18 宿無しが増えたので近所の噂が怖い
登場人物
空原 みみ子 異世界を見つけた婆さん
望月 浩太郎 月見病院事件で割を食った院長
藪小路 奈緒子 隣町の病院の元院長
山田 マリ 月見病院の栄養士。合気道の達人?
桃太郎 宿無しだったが、みみ子の手下になった
はぐれ雲のグレさん 気象マニアの宿無し
覗垣夫人 近所の金棒引き
「元通りに再開するのは難しいわね。
最悪の噂で有名になったし、残ったスタッフは少ないし、年寄りばかりだし。
でも、このまま閉じるのも悔しいわね。長年地元で続いてきた良い病院だったのに。
望月院長が生まれ変わったのなら、一緒に生まれ変わるって訳にいかないかしら」
藪小路は残念そうに言った。
「美味いなあこれ。雲が消えれば、たくさん生るかなあ」
望月は、養いの実をむしゃむしゃ食べて、ご機嫌だ。
「そうだ、奈緒子先生。あんた合気道とかやらんのかい。
とりゃあ! とか叫んで大の男を投げ飛ばしそうだがなあ。似合うぞ。
その勢いで雲を消し飛ばせんかなあ」
「大和撫子に向かって何言ってんですか。やりませんよ」
「大和撫子こそ合気道だろう。…………あっ!」
望月が何かに気づいて、大声を上げた。
「どうしたんですか。喉に詰まりましたか?」
みみ子が心配した。
「栄養士の山田マリ婆さん。やっとったわ。
何を隠そう、あの事件の時、犯人を投げ飛ばした。おかげで俺が生きているようなもんだ。
ちっこくてガリガリに萎びた婆さんだから、犯人も、まさかと思ったろう。
なんで忘れてたかなあ。
なあ、ものは相談だが、マリちゃんを誘っても良いかな。雲を消しそうだぞ」
後日紹介された山田マリは、パワフルな婆さんだった。
異世界に連れて行っても騒ぐ事もせず、凭浜門守にも、凭浜高司尊にも淡々と接し、
「ほう、興味深い」の一言で済ませた。
しかし、みみ子と谷戸が雲消しを披露するやいなや、爛々と目を輝かせ、
「とりゃーっ」と雲を打ち払ってみせた。
青空が少し大きくなり、いくらか長持ちするようになった。
養いの実の付きも良くなった。
協力の報酬に実を渡すと、食べたくなった時に、ちょくちょくやって来るようになった。
◇ ◇ ◇
そうこうしている内に、桃太郎が帰ってきた。
宿無しの先輩だという爺さんが一緒だった。
「ただ今帰りました。バイクは来週届きます。
ぎりぎりで免許の更新が間に合いました。
あと、事後承諾になりましたが、バイクを購入するにあたり、証明書が必要なので、住民票をここの住所に移しました」
以前、旅の途中、山中で事故った所を助けたバイクマニアに、相談に乗ってもらったのだという。
その人は、バイクショップを営んでいるらしい。
一緒に来た宿無しの先輩は、気象マニアなので、雲の消し方をたずねたら、興味を持ってしまった。
詳しい事は約束なので言っていないが、くっついてきてしまった。
桃太郎は、しきりに謝った。
「長年に渡って地表を覆い尽くしている厚い雲を消すには、どうしたら良いだろうか。
何か良い方法はないのか、と聞かれてね。
どういう状態なのか、俄然興味を引かれたので、現地を見せろと付いて来た。
桃さん、良いねぐらを見つけたね」
自己紹介もせず、無遠慮に空き家状態の家の中を見回す。
みみ子が名前を聞けば、
「名前は忘れた。
宿無し仲間に、はぐれ雲と呼んでくれと言ったら、いつの間にかグレさんになった」
本気で雲を消す気はあるようなので、胡散臭いのは置いといて、協力してもらう事にした。
「長年と言っていたが、どのくらいの間雲がどかないんだい?」
「およそ千年」
「バカ言っちゃいけねえ。本当なら、それはどこだ。日本じゃねえな。
日本なら、気象衛星のデータがあるし、そんな場所があれば有名になってる。
俺が知らないはずがない」
「異世界」
「…………そいつは豪気だ」
はぐれ雲のグレさんは、異世界に行くと絶句した。
「不思議現象についちゃあ俺は素人だ。皆目分からねえ。
俺の知ってるやり方でやってみるしかねえな。
まずは、観察と観測かな」
案外まともなことを言う。
ぶつぶつ言いながら歩き出したので、みみ子は、あわてて止めた。
「むやみに歩いて、迷子になっても探せないわよ」
「おいおい、そこからかよ。
この世界についちゃ、あんたらも手つかずってことか」
「方位磁石は効くから地磁気はあるんだと思う。
なんとなく朝に明るくなる方は、だいたい東で合ってるみたい。
地球と似てる感じはあるけど、あとはさっぱり。
何か気がついた事があったら、教えてね」
「おお」
それからグレさんは、ポストに入ってくるチラシの裏にメモを書き、ご飯粒で壁に張り出した。
「地磁気がある」
「昼と夜があるから、自転しているはず」
「意思疎通ができる樹状生命体がある」
「陰性植物らしき草は、意思疎通できない」等々、
思いついた事をべたべたと貼る。
汚いので、セロテープとコピー用紙とノートを渡した。
空き家になったはずの家に、出入りする人間が増えてきた。
ある朝、みみ子がゴミを出そうとしたら、一人の奥さんが近所の主婦を捕まえて、話している声が聞こえてしまった。
「ねえ、知ってる?
山本さんの家を買った人が、呪われたアパートも買ったんですってよ。
山本さんも呪われていたのかしら。うちも近所でしょ。怖いわあ」
さも訳知りのように言うが、何の事はない。
引っ越す時に、向こう三軒両隣には挨拶に回った。
斜め前の家には中年の夫婦が住んでいる。覗垣さんといったか。
そこの奥さんだ。
その程度の事は言われるだろうとは思っていた。
しかし、話には続きがあった。
「怪しい風体の人たちが頻繁に出入りするのよ。
事件が起こったら嫌だわ。警察に相談した方が良いかしら」
ひとしきりヒソヒソワイワイやって、井戸端会議が散った後、一人残った覗垣夫人は、つぶやいた。
「そういえば、入院患者をいじめ殺した月見病院の院長も居たような……」
色々とまずい事になっているかもしれない。
出入りする人間がバラバラなのを、不審に思われたのだろうか。
みみ子は困った。世間の噂は恐ろしい。
そんなことがあってから、みみ子は、時々うっとうしい視線がある事に気づいた。
覗垣家の門の蔭から、覗垣家の二階の窓から、時には買い物帰りの道の途中で。
見られている。




