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第四話(3)「白羽の反逆」

 第四話(3)「白羽の反逆」


 そして、放課後。

 結局休み時間に問い詰められた俺は、神経も身体も摩耗した状態で、学校を出る。

 男子群に詰問される、というほど男子と接点を持っていない俺だが、今日はやけに男子と話した気がする。それだけ皆は色恋沙汰に飢えているのだろうか。

 あるいは、委員長と言う高嶺の花を俺が摘んだとでも思っているのだろうか。


 まったく、誤解甚だしい。

 そんなやましい関係は全くないと、白羽はクラスの皆に説明を果たそうとしたが、誰一人として耳を傾ける人物はいなかった。


 白羽は、帰りのHR終了のチャイムが鳴り始めると同時に、即座に教室を出て、帰路につく。

 キメラ預り所からキメラを回収する必要がないので、誰よりも先に学校から出ることができる。

 白羽は、革靴で道端に落ちている直径5センチくらいの石ころを蹴り飛ばしながら帰る。


 今日は土曜日なので、学校も4時限しかないので、早帰りする事が出来る。

 よって、現在時刻13時23分。いつもより2時間以上早い下校だ。


 制服のまま、白羽は帰ることなく、その足で駅まで歩いて行く。

 何も食べていなかったので、そのまま立ち食いそば屋に入り、軽くうどんを二玉食べて腹ごなしをして、土曜日のすいている車内の座席にゆったりと腰をかける。

 そして暫く揺られて――。


 そして、白羽の目の前には、研究室があった。

 朝来たばかりの、この場所で、きっと今でも千之寺が作業をしてくれていることだろう。

 そう思い、いてもたっても居られなくなってきてしまった。


 なにより、この功績で、キメラの今後が全て変わると言っても過言ではないくらいだ。

 そんな、期待とも不安とも言われぬ面持ちで、白羽は研究室の扉を開いた。



 空気密度の関係で、白羽の顔を冷たい風が撫でる。

 エアコンがガンガン効いた室内では、千之寺が床に大の字になって転がっていた。

 息はしているから放っておいてもよさそうだが、時間も無いので、叩き起こそうと白羽はお腹を出したまま爆睡している千之寺に近づく。

 床には、用意周到に大きめマットレスが敷かれていて、低反発でふっかふかだ。この研究室、外から見るとただの工場のようだが、内面は色々な設備が充実している。金の注ぎこみ方がおかしいと思ったが、それなりの優遇と言う事なのだろうか。

 っていうかそれなりじゃねぇよ。

 かなりだよ。


「おーい、眠いとこ悪いが起きてくれ」

 口を大きく開けながら鼻ちょうちんを膨らませて寝ている千之寺は、とても気持ちよさそうな顔をしていた。

 ついうっかり口にわさびを入れてしまいそうになるくらいには。

 いい寝顔をしていた。


 流石にそんな外道なことはするつもりはないので、手に持っているさっき取り出してきたわさびは机の上に置いて、肩を掴んで体を揺さぶる。

 胸がたゆんたゆんと揺れるが、しかし千之寺は起きるそぶりを見せるどころか、鼻ちょうちんのサイズを大きくしてくる始末だ。

 本当にわさびを入れてやろうかと思ったが、そこで白羽は千之寺のパソコンの隣に置かれている紙の束を見つけた。


『読了後焼却処分』とかかれた一ページ目が、仰々しさを感じさせる。

 紙をぺラリとめくってみると、その中には、キメラシステムのどの部分を崩せば正常に以上を起こすことができるのか、事細かに書いてあった。

 そしてなおかつ、キメラシステムは絶対に文章化しないという規律をしっかり守っているので、壊された後のプログラムしか書いていないと言う気の抜け無さもまた、千之寺らしい。


