4 勢いで土地を買うと言っちゃった
登場人物
空原 みみ子 年金生活の婆さん
山本老人 大岩がある土地の地主
山本老人の息子夫婦
地元の不動産屋
みみ子は考えた。
渡り門から異世界に行ったのは確かだ。
山本老人も門が使えることは知っている。
撤去の危機に逆上していて気がついていないようだが、周二の妻は、門を通れない?
誰でもが異世界に行ける訳ではないのかもしれない。
それなら、不用意に言いふらすことはできない。
何か条件があるのだろうか。試したい。
しかし、みみ子がこの場で岩の中に消えたら、周二の妻がどう反応するか予想がつかない。
化け物扱いされて大騒ぎされたら、収拾がつかなくなるかもしれない。
一旦身を引いて、落ち着いた頃にこっそりと確かめるのが良いだろう。
さりげなく、その場を去ろうと思案していた。
だというのに、
「おい詐欺師。警察に通報される前に出て行け」
周二の言い草にカチンときた。きてしまった。
「私は人を騙したことなんてないよ。
言っときますけどね、この土地を欲しいと言った覚えは無い。
時々庭先を通らせて欲しいだけ。
その件については、先日山本さんの了解はもらった。
親子で揉めてるようだけど、そっちの揉め事に私を巻き込むな!
山本さん。今日は帰るわ」
みみ子は憤然として踵を返した。
「空原さん待ってくれ。
あなたも聞いたでしょう。周二は門の岩を壊すつもりだ。
助けてください。お願いします。
大叔父から門の岩を守るという条件で遺産を託された。
この土地と、当時としては大枚の財産も受け継いだ。
そのおかげで苦労もせずに家を持てたし、家族も不足無く養えた。
なのに、大叔父の遺言を果たせなかったら、僕は最低野郎だ。
あの世で大叔父に合わせる顔がない。
恩恵ばかり受けて何もできなかった、否、何もしなかった僕が悪い。
でも、どうかお願いです。助けてください」
山本老人は、深々と頭を下げた。
息子は苦々しい顔で、みみ子を睨んでいる。
巻き込むなと言ったばかりだというのに、巻き込まずにはいられないようだ。
みみ子はため息をついた。
「なるほど。門の岩を守りたい。守ってくれる人に託したい。
それが山本さんの望みですね。
私の望みは、時々岩を訪ねたい。だから通して欲しい。それだけです。
誰が土地の所有者でもかまいません。
息子さんの望みは何ですか」
息子は、頭を下げ続ける老人に目をやり、みみ子に向き直った。
「いくら一人で大丈夫だと意地を張っても、オヤジも九十を超えた。
今度のことで思い知ったんですよ。もう一人にしておくのは限界だ。
何が起こるか分からない。
うちで同居するのは無理でも、安心できる施設に預けたい。
騙されたり殺されたりしたら、私も迷惑だ。
だから、さっさとここを売って老人ホームに入れたい」
三者三様の望みがはっきりした。
みみ子は面倒な事態にうんざりした。
また来ると言ったきり、あの世界に行けてない。
約束を守らないのは気持ちが悪い。
先に進むために必要なのは、具体的な解決案だ。
「う〜ん、しょうがない。私がこの土地を買いましょう」
言ってしまった。
「一億。一億なら、すぐに買います。嫌ならそれでもかまいません」
これ以上二人の言い分を聞いていたら、家に帰れそうにない。
ややこしい話は終わりにしたい。ただの勢いだ。
この場を抜け出したら、落ち着いた頃に戻って異世界に行こう。
不動産屋が言うには、売りにくい土地だ。すぐに売れることはないだろう。
凭浜門守に相談する時間はありそうだ。
他に方法がないか聞いてみよう。
どうにもできなかったら、その時は、みみ子の出番は終わりということだ。
凭浜高司尊や凭浜門守に謝って、逃げ出すしかない。
逃げ出せなかった。
「ありがとう。すみません。ありがとう。申し訳ない」
山本老人がすがりついた。涙と鼻水で汚い。
「売る。買ってください。お願いします。十円でもいい」
「十円はない」
みみ子から老人を引きはがして、息子があきれた声を上げた。
「さすがに十円では贈与になりますよ。もっとややこしいことになる」
不動産屋が言った。
「一億は安すぎるよ。そうでしょ不動産屋さん。いくらになる?」
妻が出てきた。
「安いように見えますけどね、
四分の一以上が大岩のせいで使い物にならないですし、
売り主に文句がないなら、すぐに売れるだけ御の字ですよ。
売りに出しても、いつ売れるか分かりませんから。
下手をすれば、何年も売れ残る」
「百万円じゃ駄目かなあ」
「三億よ」
喧々諤々の騒ぎをよそに、みみ子はやっと抜け出した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「まいったなあ、一億で買うなんて言っちゃったよう」
みみ子は一人、部屋でつぶやいた。
つい勢いで言ってしまった。ビビっている。
億なんて単位の金には縁のない人生を送ってきた。
先週までは。
ずんぐりむっくりの切り株から送られてきたイメージ。色の付いたボールたち。
異世界に迷い込んだ翌日、買い物帰りに、ふと宝くじ売り場が目に入った。
その日締め切りの宝くじは無い……あった。
ロト7だ。
だが、メモを見ても数字は九つある。七つの数字と隙間があいて二つ。
試しに買ってみた。二つの数字が余ったままだが仕方がない。
違うかもしれないと思いつつ、他に思いつかない。
さらに翌日、期待せずに調べたら、一等が当たっていた。
余った二つの数字はボーナス数字だった。
当選者は一人。当選金額の欄に、1とたくさんの0が並んでいた。
吃驚して宝くじ売り場に急いだ。
確認してもらうと、本当に当たっている。A4くらいの紙を渡された。
当選金の受け取り方が書いてある。本人確認の書類が必要らしい。
区役所で住民票を取った。銀行に行った。
半ば呆然としたまま、銀行口座に桁が増えた。
そんなあれやこれやをしていてやっと、ずんぐりむっくりの切り株さんにお礼を言いに行ったら、詐欺師呼ばわりをされたのだ。
結局、あぶく銭は出てゆく運命なのかもしれない。
みみ子は、ため息をついて通帳を開いた。
あの時は税金にまで頭が回らなかったが、毎年固定資産税が来る。
老後の蓄えに貯めた預金で払って行けるだろうか。足りなくなったらどうしよう。
売ると言われたら買うしかない。現実感に乏しい桁だから、ちゃんと確認しておこう。
一、十、百、千、万、十万、百万、一千万、一億……あれっ。
もう一度、一、十、百、千、万、十万、百万、一千万、一億……、まだある。
うわああ、十億!
みみ子は深呼吸をして、もう一度確かめた。間違いなく十億ある。
みみ子は、何故か一億だと思い込んでいた。
これなら堂々と山本家に行ける。
それでも、気持ちを落ち着けるのに三日かかった。