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第三話(下)「白羽の妙案」

 第三話(下)


 家での苑座は、学校にいるときの態度とは打って変わって、一気に委員長キャラは崩れ去り、その最たる例としては学校で常につけている眼鏡を外したことだろう。普段から垂らしている後ろ髪は、ヘアバンドで結び、ポニーテールのようにして括っている。

 苑座は、学校指定の制服のまま、白羽の隣に座っている。

「さて、白羽君の身の上話にとても興味をそそられるのだけれど――」

「いや、そんなに興味を持たれてもそれと言って何もないぞ……」

 苑座がグイッと体を近づけて、体を寄せ合うようにする。白羽は、少しだけ遠慮がちに、そして恥ずかしがって体をソファーの端の方に、つまり苑座が座っている方とは反対側に下がる。

「いーや、それはないね。だって、何もなければ君があの会社から出てくるはずがないし、あんな小悪党相手に素手で相手取ることなんてできるはずがないからね」

「……じゃあ、代わりに俺からも聞いていいか?」

 苑座がぐいぐいこちらににじり寄ってくるので、白羽も負けじと少しだけの羞恥心に見舞われながら体をグイッと苑座に近づける。

「うん、なんでも聞いて」

 苑座は、怯むことなく、普通に答える。苑座と白羽の間の距離はおよそ30センチくらいで、白羽は内心ドキドキしている。

 女子に免疫がないわけではないが、ここまで近くに来られると大抵の男子はそうなってしまうだろう。

 白羽は、少しだけ喋りにくいなと思って、体を引くと、苑座も同じようにして体を引いてくれた。

「苑座さんは――さっき、ハッカーだと言っていたけれど、それはどういうこと? そして、昨日『クアイル』の会社から出てきたみたいだけれど、どういう訳?」

「そんな矢継ぎ早に言われても……とりあえず、私のことを知りたいってことだよね?」

 苑座は、不思議な笑みを浮かべてそう言った。その笑顔に他意はないのだろうけれど、こういう時の意味深な笑みは無駄な警戒心を植え付ける。

 苑座のことを知りたいって言う意味とは、なんだか違うような気もするけれどなぁ……。白羽はそう思ったが、面倒くさくなるのは嫌だったので、このまま話を続けることにした。

「まあ、そんなところ」

「へぇ……わかった」

 今回は、確実に何やら悪い笑みを浮かべて、苑座はソファーから立った。

「とりあえず、ハッカーであるということは、聞くより見た方が早いかもしれないわね。こっちよ」

 そういわれて、白羽はソファーからすたすた歩いて行ってしまった苑座の背中を追いかけるようにしてついていく。

 苑座は、広いリビングにいくつかあるドアの前に立ち、扉を開けた。この家には、廊下と言う概念が見当たらないような気もする。

 扉を開けると、薄暗い部屋の中に、いくつかの青い灯が点いていた。世間一般でよくつかわれるコンピューターと言う言葉からはだいぶ離れた機械が部屋の壁際に大きく佇んでいたが、それ以外には整理整頓されている機械室のような感じだった。

 しかし、そこにはコードが雑然と散らばっているということもなく、そういう点においては、機械室ともいえないような、特殊な雰囲気を放っていたが――。

「たしかに、ハッカーの部屋だと言われたら納得するなぁ……」

 モニターが8台、それ以外にもキーボードやらが6セットくらいは有り、一人で使うには多すぎるような設備が揃っていた。

「でしょ? これでも、もっと欲を言わせてもらえれば、もう少し機械は欲しいところなのよねぇ……」

 おいおい、お前いったいこれから何をするつもりなんだよ、と突っ込みたくなったが、声には出さずに飲み込んでおくことにする。

「名の知れたハッカー、って言っているけれど、もちろん本名を出しているわけじゃないわよ。普通にネットとかを使っている分には知らないのも当たり前だけれど、企業やサイバー課には『ゴーグル』っていうコードネームで名前が通っているわ」

