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67 バカ殿の領地


駅前不動産の不藤から連絡があった。

山の地主が分かったという。

地元の住人ではなく、首都圏在住者だ。

思いがけなく近くに居た。


名前を聞くと、聞き覚えがあった。

犬井に電話した。


「あのさあ、咲さんの旦那の仲間に糸館さんていたよね。バカ殿の」

「ん、ああ〜、バカ殿。居たねえ」

「あの人、お祖父さんから山をもらえるって言ってなかった?」

「うん、言ってた。約束通り遺産相続で山をもらったみたいよ。

はじめのうちは、山持ちになったと喜んでいたけどね。今は困ってるみたい」


ビンゴである。

不動産屋から名前を聞くまで、すっかり忘れていた。

犬井の夫はテレビ局に勤めていた。

定年退職して、同僚だった数人と企画会社を立ち上げた。

上手くいっているのかどうかを、みみ子は知らない。

若い頃に犬井の家での飲み会で、何度か会ったことがある。

祖父(じい)さんが山持ちで、死んだら山をお前にやると約束したらしい。

いずれ山持ちになる。俺の領地を手に入れる。

そうしたら、諸君を招待しよう。

酔っぱらうと、調子に乗って「苦しゅうないぞ。近うよれ」とほざくので、バカ殿と呼ばれていた。


山を管理運営して、利益を生むように活用するのは大変だ。

持っているだけなら、住宅地より安いが、毎年税金がかかるだけだ。

万一事故でもあれば、責任を問われる。


犬井の旦那を通じて連絡を取ってもらった。

同じ私鉄沿線に住んでいるので、駅前の喫茶店で待ち合わせた。


犬井咲子にも同席してもらう。

犬井家で頻繁に飲み会があったのは、三十代の頃である。

お互いに年を取った。ジジイとババアである。

会っても分からない可能性がある。


「ああ思い出した。うわばみの空原さん。

うわあ、何年ぶりだろう。元気?」

「人聞きの悪い。第一声がそれかよ」


戸惑ったのははじめだけ。すぐにお互いを認識した。

見た目はそれなりに変わったのに、不思議だ。

声だろうか。仕草だろうか。癖だろうか。

一言二言言葉を交わしたら、すぐに年月を飛び越えた。

糸館には妻が同行していた。そちらは初対面だ。


みみ子は、今は飲めなくなっている。

以前、仕事上で、取引先から宴会に誘われた時に嘘をついた。

「わたし、アルコールに弱いんです。全然飲めません。

奈良漬けをかじっただけで、酔います」

取引先の前で、気を使いながら飲んでも美味しくないし、醜態をさらしたくない。

噓から出たまこと。瓢箪から駒。

それで通しているうちに、本当に飲めなくなった。

酒を飲めなくても、まったく困らない事にも気づいた。

みみ子は素面(しらふ)でも盛り上がれるし、盛り上げられる。

宴会で一番にぎやかなみみ子が、ジュースしか飲んでいなかったりする。

問題はない。

うわばみと呼ばれたのも、今は懐かしい思い出だ。


「ごめんごめん。ワンちゃんの奥さんの親友。で良い?

