日本代表、異世界へ
20XX年。日本はついにサッカーワールドカップ優勝の悲願を果たした。
寂れた公園の片隅に置かれたベンチに、号外を手にしたひとりの男が座っている。
〈W杯日本優勝!〉白地に青で抜かれた大見出しの文字、〈武戒決勝ゴール!〉の小見出し、そして記事本文と、男は号外新聞に目を走らせていく。
目深に被ったフードのため窺い知ることは出来ないが、記事を読む男の目が赤く光を放っているのは、異世界の言語を読むため、〈魔読〉の魔法を使っていることの証左だった。
「〈……ワールドカップ優勝、すなわち、人間で一番強いチーム……〉」
日本語ではない、この星のどこにもない言語で男は呟くと、折りたたんだ号外を懐にしまい公園をあとにした。
「運転手さん、道が違うのでは?」
観光用バスの最前列シートに座っていた女性が運転席に声を掛けた。
ハンドルを握る運転手は、女性の声には答えずハンドルを握りアクセルを踏み続けるだけだった。バスは夜の町中を走っていたが、その進路を人里離れた方向へと変えつつある。
「ホテルから来るとき、こんな道通りましたっけ?」
運転手に声を掛けた女性のすぐ後ろの席に座っていた男性も、女性と同じにバスの進路に違和感を憶えた。
座席の窓ガラスの向こうに見える風景は道路灯もまばらな暗い林。男性が口にした通り、ホテルから練習場までの往路では明らかにこんな道は通らなかった。
「どうした? 武戒……」
その隣、窓際の席で眠っていた男性も、まぶたを擦りながら声を出す。
「柊、変だ――」
武戒と呼ばれた男性がそこまで言ったとき、バスのフロントガラス越しに強烈な光が投げかけられた。
「うわぁっ!」
「おわっ!」
武戒、柊とも叫びながらまぶたを閉じ、その前の席の女性も眼鏡越しに手をかざす。その細められた目は、前方に迫る異様なものを捉えていた。
「――運転手さん! ぶつかる!」
女性は叫ぶが、運転手はやはり答えない。何の躊躇う素振りも見せずに変わらずアクセルペダルを踏み続けている。
バスが正面からぶつかろうとしているのは、巨大な光のトンネルだった。
トンネルは、まったく速度を緩めないまま突っ込んで来たバスを飲み込むと一瞬でその口を閉じた。
「……起きたか、武戒」
まぶたを開いた武戒に声が掛けられた。
「……あ、監督」
ゆっくりと完全にまぶたを開けた武戒は、自分を見下ろす眼鏡を掛けた女性の顔を見ながら呟くと、
「あれ……ここは……?」
上体を起こして周囲を見回す。武戒はベッドに寝かされていた。
女性は掛けている眼鏡を指で押し上げて、
「お前が最後だ」
と、ため息を吐いた。その顔には、困惑、恐れ、あらゆる負の感情がない交ぜになったような表情が貼り付いている。
「ホテル……じゃないですよね?」
ベッドを出て床に立った武戒は、改めて自分の回りを見回した。そこは、壁も床も天井も全てが木造の広い部屋で、自身が寝ていたものと同じベッドが全部で十九床、所狭しと並べてあった。
「ついてこい」
監督と呼ばれた女性は振り向き、出入り口のドアに向かった。武戒も足元に置いてあった自分の革靴に足を入れ、あとを追う。武戒はスーツ姿のままベッドに寝かせられていた。
目の前を歩く、身長にして百五十センチに満たない小柄な監督の背中に掛かるセミロングの黒髪を見下ろしながら、武戒は、わけがわからない、という顔で首を傾げた。
ドアを出て廊下を歩く。窓から明るく陽光が降り注いでいるのを見た武戒は、
「夜が明けてますね。俺たち、一晩ここで寝てたってことなんですか?」
監督の背中に声を掛けたが、
「一晩か……一晩と言えるのかどうか……」
監督は振り向きもせず、歩みを緩めるでもなく、そう返しただけだった。
窓の外には林が広がっており、建築物はひとつも目に出来なかった。
監督は廊下の突き当たりにあるドアを開ける。
「おー、武戒!」
「武戒!」
「起きたか、武戒!」
監督のあとに続いて広間に足を踏み入れた武戒を仲間たちの声が迎えた。その誰もが揃いのスーツを着ている。監督も女性用パンツスーツ姿。全員バスの中にいたときとまったく同じ格好だった。
「柊」
武戒は、バスで隣の席だった整った顔立ちの男性の名を安堵の声で呼び、笑顔で歩み寄ったが、
