アディショナルタイムの攻防 ~第1節 ズメウスブレス戦(アウェイ)Part6~
ファブニルからのボールを受けると、ドラコはすぐに相手ゴールに向き直りドリブルを開始した。
天野のシュートがキャッチされた瞬間、天野以外の前線にいたメンバー全員が守備に戻っていたため、ズメウスブレスが残していた三人のFWに対し、アージャスレプリゼントは数的優位で守備に立つことが出来ていた。
だが、攻撃に転じたズメウスブレス側からも、どんどん選手が攻撃に参加してくる。
ドリブルをするドラコに、左サイドハーフの根木島が体を寄せてボールを奪いに行く。
「うおらぁぁ!」
叫びつつ必死の形相で迫る根木島が体をぶつける前に、ドラコは保持していたボールを横パスでスロルグに出した。
「へっ、俺との勝負を避けやがったな、トカゲ野郎……」
「……偉大なる我ら竜人を、リザードマンなどと一緒にしないでもらおう」
ドラコは元々鋭い視線をさらに細く絞って言うと、ゴールに向かって走り出した。
ボールをもらったスロルグは、パスを受けるため一瞬スピードを緩めた隙に、武戒と右サイドバックの梶江に追いつかれた。
「スロルグ!」
FWバアンの声が飛んだ。バアンは羽を羽ばたかせて地上三メートル程の空中に浮かんでいた。スロルグは、そのバアン目がけてボールを蹴る。バアンは飛んできたボールを胸で斜め四十五度の角度に跳ね返すと、すぐさま着地。主審の笛は鳴らなかった。
「くそ、あんなパスをされたら、インターセプトのしようがない」
バアンのマークに付いていた柳塚は悔しそうに呟いた。
バアンが落としたボールはFWヴルムの足に渡った。ヴルムは俊足ドリブルでGK源馬の守るゴールに迫る。
「あの足の速いやつだ!」
叫びながら生田がチェックに行くが、生田が追いつくよりも早く、ヴルムはシュートを放った。が、
「うぉぉ!」
シュートコースを読んだ源馬は真正面からシュートボールをキャッチした。
「ナイス! 源馬!」
生田の声が飛ぶ間に、源馬が素早く蹴り出したボールはセンターラインを超えて武戒の足に収まった。そのままドリブルを仕掛けた武戒の前にDFロボロスが守備に立つが、武戒はドリブルのスピードを緩めない。
「気をつけろ! あの14番、また何かしてくるぞ!」
背後からのGKファブニルの声に、ロボロスは注意深く武戒の足を動きを目で追う。
武戒はロボロスと相まみえる瞬間、ボールの上に右足を乗せた。
「またあの技か!」
ロボロスは後半開始直後に武戒が見せたマルセイユルーレットを警戒して、自分の左側に意識を集中させる。
武戒はボールに乗せた右足を、先ほどと同じ手前ではなく左に引き、素早くボールを左足に持ち替えた。同時に右側、ロボロスから見て左側に傾けていた体ごと反対方向にスライドさせ、今度は時計回りに体を回転させるとロボロスの右側を抜けた。
「なにぃ?」
ニーズヘッグにしたのと同じように、武戒が自分の左側を抜くと思い込んでいたロボロスは完全に裏をかかれた。
再びドリブルの体勢に入った武戒だったが、ロボロスの右横を通り抜けた瞬間、前のめりにピッチに倒れた。主審の笛が鳴る。
「しまった!」
ロボロスは思わず尻尾を武戒の足に掛けて倒してしまっていた。ロボロスにイエローカードが提示され、アージャスレプリゼントはフリーキックを得た。
「すまん……」
ロボロスは倒れた武戒に手を出した。
「いいって」
武戒は笑顔を見せながらロボロスの差し出した手を握り返し、そのまま引き起こされた。
味方にも詫びの言葉を入れたロボロスに、ドラコが肩を叩いて、
「気にするな。それよりも、今は守備だ」
武戒が倒された位置、すなわちフリーキックの位置は相手ゴールから約斜め方向二十メートル。セットされたボールの前には柊が立った。
