尾と羽 ~第1節 ズメウスブレス戦(アウェイ)Part3~
ホーム側、ズメウスブレスのベンチには、年老いたひとりの竜人が座っていた。
明智川がそれを横目で窺うと、ゼップが、
「ズメウスブレス監督のスマウグです。かつては竜騎神の異名を取り恐れられた歴戦の戦士です」
「今はサッカーチームの監督、ですか」
明智川はすぐに視線をピッチに戻した。
敵将スマウグはベンチに腰掛けたまま微動だにせず、ドラコのゴールが決まった瞬間さえ、ぴくり、と僅かに重そうなまぶたを動かしただけだった。
ピッチでは、ボールが中央のセンターマークに戻され、再びアージャスレプリゼントのキックオフで試合が再開された。
「武戒!」
天野からボールをもらった武戒に、右サイドハーフの柊が声を掛け、ボールを要求した。武戒は柊にパスを出し、自分も前線に走る。
柊はタッチラインぎりぎりをドリブルで疾走する。FWのドレイクがプレスを掛けてきたが、柊はボールを持ちすぎず、前線に上がった武戒にボールを返した。
武戒は走りながらパスを受け、ドリブルに移行して周囲を窺う。味方FW天野には敵MFラドンが、倉光にはMFニーズヘッグがマークに付いている。ボランチの柳塚は後方でフリーだった。その柳塚にはDFのイルルが出て来て対応しようとしている。
「武戒!」
柊の声がした。柊はドレイクのプレスを振り切り、敵陣奥深くまで侵入していた。武戒にはDFロボロスが突進してきている。
武戒は柊に足を向けパスを出そうとした、が、
「左!」
柊の声に咄嗟に足の方向を変え、ボールを左サイドに蹴り出した。ロボロスは途中で足を止めてボールの行方を目で追う。
左サイドでは、サイドハーフの根木島が敵陣に向かって単騎疾走していた。FWの天野と倉光が前線で動き回り敵MF、DFを引きつけておいたためフリーになっていたのだった。それを柊は見逃さなかった。
武戒がボールを蹴ると同時に、天野、倉光に加え、柳塚、柊も相手ペナルティエリアに向かって走り込んだ。
ボールを受けた根木島は左足からのクロスを蹴り入れる。
「誰か合わせろやー!」
ペナルティエリア内にいるのは、天野、倉光、柳塚、柊。ズメウスブレス選手は、GKファブニルの他、ラドン、ニーズヘッグ、イルル、ハムート。四対五の状況だった。が、そこに武戒も飛び込んでいき、敵味方は同数となる。その武戒の動きにDFラドンが気を取られたのか、天野へのマークが甘くなった。
「いける!」
天野は跳んだ。百八十センチの、このメンバーに混じっては小柄だが、人間としては十分な長身をピッチを蹴って伸ばした。が、そこに黒い影が覆い被さる。ボールの落下位置を見て、自分は柳塚のマークから外れてもよいと判断したハムートが天野の前に跳び上がり、さらに羽を広げて羽ばたいた。
何も邪魔が入らなければ、天野の頭にぴたりと合ったであろう根木島のクロスボールはハムートによって阻まれた。ハムートは地上三メートル以上の高さにあるボールを胸で受けた。
「あの高さで胸トラップかよ!」
クロスを入れた根木島が驚愕した。
ハムートは空中でもう一度羽ばたき、自分の胸に当たり跳ねたボールを滞空したまま蹴り出した。
ボールは一気にセンターライン付近まで飛んでいく。そこにはズメウスブレスの三人のFWが残っていた。右にスロルグ、左にバアン、そして中央にドラコ。右サイドからはMFヴルムも攻撃に参加すべく疾走してきていた。
ハムートの蹴り出したクリアボールを受けたのはバアンだった。トラップしてボールを落とすと同時にドリブルで相手ゴールに向かい、スロルグ、ドラコも併走する。
アージャスレプリゼント側は、二人のセンターバック、生田と木住野が迎撃に出た。
「生田さん! 左、来てます!」
最後尾から全ての選手の動きを見ていたGK源馬が声を張り上げる。
