異世界でもピッチは四角くボールは丸い
途中一度休憩を挟み三時間程度を掛けて、武戒たちを乗せた三台の馬車は目的地に到着した。
「ようこそ。ここが我々人間国の首都。〈ソルグラ〉です」
馬車を降りた武戒たちは感嘆の声を上げた。そこは地球の中世ヨーロッパに近い町並みで、石畳に舗装された街路を多くの人や馬車が行き来している。
「あの馬車の馬は普通だな」
通りを進む馬車を引く馬を見て生田が言った。
「ええ、豪馬は長距離の高速移動に向いてはおりますが、こういった町中で取り回すにはいささか力が余りますので。皆さん、こちらに」
ゼップは答えながら目の前に建つ建物の扉を押した。武戒たちもそのあとに続いて屋内に入っていく。
「この建物が我々の本部です。皆さんには、遠出の遠征のとき以外はここで寝泊まりをして暮らしていただきます」
外見から本部建物は四階建てで、平面的にも広いスペースを取っているようだった。
「皆さんのお部屋は二階から三階に用意してあります。個室となっておりますので、お好きな部屋を」
「個室くれるの? やった!」
ゼップの言葉にDFの弓は拳を握る。それを見て微笑んだゼップは、
「このあと、少し休憩が終わりましたら一階の食堂で夕食といたします。時間になったらお呼びいたしますので、それまではくつろいでいて下さい」
「待って下さい、ゼップさん」
一礼して一行のもとを離れようとしたゼップを、明智川が呼び止めた。
「ゼップさん、夕食の喉の通りをよくするためにも、はっきりさせておきたいことがあります。ちょっと話せますか?」
「……何でしょうか」
ゼップは中途半端に振り向いた姿勢のまま、明智川と話す。
「我々は、どうしたら元の世界に帰られるのですか?」
明智川の言葉にゼップは視線を落とした。
「アッコさん、誰もが恐れて口にしなかったことを言っちまったな。そんな手段はねぇ、って突っぱねられるのが怖くて誰も訊けなかったことをよ」
生田が隣の柳塚の耳元で囁く。柳塚も頷いて、
「ええ、ですが、なるべく早くはっきりさせておかないといけないことです。後回しには出来ません」
ゼップはため息をつくと、
「それについても、夕食のときにお話することになります。皆さん、この場はどうか、お部屋でお休み下さい」
「……分かりました」明智川はゼップを詰問するのをやめ、選手らに振り向くと、「よし、お前ら、部屋割りは勝手に決めていいぞ。ただし、生田、お前の部屋は私から一番遠い場所な」
「何でだよ、アッコさん!」
選手たちは一斉に二階への階段を駆け上っていった。
それから三十分ほどで夕食の時間となった。全員がスーツから、各自持ち込んだ荷物に入れていた普段着に着替えていた。夕食のメニューはパンと肉、野菜を入れた煮物という献立だった。
「結構美味いな」
「そうだね。これも魔法のおかげなのかな?」
柊と武戒が、そこ以外でもテーブルのあちこちで歓談の声とともに食事が進む中、
「皆さん」
ゼップが食堂に入ってきた。その後ろから、もうひとりの人物が歩いてくる。男性だった。歓談の声はやみ、皆はその人物に注視した。
「こちら、アロガンテ協会長です」
ゼップは一歩横に移動し、後ろに歩いてきた男性を紹介した。
「皆さん、ようこそ。私が人間国〈アージャス〉サッカー協会長のアロガンテです」
男性は一礼したが、武戒らが会釈する前にすぐに頭を上げた。隣に立つゼップよりも明らかにいい身なりをしている。歳の頃は四十台半ばといったところ。黒い髪をなでつけ、鋭い視線を選手らに投げている。アロガンテと名乗った男は、
「私が皆さんをこの世界に呼んだのです」
「ゼップさんでは?」
明智川の声にアロガンテは、
「ゼップは私の命令に従ったまでです。我が人間国アージャス優勝のためには、どうしても異世界人であるあなたがたの協力が必要だった。本来であれば事前に綿密な打ち合わせを行い、納得の上でお越しいただきたかったのですが、なにぶん召喚秘術は使用出来る条件が極度に限られてしまうもので、こちらの思うように扱えずに、失礼した」
アロガンテはそこまで言ったが、言葉と裏腹に背筋を張り武戒たちを見回すだけで、態度に示しはしなかった。代わりにとばかりにか、ゼップが小さく頭を下げた。明智川は、
「それで、アロガンテさん。私たちはどうしたら元の世界に戻ることが出来るのですか。またその召喚術というものを使わなければならないのですか?」
アロガンテは明智川の目を、眼鏡越しの大きな目を見つめたまま、