 なんだ……やってるじゃん。

 そう思った白羽は、千之寺を放置して、その紙にのっとってキメラを崩す作業を始めた。

 毛布をかけるとかいう優しさがないのではなく、硬い床の上に転がす、という事をしない事が既に優しさだと言う事が身についてしまっているのだから、文化とは恐ろしい。


 まあ、文化って言うか、性格だけどさ。



 毎月のように、政府とはクアイルと言う会社はキメラを一カ月に一度、受け渡しをしている。

 キメラは、軍事利用としては使えないが、しかし普通のペットのようにかいならすことはできる。

 だから、嗅覚を研ぎ澄ませて犯罪防止に努めたり。

 触角と視覚を研ぎ澄ませて見張りの様に置いてみたり。

 何故か一か月に一度キメラが会社に戻され、そしてまた発注される。

 この作業に何の意味があるのか、残念ながら俺には全く分からないけれど、経済的な効果でもあるのだろうと強引に解釈してきたそのトレードだが、そこに一匹だけ、崩したキメラを侵入させて、問題を起こそうという魂胆だ。


 そう、政府に渡したキメラが大問題を起こした場合、クアイルという企業は一気に批判にさらされることになるだろう。

 しかし、そんな醜態が世間の目に晒されると言う事は、つまりキメラ自身に不安因子を結びつけるということだ。

 たしかに、そうすれば軍事利用はされないかもしれない。だがしかし、それによって、キメラと言う一つの生き物の価値が下がってしまうのではないかと、同時に俺は思ってしまう。

 どうすればキメラという生き物の価値を下げないまま、軍事利用という考えを根本から消し去れるか、考えたが、やはり出てこず、そして今は、千之寺が出したアイデアである、政府内に壊れたキメラを発注するというものだった。

 やはりこれが最善の策なのだろうか。

 白羽は、少しだけ考えるも、考えがまとまらないと言った様子で画面をみつめ、溜息をついた。


「わん!」

 白羽の前には、現在一匹の犬がいる。

 犬と言っても、やはりキメラだ。というか、このご時世で純粋な犬と言うものを飼っているところは本当にごく少数なのではないだろうか。

 このキメラだって、実際は犬と、それからフクロウを接続させたものだ。

 夜でも目が見えるように、という思惑でそうしているのだろうが、なんというか考えが安直すぎるような気がしないでもない。


「いまから、こいつを壊すのか……」

 ふとひとりごちり、白羽は悲しい気持ちになる。

 壊すと言っても、千之寺の努力の甲斐あって、全くキメラ自身には何の影響も無いのだが、その言葉の響きだけで嫌になってしまうものはある。

 なにより、キメラには影響はないが、それに関わる人間に被害が出る。

 本当にいいのだろうか、という疑問は隠しても隠しきれなかった。

 そのまま、設計図通りに、白羽はキメラシステムに手を伸ばした。



 悲しげな眼をしている。

 トラックに積まれた犬との、最後の一時だ。

 濡れた子犬の瞳は可愛いと言うが、なにかそれに通じるようなものがあるような気もしなくもない。

 といっても、この犬大型犬だけど。

 犬の瞳には水分が通常よりおおく含まれているような気がして、心なしか呼吸の速度も速い気がしてきた。舌を出したまま、愛くるしい顔をしてハァハァ言っている。

 とは言えども、相手はキメラなので、俺が近づくと襲ってくると言う事を念頭に置いて接している。


 まあ、常に50センチは離れることを意識してきたので、さほど感慨もない。

 むしろ、結果の方が気になる。


 この小さなテロ事件は、はたしてどれくらい功を奏するのか。

 白羽の中に、小さく、淡い期待が芽生えた。



 そして、白羽はクアイル社へと向かった。

 なんのためにかは、決まっている。しかし、それを実行する意味は、精神論では理解できても、理屈では説明できない。

『坂匡に、宣戦布告する。』

 ただこれだけの事が、どれだけ大きなこの作戦への阻害になるかを、白羽は知っている。坂匡が、どれだけ強大な人物かももちろん理解していないわけではない。

 だが。

 いくら阻害されようとも、後々になってこれを理由に恨みを持たれたくないし、何より向こうからは確かに宣戦布告をされた。

 向こうの宣戦布告は確かに遅すぎたが、だからと言って、こちらが一方的に攻撃するわけにもいかない。

 ここは、礼儀として、しておくべきだと言うのが、白羽の結論だった。



 白羽は、副社長室の扉をノックする。正式な場と言うことを意識して、スーツを持っていない白羽は、制服で、しかし学校帰りとか言う中途半端なものではなく、一度家に帰り、アポイントメントをとってからだ。


