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第三話(上)「白羽の妙案」

 第三話(上)


 電車が揺れる音がする。ガタンゴトンと、一定の周期でリズムを刻むこの音は、線路と線路の繋目の上を車輪が通る時の音なのだろう。そして、それから時折聞こえる電車特有のプシューという音。この二つが合わさって、不協和音どころか、寧ろ心地いい。

 窓から見えるその景観は、一面が闇に染まっていて、しかしその中に垣間見える幾つかの光は、幾星霜のメタファーなのではないかと思うくらいに輝かしく、どこかの写真で見た百万ドルの夜景を彷彿とさせた。

 窓に反射する女の子の寝顔は、世の中の穢れなんて知らない、純真無垢の顔のように見えてしまう。

 白羽の肩に頭を乗せて、スヤスヤと眠る。必然的に、白羽には女の子特有の温もりが来るわけで。

 その頭に自分の頭を乗せて寝こけてしまおうかと、一瞬だけ考えた自分が馬鹿みたいだ。

 周りから変な目で見られるし、起きた時の相手の目が痛い。

 っていうか、知り合って間もないのに。

 なんで話しかけられたのかも、結局分からないままだった。

 というか、そんなことに意味はないのかもしれない。委員長の性格上、話してみて思ったけれど、意味深なようで特に考えていない発言が多かったし。

 友達が少ないので、話せる友達は大歓迎なんだけれど。


 ……とまあ、暫くぼうっとしていると、降りなければいけない駅にもう暫くで着くという頃合いになった。急行で3駅とは言っても、各駅停車に乗るとやはり時間がかかる。

「おい、そろそろ起きろ」

 ここで起こさないという手もあったけれど、そこまで非人道的ではない。一応、道徳的な心は持ち合わせている身だ。

 スヤスヤと眠りこけている委員長の肩を、軽く触って揺り起す。誰も知りあいなんて見てはいないと分かり切ってはいるが、どうしてもキョロキョロと周りを見渡してしまう。

 女子に今まで触れる機会がなかった男子にとっては、女子を触るという事はなんだか気恥ずかしい事だという共通概念がどこかのタイミングで染み付いてくる。

「……ええと……ここは?」

「もうすぐこの鉄道のターミナル駅ってとこだけど、もしかしてもう駅は過ぎたか?」

 ちなみに、白羽が降りる駅は次のターミナル駅で、学校がある駅はそこから2駅ほどのところだ。

「ああ、いや、大丈夫。私が降りるの、そのターミナル駅のところだから……ごめんね、起こさせちゃって」

 眠たそうに目を擦りながら、苑座はとろんと今にもとろけそうな瞳で白羽を見つめながらそう言った。

 まださっきまでのように本領発揮できていないのか、会話がすこし大人し目になっている。

 ギャップというものなのだろうか、それはそれでまた別の良さを白羽に感じさせたまま、苑座は自分が持っていた鞄に手をかけ、抱きしめるように持ち降りる支度したくを始めた。

「いや、気にする必要はないよ。俺も降りるところだから」

 傍から見るとなんとも格好の良さげな言葉を言っているのだけれど、それがあまりにも自分の中で似合っていなくて、苦笑してしまいそうになったのを頬の筋肉を使ってグッとこらえた。

 しかし白羽も半分寝惚けながら応答しているので、口から言葉が自然と出てしまう。それに反応できるだけの自分の脳内メモリがあるだけまだマシというものかな。


 扉が開く。冷たい夜風が電車のドアの間から吹きこんでくる。夏に入りかけという時期だが、今日は晴れているという事もあって、風は涼しいものになっている。じとっとしていなくて心地よい。

 電車から一歩外に出ると、ターミナル駅独特の人混みが白羽と苑座を襲う。手を繋いで人混みを掻き分けていくなんていう青春真っ盛りな出来事は当たり前の様に起きない。

 白羽はそのまま、人混みに紛れて駅の改札口に向かう。苑座は、寝ぼけ眼のままだったけれど、白羽の方に振り返って、

「じゃあ、私乗り換えあるから、また学校でね!」

 とだけ言って、走り去ってしまった。

 何だったんだろう。という気持ちが、苑座と別れてから白羽の中でより一層強く感じてしまった。

 委員長の考えている事が色々わからない。

 そもそも、彼女は何者なんだ?



