過保護な魔王の過保護なじぃじ
こちら『過保護な魔王「我は別に勇者が好きだから手加減するのではないぞ! ほんとに!」(https://ncode.syosetu.com/n9737ep/)』の『宰相のキャラを立てる』という方向性での改稿になります。興味があれば比較して読んでみてください。
最初に出会った時、ソレはまだ自我さえあいまいな、赤子同然の存在であった。
魔王アンジェリカ。
燃えるような赤毛に、白い肌。
美しい女のカタチをしたソレこそが、『生ける災厄』と呼ばれる、魔族たちの――我々の、王らしかった。
「お目覚めか、我らが王よ」
呼びかけるも、ソレはなんら反応を示さなかった。
静かな瞳でどこか遠くを見つめている。
「……まあ、力が本物であれば、自我などどうでもよい。あなたはこれより、バラバラな魔族を統べ、人族に対抗する勢力を創り上げるのだ。おわかりか?」
自我のないソレは、それでも、同意を示すようにうなずいた。
ならば計画に変更はない。
魔族をまとめあげ、人族に死を。
伝承通りの――そして今、実際に目にして、そばにいるだけで肌が粟立つほどの魔王の力であれば、その野望はほどなく叶うであろう。
そう思っていた私を襲ったのは、予想もしていなかった種類の苦労だった。
◆
「あーあーあーあ! 食べ物をこぼすな!」
「……」
「あと服! 服の着方どうにかならんのか!」
「…………」
魔王は赤子同然であった。
己の世話さえ己でできない。
私は――魔族の中のさらに少数種族、滅びかけてはいるものの魔力量において魔王を除き最強と言われたはずのこの私は、いつしか魔王の世話に一日の多くの時間を費やすようになっていった。
服さえ着ることができず、まともに言葉を話すこともできない。
羞恥心はおろか、それ以外の感情さえまともに表さない。
食べ物はこぼす。食べながら歩き回る。
着替えも上手にできない。
よく転ぶ。
風呂に入れれば静かに沈み、目を離せば消える。
ほしい物を見つければじっと立ち止まって目でうったえかけてくるし、大きな声で叱れば泣き出す。
私は魔族統一戦の前に、この手間のかかる生き物の世話で過労死するかというところまで追い詰められた。
しかし、それでも。
「じぃ……」
「……どうされた、魔王よ」
「じぃじ」
「……今、なんと?」
「じぃじ!」
「私か! 私が、『じぃじ』か!」
「じぃじ!」
魔王が言葉を覚えた。
魔王が言うことを聞いた。
そして、魔王が――笑顔を浮かべた。
そうして成長していく魔王を見ていると、なぜだろう、ふとした瞬間に涙がこぼれそうになる。
苦労が報われているから?
それとも、手間のかかった魔王が、だんだんと手間のいらない存在になっていくから?
いやしかし、私は手間がかからなくなることを喜ぶ一方で、そのことを寂しくも思っている!
この気持ちはいったいなんなのだろう?
よくわからない。
あんまりにもよくわからないもので、反抗的な魔族勢力を焼き払ってみた。
スッキリはしたが、それは一過性のものでしかなく、また複雑な、よくわからない気持ちが胸の奥からこみ上げてくる。
いくつの部族を滅ぼせば、このモヤモヤはなくなるのだろう?
それともなくならないのだろうか?