「残念ながら、今申し上げたように召喚秘術は人知を超えた大秘術です。おいそれとコントロール出来ない。恐らく……向こう三十年間は使用不可能でしょう」
「何だって! どういうことだよ!」
立ち上がって武戒が叫んだ。「落ち着け、武戒」と隣の柊が武戒の腕を掴んで座らせる。
「三十年も俺たちにここで暮らせってのか?」
続けて生田も立ち上がって語気を荒げる。「生田さん」と、こちらはキャプテンの柳塚が制した。
そんな二人の様子と、一様に不安げな表情を見せる選手たちの顔を見回してアロガンテは、
「ですが、方法はあります。〈ゼース杯〉を手にすることです」
「ぜーすはい? 何だそりゃ?」
柳塚に促されて座った生田が訊いた。アロガンテは、片方の口角を曲げ笑みをこぼすと、
「偉大なる主神ゼースの力を宿した聖なる杯です。その力があれば、召喚秘術を我々の手でコントロールすることも可能となります」
「で、その杯は、どうやったら手に入るんだよ!」
「……もしかして」
生田は再び声を荒げ、明智川は神妙な表情になって呟いた。
「さすがに監督さんは察しがよい。そうです」アロガンテは選手全員を見回してから、「聖なるゼース杯は、リーグ戦優勝チームへの副賞として与えられるのです」
「やっぱり……」
「何だって!」
「おい! ということは……」
明智川は予想通りという顔でため息混じりに呟き、武戒と生田は同時に叫んだ。テーブルのそこかしこでも、さざめきが立つ。
「そうです。あなた方がこの大会で優勝する以外に、元の世界に帰る方法はないのです!」
「ふざっけんなよ、てめえ!」
「生田さん!」
椅子を鳴らして席を立ち、大股でアロガンテのもとに向かう生田を、柳塚と、GKの源馬が二人がかりで止めた。アロガンテは涼しい顔で微動だにしないまま、
「ということです。皆さん、次の試合は一週間後。この町の中心に建つ〈ソルグラスタジアム〉で行われます。ホーム開幕戦ですからね。よろしく頼みますよ」
と言い残すと、踵を返して食堂を出て行った。その背中を見送ってから、ゼップは小さくなり、
「申し訳ありません。皆さんがこの世界で目を覚まされた直後に、私の口からお伝えするべきだったのですが……」
「ゼップさん」と明智川は声を掛け、ゼップの顔を上げさせて、「もしそれを試合前に聞いていたら、とても冷静なプレイは出来ませんでしたよ……特に生田は」
「アッコさん! 何で俺ばっかり!」
食堂に生田以外全員の選手の笑い声が響き、空気は少しだけ緩和された。明智川も笑みを漏らし、選手たちに振り向くと、
「いいかお前ら。もうここまで来たら、何だかんだ文句垂れるのはなしだ。やるしかないんだ。だが、決して悪い話じゃあないだろう」
「悪い話じゃないって、監督、何が?」
手を上げて訊いた柊に、明智川は微笑みかけてから全員に向かって、
「私たちはあろうことか異世界なんていうとんでもないところに連れてこられた。でだ、ここで私たちは、武器を取って魔王を倒せだとか、ロボットに乗って世界を救えだとかいう無理難題を押しつけられたわけじゃない。私たちがやるのはサッカーだ。私たちは何者だ? 勇者とそのご一行か? 何とかの騎士団の生まれ変わりか? 違うだろ、私たちはサッカーチームだ。アンダー21とはいえ日本代表だ。一番得意なことをやれと言われている。どうだ、悪い話じゃないだろう」
「ま、まあ、ゴブリンとかと戦えと言われるよりは、ずっといいとは思うけど……」
武戒が頭を掻いた。明智川はもう一度微笑んで、
「『ピッチはいつだって四角いし、ボールはどこでも丸い』ロナウジーニョの名言だ。この名言を借りるならさしずめ、『異世界でもピッチは四角いし、ボールは丸い』ってとこだ」
「……ああ、そうだな。監督の言うとおりだ」
キャプテンの柳塚が立ち上がった。
「やってやろうぜ。要は、優勝すればいいんだろ」
「そうだよ、武戒!」
武戒の言葉に、柊が答えて背中を叩いた。生田も立ち上がって、
「おお! 俺たちはあの羽と尻尾が生えた怪物相手でも引き分けたんだぜ! これから慣れていきゃあ、もっとやれるようになるってもんだぜ!」
「生田、『怪物』って差別用語だそうだぞ、気をつけろ」
明智川が言うと、生田は、
「あ! そういや、根木島、お前、あいつらに『トカゲ野郎』って言って怒鳴られてただろ! 侮蔑行為でレッドカードだ! 一発レッド!」
「味方に対してそれはないでしょ! 生田さん!」
食堂内は笑い声に包まれた。
明智川はゼップを見て微笑むと、ゼップは深々と一礼した。