「どうぞ」

 部屋の中からは、坂匡ののんきな声が聞こえる。いつも彼はこうなのだろうか。

 俺は厚めの扉を押して開ける。

 時間はまだ三時。

 しかし、太陽が窓から入ってくるにはちょうどいい時間だった。西側が全面ガラス張りと言う事もあって、入る時にちょうど坂匡の表情が逆光で読み取れない。

「よぉ、坂匡」

 白羽は、軽々しく手を上げてあいさつする。

 年の差なんてものは関係ない。基本的に、堅苦しい場でなければ大体はこんな感じだ。

「何だい白羽君、いきなり大事なようがあるだなんて」

 坂匡の口調も軽々しい。

 俺は、その雰囲気に呑まれて坂匡が座っている机の前にある来客用の接客用具一式のソファーにどっかりと腰を落とす。

 坂匡も、立ち上がり、白羽の目の前に座ろうとする。

 しかし、俺は見てしまった。

 逆光で無くなった瞬間の、坂匡の顔を。


 目が、笑っていなかった。


 坂匡が、向かいのソファーに腰掛ける。

「それで、何だい」

「坂匡、悪いな。野暮用って言うか、まあ、なんだ。言いたいことはわかってるよな」

 白羽は、坂匡の目を見て言う。

 坂匡は、俺の格好を今一度確認して、ふぅ、と溜息をついた。

「ええと……ああ、まあ、な」

 坂匡は、目を宙に泳がせ、暫し考えるそぶりを見せる。

「いや、いいんだ。どうせわかっているんだろうから」

 白羽はさっきの坂匡の目を見ている。あの目は、確かに実力者の顔だった。

 子供とか、そういうのを考えずに、潰してしまおうという確かな信念が宿った眼差しだった。

「俺は、宣戦布告をしに来た。絶対に、この企業の秘密は渡さない!」


 白羽は、副社長室を越えて隣の部屋まで響き渡りそうなくらいの声で言い放った。

 漫画だったら、一ページの半分くらいのコマを割かれててもおかしくはない。

 坂匡は、平然とした顔をしていたが、「やっぱりな」と言いたそうな顔をしていた。

「じゃあ、要件はそれだけだから、俺は帰ることにするよ」

「ちょっと待ちな、白羽君」

 俺がソファーから立ちあがろうとしたところで、坂匡が引きとめるように声をかけてきた。

「じゃあ、私からも二点ほど、君に連絡させてもらうよ」

「うん? なんだ?」

「まずは一点。クアイルは正式にこの技術を広く使ってゆくという方向で社内意見が合致した」

「はぁ!? だって、それはこの間の会議では何も……」

 この間の会議では、何も言われなかった。

 そう、何も。

 何も言われないということは、すなわち、もう既に決まっていたということ。

「……そうか、でも、その秘密は俺達が握っているから、いくら何を言おうと積もうとそれに協力する気はないからな」

 白羽は、冷たく坂匡に告げる。しかし、頭では、決まってしまったということに驚いていて、半ば錯乱状態だった。

「そして、二つ目。これは、連絡と言うより、警告だな」

「警告?」

 坂匡は、ふっと不敵な笑みを髭が生えている口から少しだけ残った煙草の匂いと共に漏らす。

「最近は危険な輩が増えてきているらしいからな。気をつけろよ。それじゃあな」

「おい坂匡それって……」

「おっと私は仕事だ、済まないな白羽君。――なんて、恍けなくてもいいか。そちらに協力する気が無いのなら、こちらは実力行使だ。あらゆるところからその情報を手に入れるよ」

