37 老嬢と執事
登場人物
空原 みみ子 異世界を見つけた婆さん。
はぐれ雲・桃太郎・音無結絵 友の会会員
山田マリ 養生院の栄養士。
華京園 阿比子 没落した旧家の令嬢。
高 師弥 華京園家の執事
ジジババ友の会の会員のうち、海に乗り出したメンバーは、行き詰まっていた。
それらしい場所は分かった。
しかし、海から大量の雲は湧いているようにしか見えない。
そこに何かあるのか、もしくは無いのかも離れた場所からでは判断できない。
あの場所で、何が起こっているのだろう。
やるべき事より、やれる事を考えるのが先だ。
はぐれ雲の「とにかく突っ込んでみるか」という発言は、止められた。
「冒険者は死を恐れなくても、無謀を恐れなければなりません」
とは、桃太郎の弁である。
どうやって何を調べるかを相談しつつ、途中に点在する島々に、遠くから分かる目印をつけていった。
まずは、問題の海域まで安全に、なるべく速く行き来ができる方が良い。
◇ ◇ ◇
結論から言うと、案の定、山田マリに物の怪が取り憑いていた。
赤っぽい奴だ。
音無結絵にも居た。
灰色だった。
居ると知っていなければ、おそらく気がつかない。
なんともあやふやな存在だ。
みみ子に付いて、地球まで来てしまったフーちゃんに気づいた人間は居ない。
だから、あまり気にしなくなっていた。
なんとなく、みみ子の周囲をふわりふわりと浮かんでいるだけだった。
特に良い事もなければ、悪いことも起きない。
気にする甲斐が無いから、気にしない。
他の三人も同じようだった。
そうして十日ほども経った頃、みみ子は養生院に立ち寄った。
山田マリの忘れ物に気づいて、届けにやって来た。
院内を歩いている時だ。
「そこの貴方、憑き物が取り憑いていましてよ」
不意に声をかけられた。
みみ子が声のした方を見れば、杖をついた老婦人が、凛としたたたずまいで立っていた。
少し後ろには、支えるように付き添う老人が居る。
みみ子は思い出した。
転院して来た時に見かけた患者だ。
没落した旧家の老嬢と、古くから仕える忠実な執事。
そんな風に勝手に想像したが、立っている姿を見ると、ますますぴったりだ。
みみ子が返答に困っていると、老嬢は続けた。
「あら、驚いていらっしゃらないところを見ると、ご存知でしたか。
余計な事を申し上げたかしら」
「見えるのですか」
みみ子が言うと、老婦人は嬉しそうに微笑んだ。
「ああ、やっぱり居るのね。
もしかして貴方の使い魔とか、そういうものなの?
もしもそうなら、どうやって手なずけたのか、よろしかったら教えてくださらないかしら」
転院して来た時と比べて、見違えるほど瞳が輝いている。
高笑いはしないが、元気になったようでなによりだ。
「手なづけるつもりは無かったのですが、気に入られたのか、付いて来ちゃったのです。
私にもよく分かっていませんが、悪いものではないようです。
こういうものにお詳しいのですか」
「私の家は、歴史だけは長いのです。
長い長い歴史の中には、不思議な言い伝えに事欠きません。
調べれば、分かる事がありそうです。
お教えしたら、私にも使い魔になってくれそうな子を紹介してくださらないかしら」
「欲しいのですか」
「ええ、是非」
みみ子は考えた。
「今の世の中で、物の怪とか使い魔とか言うと、危ない人間に見られます。
私たちは、仲間内の秘密にしています。
秘密を守って下さると約束できるなら、仲間と相談してみます」
「あら、お仲間がいらっしゃるのね。楽しそうだわ。
秘密は私の好物ですの。秘密は必ず守ります。是非お願い。
おーっほっほっほ。よろしくね」
出たー、高笑い。
忘れ物を届けたついでに、山田マリに相談した。
「秘密は守ると約束したけど、あの人、大丈夫そう?」
「ああ、華京園阿比子さん。
辛抱強い、良い患者。約束は守りそう」
マリは、問題ないという意見だった。
みみ子の想像通り、没落した旧家の最後の一人なのだという。
付き添っている老人は、長年仕えている使用人。名前は高師弥。
様子から、家政を一手に切り盛りしているらしく、まさに執事だ。
「お嬢様をお一人で未知の世界へ送る事はできません」
頑として同行を求めた。
他には家族も使用人も居ないようで、秘密は守られるだろう。
なんでも、若い時に、親や親戚の勧めで見合い結婚をしたが、すぐに離婚したという。
「私には、結婚生活は馴染みませんわ」だそうだ。
「魂が日々古漬けのように萎びて、腐臭を放っている気分でした。
キュウリの古漬けは美味しゅうございますが、魂の古漬けはいけません」
よほど性に合わなかったと見える。
病は癒えたが、異世界へ連れて行くには、リハビリをして足元を鍛えた方が良いだろうということになった。
その間に、友の会の他のメンバーにも会わせて見る事にした。
やがてすっかり健康を取り戻した阿比子は、友の会の会員になった。
師弥もセットのように付いて来た。
持ち物も衣類も、年代物ばかりを身に着けている。
新しいのはジャージと安物のスニーカーという極端ぶりなのは、没落したかららしい。
先祖代々からの土地を貸して、幾ばくかの収入があり、生活はできるが当然のように貧乏だ。
古い屋敷の管理にも金がかかる。
態度は超然としていて、周囲に媚びる事は無いのに、いつの間にか仲良くなった。
「会館の居間……居間? は不思議な作りですわね。
庶民の発想は侮れませんわ。居心地が良いですのね」
「いえ、こんな作りは、たぶん此処だけです」
ちょっと感覚は、ずれている。
多少のずれは問題なく、会員に馴染んだ。
離婚してからは、好き勝手に趣味に走った暮らしをしていたらしく、ありとあらゆる事に手を染めていた。
その中に気功や武道もあって、雲を大いに消し飛ばした。
アニメやファンタジーにも、そこそこ通じているせいか、イメージ力はなかなかだ。
幸多真比売のところに連れて行き、試しに邪気払いと雲消しをさせた。
物の怪が二つ取り憑いた。
紫っぽいのと朱色っぽいやつだ。
たいそう喜んだ。
すました顔をして取り繕おうとして、何度か失敗した。
その時ばかりは、顔がにんまりとだらしなく緩んだ。
執事の師弥には憑かなかった。
態度には出さないから、がっかりしたのかほっとしたのか分からない。




