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31 養生院の新たな患者

登場人物

    望月 浩太郎  月見養生院の院長。事件に巻き込まれて酷い目にあった。

    風早 当太  大会社の創設者。隠居

    水木 勇介  風早の個人秘書

    山田 マリ  養生院に栄養士。合気道婆さん



開店休業状態の月見養生院に、一本の電話があった。

とある大病院からだが、積極的な交流も無ければ、懇意にしている知り合いも居ない。


何だろうと首を傾げながら、望月院長が出た。

電話をしてきたのは、医師ではなく事務の人間だ。


「そちらは、回復が見込めない患者を引き受けてを世話をする、いわばホスピスだと思っていいのですよね」

と念を押すように言う。

「まあ、そんなところだ。養生院だから、患者にゆっくり養生してもらう」


「ご家族が、そちらに強く転院を希望している患者さんが居まして、空きがあったらお引き受けしていただけないでしょうか」

「問題ありませんな。お引き受けしよう」

「うちの病院でVIP扱いの大物ですので、特別室を用意していただきたいのです。

うちの面子もありますので、慎重に対応していただきたい」


望月は、めんどくさいなと思いつつも、気楽に応じた。

「分かりました。お任せください」

理由は分からないが、患者が希望しているならと、引き受けることにした。

月見養生院にも、一応特別室はある。

月見病院時代から滅多に使われることがなかったが、あるにはある。


「気難しい患者さんですが、しばらくのあいだ気をつければ、大丈夫だと思います。

そろそろ、クレームを付ける気力も体力も無くなるでしょうから」

「はっ? クレーム?」

「カルテと記録を送ります。

見てくだされば分かります。長くは持ちません。お願いします」

電話の向こうで、頭を下げている気配がする。

厄介な患者を押し付けられているようだ。


「まっ、患者は患者。良いでしょう」


送られてきた資料を見れば、なるほど生きているというよりは生かされている状態だ。

医療機器や高価な薬剤が無ければ、とっくにご臨終を迎えていただろう。

この状態でクレームを出すなら、並みの気力の持ち主では無さそうだ。

「すごいなあ」

望月院長は、ひっそりと呟いた。


患者の気力もだが、この状態で延命できている医療技術もだ。

さすが大病院というところだ。



受け入れ準備も整って、新しい患者 風早当太(かざはやとうた)が運び込まれてきた。

秘書の水木と名告る中年男性が、付き添うように現れて手続きをした。


特別室に落ち着かせると、風早は目を閉じていた。

状態を確認しようと、望月院長が診察を始めると、目を開いた。


「会長、お加減はいかがですか」

付き添っていた秘書が声を掛けると、

「ばかもん」

開口一番、風早が、かすれた声で怒鳴った。

「すみません。会、ご隠居様」


目の前の光景に、望月は「越後のちりめん問屋か」と内心で、ろくでもない突っ込みをした。

ベット脇のボタンを押して、ナースステーションに連絡を入れる。

「マリちゃんの準備ができたら持って来るように言ってくれ」


「マリちゃん」という言葉から、可愛いナースを連想したのだろうか。

患者と付き添いの秘書は、ドアがノックされると、期待のまなざしで目を向けた。

現れた小柄でしわくちゃな婆さんに、明らかにがっかりしている。


そんなことを気にせず、栄養士の山田マリはトレーを持って入室した。

「はいよ院長」

トレーには、ジュースが入ったコップとスポイトが乗っていた。


「吸い飲みよりこっちが良いかと思ってさ。スポイトにしてみた。

どうせ、たんとは無理だろう」

マリちゃんは、トレーごと院長に渡した。


「飲み薬ですか」

秘書が聞いた。

「いや、うちの特製ジュース。美味しいよ。

月見養生院に来て、これを飲まなきゃもったいない。

飲みきれなかったら、秘書さんが飲むと良い。美味しいから」


「はあ、入院して、いきなりジュースを勧められるとは思いませんでした」

秘書氏は、毒気を抜かれた顔をさらした。


「はい、口を開けて」

スポイトで吸い取ったジュースを手に、望月はにこやかに微笑んだ。


風早は苦みきった視線で望月を睨んだが、視線を秘書に投げ渡した。

秘書が慌てて間に入る。

「あの、せっかくのお勧めですが、会……ご隠居様は、ジュースがお嫌いです。

静岡のお茶か、ブルーマウンテンコーヒーの方が。

あっ、私が用意しますので、それで」


「良いですなあ、静岡茶とブルマン。私も飲みたい。

でも、お忘れですかな。ここは養生院。

ここで養生してもらう為の儀式と思ってもらいましょう」

「儀式……ですか」と秘書氏。

「儀式です!」キッパリと言い切る院長。


「ご隠居様、いつもおっしゃっておられるように、儀式は大事にしませんと」

秘書をひとしきり睨んだ風早は、仏頂面のまま、ほんの少しだけ口を開けた。

「儀式なら、形ばかりでも良いんですよね。

一滴でお願いします」

秘書は懸命に言い立てる。


秘書のお願いだが、望月は外科医ではない。不器用な内科医である。

スポイトから4〜5滴は出た。


しかめっ面をした風早だったが、だんだんと表情は緩み出した。

悪くないという顔だ。

秘書が、思いっきりほっとする。


「イケルでしょ。もう2〜3滴やりませんか。

病み付きになる味でしょ。私なんか、すっかり中毒」

中毒はまずいんじゃないかと思う秘書だった。


「ふむ、儀式を続けようではないか。

もう2〜3滴頼む」

えらそうに言う風早に、望月は喜んで従った。

今度は奇跡的に、きっちり3滴たらした。


「むっ? 5滴頼む」

ジジイ二人が、スポイトとジュースで遊んでいる。

そうこうしていると、風早は満足した様子で眠りについた。


結局、コップ三分の一ほどのジュースを飲んだ。

残りを秘書に差し出すと、秘書は匂いを嗅ぎ、恐る恐る一口飲んだ。

ぱっと嬉しそうになり、ごくごくと飲み干した。

「これは何のジュースですか」

「うちのオリジナル養生ジュースです」

望月はドヤ顔で、内緒というように唇に指を当てた。


「ちぇっ、材料は秘密ですか。残念。

私にも分けてもらえますか。入院しないと駄目ですか」

「う〜む、特別に、一日一杯だけなら。350円だ。

担当はマリちゃんだから、彼女に言ってくれ」

ちゃっかり、さりげなく値上げした。

養生院は、全然儲かっていないのだ。

隠居の道楽とはいえ、実費くらいは回収したいところだ。


金を持っていそうだから、もっと吹っかければ良かったかなあ。

腕を組んで反省してしまう望月だった。



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