つまらない人間
ある日のネットで、人は20歳を過ぎると体感時間が折り返し地点に来るという情報を知った。もちろん、ネットで見かけたことであるから本当のことかは断言できない。
しかし、もしあの情報が本当のことであるとするならば、大学2年生で20歳になった俺—―琴吹朱鷺はいま人生の折り返し地点に立っているということになる。そう思うとなんだが感慨深い気もするのだが、同時にこれからの人生に対しての不安も湧き上がってくる。
例えば、就職。自分自身に大した能力もないし、自慢できる技術だってない。面接はどうやって切り抜けるかなんて想像もできない。もし、うまくいって就職できたとして、どの会社でどのくらいどのようにして仕事をしているのかも想像できない。つまり、将来について何も考えてないのだ。
今頑張っていることは?—―なんて聞かれたら、「バイトです」としか答えられない普通でつまんない人間なのである。
生まれて20年経って、この程度の人間にしかなれなかった自分を、正直笑えない。だが、こんな人間が世界の大半を占めているのだから、このままでもいいような気がするのも不思議である。
それにしても、なんでこんな独白みたいなことをしているかというと、ものすごく暇なのである。バイト中であるが、このコンビニはつぶれないのが不思議なくらい客がこない。自分のやらなければならない仕事はすべて終わってしまったし、客も来なければそれはもう瞑想ぐらいしかやることがない。マジで修行僧になれるかもしれない。
そして、暇つぶしに商品の前出しや掃除やらをしているうちに時間が20時半になった。バイトは17時から22時までなのであと1時間ちょっとだ。この時間になると、俺はオーブンの電源を入れる。焼き鳥を作るためだ。本来の業務では、この時間帯に焼き鳥は作らない。なぜなら客が来ないからだ。だからおそらく俺以外の人はこんな時間に焼き鳥を作ろうとは思わないだろう。
そういう風に店長には言われているが、俺はこの時間に焼き鳥を作る。なぜなら知っているからだ。このコンビニの焼き鳥をこよなく愛する女の子のことを。俺は温まったオーブンの中に冷凍の焼き鳥を入れて待つ。出来上がった焼き鳥を古くなった焼き鳥と交換する。そんなことを繰り返していると、入店のチャイムが鳴る。あの女の子が来た。
俺は、入口の方に目を向けて、「こんばんは。いらっしゃいませー」と言いながら視界に女の子を入れた。女の子の第一印象は『綺麗』だ。肩までかかった艶やかな黒髪。小さくて細いけど病的ではなくバランスの取れた肢体、そして凛々しい顔。その表情は『気品』と『厳格さ』が同居している。花で例えると梅とランタナを合わせた感じ。わけわからん。
その女の子は店に入ると、一番先に店員である俺に視線を送る。そして、店員が俺であることを確認するとちょっとだけこぶしを握るのだ。まるで「よっしゃ、今日は当たりだ」というような仕草はたまらなく可愛い。顔が無表情なのがなお可愛い。これだけでも焼き鳥を焼きなおした甲斐があったもんだ。
彼女は他の商品には一瞥もくれず、まっすぐにレジまでやってくる。そして言うのだ。
「焼き鳥全部ください」
俺は、「かしこまりました」と返事をして、焼き鳥を専用の紙で包んでいく。数は10数個。彼女は、ワクワクと擬音が出そうな表情をしながら待っている。俺はその表情を時折見ながら黙々と作業をする。正直この時間が好きだ。この時間だけはコンビニでバイトしていてよかったと思う。
そして作業を終え、会計を終えた少女は店を出ていく。店の外でどんな表情をしながら焼き鳥を食べているのか知ることはできないのが少し残念だ。
「掃除屋も帰ったし、もう少しでバイト終わりか」
んー、と伸びをしながら独り言を言う。俺は、彼女のことを基本「掃除屋」と呼んでいる。焼き鳥を一つ残らず買っていくからだ。たぶんそう呼んでいるのは俺だけだが。
あとは、焼き鳥を入れていた皿を洗って、レジの点検をして、たまに客の相手をしてバイトは終了だ。そう思って皿を洗っていて、ふと気配を感じた。振り返ると掃除屋の少女がいた。
「どうかしましたか?」
「……」
いや、なんか言ってくれよ。
彼女はずっと無表情で俺の顔を見てる。店を出てすぐに戻ってきたのだろうか。どうして戻ってきたのかはわからないが、とりあえず何か言うのを待ってみる。
どれくらい時間が経ったのだろうか。いや、たぶん1分も時間は経っていないが居心地が悪い。しかも見つめあっている状況である。女の子に慣れていない俺からすればなんか恥ずかしい。
「今日、仕事は何時に終わりますか?」
なんかわけもわからない羞恥を感じていると、彼女が無表情で質問をしてきた。咄嗟に「22時です」と答えそうになったが直前になって止めた。
なぜ俺にこんな質問をしてくるのか? 普通はこんな質問をコンビニ店員にするだろうか?