バアンが右に出したパスをドラコもスロルグもスルーし、遙か右サイドに抜けていくボールをタッチライン際で受けたのは、途中から攻撃参加したMFヴルムだった。かなり後方からのスタートだったにも関わらず、ヴルムは前線の三人の位置に追いついていた。
「あいつ、速ぇ!」
生田はFW陣のマークを木住野に任せ、自分がヴルムを追った。
ヴルムはボールをワンタッチで前線に蹴り出し、自分はピッチを蹴って跳躍すると背中の羽を広げて羽ばたく。二度、三度、その都度ヴルムの飛行速度は増していき、生田の、いや、人間の足では到底追いつけぬほどの速度となって源馬が守るゴールに迫った。
「完全に一対一だ!」
武戒が叫んだ。武戒たちもハムートがクリアボールを出した瞬間に自陣に戻るべく走っていたが、まったく間に合いはしなかった。
ヴルムがペナルティエリアに迫る。源馬が飛びだす。蹴り出された勢いを失ったボールはちょうど両者の中間地点、ペナルティエリアのぎりぎり内側に転がっていた。
「先に取れるか? 源馬」
戻りながら柳塚が呟いた。だが、ボールとの距離をより縮めているのはヴルムのほうだった。ヴルムが何度目かの羽ばたきを起こした瞬間、
甲高い笛の音が鳴った。主審が吹いたものだった。それを聞いたヴルムは「ちっ」と舌打ちをして着地、歩いて自陣に戻る。
「今のは?」
ベンチで明智川が訊いた。ゼップは、
「反則です。六秒以上地面から離れて滞空すると、〈ホバリング〉というファウルを取られるのです。もうひとつ、〈フライング〉という、ピッチから六メートル以上の高さに飛び上がることを禁止するファウルもあります。この世界のサッカー独自のルールです。申し訳ない。事前に説明すべきでした」
頭を下げたゼップに明智川は、
「いえ、あまり問題にはなりません。我々が犯しようのないファウルですから」
言うと少し笑った。
「運がよかったわね」
FWスロルグは、近くにいた武戒に声を掛け、
「六秒以上滞空したり、六メートル以上飛び上がるとファウルを取られるのよ。あなたたちも気を付けるのよ」
スロルグは最後に口に手を当て、あはは、と笑いながら自陣に戻った。
「何だそのふざけたルール! そんなファウル、取られてみたいわ!」
「落ち着け、武戒」
スロルグの背中に声を浴びせる武戒を、柊が背中を叩いて制した。
「でも、あれは一点ものだった。助かったのは事実だ」
「ああ……」
柊の言葉には武戒も同意した。
柊は、ファウルを取られたヴルムを見て、
「あの11番、速いな。要注意だ」
11番の背番号を付けたヴルムも柊と武戒を見返す。
ファウルのあった位置からフリーキックで試合は再開された。
その後、武戒たちアージャスレプリゼントは防戦一方となった。
ズメウスブレスのフィジカルの強さ、高さに翻弄され、危険なシュートを全員で体を投げ出して防ぐ。GK源馬が決定的なシュートを防いだのも一度や二度ではない。
アージャスレプリゼントの戦術は必然、自陣で奪ったボールを素早く前線に繋ぎゴールを目指す、カウンター狙いに傾いていった。
FWドラコのシュートはゴールポストを叩いた。跳ね返ったセカンドボール(こぼれ球)をセンターバックの木住野が拾い、すぐさまボランチの柳塚に渡す。柳塚はプレスを掛けに来る相手選手を十分引きつけてからパスを出し、武戒がそのボールを受ける。
武戒は中央をドリブル突破しつつ、プレスが掛かると柊にパス。ボールは柊の足元に渡ったが、武戒はまだ走り続けていた。
柊はドリブルを数歩で終わらせ、地を這うグラウンダーのパスを出した。相手選手の足が届くか、届かないかの絶妙なコースを抜けるボールを、FWドレイク、MFラドンともに見送るしかなかった。
そのパス軌道が描く将来線上に武戒が走り込む。まるでボールがそこへ来ることが予知出来ていたかのようだ。武戒はボールと合流した。
「やっぱりあいつら、いいコンビだな」
それを見た柳塚が、にやり、と笑った。
