26 マッドサイエンティスト誕生?
登場人物
空原 みみ子 異世界を見つけた婆さん
山田マリ 養生院の栄養士。合気道を嗜む
山本老人 元地主
山本 周二・エンエン 老人の息子夫婦
ハサン 山本夫婦の知人 ちょい役、もう出ない
音無 恭子 姉。事務関係が得意
音無 結絵 妹。事故で聴力に障碍が。
外国人男性が笑いながら岩に手を伸ばすのを見たみみ子は、慌てた。
知識も覚悟も無く異世界に転げ込んだら、パニックになるかもしれない。
止めようとして、走り出そうとしたが、距離が空いていて、到底間に合わない。
男性は、大声で笑いながら、渡り門をバシバシと叩いた。
そればかりか、体当たりでもするように肩をぶつける。
それだけだった。
何事も起こらなかった。
男は、その場から消えなかった。
みみ子は唖然とすると同時に、心からほっとした。
これなら、面倒なことにはならない。
詐欺師の汚名は晴らせないが、何も無かったことに出来る。
セーフ。
異世界に行けない人間、二人目だ。
外国人男性は、なおも大声で息子の山本周二に向かってしゃべっている。
周二はにこやかに返している。
アボイデッドやらダメージやらと聞こえるので、周二としても上手くやったと思っているらしい。
月見病院事件以来、月見町の評判は下がったままだ。
エンエンは不満がありそうだが、周二は良い時に売り抜けたと感じているのだろう。
みみ子は山本老人に歩み寄った。
「山本さん、みつけたのは、このアルバムです。これですか。
それから、これは洋服ダンスの隅にありました。
イニシャルが入っているので、大事な物かもしれないと取っておきました」
みみ子は、小さな古いアルバムと、トルコ石が付いたネクタイピンを差し出した。
「こ、これは、とっくに失くしたと思っていました。
みつけてくださって、ありがとうございます。うれしいです。
亡き妻からのプレゼントです」
山本老人は、そっと手を出して受け取った。
「山本さん。良かったら、お茶でもどうですか。
うちで、一休みしませんか」
山本さん以外が付いて来たら、ちょっと困る。
どうやって引きはがそうかと考えながら、誘ってみた。
「いや、けっこう。
親父、時間がない。忘れ物が返ってきたなら出発しよう。
ハサンを送らなくちゃならないし、親父を施設に届けるのが間に合わなくなる。
空原さんでしたっけ。これで失礼します」
周二は、急かすように言い、車に向かう。
「山本さん、落ち着いたら遊びにきてください。
少しずつ、ゆっくりですが、進んでいます。
ほんの一時ですが、小さな小さな青空が見えました」
みみ子が言うと、老人は静かにお辞儀をして微笑んだ。
「良かった。肩の荷が下りました」
「急いで出発するよ」周二は言い、他の二人も英語で促す。
「ロウジンホーム、遠い。サヨナラです」
素っ気なく言うエンエンも、いそいそと車に乗り込んだ。
四人を載せた新車が意気揚々と出発すると、ほぼ同時に、渡り門からマリの姿が現れた。
危なかった。かち合わなくて良かった。
「空原さん、連絡事項があった。忘れるとこだった。
観凪師長が、たまに養生院でも鈴を振って邪気払いをして欲しいって。
もうすぐリハビリ専門のスタッフが来る。武道の達人だ。
来たら、紹介する。役に立つかもしれない」
『役に立つ』というのは、雲消しだろう。
協力してくれたら、うれしい。
山本一家の来訪で、乱れた気持ちが落ち着いた気がする、みみ子であった。
◇ ◇ ◇
音無姉妹の姉、恭子の紹介で、建設会社と軽い打ち合わせをした。
個人住宅ではなく、会員が集う会館にしたいから、丈夫な建物が良い。
会員から上がった要望はあるが、専門家の意見と見積もりによって、可能な線を考えたい。
そんな話をして、現地を見せた。
家は、みみ子個人の依頼で取り壊したが、それだけだ。
一度に片付ければ簡単だったが、うっとうしさに負けた。
斜め向かいの覗垣夫人・ド・金棒引きが、ちょいちょい覘きにくる。
