episode10. 物語の傾き〜The inclination of the story〜
重労働となるだろうと思ってた荷ほどきだったが、思ってたより荷物が少なく、すぐに終わった。
将棋棋士は水と食糧と将棋盤と駒さえ有れば生きていけると、どこかからか聞いたことがある気がするが、実際彼女を目の当たりにしてみるとそのことが強調性を帯びてくるものだ。
しかし荷ほどきが「終わった」と言ったが、正確には終わってなく、完全には終わってはない。
その理由はパソコンの設置だ。
今じゃ適当に、雑に隅っこに寄せてあるのだが、西園エリが言うにかなり性能の良い物で、価格はサラリーマンの平均月収よりちょっと高いくらいのものらしい。
でもそんな大層なモノがあっても繋げ方がわからなければ意味がない。
そんな状況に西園エリは一言。
「明日私の知り合いで詳しい人でも呼んでみるわ」
と、頭を掻きながら静かに一蹴し、解決した。
いや、解決はしてないんだが。
「今何時だ?」
「そういえばこの家、時計ないんですね」
「なくても良いかなと思ってたんだが、流石に不便かもな。明日買おう、覚えといて」
「はいはい」
と、脳を空っぽしにて適当に答える。
ポケットのスマホを取り出し、電源をつけて時間を見る。
「大体14時半、もっとかかると思ったけど、2時間くらいで済んだか。
……あ、凛さんが3時におやつ持ってくるって」
流石凛さん。
本当に気が利く。
「なぁ、じゃあその余った30分で喋りながら将棋でもして待とうぜ」
「……えぇ……」
「指そう」
僕の拒否権を奪うかの如く、西園エリは盤の片方に正座し、マスの真ん中に駒を並べ始めた。
そして、ふと瞬きする刹那な時を境に、彼女は一変する。
綺麗に伸びた背筋に髪の毛一つ一つが細い線のようで、目には水を多く含んだ淡くて深い青色の絵の具を一滴落として、じわじわと滲ませたかのようだった。
そう、まるで別人。
殺気を殺した美しい獣。
そしてその時、僕は気づいたのだ。
気づいてしまった。
僕たちは西園エリを知っている。
奨励会三段リーグで10連勝する異例な結果を現在進行形で進めていて、女性初のプロ棋士一歩手前まで手を伸ばし、「神様的な才能」なんて言葉が一人歩きするほどの天才なのだということを、僕たちは知っている。
だが、僕たちは西園エリを知らなかった。
そんなデタラメは全く正体も詳細も晒さないため、彼女がどう強いのかを、僕たちは知らなかった。
そして、僕は西園エリを知った。
最初は怖くて、ヒステリックな人なのかと思ったが、会話をしてみると、どこか独特なユーモアセンスを持っていて、テレビで見た勝負の顔とは一変、かわいい顔もする女の子であることを、僕は知った。
けど、その正体は、まさに生きる伝説。
日本が注目する存在である。
そうだった。
僕は西園エリの将棋を抜いた姿を知ったせいで、忘れていた。
目の前に居る人間はとんでもない大物だ。
今さっきまでそんなことさえ忘れていたなんて……恥ずかしい。
「なに、突っ立って。どうした。
あ、カネは取らねぇよ。こうやって手伝ったお礼みたいなのもそうだが……何より、私はプロじゃない」
彼女がプロになったら、将棋界はどうなるだろうか。
僕は七寸盤の将棋盤を向に座る。
「……お願いします」
「固くならなくて良い。喋りながらやろ─────」
「角落ちで」
それを聞いて、じろりと視線が僕の顔に当たる。
西園エリは素直に驚いたようだった。
しかし彼女はスッと駒袋に、自陣の角を入れた。
「あと、すみません。一ついいですか?」
「…………どうぞ」
「やはり、呼び方は西園さんと呼ばせてください」
【間隔】
西園エリは"適当に喋りながら将棋をしよう"というようなことを言ったが、いざ始まってみると全く喋らなくて、むしろ真剣勝負。ザーザーと雨の音が耳に入るくらい静かになっていた。
対局前の彼女の姿はまるで神々しく、美しいと思ったが、面と向かって対局してみると分かる。
神様……と言うより死神のようだった。
駒落ちのハンデで初めは僕の方が有利であったが中終盤でその差はジリジリと詰められていき、そして終盤の今では殆ど差はない。
そういった段々と迫ってきて背にピッタリ走って行く殺す姿は、まるで死神なのだ。
「ふぅ……」
気合を入れ直す。
……ここからが勝負だ。
と、思ったのもつかの間。
「まけ、ました」