 白羽は、窓枠からレースカーテンを挟んで差し込んでくる朝の光を浴びて早朝6時に目を覚ます。体をベッドから起こし、その状態のまま窓の外を眺める。

 長閑のどかな街並みが広がっており、少しだけ奥に目をやると田畑が延々と広がっている。目を凝らして奥の方を見ると、田畑と山の区切りが見える。緑に囲まれていると言えるような言えないような、半分田舎のような場所に突如として出現したのであろうビルのちょうど半分くらいの階層に白羽と白羽の母親は住んでいる。

 父親が存命のころにこの物件は買ったもので、3人住まいでも当時は広く感じていたのに、2人で住まうには確かにあまりに広すぎる。ベッドタウンとしてはいい具合に都市部に近いこの町は町としては魅力があまりないものの、距離と比較的なんでも揃うことが相俟って最近になって急に人口が増えてきたという印象がある。

 そんな場所に孤立して立っているビルの、真ん中あたり一階層分が白羽家になっている。普通の買い取り式マンションのような物件を、どうやら親父がキメラの研究が軌道に乗った頃に一階層丸ごと買ったものだと聞いている。

 このマンションは中央にエレベーターが位置していて、一階層に付き8室が存在する。高い階層に行くにつれて、値段が上がったり階層に付き4室だったりする。

 そして、その8室分をぶち抜いて白羽家は成り立っているわけで、家の中をぐるりと物理的に一周する事が出来ると言う何とも異質な構造になっている。

 しかしこれに不便はない。

 白羽の部屋もきちんと設備されていて、この家は白羽が生まれてから数年後に買ったものだから当然と言うべきなのかもしれないが、きちんと1室存在する。

 1室。それ用の玄関なんかもついていたりして、しかもその一室だけでもなかなか広い。

 基本的にスペースを持て余してしまって風呂場なんか大浴場じゃないにせよそれなりの人数が入れるんじゃないのかと思ってしまうほどの広さを誇る。

 多分、紹鴎とかが見たら吃驚びっくりするんじゃないだろうか。

 白羽は、寝室からリビングへと移動する。最近では堕落が過ぎてこの移動が少しずつ面倒になり始めている。きっと、これは持つが故の悩みとか、そういうものではないんだろうな。

 リビングへ移動する間に、白羽が飼っているキメラが「クアァ~」と鳴いた声を聞いたので、様子だけ見に行くことにした。ペットはペットらしく、一つの部屋が与えられている……。なんだろう、どう考えたって家のキメラだけは豪華なところに住んでるような気がしてならない。

 白羽の母親が飼っているキメラと共に、仲良くじゃれ合っているみたいだ。

 白羽の母親のキメラは、鶴と亀を接続したもの。ベースは鶴で、二本足で立っているが、その背中には亀の甲羅があり、心なしかそれを支える為に足が少しだけ筋張っている。鶴の脚のそれよりも半分くらい短くて、亀と鶴の間を取ったと言うにふさわしい格好だ。これは、格好いいというか、可愛いの方に属されるものだろう。

 動物がキメラ化されるにあたって、どの動物もデフォルメがかかっており、元の動物を想起させるが、しかし完全に違うなにかキメラになっているという仕様のため、あまり生々しさが、動物らしさがどこか欠けているような気がしないでもない。

 対して、白羽のキメラは親父から受け継いだシーラカンスとフェニックスを接続したキメラだ。

 シーラカンスはまだわかる。フェニックスなんて実在したか?

 そんな事も、終には聞くタイミングを失って親父は他界してしまったが、それでもこのキメラだけは生きている。大きい巨鳥――古道が飼っているそれよりも、だ――で、サイズ的にはキメラ基準の大きさで言うと少しばかり大きいかな、くらい。要は高さ1メートルと少しというくらいだ。

 フェニックスなんて一体どこで見つけてきたのかは知らないが、親父はどうにかしてその巨鳥の遺伝子をキメラに組み込ませて接続させたのだろう。

 鳥のような魚のような、ベースは鳥なので、明らかに鳥のような外見をしているのだけれど、それでも色はシーラカンスを継いでいるのか若干ごつごつしたような硬めの岩のような触り心地に灰色と地味な色をしている。ちなみに、触ると熱い。流石フェニックス。

 存在が疑われているような伝説の鳥のキメラといつも通りに目配せして、白羽は台所へのこのこ歩いて行く。

 親父から受け継いだというだけあって、あのキメラは白羽のいいパートナーだ。だが連れて歩くとどうにも目立つ。存在感が半端じゃない。鳥キメラとしては確実にどのキメラよりも大きいサイズなので人目を引くのだ。なので、学校には連れて行く事が出来ない。

