episodeN. 少女の記憶〜Girl's memory〜 III
私は負けた。
私は師匠相手に、全力でかかった。
全力で向かい合い、全力を出し切り、全力を使い切って、全力に尽力した。
それでも負けた。
でもそれはしょうがないことだ。
相手はトップ棋士。
私は奨励会員。
格が違いすぎる。
負けて当然。
実力差があって当然だ。
と、考えてる。
……だなんて、私は死んでも思えない。
そう思うようにして、思い込むようにしたけど、どうしてもそう思うことは出来なかった。やはり悔しい。
唇を噛みちぎりそうな感情は、ふとポロポロ溢れる。その味は、塩辛くてしょっぱかった。
「……」
顔を隠すため、私は下を向いた。
前が見えない。見えないけど、感じた。
特有の気まずさを。
私の弱さと脆さに、再び後悔する。
でも、師匠は……。山垣は、そうではなかった。
「天才、だ」
ポロリと、溢した。
「……なんですか、嫌味ですか」
「いいや、本心だよ」
私の真っ赤に染まった頬を真っ直ぐ、山垣の顔に向けた。
ぼんやり滲みぼやけた視界に映る山垣は、真っ赤な私とは反対に、青くなっていた。本気の顔だった。
「序盤の圧倒的な知識量、中盤の冷静さ。隙がない。
終盤力がギリギリ勝っただけであって、正直途中までは負けるかと思った」
そう、正直手応えはあった。
でも、正直それだけで勝てるとも思ってなかった。
なぜか?
それは私は弱いから。
弱いことを知ってるから。
彼に勝てるほどの実力があるのだとしたら、私は今、奨励会員を名乗っていない。
そうだ。
冷静に考えればそうなのだ。
でも、私は本気で勝てると思って、勝とうとして、勝つ気しかなかった。
そして負けたのだ。
私は、グッと唇と拳に力を入れた。
「負けたら意味ないんです」
「どうして。俺相手にここまでやれてるなら大したモノだろ」
「ダメです。いけないんです」
私の真っ暗で真っ黒な心に、白く書き殴ってある言葉を言葉にした。
「勝たなきゃ、強くなれない」
その言葉に、山垣はピクリと眉が動いた。
「ああ、なるほど。そういうこと」
「父の言葉です」
「そういや、そんなこと言ってたな」
これは父の言葉で、私の座右の銘でもある。
私は弱い。
私はプロ棋士にならなければならない。
でも私は弱い。
私は強くならなきゃならない。
でも、私は弱い!!!
「先生……いえ、師匠。私を強くしてください」
これが、忘れらない私なりに、忘れない出来事。山垣渉との出会いだ。
【間隔】
西園エリ、15歳。
奨励会二段。
「なあ、お前進学どーするんだ」
「んー……あんまり考えてないし、行くも行かないもどっちでもいいと思ってる」
「でもお前アタマいいんだろ?勿体無ぇ」
「じゃあ師匠的には行った方がいいと思う?」
「んー、そうだな。お前がプロになったら将棋以外の仕事が引っ張りだこになるだろうから、それを抑制する理由を作るためには行った方がいいだろうな」
「なら行きます」
「はぁ?」
「ナニ」
「……まぁ、いいけど。行きたい学校あるんか?」
「父からは四葉原高校に行け!って言われてたので行くならそこ行くつもり」
「この辺じゃあ超有名私立高校じゃん、おま、行けるの?」
「ふっ、私を舐めないで?でもそうなったら師匠が学費を出すんだよ?」
「え、まじ?いくらかかるんだ?」
と、食後の雑談だ。
私と師匠はタメ口で喋っていた。
お互い硬いのは嫌ということで、相意の一致でこうしてる。
「そーいえば四ツ葉原ってアイツの母校だよ」
「父の?」
「そ、アタマいいのになんで将棋のプロなんて目指してるんだ、って思ってたもん」
初耳だった。
「明日対局だよな」
「ええ、明日は昇段戦です」
「……大事な試合だな。風呂先入って早く寝ろよー」
「じゃあ一番風呂失礼しまーす」
【間隔】
ざぶーん。
「ふー……」
きもちいい。
今日も師匠に扱かれた。
師匠の用事がない日には毎日のように対局を付き合ってくれる。お陰で私は急激にここまで実力を伸ばした。
「明日勝てば、三段」
あの化け物の巣窟に、足を入れられる。
正直、三段で戦える自信はある。
私は強くなった自信があるからだ。
現代将棋は暗記能力が必須となる。
AIの言うことを完璧に理解できない、理解できない故にAIの手を丸暗記する。
現代将棋といえば聞こえがいいが、やってることは丸暗記。
これが現代将棋だ。
でもそれは、なんとも私にとって都合がいい。
暗記は得意分野だ。
私はAIとの勉強を本格化させて、更に師匠との稽古を合わせてる今、正直三段リーグでも勝てる自信はある。
私は掌を遠く見ながら……
「……パパ、あとちょっとだよ」
私は、珍しく笑った。
【間隔】
ここ最近、私にメディアに追いかけるようになった。
将棋会館には記者らしき人が立ち、毎回増え続けている。
しかし、いつもは写真を数枚撮られるだけなのだが、今日は違った。
「女性初の三段入りが懸かった対局ですが、今日のお気持ちは……」
私はスルーした。
無視、私の得意技だ。
私はいつも通り、いつもを装って会館に入った。
……しかし、いつもを装う。
これはいつも通りではないということになる。
今日という日は、少し気持ちが乗っているかもしれない。
……平常心。
「ッスー……はぁ」
私はこれまで昇段が懸かった対局でも、ここまで気負うことはなかった。
というか緊張というものをしたことがない。
実際に今、全く緊張していない。
いつも通りスタスタと歩き、いつもと同じ会場に入り、席に座る。
だけど、気がついたのは駒箱を開けた時だ。
(手が、震えてる……?)
私の手は小刻みに震えていた。
私はその光景を、冷静に眺めていた。
冷静に考えれば、これが緊張だ。
しかし、その時の私には感情なんて無かった。勝負の前の感情なんて、無い方がいいと思うから。
空虚の瞳で、この現象に疑問の感情を持しながら、両手を包み込み、空を見る。
世界は止まっていて、人間は存在しておらず真っ白で、無駄も余りも無い世界に残ったのは、この小さな世界。
ふと気がつけば世界は盤と駒しかなかった。
辺りは真っ白。私自信さえも何もかもを捨て、一つになった世界には……
もう、手は震えなかった。