 中心に設置されている業務用デスクに置かれている中心的なパソコン本体の前に座って、苑座は電源ボタンを押す。

 どこかの警備室でこんな光景が見たことがあるかも知れない。総勢8台のモニターが一気にブワッと電気が点く。

 それからすぐに出てきたパスワード入力画面に、二十数ケタの文字列を打ち込む。

「ええと、それから、クアイルの会社との関係性だったかしら」

 白羽は、何も言わずに苑座の答えを待つ。苑座は、言葉を少しだけ溜めて――パソコンが完全に起動したときに、言葉を発した。

「クアイルの人からまた仕事を受けたのよ……向こうも向こうで私の学生服とか見て驚いていたみたいだけれどね」

 苑座はその後、定期的に仕事は来るんだけどね、と少しだけ口元をゆがめて笑った。

 パソコンの起動中の画面が一気に黒い画面に白い文字で埋め尽くされた状態に変わった。苑座の前にある2台のモニタだけ、通常のデスクトップ画面になっている。

「何しろ、クアイル社内の極秘情報であるキメラシステムをハッキングして情報を盗み出した上に解読してくれ、だなんて、社内の人物に依頼するんだよ。なんていうか、世も末だよね」



 苑座は、そう言って白羽に文字列の並びを見せた。苑座としては、こんなものを見せても何もわからないだろうと高をくくって見せているのだろうが、白羽にとっては、常日頃から見ている見慣れた文字列だった。

 キメラシステムは、紙としての媒体には保存しない。データとしての媒体にも保存しないというのが原則だが、一か所だけそのプログラムが必要となる所がある。

 それは、キメラ接続装置の実物だ。実物あってのプログラムだし、そのために作られている以上、実物に搭載しないという訳にもいかない。

 それなりの暗号なども組み合わせて、このために開発された新文字列もあるのだけれど、データを引っ張ってこられたら、そのうちには解読されてしまうだろう。

「苑座には……この文字列が読めるのか?」

 戦々恐々としながら、聞いてみた。キメラシステムがこうも易々と、しかも一介の女子高生に破られてしまうのかという危惧を胸に抱いて。

 開発に関わった者としてのプライドを携えて。

「まさかね。結構なセキリュティが掛かってるし、この文字列ですらまだまだ一部にすぎない。さっすが世界の極秘事項とだけ言われる甲斐はあるね」

 そう言って、苑座は何らかのソフトを立ち上げ、そこに文字列をひたすら打ち込んでいく作業を始める。手元なんか見ずに、ただひたすらに画面に食いつくようにして文字を打っている。

 よかった、と安堵してもいいのだろうか。苑座と会って以来、嫌な汗が吹き出しまくりだ。

「で、白羽君は一体なんであの会社から出てきたの?」

 パソコンに向かって一心不乱に文字を打っていて、白羽のことなんてついぞ忘れてしまったと思っていたところに、苑座は不意打ちのように回転いすをくるりと回してこちらを見てきた。

「え、なんでかっていうと……」

 目線を苑座から少しばかり横にずらす。しかし、ここには白羽と苑座しか居ないわけで、当然助け船を出してくれる友達はいないし、そもそも助け船を出すような友達なんていない。

「そりゃ、まあ……その……」

 口ごもりながら頭の中で必死に考える。何がおかしくない言い訳か、相手が腹を割って話してくれているのだから、こちらもそうしないといけないという考えもあるけれど、白羽がキメラシステム開発者の息子だということをばらしてはいけない。

 社内での意見割れのもう片方の下っ端みたいな人物に、そんなことを話すわけにはいかない。

 あくまで白羽と苑座は敵同士。だったら、一つでも自分の方が有利な情報を握って、相手に情報を漏らすべきではないと理性的に白羽は判断した。

「その……あれだ。本当は内緒なんだけれど、学校のキメラ預り所のキメラ診察員っていうバイトを引き受けててね……誰にも言うなよ?」

 なんとか、無理のない範囲の言葉を選びつつ、現実味のある回答を答えることができたと思う。

「へー……あれって、白羽君がやってたんだー」

「まあ、動物を見て、簡易的に異常がないかを見るだけの簡単な仕事だからね。そんなに専門知識もいらないし、機械に頼りっきりだから」

 本当は白羽がやっているわけではないが、そんな人は誰も見たことがないから、この嘘はばれないだろうと思いつつ、それでも苑座とは目を合わせられない。

「それで、クアイルから出てきたと」

「そう、隔月に一度の機械点検の日でね。本社で確認してきたんだ」

 苑座は白羽のことをなんだかなー、という訝しげな視線で見つめてくる。

「あれ、でも変じゃない?」

「何が?」

 何が、と言う言葉を発するときに、声が裏返りそうになった。そんな動揺を、精一杯かくして平穏を装う。

「だって、白羽君は私たちと同じ時間に授業を受けて休み時間を過ごしてるんでしょ? だったら、キメラを診察している時間なんてなくない?」

 ……あ。


 致命的なミスを犯してしまった……。

 それでも、足搔く。足搔くほかない。

「いや……機械を使って受付の人とするわけだから、そんなに時間はかからないからね」

「でも、全校生徒何人いると思ってるの?」

「俺が授業中の時は受付の人がやっているはずだし、正直言って俺の役割は普通に高校生活を送りながらキメラを持っている人に怪しい挙動がないか見るっていう監視役のようなところが大きいからね」