「……だからって、それかよ……!」

「なに、お金を積んで解決するなら解決したいさ。私もこんな解決は望んでいない。ただそれよりも、大事なものがあるから、そちらを優先するだけさ」


「大事なもの……?」

 俺は、気が付いたら訊き返していた。

「まあ、大人には色々あるんだよ」

 そう行って、坂匡は白羽に気を使ってか副社長室を出て、すぐそばの喫煙室に向かった。

 白羽は、その姿を、ただただ見つめるだけだった。


「……で、結局、なんなんだよ……」

 よくわからないまま、そして何か向こうからも武力的な宣戦布告をされて、正直意味がわらかないまま、白羽は返されてしまった。



 白羽はクアイルの会社正面ロビーを堂々と横切り、考えに没頭しながら地面を見て歩く。手を顎に添え、頭をフル回転させ、坂臣の言葉を反芻する。

 警告……もしかして、あれは攻撃するぞ、という警告ではなく、これからさらに増えるかもしれない、という警告なのか……?


 そもそも、俺はなぜ攻撃されているのだろうか。攻撃というか、誘拐だな。

 これまでも、しばしば誘拐されかけているが、俺にそこまでの価値があるのだろうか。社長令嬢とかなら、まだわかる気もするけれど……。

 白羽は、そのまま会社を出て、駅まで続く直線の道を歩く。

 よくよく考えれば、俺は『元』社長子息なんだよな……。そんな昔の人物に何の用があるというのか。

 っていうか、誘拐しなければならない用事ってなんなんだよ……。まずは会話で解決とか、そういう努力を考えようよ……。

 そんな思考の渦に身を任せていた白羽は、周りに目を向けずに下だけを向いて歩いていた。

 トンッ。

 どこかでそんな、軽い音がした。

 次の瞬間、白羽の意識が飛んだ。

 音の発生源は白羽の首元、背後から忍び寄ってきた彼女に、白羽は対応できなかった。

 周りに人がいるからと気を抜いていたのだろうか。法治国家だからと言って安心していたのだろうか。

 坂臣に言われたばかりだったのに。こんなことになるとは、誰も考えていなかっただろう。




「白羽がいない!?」

 千之寺が電話越しにいつものダルそうな声とは違うトーンで驚いた声を上げた。

 技術班の作業場である建物の一階で、寝ていた千之寺が体を起き上がらせて敏感に反応する。

「そうか……そっちにもいないか」

「なんだ坂臣、何があった!?」

 千之寺が通話している相手は坂臣。電話の奥でも唸るような声が時折聞こえる。

「何が、って白羽が消えたんだよ」

「白羽のことだから、基本的に神出鬼没だろ?」

 千之寺は、それがさも当たり前のことのように言う。

「それはお前がいっつも寝てるからそんな風に感じられるだけだろうが。いや、そういうことじゃなくてだな……」

 坂臣は言葉の最後を歯切れ悪そうに口ごもる。

「何があったんだよ、言え、言いなさい」

 千之寺が小動物に襲い掛かる肉食獣のような迫力を込めて坂臣に覇気を込めて言うと、坂臣は数回唸り声を上げた後に、

「情報が、漏れた」

 とだけ言った。


「漏れたからなんだって言うのよ、白羽が消える理由なんてそこにはないじゃない?」

「あるんだよ……あるからこんなに探してるんじゃねぇか」

 坂臣の声が普段聞くような温厚な声から、どんどん切羽詰った真剣な時の声に変わっていく。

「情報って、そもそも何の情報が漏れたの?」

 それは、と坂臣はぐっと溜めた後、言った。

「白羽が技術班の班長だという事実――超A級秘匿事項だ」




「待って、それってもう前から漏れてたんじゃないの?」

 千之寺はそう尋ねる。もちろん、千之寺には思い当たる節がある。白羽は、前に襲われているのだ。何かしらの小悪党どもに。それが偶然だとは考えられなかった。

「確かに漏れていないとは言えないな。どんなに些細なところからでも真実とあらば情報なんてあっという間に流れ出る。水の流れが自然に堰き止められないように、噂もまた止まらない、っていうのはこの業界じゃ鉄則だ」