「武戒、えらいことになったみたいだぞ」
椅子に座っていた柊は立ちがると、不安そうな表情でそれに答えた。柊以外も皆、一様に同じような表情を見せている。監督も同じだった。
「どうしたんだよ、みんな……だいたい、ここ、どこなんだ?」
「……異世界だって」
「え?」
柊の言葉に武戒は固まった。その後ろから監督の女性が、
「私たちに、この世界でサッカーをやれということだそうだ」
「……は?」
武戒がきょとんとした顔をする中。
「これで全員お目覚めですね」
武戒が入った反対側の壁のドアから、ひとりの男性が入ってきた。年の頃は五十代後半程度に見える。簡易でゆったりとした服を着ており、足元は皮のブーツだった。
「キックオフまで時間がありません。さっそくスタジアムに」
温和な表情とは裏腹な緊張を帯びさせた声で男性は言うと、つい今しがた出て来たドアへ引き返した。
「……行くぞ」
監督は嘆息してから口にすると、声を掛けた男性を追うように歩き出す。椅子に座っていた他の男性らも、次々に立ち上がって監督のあとに続いた。
「おい、柊……」
最後尾についた武戒は、すぐ前を歩く柊に、
「全然話が見えないんだけど……」
柊は振り向いて、
「お前だけ起きるの遅かったからな。その間に監督と俺たちは簡単に事情を聞いたんだ。歩きながら話すよ」
そう告げた柊の顔には、諦めきったような乾いた表情が見て取れた。
〈異世界アルティーナ〉それがこの世界の名前。異世界というが、それは武戒たちがいた世界を基準にしてのこと。アルティーナ側から見れば、武戒たちのいた世界のほうが異世界という認識になるのは言うまでもない。
そのアルティーナに住む人間が世界間の壁を越え、武戒たちを召還した。目的は、この世界で行われるサッカーのリーグ戦に〈人間代表〉として出場させること。
アルティーナには人間の他に、エルフ、ドワーフ、リザードマンを始めとした、多くの亜人種と呼ばれる種族が住んでいる。四年に一度、それら各種族が代表チームを組織して総当たりリーグ戦を行うのだ。目的は代理戦争。
かつてこのアルティーナでは種族間の激しい戦争が絶え間なく行われていた。このまま戦争を続けては、どの種族も皆滅んでしまうと危惧した神々は、地上に武力に代わる新たなる勝負の概念を持ち込んだ。それが、サッカー。
永い戦争で疲弊していた各種族は、この提案を受け入れた。ばかりか、この話を聞くと今まで各陣営に傭兵的に雇われていたものたちの中で、ひとつの種族としてのまとまりを見せて参戦してくる種族も現れ始めた。種族としての数の絶対数では劣るが、選抜された11人対11人のフィールド内での勝負であれば負けない、と感じたものが多くいたのだった。
過去、十六年で行われた四回のリーグ戦で人間代表チームは連戦連敗。全体会で最下位に沈むという無残な結果に終わっていた。
そして先の大会終了後、四年後に向けて新たに人間代表チームが結成されたが、まったく士気は上がらず停滞ムードのまま四年が経ち次の大会を迎えてしまった。
人間属の各組織代表が集まり開かれた集会で、チームの解散が決まった。同時に、秘中の秘である召還術を使い、異世界からまったく新しいチームを連れてくることを決めた。
人間だけが住む異世界があり、そこでも同じサッカー、あるいはフットボールと呼ばれる勝負が行われていることは調査で分かっていた。
「……と、いうわけなんだ」
「……」
柊に説明を受け、「ああ、そういうことか」などと納得出来るはずもない。武戒は狐に摘まれたようなその表情を微動だにさせなかった。
「それでな」
柊の話は続き、
「俺たちに、この世界の言語を理解させるための魔法を施して、全員が目覚めるのを待ってたそうだ。ところが、異世界召還っていう大秘術は決められた日取りでしか出来ないから、俺たちが呼ばれたのは、こうして大会初日の直前になってしまった、と」
「なってしまった、って……」
話を聞くうちに武戒を始め一行は、木造の建物を出てしばらく歩き、巨大な石造りの建築物の目の前まで来ていた。その建築物の中から聞こえるのは、
「か、歓声?」
武戒は立ち止まった。