「そういえば、白羽君って、キメラに襲われやすい体質なんだって?」

 ……詰んだな。


「で、本当はどうなの?」

 苑座に詰め寄られて、現在見事なまでに貧窮している。

「本当……は……」

「本当は?」

 苑座の顔が笑っている。目が笑っていない。

 これは、言わなければならないのか。そう覚悟したその時――

 携帯が、鳴った。



 苑座の携帯も、白羽の携帯も同時に、しかし違う着信メロディーが機械で支配されたこの部屋に鳴り響く。カーテンを閉め切って部屋に設備されている電球でしか光源が無いこの部屋で、少しだけ鬱憤とした気分になっていた白羽は、苑座の視線を振り切って窓際のカーテンを勝手に開けた。

「何してるのよ」

「いや、太陽光が欲しいなと思って」

 地上65階から見下ろす眺めはとても素晴らしいものだった。奥の方に白羽が住んでいるタワーマンションが見える。白羽の家は最上階ではないので、ここまで高いところからの眺めは久しぶりだ。

 太陽の光を浴びていると、鬱憤している気持ちがだんだん楽になってきた。

 苑座は、さっき音がした携帯の画面を見つめている。それにならって、白羽も携帯の画面を見つめる。さっきの着信音は、電話がかかってきた音ではなく、メールが送られてきた音だった。

 ……。読んでいる間は、無言の状態が続く。

 そして、最後まで読み切ったところで、苑座が口を開いた。

「白羽君、申し訳ないけれど、私は急用ができたわ。本当はあなたともう少し話していたかったのだけれど、それはどうやらできないみたいなの」

「……生憎、俺もそうみたいだ。向かう先は一緒みたいだから、まだ話せるけれどな」


『クアイル社員へ

 クアイル社内で論争が激発しているのはもうご存知の通りだと思う。このような微妙な時間で申し訳ないが、現在より本社に来ていただけないだろうか。緊急を要する事案が発生した

 社長 絡砂』



 スマートフォンの画面の電源を落とし、苑座と共にマンションの外に出る。駅までは徒歩ですぐだし、バイクで行くよりも距離的に断然早そうなので今回はバイクを使わないようだ。

「で、結局、君は何者なの?」

 苑座が、当然のように聞いてくる。何が起こったのかも割らないような状況なので、白羽は必然的に早足になる。しかしそれは苑座も一緒だった。

「そうだな……とりあえず、そっちが自らの手を明かさない以上何も言えないね」

 白羽は、そう返す。

 さっきまで本当のことを言おうか迷っていたところでの、急な手のひら返しだ。しかし、もちろんのことながら、理由はある。

 苑座は、白羽と同じタイミングでメールを受け取った。これは、同じタイミングにメールが来るだなんて、そんな偶然はあまり見かけない。だが、ここまでなら、奇跡的な範囲でありうることだ。しかし、そこから。目的地も一緒で、行動も一緒となれば、そこには何らかの必然的な条件が存在すると見るのが基本だろう。

「さっきのメール、どうせクアイルからだろ?」

「よくわかったわね。貴方も、そうなのかしら」

 二人は駅まで速足で歩きながら、それでもそんな談話を続ける。周りの目なんて気にしないくらいに飛ばしていた。走る事も無く、競歩をしているかのように。

「ああ、そうだよ。クアイルからだった」

「奇遇ね。私もだったわ」

「ってことは、まだ何か隠してるんだろ」

 白羽が、この言葉を言った瞬間、苑座に一瞬の狂いが生じた。全く同じペースで同じ歩調で歩いていた二人が、一瞬の狂いによって少しだけ歩調がずれる。苑座は、しかしそんな動揺をおくびにも見せずに歩き続ける。だが、白羽はそんなことはお構いなしに自らの理論を展開する。

