長、こっちは順調です。後ろのお連れさんは、新会員ですか」
熊山が聞いてきた。
「まだ、入会審査が済んでない」
「じゃあこの先は、一人ずつだね」
「ありがとう。ということで、一人ずつ行きましょうか」
「ちょっと待った。『会』って何だ。空原さんは団体なのか」
糸館が歩みを止めた。
「空原さんは一人の個人です。私たちみんなが団体です」
熊山が無茶な日本語を訂正した。
「あっしら皆の楽しい会なんだぞ。ってやんでえ、べらぼうめ」
名人も黙っていなかった。
「おっ、江戸っ子かい」
「神田の生まれよ」嘘である。
「そうかい。さすがに粋だね」
「あったりめえよ。食うかい」
名人は調子に乗った。
作業着のポケットから養いの実を出して、糸館に勧めた。
糸館もただ者ではない。
差し出された実に、躊躇無くかぶりついた。
「美味い! なんだこれ」
名人は、さらにポケットから養いの実を出して、糸館夫人と不動産屋にも渡す。
いくつ持っているんだと聞きたい。
二人も目を剥いて喜んだ。
「美味〜〜」「美味しいです」
「名人、早いよ。段取りがあるんだから」
みみ子は、一応注意した。
「すまねえ。うれしくなっちまってよ。つい先走った」
近頃、仲間以外からは白い目で見られる事も多い。
浮かれたようだ。
こうなっては仕方が無い。
みみ子は、洗いざらい白状する事にした。
「『ジジババ友の会』という名前に聞き覚えはあるかな」
「あっ、噂の怪しい組織」
夫妻と不動産屋が同時に叫んだ。
退職しているとはいえ、元業界人の糸館は、かなり詳しく知っていた。
会員よりも詳しいかもしれない。
みみ子は冷静に説明した。
噂になっている事は、会員の孫のちょっとした勘違いがきっかけのデマだったこと。
殺された資産家とはまったくの無関係であり、警察も知っていること。
ジジババ友の会は、隠居が楽しく遊ぶ会である事を説明した。
「ただし、秘密があるの。
会員はみんな知っている事だけど、世間はそうじゃない。
むやみに言うと、……たぶん、ボケたか頭がおかしいと思われる。
だから、内緒なの」
「そうそう。ジジババ友の会の会長は、曲がった事が大嫌いなんだぜ。
嘘をついたり騙したりは御法度なんだ。法はしっかり守る」
「名人の言う通りです。とても健全で楽しい会です」
熊山も太鼓判を押した。
「秘密を漏らさないなら、退会も自由です」
みみ子が言うと、糸館は安心した。
昔の飲み仲間だから、みみ子の人となりは、それなりに知っている。
酔って暴れた仲間を、力ずくで止めた事があった。
あれは、4の字固めだった。
悪事を働くような人間ではない。
説明が終わった所で、糸館が興味津々で一歩前に出た。
「どんな秘密か分からぬが、まず俺が行く。
領主が率先して領地と領民を守らねばならぬ」
殿様プレイは続いている。深みにはまったかもしれない。
順番に異世界を案内した。
拳山門守命と、一番近い大樹 拳山植通尊に紹介した。
糸館は、静かに興奮した。
異世界の大地を踏みしめ、涙をにじませた。
「武士は人前で泣いてはいけない」とでも思っていそうだ。
糸館夢子夫人は、分かりやすく興奮した。
はしゃいでいるところに、風吹葛がゆらゆらと通りかかった。
空中に浮かぶのが草だと知って、飛び跳ねた。
不動産屋も順番を待って並んでいた。
予定外だ。
もう一つ想定外があった。
夢子夫人は還暦前だった。
今年の誕生日がくるまで、五十九歳だった。
「失礼しました。若いんですね」
「若いと言われたのは何年ぶりかしら。うれしいわ」
数え年で良い事にした。




