22.06.12 無題
「単刀直入に言おう。クリスティーヌ・フォン・カプレカント公爵令嬢。私との婚約を解消してくれ」
どこか達観したような理知的な灰の瞳で女を見据え、いつになく静謐な空気を纏い、この世で最も尊い存在が言葉を紡いだ。
クリスティーヌと呼ばれた女は、茶を飲む手をぴたりと止める。
「今――なんと」
女の表情は、穏やかなままだった。
「婚約を解消してくれと申し上げた」
――否。穏やかなまま、凍り付いていた。
茶を置く。茶器が細かく音を立てた。
「どうして、でしょうか」
目の前の男は長年の付き合いがあるクリスティーヌにすら、見せたことのない表情をしていた。
「――――」
そしてクリスティーヌは、その表情で全てを悟った。
「わたくしでは、役不足でしたか」
「そうではない」
何かを決意したような、そんな表情。
彼は、選択を極端に嫌がる人間だと思っていた。しかし、そうではなかったのだ。クリスティーヌは彼を誤解していたことを今更ながら知り、己の不明を恥じた。
「……わかりました。王太子殿下がそう仰るのならば、わたくしは従うのみ。これ以上の詮索はいたしません。直ちに手続きをいたしましょう」
「すまない。クリスティーヌ」
「――っ」
卑怯だ、と思った。
何もかもが。
「……いえ。お気になさらず。他にご用件はおありですか」
彼は首を横に振る。
それを確認したクリスティーヌは、立ち上がった。
「それでは殿下。ごきげんよう。また何かございましたら、我が家門を通してお知らせくださいませ」
「ああ」
クリスティーヌはドレスをつまみ、淑女らしく礼をする。
そしてそのまま、客間を退室した。
後ろを振り返ることはできなかった。
「……お嬢様」
クリスティーヌの後ろで扉を閉めた侍女が、機嫌を伺うように声を上げる。
「今は何も言わないで頂戴」
「失礼いたしました」
かつん、かつん、と大理石の廊下にクリスティーヌの足音が響き渡る。
「――今日はきっと、よく降るわね」
日をよく通す大きな窓からは、曇りひとつない青空が広がっていた。