「隠してなんかいないわよ。私はただのお雇いハッカーよ。今回は私絡みの事案だから、貴方のところに来たものと一緒に来たんじゃないかしら」

「まさか。社内ネットワークはまあいいとして、それよりも、あのメール、よく見たか? 確かに『クアイル社員へ』って書いてあったぞ。あの几帳面な社長の事さ、いくら焦っているとはいえ、そういうところでは決してミスをしないからな。もうここまで理論武装すれば十分だろう。結局、苑座、君は何者なんだ?」

「そういう貴方こそ何者なのよ……まるで社長を旧知の仲のように話して……」

 苑座が、戦慄した目で白羽の事を見詰める。白羽は、決して苑座の方を見ずに、ただひたすら駅の方に向かって、歩き続ける。何が起きているのかわからない不信感が、より一層危機感を募らせる。

「俺? 俺か……まあ、相手はクアイル社内の人間ってことも分かったし、ばらしてもいいとは思うんだけれど……自分から言うというのもあれだ。正体を隠していたそっちから言ってくれ」

 自分の事は棚に上げておいて、白羽はぬけぬけと相手に正体をばらすように促した。正常な思考判断力が鈍っているのだろうか、苑座も、その事には突っ込みを入れずに思考を逡巡させた。

「そうね……今会社に呼ばれた以上、君もあなたも正体を明かすことはきっと時間の問題なのかもしれないわね……」

 そう言って、苑座はさっきまで早歩きだったところを、少しだけさらに速度を上げて、少しだけ小走りにする。そのまま、苑座は、後ろ走りのような態勢で白羽の顔を見ながら、真実を、告げた。

「私は、『カスタマーサービス課付属部品開発部』っていうところに所属しているんだ。そこの長、言うところの部長だね」

「……カスタマーサービス課? へぇ……そんなところに。なんでまた?」

 ここまで話したところで、駅に到着した。苑座は前を走っていたが、駅の階段が見えてきた事を察して白羽に並走する形に戻った。

「私がハッカーだった、っていう話は嘘じゃないのよ。嘘だったのは、私が外部のハッカーだった、ってこと。あの後、クアイルに拾われて、正確に言うのなら、坂匡副社長に拾われて、今では正式な開発員よ。絶対的な忠誠を誓っている、みたいなことはないけれど、それでも、私が人としての道を今は踏み出していないのは、あの会社のおかげだと思っているわ」

「なるほど……」

 なるほど、こんな隠し玉を持っているとはな……。坂匡は苑座の力を使って、技術部からキメラシステムを盗み出そうとした、と言う訳か……。

 あまりにも、あまりにも普通で、何も代わり映えのないただの救済の話。しかし、それがどれだけ現実離れしているか、考えるまでも無い。

 そんな運命のような、まるでシンデレラストーリーのような事が起きるかと言われたら、疑わざるを得ない

 ましてや、一度嘘をついている相手だ。信じろというのが無理な話だ。

 そもそも、ハッカーだと偽った理由がわからない。何故、そんなリスクのある嘘をついたのか。何故、そんな意味のない嘘をついたのか。

 白羽は、その理由を考える。

「で、白羽君は、いったい何者なの?」

 苑座にそう聞かれた白羽は、結局こう答えることにした。

「それは、きっとクアイルの本社でわかると思うよ。呼ばれたってことは、きっと何らかの会議だろうしね」

 要するに、逃げだ。自らの立場を曖昧にしておいて、相手に干渉されたくないという意思を示しただけだ。

 だが、これで苑座の興味が抑えられるとは思わない。ましてや、一度嘘をついてしまった相手だ。今だって、苑座は嘘をついているのかもしれない。だが、それとこれとは話が別だ。要するに、互いに腹の探り合いをしている状況なのだ。

「……分かった」

 しかし、苑座は何故か納得した。そこには、自分が信じられていないという事を理解しての上での返答なのだろう。しかし、これによって一層白羽に興味がわいてきてしまったというのなら、それは失策と言わざるを得ない。

 苑座が嘘をついた理由とは。

 苑座は本当にその役職なのか。

 苑座が隠しているのは何か。

 苑座が、俺に興味を持ったのは何故か。

 様々な思考が、白羽の脳裏をかすめる。苑座は、いったい何者なんだろう。坂匡からも、一度として聞いたことはない。

 存在が、意図的に隠されている? いや、そんなことはない。俺が知らなかっただけなのだろうか……。

 カスタマーサービス課の存在を白羽は全く以て知らない。クアイル社内とは、いわば隔離されたような場所にある技術部なので、お互いがお互いに干渉しないスタイルを常日頃から取り続けている白羽達にとって、それは居心地がいいものでもあり、また、状況が手に入ってこないという事でもあった。