 そんな鉄則があったのか、と思いながらも坂匡の話の齟齬を突く。

「前から漏れてたんだから、何をいまさら今回焦ってるのよ」

「それでも、前回漏れていたのは、昔からの知り合いで、白羽の親父さん――飾紀直史の昔の同業人って所だ。だから、そんなに大規模な事もしてはいないだろうし、精々情報を握ろうとしていた位でその上白羽には歯が立たなかったはずだ。だが今回は違う」

 坂匡の口調が急降下して、聞いている千之寺の耳をぶるりと震わせる。

「今回は、国の上層部にこの話が伝わった」

 どこからそれが漏れたかもわからない、と坂匡は続けていう。

「え、じゃあなんでそれがわかったんだ?」

 千之寺はさも当然の疑問を坂匡にぶつける。

 しかし、坂匡は電話の向こうで首を傾げるかのような動作をしたのか、少しだけがさりというノイズが入った後、

「なんてったって、国との会合の中で、白羽の名前を出されたからな」

 と、悪びれもせずに言う。

 それが、白羽の意志と反することだとわかっていながらも。

 千之寺は、白羽の意思に賛同して、企業の意見に真っ向から反したキメラを作り上げた張本人だ。だからその成り行きを白羽から聞いている。

 ただ、そんな坂匡の態度に千之寺は何の感情も抱かない。

 千之寺も、白羽と同時期に坂匡を知った。

 だから、知っている。

 坂匡というキャラクターを。


 だから、彼は今でもこうして副社長という立場に座っているんだという事を、彼女は知っている。

 一度、痛い思いまでした事がある。

 だから、彼女は何も思わない。


「だからと言って、国は白羽という一個人に何かするでしょうか?」

 千之寺は無表情で、しかし心配した顔をしつつ、電話口に告げる。

「国も国で、どうしてもこの技術を欲しがっていたからな……何をするのかは知らんが」

「だからと言って、強行させられるなんてこと考えられないな……」

 千之寺は相手には視えていないと知っていながらも首をかしげる。そして、白羽がいつも居座っている二階のフロアに上る階段を見やる。

 しかしそこに、当たり前のように白羽の姿はない。

「国がやることだ、それこそ、国家が敵に回ったと言ってもいいくらいなんだからな……」

 坂匡がそう、重く呟く。


 重く苦しい雰囲気は、電話を越えて伝染して行き、千之寺は白羽を心配する心でいっぱいになった。

 そして、坂匡との電話を早めに切り上げ――寝た。

「白羽なら、どうにかするだろ」

 なんて、適当な独り言を残して。




「ごめん、白羽」

 白羽は意識が朦朧とする中で、そんな声を聞いた、気がした。

 声はくぐもっていて、誰が発したのかもわからなかった。

 今までにあまたの友人、それから敵を作ってきた。だから、そんな声の主を白羽は突き止めることができなかった。

 そしてそのまま、意識は深い闇の底へ落ちる。




 混沌とした深い森に迷い込んだ様な――そんな不思議な虚無感と絶望感に、白羽は苛まれていた。

 頭がふらつく。何か鈍痛が後頭部に響く。

「……ここは」

 見慣れない天井が眼前に広がっていた。天井にはおよそ7センチ四方のタイルが敷き詰められている。どこでも見るようなありふれた光景だが、少なくとも飾紀家はこんな天井になってない。