それで、ワンちゃんの奥さんの親友が、どういう用件なのかな」


みみ子は、件の山の所在地と地図を見せた。

「あっ……俺の……領地」


「やっぱりそうか。この山は糸館さんの所有地で間違いないのね」

糸館は鷹揚にうなずいた。

「しかり。我が領地である」

何かのスイッチが入った。


糸館は、何を隠そうドラマ好きである。それも時代劇が大好きである。

それが講じてテレビ局に就職したが、その頃、時代劇は下火だった。

何本か時代劇のシナリオを書いて採用されたが、時代劇はテレビから次第に姿を消していった。

続いたのもいくつかあったが、人気がある数作品だけになった。


糸館は、時代の趨勢(すうせい)に負けなかったオタクである。


時代劇は何でもありの世界なのだ。

ファンタジーといっても良い。

実際の水戸光国は、諸国を漫遊なんかしていない。

水戸から江戸まで行ったのがせいぜいだ。

食うや食わずで育った渡世人が、長い楊枝をくわえて、ばったばったと悪人を懲らしめるなんて、ファンタジーそのものだ。

盲目の座頭がサイコロの目を当てるなどは、超能力だ。

わずかな金で悪人を殺してくれる江戸の仕事人は、現実的に考えれば、そっちも犯罪者だ。


時代劇は、日本を代表するファンタジーなのだ。


「地元の人に聞いたら、何年も手入れが入らず放置されたいるらしいじゃない。

持て余しているなら、買い取りたいという話があるのよ。この際、売らない?」

「むむむむ。領主が領地を放置しているのは、確かにまずい」

糸館は、腕を組んで考えた。


「専門の人に、山の手入れを依頼したら、お金がかかるんだろうな」

「たぶん、そうよね」

「むむ……うぬぬぬ……。定年退職者の手に余るか……。

どちらにしろ、我が領地を視察せねばなるまい」

「おぬし、見てなかったでござるか」


「子供の頃、爺ちゃんに連れて行かれたきりであるな。

『この山は、俺が死んだらお前にやる。約束だ』

びしっと指差した山を、童であった俺は感動を持って見つめたのであった。

思い出すなあ。爺ちゃーん」


「どうするのかな」

「うむ、まずは、長年放置した我が領地をこの目で見てから決めたい」


「そうね。心置きなく売るためにも、見ておいた方が良いんじゃない。

退職してから旅行にも行ってないから、ちょうど良いかも。

久しぶりに遠出をしましょう」

糸館の奥さんは乗り気である。

土地を処分するなら、奥方であり糸館家大蔵大臣の了承が必要だろう。


糸館夫妻とみみ子は、予定を合わせて現地に向かった。

不動産屋の不藤とは、現地で合流だ。



不藤の案内で山に入った。

目的地の周囲もすでに山の中である。

良い、目立たない。ここなら滅多に人目につかない。

少々無茶をやってもばれない。


線路があった。

「トロッコが使えるようになってます。

空原さんのお仲間だというご老人たちが三人で来て、直したようです。

以前のものよりしっかりとできましたね」

三人とは、大道具さんと名人と熊山だろう。

そのできばえに、不藤も驚いている。

異世界経由なら、空飛ぶボートでひとっ飛びだ。


トロッコと言っているが、箱形で屋根がある。

屋根には、ちゃっかり光果発電装置があって、モーターで動く。

小さいけど電車だ。

四人で乗り込み、上っていった。


かなり奥まで走ったところで線路は終わった。

少し歩くと、廃村があった。

畑か田んぼだったのだろう。草だらけの空き地もある。


「線路と廃村は、話がついてます。

持ち主はこの辺り一帯の大地主で、簡単でした。

ほら、あの山ですよね」

廃村の裏にある山を、不藤が指差した。


廃村を抜けて山に入ると、糸館が首を傾げた。

「どうしたんですか。違う山という事はないはずです。

登記簿を調べたから、この山が糸館さんの山ですよ」

不藤が自信を持って断言した。


「いえね、子供の頃に見た景色を大人になって見ると、こんなに小さかったのかと思う事があるじゃん。

この山、昔よりも大きくなってる感じがする。変だよね」

「ああ分かるわ。それってさ、山がというより、木が大きくなってるからじゃない?」

みみ子も同じ体験をした事がある。

糸館が子供の頃から半世紀は経っているのだ。

若木が大木になっている。


「なるほど。我が領地は育っていたのか。重畳である」

「伐採した方が良いかもしれませんな。

この山は針葉樹が多い。災害級の大雨でもくると、土砂崩れをするかもしれないそうです。

山に詳しい人が言ってました。針葉樹の根は、水分をあまり含まない。

木が根こそぎ流れる事があるんだそうです。

人里離れているから、人的被害は無いかもしれませんが、下流まで流れて大きな被害が出ることがあるらしい」


日本の山には針葉樹が多く植林されている。

電気が普及したとき、電信柱の需要が増えた。

政府が針葉樹を植える事を推奨したらしい。

しかし、時代は変わった。電信柱はコンクリートになった。

電線を地下に埋めようと言う話も出ている。

建築資材も変わった。安価な輸入材が幅を利かせた。

自然は急に曲がれない。

植えられた針葉樹は、山を脆弱にした。



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