僕の声だ。
「ありがとうございました」
「んー、途中までいいところまで行ったと思ったんだけど……」
最終盤の一番重要になるところで、僕はギリギリのところで読み負けた。
終盤は得意であっただけに、少し悔しい。
「なぁ、どうして私と角落ちで互角にわたりあえるんだよ」
……まぁ、そうなるだろうなぁ。
角落ちとなると道場3、4段。奨励会じゃ6級くらい。
その棋力は高校生ではトップクラス。
「あぁ、なるほど、それは─────」
説明しようとした瞬間だった。
隣から居るはずのない聞き覚えのある、どこか優しい声が聞こえて来た。
「リョー君はね、中学生の頃に試験を受けたことがあるんだ」
「うぇぇっ!いつの間に!?凛さん」
大河内凛がニマニマしながら二人を眺めて座って居た。
「実はちょっと前から。私が入ってきたことにも気にしないで二人とも真剣な顔してたから、ちょっと見てた」
「大河内凛、入ってくるならインターフォンくらい鳴らせよ!」
「だって、鍵空いてたし」
「……ま、いいや。そんなことより試験って、あの奨励会編入試験のことだよな?受けたって、マジ?」
「あぁ、うん。落ちちゃったけど」
彼女は手を広げ、その場に寝っ転がった。
「なんだよ、雑魚狩りできると思ったら、思ってたのと違って焦ったわー。そういうことなら早よ言えや」
「はははっ、いやー、しかし疲れました。凛さん、お菓子ください」
しかし、対局してみた感想だが……西園エリの将棋は特筆するほどでも無い気がする。
普通に強い。
それだけな気もする。
「神様的な才能」と、呼ばれる理由はよく分からなかった。
「リョー君、荷ほどきの手伝いは終わったの?」
「んー、パソコンの繋ぎ方は分からなかったけど、それ以外は終わったよ」
「パソコン?」
「そう、あれ」
雑に置いてあるパソコンに指を向ける。
「あぁー、なるほど……うんうん、多分だけど、私できるからやろうか?」
「え?」
「マジか、すげぇな」
凛さん、本当に何でもできるのか……
「西園さん、私がやっても本当にいいかしら?」
「あ、あぁ……頼む」
「じゃリョー君の家に戻って、この持ってきたお菓子でも食べてて」
【経過】
凛さんの言う通り、僕と西園エリは僕の家に戻った。
僕は少し時間がかかるのではないかな。と思っていたが……
「ただいま」
「凛さん、おかえり」
「どう、終わったの?」
「うん、あとは登録したら動くはずだよ」
30分ほどで帰ってきた。
凛さんはパソコンを繋げたことがあるのだろうか。一体いつ、どこで?
やはり、分からない事だらけだと、実感する。
「西園さん、今やる?」
「やる」
「んーじゃあ、他にも説明したいことあるから私も行かなきゃならないので、ちょっと家の中一人にするね、リョー君」
「はい、わかりました」
ガチンと扉が閉まった音がする。
これで一人の時間だ。
誰もいない自分の家はどこか新鮮だった。何せ最近では凛さんが家にいたから、家がしんと静まってるのに、どこか新鮮みを感じる。
と、新鮮さに浸っていたかったのだが、その数分後だった。
「にぃ、おかえりー」
「はぁ……」
「ん、なに。私が帰って途端に」
「おかえり、茉白。手洗えよ」
「そんな大きなため息つくと、幸せが抜けるよ」
騒がしい奴が帰ってきた。
一人の時間はすぐに終わったのだ。
「あれ、凛さんは?」
「ちょっとお隣に」
「へぇ、凛さんは人付き合い上手そうだから西園さんと上手くやっていけそうだね」
そういえば、茉白は西園エリが毎日ご飯を食べに家に来ることを知らないんだった。
……いや、ここはあえて伏せておこう。
秘密にして、茉白を驚かせてやろう。
「あ、にぃ。そういえば、家の前の信号であの人と通りすがったよ」
「あの人?」
「うん、えーと、誰だっけ…………」
茉白は頭をぐりぐりしながら、捻り出そうとする。
だが、その正体を彼女はすぐに思い出した。
「えっとぉ、あっ!思い出した!」
その時、茉白を驚かす前に、まず僕が驚かされるなんて、思いもしなかった。
まさか、あの人の名前が出るなんて……
茉白は家の前の信号で会ったと言った。
だが、17年間この土地に住んでいるから分かるが、その人は帰り道にそこを通るワケがない。むしろ彼女が居るなら逆方向にいるはずの人間が、そこに居たらしい。
その名は…… ─────
「そう、天音栞奈先輩だ!」