 だから、この事は知らなくて当然どころか、知れるタイミングが無かった。

 だが、おかしい。

 苑座が、白羽に目を付けた理由。クラスメイトがクアイル社から出てきたから。確かに気になるだろうが、しかし、何かが違う。苑座がその日、クアイル社から出てきたのは、普通に会社に呼び出されただけなのかもしれない。それと偶然被ってしまっただけなのかもしれない。

 ただ、そこで興味を持って、白羽に接触して、自らの事を少しだけ、気にならない程度に偽って教えることに、何の意味がある? 現ハッカーと、元ハッカーと言うだけの、些細な違いで、何を間違わせようとした? いや、そうじゃないのか? まだ、何か隠していることがあるのだろうか……。


 やがて、全体を覆う銀色に赤と青、それから黄色の三色でカラーリングされた線が入っている鉄道が、ホームでその到着を待っている白羽たちのもとに警笛を鳴らしながら侵入してくる。

 あれから、他愛もない世間話はしたものの、それ以外の重要な話は何一つとしてしていない。周りに人がいるような場所ではおちおち話すこともままならない。それほどまでに、重要な機密がちらほらと会話の狭間に紛れ込んでいたりするからだ。

 正直に言えば、聞きたいことは山ほどある。だが、こちらは自分の正体すら明かしていない。そんな奴が、相手の情報をさらに聞き出そうというのはいささか都合の良すぎる話だろう。

「苑座、あと何分くらいだ?」

 もう間もなく午後4時になろうとするところだが、それでも何があったのかわからない状態で悶々とするのは大なり小なり不安が付きまとうものだった。直接聞いてしまうということもあったが、しかし重要役員が集められているというのなら、行かないわけにもいかないだろう。

 電車の中は、そんな時間だということと、平日であるということも幸いして、然程混んではいなかった。そんな中、昨日、苑座と出逢った時のように、肩をくっ付けて座席に座る。二度目とはいえ、女子に隣に意図的に座られるということが慣れることはなかったが、そんな煩悩は他のことを考えているだけでいとも容易く吹き飛んだ。

「そうだねー……あと、15分ってところかな」

 15分と言われると、それほど時間がかからないように感じる。しかし、実際に体感してみると、この待ち時間は1時間であるかのように感じられた。

 早く着かないかな……そんなことをひたすら考えながら、電車の中で座りながら過ごしていた。


 午後4時23分、白羽と苑座はクアイル社正面玄関に到着した。苑座は正面から見て、右側にあるエレベーターで、白羽は左側にあるエレベーターで、上階に向かった。白羽と、そして白羽にとっては驚きだったが、苑座も顔パスで受付をクリアしてきた。その後、二人は一言二言、言葉を交わし、そして別々の方向に向かっていった。

 重要な話をする際は、クアイル社内ならいいというものではない。何より、情報の面に関しては、街中よりも社内のほうが情報漏えいの危険性がかえって高まるというのだから皮肉なものだ。


 行く先はそれぞれ違う。白羽は、とりあえず社長のもとへ。苑座がどこに行ったのかは、白羽の知る由はなかった。



 地上の眺めが美しい、とはいっても、クアイルの会社はそれほど高い建物でもない。どちらかと言えば、横に長い建物だった。それでも、ある程度の高さは誇っているわけで――この感想は、さっきの苑座の家から地上を見下ろした時に比べれば見劣る、と言う意味でのものだ。