わからない。私には、本当に、これがなにか、わからないのだ。
◆
「爺、嫌いよ」
ある日。
玉座で退屈そうにする彼女から放たれた言葉は、私の胸をかつてないほど深く抉った。
柄にもなく狼狽しつつ、そばの魔王へ問いかける。
「そ、それは……なにが、あなたの不興をかったのですか……? 爺は、あなたのためを思い常に……」
「『そういうの』がやなの! アンジェリカはもう子供じゃないの!」
「いえ、しかし、その……それは、わかっておりますが……」
「だったらあんまりなにもかも手を回すのやめてよね! 敵対勢力の壊滅ぐらい、アンジェリカ一人でもできるんだから!」
「ですが、ケガなどされたら……」
「アンジェリカは強いの! ケガなんかしないわよ!」
それはわかっている。
魔王が私より弱い存在であるならば、私は彼女を目覚めさせたりしなかったのだ。
だから、『敵対勢力の壊滅』なんて、なにも準備せず、彼女を単騎で行かせればそれでおしまいのはずなのは、わかっている。
けれど――
私は、彼女に『万が一』が起こるのを、恐れているのだった。
「とにかく、次の殲滅戦はアンジェリカ一人で行くからね!」
「で、ですが」
「『ですが』じゃない! 行くの!」
「……わかりました」
仕方がないので、反抗的なゴブリンの里殲滅戦に彼女一人で行かせた。
こっそり見守っていたのがバレたのと、ゴブリンは弱すぎたのとで、ますます彼女の機嫌を損ねることになってしまった。
◆
「……ねえ、爺。退屈じゃない?」
魔族統一もほぼ完了したある日のことだった。
玉座におさまる魔王の言葉に、私はうなずく。
「魔族統一もほぼ終わり、あとは勢力をまとめあげ人族に抗するのみ……非常に順調ですからな」
「人族は何度か撫でたけど、誰もかれも弱すぎて、魔族統一期以上に退屈な毎日になりそうね」
「それだけ、あなたのお力が強大であるということ。よいことです」
退屈とは、危険がないということだ。
彼女の毎日が、安穏としていて、平和――これは素晴らしいことだと思う。
「……ねえ、爺、こんな噂知ってる?」
「どのような噂ですかな?」
「『勇者』という存在が人族にはいるらしいわ。『大地に魔の気配が広がる時、世を安寧たらしめるため……』なんとかかんとか。とにかく、魔王に対抗する『勇者』っていうのが、人族に生まれるらしいの」
「なんと! では、早速その『勇者』を探しだし、殺してしまわねば!」
「そうじゃなくて! ……そうじゃなくって、爺、アンジェリカね、その『勇者』を育ててみようと思うの」
しばし、頭が真っ白になった。
「……ま、魔王様……なにを仰られるのですか! 勇者なんか育てたら危ないでしょう!」
「危ないからいいんじゃない! アンジェリカは目覚めてから今まで、全部勝って当たり前みたいな戦いばっかりで、退屈だったわ! でも、勇者なら、きちんと育てたらアンジェリカといい勝負してくれそうじゃない!」
「育てるって……育ちすぎたらどうするのですか!? だいたい、途中で飽きて私に世話を丸投げするでしょう!?」
「飽きないわよ! きちんと最後まで育てる!」
「いいえ、あなたは飽きっぽいのです! 拾ってきたヘルハウンドは、あなたが途中で飽きたから爺が育てて今や魔王城の番犬! 拾ってきたダークドラゴンは、あなたが『やっぱ変温動物は世話めんどい』とか言うから、それも爺が育てて、今や大広間の番人! そのほかトロールだってスライムだって最後は全部爺が――」
「あーもー! わかった! わかってる! わかってるけど、今度だけ! 今度はちゃんとやるから、お願い!」
魔王が玉座の肘当てに身を乗りだして懇願してくる。
私は――彼女の薄い紫の瞳に見つめられると、弱い。
「……わかりましたよ。その代わり、飽きたら殺しますからね」
「アンジェリカを!?」
「勇者をです! だいたい、『敵を育てる』などというのが、まず酔狂なのですから。そのあたりをしっかり考えて……」
「ありがと! 爺大好き! 実はね、もう勇者の居所は見つけてあるの! なんか育った村が焼けてすでに大ピンチっぽいからちょっと力貸してくるね! ちゃんと正体は隠すから!」
魔王は玉座から立ち上がり、どこかへ去って行った。
私はため息をつき、彼女のなびく赤い髪を見つめる。