敵陣深くに侵入した武戒の前には、DFロボロスとGKファブニルの二人が立ちはだかるだけだった。
「武戒!」
「武戒!」
正面から天野、左サイドから根木島が同時に走り込んで来た。その動きに気を取られ、ロボロスは一瞬だけ視線を武戒から離した。その隙に武戒は左に動き、自分の体をDFロボロス、GKファブニルを結ぶ同一線上に置いた。ファブニルは、ロボロスの体に隠れた武戒の姿を視界に戻そうと右に半歩、体をスライドさせる。その瞬間、ボールは左から飛んできた。
武戒は左に動くと同時にボールを右に出し、そこへフリーの柊が走り込みシュートを放ったのだった。
ファブニルは完全に体の重心を右に傾けていた。が、ボールは左からゴールネット目がけて飛んでくる。足を踏ん張り左に跳んでシュートを防ぐことは不可能だった。普通の人間ならば。
柊のシュートはゴールラインを越える前に止められた。止めたのは、竜人の中でも一際太く長いファブニルの尾だった。尾はそのまま振り抜かれ、ボールをクリアする。
「戻れ!」
柳塚の声が響いたが、武戒と柊の二人は呆然としたままペナルティエリア内から動けなかった。
クリアボールは前線に残っていたドラコが拾い、ドリブルでゴールに迫る。その左右をバアンとスロルグも併走する。
あまり敵陣深くに入り込んでいなかった柳塚と、センターバックの二人で迎撃に出る。GK源馬を入れれば四対三。
バアンとスロルグが大きく左右に広がった。柳塚と木住野はそれぞれパスコースを切るためマークに付き、残るドラコと生田の一騎打ちの形となった。
「ファウル覚悟で止めるしかねぇ……」
自分が抜かれたらあとは敵とGKの一対一。プロフェッショナルファウル(相手が得点確実という状況で、あえてファウルを犯して相手選手を止める行為)も辞さない心づもりで、生田はドラコを見据えた。
生田との距離を三メートル程度にまで詰めると、ドラコはボールを高く蹴り上げた。放物線を描くボールは生田の頭上を越えていく。
「右? 左か?」
生田は、ドラコが自分の左右どちらを抜けていくかに全神経を集中させる。よりゴールに近い方は自分の左だが……
ドラコが抜けたのは左ではなく、また右でもなかった。ドラコは自らが蹴り上げたボールと同じ軌道で抜けた。生田の目の前でジャンプしたドラコは羽を羽ばたかせ、生田の上に影を落としながらその頭上を飛び越えた。
生田の背後数メートル先に着地したドラコは芝の上に転がったボールを足に収める。滞空時間は四秒程度。ホバリングのファウルを取られるまでには至らなかった。
ドラコの着地点からゴールまでは、まだ十メートル以上の距離があったが、ドラコは即座にシュートを放った。
「そこから打つのか!」
シュートを打つのは、もう少しドリブルで寄せてからだろうとの源馬の予想は完全に裏切られた。が、源馬は横っ飛びで体を投げ出しシュートを弾いた。弾かれたボールはペナルティエリアにふわりと浮かぶ。そこへ、バアン、スロルグに加え、俊足のMFヴルムまでもが追いつき我先にとボールに突進した。
ピッチに倒れ込んだままの源馬に、起き上がって追撃を止める時間は与えられなかった。
主審の笛が鳴り、
「ゴォォォォォォォーーール!!!」
ゴールを告げる場内アナウンスが再び響いた。同時に歓声が沸き上がる。
「最後に触ったのは俺だぜ」
「あら、私よ」
「馬鹿言え、俺だ」
ペナルティエリアに飛び込んだ三人は、喜びを露わにする前に、誰のゴールだったかで揉めていた。
自陣ゴールが揺らされた瞬間も、武戒と柊は未だ敵陣内で立ち尽くしていた。
「いいのか? 戻らなくて」
敵GKファブニルに促されると、ようやく二人はセンターサークルへ走っていった。
戻り際に武戒はファブニルの顔を振り向く。ファブニルは笑っていた。
センターマークに戻されたボールを天野が蹴った瞬間、前半四十五分終了を告げる主審の笛が鳴った。