 フェニックスキメラ――名前は「フェン」だが、こいつには申し訳ないが、今日も家で母親のキメラとお留守番をしてもらうことになる。

 それも含めて、いつも通りだ。


 白羽の母親も、クアイルで働いている。役員の一人として今日も朝から――というか、昨日の夜から返ってきていないみたいだが――働いている。御勤めご苦労様です。

 なので、今日は白羽一人での朝食だ。だいたい3分の2くらいの確率で白羽の母親は家にいない。仕事が超忙しいとか何とか。それが本当かどうかわからないが、少なくとも白羽には確認する術がないので、放っておいている。キメラに関しては、放っておいてもブリーダーさんが来て餌とか毛繕いとかしてくれているので、それに関しては問題はない。

 金銭面も、親父が遺した大量の遺産があるので、それも問題がない。

 要は、仕事が本当に心から好きなのだ。そういう姿には憧れるところがある。社畜とか、そういう事は考えない。仕事が好きでしているに違いない。


 白羽は椅子に座りながらこれから何をすればいいのかを考える。

 早急に対処しなければいけないのは、副社長から受けた社外に向けてのキメラの軍事利用アプローチ。

 軍事利用しまーす、ってそんな風にいきなり喧伝はしないと思うから、やはり福祉を盾にとって国と協力していきます、と言う風な内容になるのだろう。国民の何パーセントがこの異変に気付くだろうか、気が向くだろうか。

 ただただそういう事実は知っている。しかし、その中身は知らない。そんな風になってしまうのではないだろうか。そこが一番の懸念材料であって、それが最もなってはいけない最悪のパターンだ。

 だから、そうさせないために。

 まずはクアイル社内でこのことを押しとどめないとな……。

 そう考えて、とある人物に連絡を入れることにした。

 いくら交友があるとは言っても、いくら人として仲がいいといっても、会社の人間と言う風に見てしまえばライバル関係にも等しい関係だ。そして、今回は坂匡がそれの手動を握ってきている。だからこそ、頼るわけにもいかない。

 なので、今回頼るべきは……。

 そこまで考えて、白羽はとある番号に電話を入れる。

「はい、絡砂からざですが」

「社長、ですか?」

「……白羽君か」

 副社長に対抗しようとするのならば、その有力な対抗候補となる社長に、今回の件の協力を申し出るのが基本だろう。

 電話の奥では、重々しい空気が流れている。まるでこことは時の流れが違うかのように、ずっしりとした重量感と厚みのある空気だ。

 まあ、空気と言うよりは、何故か社長が畏まってしまっているというところにあるが。

「白羽君……申し訳ない。本来は私の口から伝えるべきところを……曲がりなりにも君の親父さんの意志をついでいると言うのに……」

 確かに、何故もっと早く教えてくれなかったんだという抗議の気持ちもあるが、年どころか役職も上である人間にこうも畏まって言われるとそんな言おうとしていた苦情までも言う気を削がれてしまう。それも含めて計算しているというのなら長年の年季がこもった策士なんだなと言う風になるが、昔からこの人物を知ってきている白羽にとっては、社長がどれだけ誠実な人間かは分かっているつもりなので、そんな気持ちはぐっと抑えて相手側の謝罪に真摯にこたえる。

「そんな畏まらないでください……。今のあなたの役職は社長なんですよ。一介の高校生なんかに腰を低くして話しかけたら会社の名誉や尊厳に支障が出ます」

 宥めるように、しかし凄みを込めて白羽は社長に向かって言う。

 絡砂社長は、親父がキメラの研究を始めたころからの仲間だったそうだ。親父が一人で会社を建てた時に協力したという事もあって、かなり昔からいる相当の古株だ。

 それでも、今の時点で一番の古株は誰かと言ったら白羽になってしまうのだろうが。

「しかし……白羽君。これは会社の独断だ……私は……」

「口止めされていたのも大体察しがつきますし、会社は会社のトップ陣が独断で引っ張っていくものですよ」

 だから、一人で引っ張っていくようなものでもなかったんだ、という皮肉も少し込めつつ。この皮肉は、自分自身、いや、死んだ親父に向かってのものだ。笑い飛ばせるようなブラックジョークだったが、生憎絡砂社長は気がつかなかったようでスルーされた。

 絡砂社長が口止めされているという事は、まあ薄々感づいていた。長年の勘とは言わないし、そんなに長い間生きているという実感も無いけれど、社長と白羽は仲が良いというか、いいビジネスパートナーとして認識されていた。目指す方向が一緒で、どちらも白羽の親父――飾紀直史に影響されているとして、マークされていてもおかしくはなかった。