まあ、きっと、これもすぐ飽きるだろう。
そう思っていた。
本当に――この時の私は、あり得ないぐらいお気楽だったと思う。
◆
「……ハァ……勇者……かわいい」
私が玉座へアフタヌーンティーセットを運んでいる時の発言であった。
私は手にした紅茶もスコーンもまとめて落としてしまい、魔王が慌てたように玉座から駆け寄ってきてそれらを魔術で宙にとどめた。
「爺!? ちょっとどうしたの!?」
「魔王様……今、なんとおっしゃいましたか……?」
「い、今!? 我は今なにか言ったか!?」
「『勇者かわいい』と……ええ、爺の聞き間違いかもしれませぬが」
「ああ……そうか、無意識で出てしまっていたのだな」
彼女は物憂げに瞳を伏せた。
最近所作がとみに大人びてきた彼女は、そうしていると見ている者の胸を締め付けるような、儚い美しさがある。
「爺……我は、恋をしているのかもしれぬ」
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
「爺!? 体が石になりかけているぞ!?」
「おっと」
あまりにも心を閉ざしたくなるような言葉が聞こえたので、自分に石化魔術を使ってしまったようだ。
しかし、その、なんだ。
「魔王様……魔王様が、勇者に恋を?」
「勇者を見ていると胸がしめつけられるようなのだ。時折、直に接触することもあるが……その時など、会話するだけで心拍数が上がる。この症状を『恋』以外のなんと呼べばよいか、我は知らぬのだ」
「『憎悪』でしょう」
「絶対違う」
真顔で否定されてしまった。
どうやら、認めがたいことに、魔王の気持ちはたしかなようだ。
「しかし魔王……魔王様……考えてみてくだされ。勇者とは『魔王を倒す伝説の人物』のはずではございませぬか。それに、魔王が恋などと……そんな馬鹿な」
「爺」
「なんです」
「魔王を馬鹿にするのはよいが、我の恋心を馬鹿にするのはならんぞ」
「……」
「そんなことをしてみろ。絶交だからな」
「…………」
「あと、勇者を殺そうとか思ってはならんぞ。もちろん、実行してもならん」
「……」
「そんなことしたら、永遠に絶交だからな」
ああ、世界に滅びあれ!
人族も魔族もまとめてすべて焼き払いたい気持ちだ!
殲滅せぬよう今まで生かさず生かさずたまに殺してやってきたというのに、それらすべて灰燼と帰したい!
この気持ちはきっと、憎悪なのだろう!
「しかし爺、爺は勇者のことをよく知らぬであろう? ならばこそ、我が勇者のなにを気に入ったかわからぬかもしれん」
「まあ勇者など目に入れたくもありませんからな……魔王様を殺す者などと、そんな……私のかわいい、魔王様を……」
「そこでだ、爺。一度、爺も勇者を直接見てくるといい。きっと気に入るぞ!」
「わかりました。魔王軍総力をあげて、勇者を見学に行きましょう」
「総力をあげるでない。こっそり一人で見てくればよいのだ。殺してはならんぞ。まだ勇者は弱いからな」
「殺さなければよろしいので?」
「我が怒らないと思うことならしてもよいぞ」
「なんですと!? それでは、永遠に悪夢に閉じ込めることも、物言わぬ石塊にしてしまうことも、魂を無数に分けて大陸中に散らしてしまうことも、指先からじっくりと生皮を剥ぐことも、生きるのに最低限必要な器官だけ残して瓶詰めしてしまうこともできないではありませんか!」
「うむ。なにをしたら我が怒るか、爺はしっかりわかっているようだ。さすがは我の爺だな」
「それほどでも……ありますかな」
「……なんと言うかな、我の好きな相手なのだ。爺にもしっかりと認めてほしいというか……我は爺も好いておるからな。その爺に我らの仲を認めてもらえたならば、嬉しいのだ。だから直接会って、見定めてほしい。頼めるか?」
「はい」
私は魔王の下知を快く承服した。
『勇者がどんな人物でも絶対に認めてやらない』とかたく誓いながら……
◆
「貴様が勇者か! 滅びあれ!」
街道で待ち受けていた私の前におとずれたのは、女性三人をはべらせたいけ好かないクソガキの姿であった。
死ね。
「わわっ、な、なんです!?」
勇者は剣を抜いた。
まだ幼い少年のようだが、魔王様にあれだけ熱をあげさせておいて、自分は女性三人と旅をしているなどと……
もげろ!
