episode.0 プロローグ〜僕は未だに恋をしている〜
僕の初めての恋は14歳の時だった。
でも、その彼女はもういない。
初めて彼女に会ったのは、たしか14歳の秋くらいの時だろうか─────
図書館を少し出た辺りで、とんとん、と肩をつつかれて、振り向く。
「ねぇ、これ置いてたよ。君のだよね」
心地のよい声でハッキリと彼女は言った。
僕は図書館にほぼ毎日通っているのだが、彼女は図書館に行けばよく見る顔だった。
毎度見る、とても綺麗な顔だった。
「あ、ああっ、すみません。ありがとうございます」
彼女の手には僕の筆箱があった。
僕はハッとし、焦りながら僕はそれを両手で添い、持つ。
まったく、忘れ物をしてしまうとは、僕も忘れっぽくなったと言うのか、老いたというのか。
だなんてことを14歳ながら思っていた。
しかし、彼女をこれまで遠くからしか見ていなかったのだが、近くで見れば見るほど彼女の顔は美しく、綺麗だ。
その綺麗な彼女は、終わった会話を少しだけ続ける。
「もう忘れちゃダメだよ」
「はい……すみません」
そう交わした後、彼女は目線を逸らした。
僕と彼女との少しの間を風が通り過ぎ、その音を聞いた後、彼女は僕に質問した。
「あのさ、変な質問だけど、君には私が何歳に見える?」
「……?」
なんとも唐突だった。
しかし、これはなかなかに困る質問だ。
実際より下の年齢を言うと失礼だし、上過ぎるのも失礼な気がする。
それにそもそも、女性を見る目を備えてない。そんな男がパッと年齢を当てられる訳がない。
……だけど、僕が来る度に僕は彼女の顔を見ている気がする。そんなことができるのは……大学生か?実際見た目もそれくらいだ。だとすると……。
「18とか、19くらいですかね」
予想は18〜23くらい。大学生と見積もってこれくらいか。ここまで絞れたのなら一番下めで答えるのが一番ダメージが少ないだろう。
そう僕が答えると、彼女はそっと頬を上げて。
「うん。そうよね。ありがと」
と、答える。
「じゃあ私は戻るね」
彼女は僕に背を向けた。優しい目を僕の顔に向けて、最後まで目線を僕に向ける。やがて顔が見えなくなると、彼女は歩いて図書館に戻って行った。
……だが、その背中を見て、彼女の不規則に揺れる長い髪を見て、感じる。
どことない違和感を覚え、感じることに。
僕は立ち止まっていた。
僕は暫く彼女の後ろ姿を見えていた。
なんだろう、この違和感は……。
そうしてる間に、彼女を認識した自動ドアが開いていく。そして、境界を踏む。もう少しで僕と彼女の声は届かなくなる。
届かなくなる……。
……。
「あっ、のぉ……」
喉に押し留めていた言葉が、突然、変な勢いで発声していた。
裏返った間抜けな声を、発していた。
「ん?なに?」
何故呼び止めたのか、僕にも分からない。
変な違和感があったから。でもそれは何かは分からなくて……ただ、それだけなのに。
「あっ、いや。なんでも……」
……ない。
……そういえば、この人とは初対面なのになんでこの人はタメ口なのだろうか。
僕の忘れ物を届けてくれるようないい人で、礼儀正しそうな人なのに。
僕はこの僅かの記憶を遡って、辿っていた。そうして違和感の正体を突き止めようとした。
……いや、でも違う。偶々この人がそういう人なのだろう。
多分この違和感の正体とは違うと思う。
でも……。
僕は大きく首を振って言った。
「僕、あなたに会ったこと、ありますか?」
ぐちゃぐちゃになった頭で、そう言葉を結んで繋いだ。
その言葉に彼女の表情は揺らいだ。
彼女はどこか驚いたようだった。
でも驚くだろう。
側から見たら意味のわからない質問されたらそりゃ驚くだろう。
けれども、初対面でのタメ口が違和感の正体だと思い込む僕は、そう切り出していた。
そう意味のわからない質問を問うていた。
「……多分、君は会ったことはないと思う」
と、彼女は冷静に、簡潔に答えて。
「あの、もういいかな?」
「……はい。だいじょうぶです」
「ねぇ」
「はい?」
「君って明日も来るよね」
「まぁ、はい」
「明日もこうやって少し話そうよ」
これがきっかけ。
これがこの物語の、僕と彼女の物語の始まりなのだった。
思えばあの違和感の正体は、今なら分かる。
というか単純過ぎて、なんで分からなかったのだろうと思う。
当時の僕は相当鈍感だったんだなって、心底思う。
だってそれは「恋」だから。
そう、恋。
僕は恋をしていたのだ。
でも、こんな恋はしない方がよかったと心底思う。
この恋は、報われない。
ただ、儚いだけ。
彼女は話しかける時に「(筆箱を)置いていた」と言っていた。それを聞いて僕は「老いているな」と感じた。
実際、僕は毎日少しずつ老いている。
でも、彼女はそうではない。
彼女は老いをどこかに置いていってしまっていた。
いや、それは少し表現が違うか。
置いていくままなら、それは不老だから。
本当を言えば不老である方がまだよかった。
しかし、彼女の場合は最悪だった。
彼女は老いもせず、日々、若返るのだ。
そう、だから……。
──僕は歳をとらず若返る君に、恋をする──