ズメウスブレスの選手らは、ボールから規定の距離(9.15メートル)離れた位置に立ち、自陣ゴールとの間に壁を作る。その背後ではGKファブニルが指示して壁になる選手の位置を微調整している。アージャスレプリゼント選手も壁の間、あるいはその周囲にポジションを取る。
その間、柊は大きな深呼吸で息を整え、頭の中でキックのイメージを描いていた。
敵味方選手の配置が完了し、主審が笛を鳴らした。
数歩後ろに下がった柊は、助走を付けて左足でボールを叩く。
大きく蹴り放たれたボールの軌道は、ゴールの枠を外れているかに見えた。が、空中を走るボールは徐々にカーブするように、いや、実際にカーブしながらその軌道を変えていく。GKファブニルはそれに気付いたが、もう遅かった。
「だぁぁぁーっ!」
見事なカーブを描いたボールがゴール左上隅に突き刺さった瞬間、柊は体を屈めてまぶたを閉じ、拳を握って吠えた。
「柊ーっ!」
武戒が柊の背中に飛びつく。弓と根木島も続けて柊と武戒に飛びついた。
「……何だ、あのキックは?」
「あの14番の見せた技といい、異世界人も魔法が使えるのか?」
GKファブニルとDFイルルは呆然とした顔で言い合った。
「スタジアム全体は魔法無効領域で覆われているわ。魔法の使用は不可能よ」
FWスロルグの掛けてきた言葉に、
「そんなことは分かっている!」
イルルは忌々しそうに答えた。
「ひいらぎぃー!」
ボールを抱えてセンターマークに戻る途中、破顔した生田が柊の頭をくしゃくしゃに撫でると、
「生田さん! やめて下さいよ!」
柊は叫びながら生田の手を振りほどいた。
再開キックオフの前に、主審が笛を吹いて試合を止める。
タッチライン際では、控えのズメウスブレス選手二人がユニフォーム姿になって準備をしていた。
「交代してきたな」
キャプテン柳塚は、ピッチからベンチに向かって歩いて行く二人の選手を見て呟いた。タッチライン際に立つ第四審が掲げるボードには〈11→12〉〈8→6〉と表示されていた。
場内アナウンスで、FW11番ヴルムに代わってMF12番オロが、MF8番ニーズヘッグに代わってDF6番ダハーカが交代することが告げられた。スタンドからは四人の交代選手それぞれにコールが送られた。
ズメウスブレス布陣
FW 7ドレイク 9バアン 10ドラコ 17スロルグ 12オロ
MF 14ラドン 6ダハーカ
DF 2ロボロス 4イルル 5ハムート
GK 1ファブニル
それを見たアージャスレプリゼント監督、明智川も動いた。
「片桐!」
明智川は、アップ中のFW17番片桐を呼んだ。
明智川が第四審に交代選手を告げると、第四審は手にしたボードに背番号を表示させて再びタッチライン際に立った。ボードには〈5→17〉と表示された。
「あと頼むぜ」
「ああ、任せろ」
MF根木島はFW片桐とハイタッチを交わしてピッチを退いた。
ベンチに戻る根木島に明智川が手を差し出して握手を求める。根木島がその手を握り返すと、明智川は根木島の肩を叩いて、
「お疲れ、根木島」
声を掛けて微笑んだ。
ピッチに入った片桐は監督からの指示を告げていた。それを聞いたアージャスレプリゼント選手らはポジションを若干変更し、4-3-3の並びになった。
アージャスレプリゼント布陣
FW 17片桐 11天野 9倉光
MF 14武戒 6柳塚 10柊
DF 3弓 4生田 2木住野 15梶江
GK 1源馬
「FWを増やしてきたか。一気に攻め込もうということか」
アージャスレプリゼントの新しい並びを見たドラコが呟いた。
選手交代が済み、ズメウスブレスのキックオフで試合が再開された。