 そんな眺めに目移りもせず、白羽は、社長室のドアをノックもせずに押し開け、ずかずかと入り込み、絡砂社長の執務机を叩く。

 社長はいきなりあらわれた白羽の姿に驚いていたが、すぐに平静を取り戻した。白羽がこう来るというのは、予想ができていたのだろう。

「社長……なんですか、いきなり呼びつけて」

 白羽には、それほど眼力があるわけでもないが、そんな瞳で、社長を睨む。

 社長はそれにたじろいだわけではないが、もとから話すつもりなのだろう、白羽に向かって呼びつけた内容を告げた。

「まだ、これは公には公開されていないことだが――キメラの不正改造が確認された」

 告げるというよりは、ため息をついているようなトーンで、しかし社長なりの貫録を出しながら重い声で、そう言った。

「これは、カスタマーサービス課でキメラの点検をしていた時に発見されたものだ。これについての役員会議が行われるが――白羽君、君はどうする?」

 この、どうする、と言う質問は、今迄公の場どころか、役員会議と言う場所すらにも参加していない技術班の長として参加するか否かということを聞いている。

 この答えは、しばらく迷ったのち、白羽は――、

「今回は、傍聴で。もし何かあったら、放送なりで連絡を入れます」

 という判断を下した。

 社長はそれに頷いて、フカフカそうな黒革でできたいかにもな社長椅子からゆっくりと立ち上がる。

「それでは、私は会議に行ってくる」

 そう言って、社長は白羽の隣を通って、社長室の扉を開けた。



 白羽は、特設室と呼ばれる、普段使われることのない部屋に一人で座っていた。ここに座ることができるのは、本当に上層部の中の、さらに限られた人物くらいのもので、そもそもこの部屋の存在は周知されていない。会議室に監視カメラが設置されているということまでは良いにしても、盗聴器まがいなものも仕掛けられている。

 その視聴を目的とする部屋が、この特設室だ。


『それでは、緊急役員会議を始める。カスタマーサービス課、付属部品開苑座部長』

 社長のその一声から、会議は始まった。そして、その第一声に反応して立ち上がったのは――苑座だった。


 カスタマーサービス課の件や、それから今回の件についても、社長から大量の資料をもらった。

 カスタマーサービス課は、主に名の通り、顧客のサービスを中心に行っている部署だ。ただ、その部署はとても特殊で、技術班に影響しない様に、キメラの診断などを行っている。キメラの診断には、もちろんキメラについての専門的な知識が必要になるが、しかしその専門的な知識が明かされていない。だからこそ、そこでは日々多大な苦労が行われている。

 キメラについての秘匿情報は多岐に及ぶ。

 キメラの接続方法から、意志の統一方法、使用パーツの取捨方法、体内部品など。もちろん、技術班などでも、キメラの診断機械は作っている。だが、カスタマーサービス課ではあらゆる状況に対応する必要が出てくる。

 それがまさに今回の件だ。

 いかにして情報を得ることなしにその問題を解決するか。

 とんだ縛りプレイだが、そういうことを日々している部署があるのだということが、その資料には書かれていた。

 そして、そのカスタマーサービス課は、元ハッカーである、苑座を雇い、長として立てた。

 何をしようとしていたかと言うと――完全黙秘している会社の技術ではあるが、その前に個人の技術である、『キメラシステム』を手に入れて、作業効率を上げようとしていた、と言うことらしい。

 ただ、キメラシステムはそんなに簡単に敗れるほど、容易くはなかった。そして、今に至る、と。

 会社の事業としては、灰色なライン――というか、最早完全にブラックだろと、完全に法に触れてしまうラインなんだけれどなー……。

 それでも、白羽は動じない。白羽は、自分が組み立てたプログラムに絶対の自信がある、と言うわけでもないが、それでも、使う言語が違う、と言う予防線のおかげでだいぶ安心感がある。

 というか、本人に伝えるなよ。これ極秘情報じゃないのかよ。

 そんなクアイルの秘密の緩さに心底呆れつつ、自分の身を案じていたが、これはきっと白羽のために作られたんだろうなと言う事を考えて、自分の立ち位置を再認識する。

 あくまで特別扱いだ。

 ただ、そんな現状を望んだのは、あくまでも白羽であって。

 そしてまた、そんな現状を維持しているのは、白羽だった。



『はい、苑座です。今回はキメラに違法改造が見つかったという事件が発生しました。これについて、私達カスタマーサポート課は技術班に対してその匿秘されている技術の公開を要求します』

 スピーカーから、そんな声が聞こえる。

 はきはきと喋る、苑座の声だった。

 円卓のような席に付きながら、周りに苑座の二回りくらい年上の役員が居るのにもかかわらず、物怖じなんて何もしていないかのように見える。少なくとも、画面越しにおいては。


 そして、白羽は気がつく。これは、苑座からの技術班への宣戦布告だと。

 技術の匿秘について、裏から攻めることを諦めて、表から、正々堂々と勝負を仕掛けてきた。そして、これは恐らく――坂匡の仕業だろう。


 情報を秘匿しておいて、正解だと思った。

 何も言わないで、よかったと思った。


 この宣戦布告は、技術班代表として、キメラシステム全責任を負うものとして、しかと受け取った。

 そう胸にして、とりあえず白羽は、放送マイクを手に取った。

 勝負の幕が、上がる。



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