2 大木との約束と 爺との出会い
登場人物
空原 みみ子 年金生活の婆さん
凭浜高司尊 異世界の樹形生物
凭浜門守命 異世界の門番
山本老人 一人暮らしの老人
この部分の登場人物です。邪魔だとか、何かご意見があればお願いします。
みみこは丘を下り、赤い鳥居まで戻った。
「今日は帰りますね。鳥居のようなものをくぐれば、元の世界に帰れるのよね」
《ん? 鳥居のようなものとは渡り門のことなりや。さあれば、しかり。
……そなたは我らが希じゃ。再びの訪れを待っている》
凭浜門守は名残惜しそうだったが、無理に引き止めようとはしなかった。
みみ子は凭浜高司尊に触れた時の記憶を反芻した。
あふれてくる感謝の気持ちの奥に、絶望を重い蓋でふさぎ、強い意志で武装した壁の前に、小さな希望の灯火を感じたのだ。
あの灯火を点けたのは自分かもしれない。面白いことになったと思った。
「はいはい、また来ますよ」
お気楽な調子で約束した。
みみ子は鳥居のようなもの——渡り門をくぐった。
野方図に茂った枯れ草をかき分けると、朽ちかけた板塀に突き当たった。
右に行けそうだったので進んだら、目の前に、古びた家があった。
入る時は龍に気を取られて周りを気にしていなかったが、人家の庭に入り込んでいたらしい。
改めて出てきた方を振り向けば、大きな岩があった。
龍に誘われなければ、この先に別の世界があるとは想像もしないだろう。
気づかなかったとはいえ、他人の敷地に無断侵入したのだ。
見つからなければ良いなあというみみ子の願いもむなしく、がらりとガラス戸が開いた。
爺がいた。
呆然とした表情で、よたよたと出て来た。
まずいぞ、これは。
白い龍に誘われてと言っても信じてもらえるだろうか。
とにかく、言い訳の一つもしておかなくては。
「すいません。よそんちのお庭とは知らなくて。
白い龍からお誘いを受けて、あの、その、信じませんよねえ」
「白い龍……。あなたは『まはま』に行ったんですね」
信じてもらえたらしい。
老人はよたよたしながら家を出て、歩みを止めずに近づいてきた。
大岩を見上げて動かなくなった。
「あらまあ」
みみ子は、その隙に帰っちゃおうかとも思ったが、気になる。
『まはま』とか言っていた。
老人は、何か知っていそうだ。
好奇心がうずく。
庭はずいぶん荒れていた。
家の周りだけがかろうじて草が刈られているが、他は雑草だらけだ。
広さだけはたっぷりあるから、手入れをすれば良い庭になるだろうに、もったいないとも思うが、年を取ると草取りも重労働だ。雑草は繁殖力が旺盛だから、一度手を抜き始めるとこうなる。
みみ子があれこれと観察していると、老人が動いた。
青い顔色をして、がっかりしている。
いや、ものすごく落ち込んでいる。
「どうされたんですか」
「ううっ、僕は会えませんでした。龍も『いつき』とやらも」
「『いつき』ですか」
「古代の神々のような名を持つ『まはま』の住人です。<よりはまのかどもりのみこと>とか、<ももなり姫>とか、<はねくるま彦>とか……、あとは、何だったかなあ。何柱もの『いつき』たちが居ると、大叔父が言っていたのです。やっと、思い出しました。子どもの頃に、僕は『まはま』に行ったことがある。夢でも、子どもの妄想でもなかったんだなあ」
「私、凭浜門守さんには会いましたよ。また来いと言われました。
約束したので、またおじゃましても良いですかしら」
老人は目を見開いた。
「えっ、話したんですか」
「話したというか、イメージのやり取りというか、念話? みたいな」
「……ご迷惑でなかったら、少しお話できませんか」
老人は、落ち込みながらも、なにやら決意を固めたように言った。
「はいはい、暇です。トイレをお借りできますか。近頃、近くなっちゃって」
家の中に招かれ、お茶とお菓子をいただきながら、みみ子は老人の話を聞くことになった。
老人は山本と名乗った。
「空原みみ子です」
みみ子も名乗った。
「この土地は、大叔父から受け継いだのです」
大きなため息と共に、山本はぽつりぽつりと話しだした。
大叔父は変わり者で、何をして生きていたのかさえさっぱり分からず、親戚一同からも相手にされないような人だった。
老人の母親がおせっかい焼きで、一二度様子を見にきたことがあり、庭で遊んでいたときに、あの世界に迷い込んだという。
探しにきた大叔父に、「まはまを蘇らせるんだ。お前も手伝うか」と聞かれ、勢いでうなずいた。
大叔父は滔々と『まはま』について語ったが、今となっては、ほとんど覚えていない。
みみ子に言ったことが全部と言っていいくらいだ。
だが、山本が成人した頃、生涯独り者だった大叔父が亡くなると、弁護士から連絡が来て、全ての遺産と手紙が託された。
〈くれぐれもこの土地は信頼できるものにしか譲るな。それ以外には絶対に手放すな。この条件で、全ての財産を譲る。俺は上手くいかなかった。約束通りに、お前が真浜を蘇らせろ〉
簡単な手紙だった。
<しんはま>って何だろうと思ったが、親戚は誰も文句を言ってこなかったので相続した。
当時、周りは小高い丘にある雑木林だった。
手紙が頭から離れなかったものの、何を約束したのか全く分からなかった。
さっきまでは。
<しんはま>ではなく、<まはま>だったのだ。
「あなたは白い龍に誘われたとおっしゃいました。
大叔父も、白い龍に導かれたと言っていたような気がします。
あなたは<よりはまのかどもりのみこと>と思いを通じ合わせたんですよね。
僕は約束をすっかり忘れて、この年まで何も出来なかった。役立たずだった。
ああ〜〜、我が身が情けない。
空原さん、この土地を受け継いでもらえませんか」
「ええーっ。いきなりですね」
「あなたも約束したんですよね。また行くと。白い龍の導きでしょう。
勝手ながら、何も出来なかった僕の代わりに受け継いでください。お願いします!
僕では、どうやって『まはま』にいけるのかも分からない。思い出せない。
これで、やっと肩の荷を降ろしてあの世に行ける」
老人は土下座した。
「あわわわ、ご家族は、お子さんはいらっしゃらないんですか。
見ず知らずの人間に土地をくれるなんて、反対されますでしょう。
思い出したなら、訳を話して、お子さんに継いでもらうのが良いんじゃないのかしら。
入り口は教えますから。
私は、たまに通らせてもらえれば約束を果たせるし」
「今は、息子が一人居ます。
居りますが、妻が亡くなってからは、全く寄り付きません。
話を聞いてくれるかどうか。
いえ、全く聞いてくれそうにありません。
私が死んだら、すぐに売り払うでしょうなあ。
大叔父から相続した時、ここには粗末な掘建て小屋しかありませんでした。
新しく家を建て家族を持つと、周りがどんどん開発され、すっかり住宅地に囲まれていました。
時たま手紙が心に引っかかって悩むこともありましたが、日々の暮らしに埋もれました。
生きていると色々とあるものです。すっかり忘れておりました」
山本はうなだれた。
「それならなおのこと、息子さんとお話したらどうですか。
不思議な世界の入り口と聞いたら、色々納得して上手くいくかも」
赤の他人が土地を相続するなんて、面倒なことになりそうだ。
これだけ広い土地なら、相続税も高そうだし、息子が遺留分を申し立てて裁判にでもなったら、どうしていいのか分からない。
面白いのは良いけれど、面倒なのはごめんだ。
老後の資金だって余裕があるというわけではない。