「やぁやぁ白羽君」

 どこからか、若干ハスキーなアルトヴォイスが白羽の耳に流れ込んでくる。

 鼓膜が振動してから一瞬遅れて、声の主が俺の目の前ににゅっと現れる。

 重力が背中にかかっているので、目の前に現れた女性の長い艶のある黒髪は白羽の髪の毛を覆うような勢いだ。すらりとした体型をしていて、括れが際立つベルト付きのスカートを履いており、不思議な柄のTシャツを着て、その上からチェックの長袖を羽織っている。

「……そうか、ここはあんたの部屋か」

 白羽がそのままの体勢で言うと、

「そう、ここはアタシの部屋だよ。と言っても勤務先のだけどね」

 彼女はそう返してきた。

「勤務先にしては結構ラフな格好だな。Tシャツがよく似合うぜ」

「貧乳とでも言いたいのか。婉曲に言わなくてもわかってるよ」

 そう――Tシャツがよく似合う彼女の名前は琴枷ことかせ陽射ひざし。もうそろそろ40歳になろうかという歳なのにもかかわらず、見た目的には20代後半にも見間違うほどだ。

 彼女の肩書は――国府防衛監理官。国の要点を守る人たちをまとめる中間管理職のような仕事に就いていて、俺と、ひいてはクアイルとキメラのやり取りを直接行っている人物だ。

 だから、俺はこの人のことを知っているし、この人もまた俺のことをよく知っている。

 ちなみに、琴枷という苗字は偽名らしい。彼女から直接聞いたからおそらく間違いはないだろう。本当の苗字は教えてもらってはいないが。

 なぜ偽名にする必要があるのかと尋ねてみたことがあるが、「いろいろめんどくさいのよねー。さすがに重要なポストともなると、危険も伴うらしいし」という返答を返された。

 だったら俺も偽名使いたかったよと思わないこともないが、いまさら思っても後悔は先に立たないようなのでそれは既にあきらめている。


「――で、何で俺はこんなところで寝てるんだ?」

 俺は体をゆっくりと起こし、背中が柔らかいベッドの触感を無くしていくのがわかる。上体を起こすと視界が広がったかのように目に映る情報が膨大に増える。

 事務的な雑多な書類が床のいたるところに散らばっており、窓から見える景色の中では人が豆粒のようなサイズでせわしなく動き回っている。時計はおしゃれを排除しとことん事務的を追及している癖に、事務作業をするんだろうなと思われる机には、開きっぱなしのノートパソコンに付箋がペタペタはられていて、そしてノートパソコンが置かれている場所以外は戦場の体をなしている。

「さぁね」

 そう琴風は恍ける。その顔には、若干の笑みが浮かんでいて、恍けていることを隠そうともしない堂々とした態度だ。

「いや、知らないわけないだろ……っていうかお前の職場っていうことは、ここは本部か?」

「そうよ、本部。だから、君の助けは来ないと思ったほうがいいわね」

 ……こいつ、隠す気さんさらないだろ。


 本部。

 琴風の勤めるところは前述したとおり国府。

 国府の建物が密集している場所はクアイルの本社からはおよそ3駅。

 しかし、助けに来るにはあまりにも予想外すぎる場所で、それにこのあたりは警備が手ごわいどころの話ではない。国の要人が一日に数十回出入りするところだ、それ相応の警備員は配置されているし、なんならキメラのドーベルマンだって見るくらいだ。

 というか、今日搬入した白羽と千之寺が弄ったキメラもここに到着する予定だ。


 確か六月十九日――明日にでもここに来るんだっけな。


「で、結局何のためなんだよ。俺の助けは来ないんだろ? だったら教えてくれてもいいんじゃないか?」

 助けに来ないという言葉を今更口に出すとおびただしいものがあるな……。知り合いだからまあいいかな、とか気楽な感情があるけど、それにしても目的が分からない。

 危機感を感じていないというこの自分に、むしろ危機感を感じてしまっている。

「それでも、念には念を入れてだよ。もしも助けが来た際に、君が何を言うかわからないからね。一応身体検査はさせてもらって、携帯電話は没収させてもらったよ」

 そう言って琴風はチェックの長袖の胸ポケットから普段見ている薄黄緑色のカバーが取り付けられた見覚えのある携帯電話のストラップをつかんでゆらゆら揺らしながら俺に見せつける。