交代で入った片桐がピッチを走り回りプレスを掛け、ボールを奪う。
天野と倉光は同時にゴールを向いたが、新しく入った12番オロと6番ダハーカは守備能力に長けた選手だった。巧みなポジショニングでFW陣の危険なエリアへの進入を許さない。
「このまま逃げ切ろうって腹だな……」
倉光は呟くと、パスを受け保持していたボールを後ろに蹴り出した。そのバックパスを柊が受ける。柊の位置はゴールから約三十メートル。選手交代後、ズメウスブレスは守備を固めたが、ドラコら三人のFWは前線に張っているままだったため、守備陣とFWとの間には広くスペースが空いていた。
柊は左脚を振り抜いてボールを蹴った。ゴール上のクロスバーを越えるかに見えたその軌道は守備陣の頭上を抜けると、がくり、と急激に落ちた。
「何?」
GKファブニルは落ちてくるボールを弾き出す。ボールの軌道は確実にゴール枠内を捉えていた。
「あの10番、またおかしなボールを……」
忌々しそうに呟いたファブニルはコーナーキックに備える。
コーナーに立っているのは柊ではなくFW天野だった。
「10番が蹴るのではないのか?」
守備ポジションに着いたDFイルルも訝しげに口にする。その柊はピッチ中央よりにポジションを取っている。
天野はショートコーナーを選択してピッチ上に蹴り出す。そのボールはまっすぐ柊に渡った。柊は即座に左脚を振る。
「ま、また!」
またしてもDFの頭上を越えた辺りから急激に落ちてきたボールを、ファブニルはすんでのところで弾き出す。
コーナーキックに向かったのは今度も天野だった。
第四審が〈3〉と表示されたボードを掲げると、場内スクリーンにも〈アディショナルタイム3分〉と表示が成された。その表示が消えると〈2対1〉と、現在の得点状況に表示は戻る。
時計も試合時間いっぱいの九十分を消費してカウントを止めた。ここからはアディショナルタイムとなる。
「おい」
交代で入ったDFダハーカが守備陣形を指示する。GKファブニルの前、ペナルティエリア前には、ロボロス、イルル、ハムートの三人が横並びになり、そのさらに前、五メートルほど距離を置いて、ドレイク、ラドン、ダハーカ、オロの四人がやはりゴールと水平に並んだ。ファブニルの前には二枚の壁が出来たことになる。
天野はやはりショートコーナーでボールを柊に渡した。
柊はすぐに左脚を振りかぶった。柊の足がボールに触れる瞬間、前方の壁を構成していた四人は羽を広げて舞い上がり、先ほどの柊のシュートコースを完全に塞ぐ形を作った。
ドラコたち三人のFWは身構えた。壁に当たり跳ね返ったセカンドボールをいつでも拾いに行ける体勢だった。
だが、柊の蹴り出したボールは壁に当たりはしなかった。柊は先ほどまでとは全く異なる、地を這うグラウンダーのボールを蹴り、そのボールは飛び上がった四人の真下をくぐり抜けていく。
ボールのほかにもうひとつ、四人の真下を通り抜けていく影があった。武戒だった。
武戒は柊の後ろに位置していたため、柊が蹴ったのを見てから走り出したのでは到底間に合うはずがない。武戒は柊がキックモーションに入った瞬間から駆け出していた。
徐々に速度を緩めたボールに武戒は追いついた。同時に左足インサイドでボールの勢いを止め、右足でボールを蹴り込む。
ボールは二枚目の壁を構成しているDF三人の頭上をふわりと越えた。
その三人の巨躯が障害となり、ファブニルからは武戒のキックモーションが見えていなかった。イルルの頭の向こうからボールが飛んでくるのが見えたときには、すでに遅かった。
伸ばしたファブニルの手は僅かにボールを掠ったが、その勢いを止めるには到底至らず、ぱさり、と静かな音を立ててボールはネットに触れた。