俺は思考を加速させる。この質問は軽く答えてしまっては駄目だ。もしかしたら、これは何かの問題かもしれない。これで軽く安易なことを言うと「はん、その程度か」と吐き捨てて二度と店に来ないかもしれない。それは駄目だ。彼女はバイトにおける癒しだ。失ってはならない。
だから考える。なぜこんな質問をするのか。俺はコンビニ店員で彼女は客だ。何の接点もない。いや、待てよ? 俺は男で彼女は女だ。
そう考えた瞬間、天啓が下りてきた。これはナンパではないかと。つまり、彼女は俺に惚れてしまったのではないかと。毎回彼女は新しく焼き鳥を作ってくれる俺に好意を寄せてしまったのではないか? そして今日、我慢しきれず告白しにきたのではないのか?
だが、考えてほしい。彼女は、顔こそ凛々しくて大人っぽいが全体的に見ると幼い。中学生か、もしかしたら小学生かもしれない。そんな子と付き合えば俺は間違いなくロリコンのレッテルを張られる。そして、逮捕されるだろう。
つまり、駄目だ。彼女には悪いがここはきっぱりと断ろう。そうすれば彼女の傷も小さく済むだろう。彼女のためだ。ここは男らしく……
「ごめん。君とは付きあえな」
「なにか勘違いしてるみたいですが違います」
ですよね。分かってましたとも。ええ、ほんとに。彼女は何か虫を見るみたいな視線で見てくる。心が痛い。
「冗談です。22時ですが、それが何でしょうか?」
次は素直に答える。これ以上その視線で見られると自殺をしてしまいそうになる。特殊な性癖はないのだ。
「どちらの方向に帰りますか」
帰ってきたのはまたしても質問だ。いったい何の意図を持ってこんな質問をしてくるのだろうか。
「店を出て左方向に曲がってまっすぐですね」
これも素直に答えておく。これぐらいだったら大丈夫だろう。しかし、返答を聞いた彼女は顔を顰めた。何かまずいことでも言っただろうか。
「西方面ですか……まずいですね」
やっぱりまずいらしい。なんだろうか、そっち方面に彼女の家でもあるのだろうか。そして、同じ方面に俺の家があるのが気に食わないのだろうか。だとしたら遺書をかかなければならない。
「今日は悪意が活発です。ですから遠回りして帰ってください。いいですか? これは警告です」
彼女はそう言って店を出て行った。本当になんだったんだろうか。よくわからない女の子だ。あれだろうか、思春期特有の中二病的なやつだろうか。悪意とかよくわからないことを言っていたし、たぶんそうだろう。そういう年頃なんだろう。可愛いのに中二病なんて残念な女の子だ。
そう思って、彼女の警告を聞かずにいつも通りの道で帰ることにしたが、俺は警告通り遠回りして帰るべきだったのだ。そうすれば、あんな辛い目にあうこともなかったに苦しむこともなかった。世界の裏側なんて見ないで済んだのに。本当につまらなくて笑えない人間だって再確認することもなかったのに。俺はこの日、非日常に巻き込まれることになった。
初投稿です。