「……私は魔王様の側近だ。貴様の姿をひと目見ておけと言われたので、来た」
「魔王の、側近……!?」
その言葉を聞いたからだろう、勇者の仲間の女三人もそれぞれ武器を構えようとした。
しかし、その前に石化させた。
「みんなー!?」
「クククク……勇者よ……私と貴様にはこれほどの力の差がある。ひとにらみで貴様ら全員を石化させることなど容易い……」
「じゃ、じゃあ、なぜ、僕を石化させなかったんだ……?」
「事情があるのだ」
「……事情」
「そうだ。事情がある」
魔王様がこのガキをいたく気に入っていらっしゃる。
そういう事情がなければ思いつく限りでもっともひどい殺し方をしているところだ。
「勇者よ……魔王様のことはあきらめるのだ。さすれば貴様らは見逃してやろう」
「……魔王をあきらめる?」
「そうだ。すべての冒険をやめ、魔王城を目指すのをやめ、どこぞの片田舎で普通に暮らせばいい。そうすれば、貴様に手出しはしないと誓ってやろうと言っているのだ。魔王退治をやめた貴様にならば、魔王様ももはや興味はわくまい」
「それはできない……! 僕は、世界に住まう人々の希望を背負っている! 僕の背中を押してくれる人ある限り、僕は魔王を倒すことをあきらめない!」
「『あきらめない』と言うだけならば、誰でもできる! まだまだ弱いガキの分際で、その言葉の責任はとれるのか!」
「とれる!」
「ではここで死ね!」
殺す気はない。そんなことをしたら魔王に絶交されてしまう。
だが――殺気はみなぎらせて、本気で魔力を体にまとわせていく。
ただの魔族であれば、これだけで卒倒したり、戦意を失う者も少なくなかったが――
――クソガキは、こちらに向けて、一歩踏み出した。
「僕はあきらめない! たとえどんなに強大な敵でも、勇気が活路を拓いてくれた!」
「……勇気! 勇気勇気勇気! そんなもので実力差は埋まらない! 夢を見るのはやめることだな!」
「たしかに勇気は実力差を埋めてくれない。でも、勇気があれば――恐怖を前にしてもあきらめずに前に進めば、奇跡を起こすことができる!」
「フワフワしたことを言いおって! やはり貴様なんぞに魔王様は任せられん! この場で始末して――」
言いかけたその時だった。
私の正面に、燃えるような赤い髪の――仮面を被った美しい女が現れたのだ。
「勇者! ここはお姉さんに任せて、早く逃げるのだ!」
「謎のお姉さん!?」
「この男はお姉さんが食い止めるから! かわいい顔に傷とかつく前に、早く!」
「でも!」
「大丈夫だ! お姉さんは強いから!」
「……でも!」
「あーもうめんどくさい!」
仮面をかぶった美しい女は、私の腕を握り――かなり強めに握り――転移魔法を発動した。
「お姉さああああああん!?」
勇者の悲痛な叫びが、転移前の私の耳にとどいた。
◆
「……魔王様……その、『お姉さん』とはいったい……」
仮面を被った美しい女――魔王に転移させられ帰ってきた魔王城で、私はつい聞かずにはいられなかった。
魔王は仮面を外し、紫色の瞳をあらわにする。
「正体を隠して勇者に力を貸しているのだ。その時に、名乗る名も思いつかなかったもので、『お姉さん』とな」
「……」
「……お姉さん。よかろう? お姉さん……甘美な響きだ」
「…………左様で」
「で、爺、どうであった? 勇者はなかなか素敵な男の子であろう?」
「いえ」
「いえ!?」
「なんですかあの、主張ばかりで実力の伴っていないフワフワした若者は! あんなのに、こ、こ、こ、恋など! 爺は認めませんぞ!」
「実力は我がいずれつける!」
「具体的にはなにをやらせているのです!?」
「スライム、たくさん狩ったり……」
「スライム!? 雑魚の代名詞ではないですか! せめてオークとかトロールになさい!」
「我の勇者がケガをしたらどうする!?」
魔王の物言いに、思わず絶句した。
そんなことでは、あの貧弱勇者が魔王と戦えるぐらい強く育つのが、いつになるかわからない!
まったくこの魔王は、いったい誰に似たのやら……
過保護なのもたいがいにしたほうがいいと、私は思った。