「おい、揺らすな、ストラップちぎれたらどうすんだ!」

「いや、悪い悪い、アタシは普段からこういうストラップをつけないからな」

 そう言って琴風は俺の携帯電話のストラップをしげしげと眺める。何の変哲もないどこにでも売っていそうな人気キメラをモデルにしたゆるいキャラクターだ。最近子供を中心に全国展開しているとかなんとか。

「っつーか、こんなストラップ千切れたところで、正直どうでもいいっしょ」

 そう言って、ストラップのついた携帯電話をゆらゆら揺らす。いや、ストラップがちぎれるのはどうでもいいんだけど、それで携帯が床に落ちて壊れたりしたらシャレにならんからな?

 そうはいえども、さすがにわざわざちぎる必要もなく琴風はそれを元のポケットにしまう。

 返せよ。俺の携帯電話。


 ……さて、で、何で俺は誘拐されてるんだ?

 まあ、知り合いだからとはいえ、確実に身の安全が確保できているというわけでもない。

 琴風はあくまで商業相手で取引先だ。

 そこから生まれた信頼関係なんて、信じられないし、とるに値しない。

 俺を誘拐した理由だって、商業的なものだろう。

 国の御加護の下で、俺は今誘拐されているということになるわけで。

 つまり、公的な誘拐。

 ……あれ、理由は分からないけど、とにかくこれって大ピンチなんじゃねぇの?

 助けは見込めず、助けられる確率も僅か。

 目的もわからないから、解決する手段もない。


 明日の小さなテロには、俺はいらない、自動的なものだとしても。

 俺がいない状況で、それを直すことができるのか……?

 いや、それに関しては千之寺がいる。キメラに関するエキスパートという点なら千之寺なら俺に引け目を取らない。

 いや、待て……。今回俺は何かをしたといえるのだろうか。発案して、それを人に丸投げしただけじゃないのか……?

 本当にこれでいいのか?

 人に丸投げして、それから裏で糸を引く努力をして、正面切って何かを堂々と言ったりしたのだろうか。

 いや、してないよな。

 言ったところで何も変わらないことは目に見えている。

 でも、それでも――。


 俺は今、なにもできなくなった今だからこそ、すごく後悔している。



 クアイル社、重役会議室。

 4,5人の重役が、せわしなくどこか冷や汗のようなものをかきながら冷房の効いた部屋に入ってきた。きちんとした格好をしていない者もいたりと、緊急で招集がかかった事が伺える。

 白羽の消息が絶たれて半日以上がたち、午前10時。白羽の存在を知っている重役の中でもさらに偉い地位を持っているごく少数の人物が一斉に集められた。

 凍りついているかのように、誰も何も口にしない。試験最中の空気をも思い出させるような重圧が、見えないけれど確かに存在していた。いい加減モスキート音が聞こえてきそうなくらいの静寂が彼らを襲ったあと、今日のオピニオン・リーダーが口を開いた。

「飾紀白羽――知っての通り、技術版班長の彼が、攫われた」

 その言葉の重さに比例するように、彼らの額からもまた水滴がこぼれ落ちる。

 唾を飲み込む音がよく響いた。

 社長である絡砂からざは、肘をつき、額の前で手を組み、目のあたりを陰らせる。ほかの重役からは絡砂の手で死角になっている口元で、彼は自分の下唇を噛みしめる。ほかの誰にも気づかれないように。

 しかし、そんな絡砂の隣で、また坂匡も目を閉じて、喉からこみあげる言葉を、頭の中で反芻していた。

 ……白羽、言ったのに……!!


更新頻度と一話の長さの折り合いを考えています。

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