そこに、怪しさ満点のジジイたちが出入りしている。
さっさとジジイたちを目立たなくしたかった。
建物を建てるには、敷地の整備は必要だ。
まずは、そこから取りかかってもらうことになった。
山本老人かその妻が、洒落た庭園を作ろうとした形跡がある。
立ち枯れた木、実のならない果木、壊れたベンチ、役に立たなくなった庭園灯。
レンガ、ブロック、庭石、伸び放題にはびこる雑草と枯れ草。
そんなものを全部撤去してみたら、意外に広々とした土地が出現した。
敷地を計測して、設計を考えるということになりそうだ。
工事の間、アパートから直接渡り門に行けるように、間のフェンスを一部分開けた。
工事期間中、会員はアパートの敷地から異世界に通うことになった。
時おり桃太郎が持ち帰ってくる光果は、音無結絵が組み合わせ、すでにセットが百個を超えているが、残念ながら使いどころがそんなに無い。
結絵は根を詰めているように見えないのに、すごいものだ。
結絵が光果専用になった部屋から出てきて、組み合わされた光果を五つも渡してきた時、みみ子は思わず大声を出した。
「うわあ、すごいわね。どうやってるの。
コツがあるなら教えて欲しいわ」
「呼び合うんです。慣れれば分かるかも」
普通に返事が返ってきた。おかしい。
「しゃべった! 結絵ちゃんがしゃべった。
っていうか、今、私、筆談もヘタクソな手話も使ってない。
えっ、ええ〜〜。聞こえてる?」
「うん。ここに来てから、少しずつ。
はじめは、大きな音だけ、少し聞こえたの。
今は、だいたい聞こえるようになった」
「良かったねえ〜。お姉さんは当然知ってるよね。
何故教えてくれなかったのよ」
「お姉ちゃんが言ったと思ってた」
「聞いてないわよー。
あっそうか。恭子さんも忙しくしてたものね」
「私も忙しかった」
と言う結絵が、みみ子は気にかかった。何が忙しかったんだろう。
「困ったことがあるなら相談してね。
どこまで役に立つか分からないけどさ」
「困ってはいない。考えてます。考えるのは楽しいです」
「楽しいなら、良いわね。ところで、何を考えているのかな」
「光果を利用できないかなと考えています」
「確かに。これだけの物を利用しないのは、もったいない。
雲を消す助けになれば、うれしいんだけどなあ」
「それは難しすぎる。
光果では、あの分厚い雲を消すエネルギーには全然足りない。
広い範囲はできない。狭い範囲の雲を消しても、意味ない。
他のエネルギーとして使う方が、可能性がある」
「あはあ、結絵ちゃんて、もしかして理系?」
「りけい? 文系、理系の? それなら、たぶんそう」
耳が聞こえなくなったのが十代だったというから、四十年ぶりに会話しはじめたばかりだ。
慣れないながら、声で会話をするのが、うれしそうだ。
子どもの頃から科学が好きだったという。
十代の時、新発見をした。検証実験の結果と共に科学雑誌に投稿した。
天才少女と騒がれた。
関連する研究をしていた学者に招かれて、研修室に出入りするようになった。
そこで色々あったらしい。
研究途中の資料を盗まれたり、嫌がらせをされた。
警察に届けるといえば、周囲に勘違いだとたしなめられた。
負けずに成果を上げた時、事故にあって大怪我をした。
怪我は回復したが、気がつけば、聴力を失っていた。
治療しても効果は無く、やっと失意から立ち直ろうとした時、知ったのだ。
自分の研究成果が、懇意にしていた研究者と意地悪だった助手の連名で発表されていたことを。
表舞台に出ることはやめた。
引きこもり、趣味に走って、こつこつと好きな研究をした。
研究分野は、趣味に任せてどんどん広がった。
いくつかの発見と発明をしたが、発表もしなければ特許も一切取っていない。
「なりたいものが出来た。
私は、マッドサイエンティストになる」
結絵は、にやりと笑った。
<ジジババ友の会>の中なら、なれる。
音無結絵、還暦の目覚めだった。




