33 常識人に説明するのは難しい
登場人物
空原 みみ子 異世界をみつけた婆さん
犬井 咲子 学生時代からの友人。ケアマネージャー。音無姉妹を連れて来た人
さあこれからは、異世界復興に向けて本格始動だ。
みみ子が張り切っていると、犬井咲子が来た。
「音無さんのことで、聞きたいことがあるんだけど」
真剣に聞いてきた。
音無姉妹は元気にやっている。
二人とも元気すぎるくらいだ。活躍が素晴らしい。
みみ子がそう答えると、犬井は喜んだ。
「空さんが引き受けてくれたから安心していた。
元気にやってるなら嬉しいわ。
空さんは、健常者も障碍者も区別しないから。
聾唖サークルの飲み会でも、普通に盛り上がっていたし」
犬井は、飲み会ではしゃいでいたみみ子を思い出して笑った。
「実はね、ケアセンターに来た人から聞いた噂なんだけど、音無結絵さんが手話も筆談も無しで、お店の人と普通に会話しているのを見た。
そう言ってる人が居るのよ。
耳が治って聞こえるようになったんじゃないかって、ちょっとした騒ぎになってね。
で、どうなの。聞こえるようになったの。それともデマ?」
「ああ、そういうこと。
うん、聞こえるわよ。もうばっちり」
みみ子は、自信を持って請け合った。
みみ子よりも耳聡かったりする。
「本当に治ったのね。。良かった。
良かったんだけどね、ひどいことが噂になっているのよ。
全く聞こえなかったのは、私は知ってる。
でもね、……聾唖の振りをしていたんじゃないか。
障碍者手当の詐欺なんじゃないか。そんなことを言う人がいてね」
犬井は複雑な顔をしている。
結絵の耳が治ったのはめでたいが、すっかり治るなんて、まるで奇跡だ。
噂を流した人の気持ちも分かる気がする。
「詐欺ねえ」みみ子は顔をしかめた。
みみ子は飲み屋で聞いたことがある。
その男は、酔って自慢していたという。
頭痛が治らないから働けないと言って、生活保護を受けていた。
実は嘘だ。頭痛なんて無い。
頭痛は、機能性、精神性、原因が見つからないものと、様々ある。
本人が痛いというのを、医者であろうと第三者が嘘だとは断言できない。
男は自慢そうに言ったが、そんなことは自慢できない。
世の中に適応できない落伍者というだけだ。
おとなしくひっそりと生きているならまだしも、悪さばかりしていたらしい。
男の本意ではないだろうが、気のどくな奴だ。
全く自慢になっていない。
そういう人間が居るから、そういう疑いを持つ人が居る。
犬井咲子は、深いため息をついた。
「障碍者も一緒よ。悪い噂を触れ回る人だって居る。
良い人も居れば、困った人も居る。
何を考えているか分からない人も居れば、どうしようもなく困った人も居る。
おんなじよ。
障碍という分かりやすいハンデがある分、こじれるとさらに大変」
そういえば、以前犬井に聞いたことがある。
みみ子は思い出した。
福祉関係の会合のようなものだったか、障碍者を大勢集めて意見を聞くという集まりがあったらしい。
その時、とある発言を契機に、大混乱になったという。
視覚障害者は、聴覚障害者に向かって「あんたたちは見えるから良いじゃないか」と言い、聴覚障害者は視覚障害者に向かって「あんたたちは聞こえるじゃないか」と互いに罵り合いになって、話し合いにもならなかった。
仲裁が難しい案件だろう。
その話をした時、犬井は、心底嫌そうな顔をしていたものだった。
悲惨なのは通訳である。
飛び交う罵倒をどこまで通訳したんだろう。
仕事だから、知らんふりもできない。
だからといって、そのまま通訳するのも、差し障りがありまくりだったと思われる。
本当にお疲れさまだ。
「それで、音無さんがどうやって良くなったのかは聞いてる?
良いお医者さんに出会ったとか、治療法が見つかったとか。
手術でもしたのかしら」
「う〜ん、説明するのは難しい。
簡単に言えば、栄養補給?」
「何故に、語尾が疑問系」
みみ子は「まあまあ」と言いながら、台所から養いの実を持ってきた。
「まあ、これでも食べて」
「うれしい。これ、美味しいわよね。
どこで手に入るか教えてよ」
犬井は、喜んで実をかじった。
「んん〜」嬉しそうにうなって、味わっている。
「美味しいものを食べると、幸せな気持ちになるわよね。
幸せは、幸せを呼ぶ。
音無姉妹は、ここに越してから毎日食べている。
科学的に証明はできない。でも、たぶん、原因はそれ」
みみ子は、せいぜい真面目な顔でうなずいた。
犬井は、きょとんとした。
みみ子は続ける。
「証明はできない。科学的な根拠も分からない。
だから不用意に広めないと約束して欲しい。
咲ちゃんも、話だけ聞いたら、眉に唾をつけると思う。
実際に、私が怪しい宗教か詐欺商法に騙されているかもしれないと心配したよね。
うっかり漏らしたら、どんなことになるか想像がつかない」
みみ子は、大きくひと呼吸して、思い切って言った。
「前に言ったことがあるけど、異世界を見つけた。
その実は異世界産。産地偽装はしていない」
慌てて付け加える。
「ボケてないからね。うん、大丈夫。ボケてない」
犬井は、かじりかけの実を眺め、みみ子と実の間で視線を往復させた。
「正直に言うと、異世界は信じられない。
でも、……言われてみれば、……思い当たることもある。
手話通訳を続けると、首から肩への負担が辛いのよ。
しょっちゅうマッサージに通っていた。
最近は、そんなことを忘れるくらいに調子が良い。肩が軽い。
思い起こせば、この実を食べてからのような気もする。
でもねえ、……異世界産って」
迷っているようなので、一押ししてみた。
「じゃあ異世界に行ってみる? 直ぐそこだから」
養いの実を食べ切った犬井は、立ち上がった。
「行く」
それでも「異世界が、直ぐそこって」と、口の中でぶつぶつ言っている。
「ああ、そうだった。言っておくことがある。
原因も理由も不明だけど、異世界に行けない人が居るのよ。
もしも咲ちゃんが行けないときでも、異世界は内緒にしてね。
ボケたと思われるから」
犬井咲子は、異世界に行けた。
みみ子は案内しながら、あれこれと説明したが、どこまで聞こえているのか分からない。
理解が追いつかない様子だ。
門守命や高司尊に引き合わせ、意思の疎通ができると青くなった。
ぶちこわされた常識を、かき集めているらしい。
みみこは、最後に念を押した。
「内緒だからね。旦那の犬井君や駿君や明里ちゃんにもだからね。
段取りを踏まないと、神経内科か心療内科に連れて行かれるよ」
咲子は、うんうんとうなずいた。
みみ子は心配になって、さらにしつこく念を押した。