 だから、きっと重要役員だけという風に緘口令が出されているのだろう。

 そうでなければ、今頃社内にそんな話が広まって、その時点で社外に喧伝するのと同じ効果になってしまう。

「例え嘘でも、そう言ってくれるだけで私は嬉しいよ……」

 社長が少しだけ、元気を取り戻したところで、白羽は切り込む。

「で、社長の意見をお伺いしたいのですが」

 ここで、社長がこの意見に反対か賛成かを知っておく必要がある。見立てと本音は違うように、少なくともここで言質くらいは貰っておくことにする。

「私は、こんな意見に反対だ。前の社長の意志と真っ向から反している。決してこの技術は国のためなんかには使わせない。人々のためにあって然るべきだ」

「それでこそ社長です」

 と、白羽はどこかの悪役のような事を言いながら、社長を煽てるようにして、次の話へと進めやすくする。こんな安い手に乗るような人でもないが、相手もこちらが何かしようと、手を打とうとしているのは気が付いているのだろう。

「経営陣が、そういう技術班に対して独断専行をするのならば、技術陣が経営陣に対して独断専行をすればいいと、反逆の烽火のろしになると僕は考えたんです」

 白羽は、電話口に向かって話し続ける。

 いい加減座って話すような堅苦しい空気をやめたとばかりに、白羽は携帯電話を肩と頭で挟んでずれ落ちないように固定しながら朝食用のパンをトースターに二枚ほど入れた。

 学生の朝には、常に時間が足りないものなのだ。

 そんな雑音を聞いたのか、電話口の向こうでもシリアスな話は終わったのかと一息漏れる音が聞こえた。

「で、その烽火を上げる方法なんですがー、まあ簡単にできる範囲でボイコットかと……」

 少しばかり、電話鋼の奥で唸る音が聞こえた後、

「極端すぎないかい?」

 という社長の弱気な発言が聞こえた。

 まあ、確かに若干過激で極端かもしれないけれど、この位しないと効果は出ない気がする。

「そうですか……じゃあそれは最終手段と言うことで……キメラに関する情報を持っているのがとてもごく少数と言う事を生かして、彼らにその情報の緘口令を敷きましょう。そして、いざその時点になった時に何もできない、という脅しをかけておくと言うのはどうでしょう」

 明朗快活な声で、いったい何を言っているんだと、ふと思ってしまった。

 しかし、ここでの話は企業の方向を大きく位置づける話だ。そんな簡単なものではないが、これ以上の手はないと白羽は思っていた。

「……分かった。それでいこう。そういう連絡が入ったと、私から坂匡君には伝えておくよ」

「ありがとうございます。社長」

 暫くの間熟考したのち、社長は最後まで微妙な声音を残しつつ、最終的には白羽が出した意見に賛成をしてくれた。

 この意見の出し方が正しいものではないのは重々承知だ。しかし、こんなことになるまで話を止めていた重役たちにも責任がある。

 だから、技術班の長として、親父の意志を継いで、俺には守らなければいけないものがある。

 そして、白羽は電話を切ってトースターからパンを取り出し、お湯を注ぐだけのインスタントコーヒーを準備して席に着いた。

「どーすりゃいいかなぁ……」

 椅子に座るなり、パンを一齧りしながらこれからすることに頭を悩ませる。悩ませる、と言うよりはこれからすることに対してうんざりしているといった方が正しいのかもしれない。

 足を机の向かい側に位置する椅子に向かって伸ばして、うーんと唸る。

 とりあえず、できることからコツコツと、というどこかのキャッチコピーを思い出しながら、できるところから始めようと技術班のメンバー全員に、気を付けるようにとメールを送信し、そのうちの1人に、今日の夕方に会う約束を取り付けた。

 2つに畳める携帯電話をそのまま畳んで学校の制服のポケットに突っ込み、パンを齧りながら着替え始める。

 さっきまできっと薄暗かったであろう空は、青く、気持ちの良い朝を世界に提供していた。今日はこんな青空のように気持ちの良い日になるといいな、なんて青空と全く関係ないことをあたかも青空と関係あるかのように考えて、頭を企業のモードから学校のモードに切り替えた。


 技術班と言われる部署がある。

 白羽がそこの班長と言う役職についているが、学生程度の白羽にも監督ができるほどの簡単な部署、という訳ではない。寧ろ、白羽にしかできないような班長、と言ってもいいくらいだ。その肩書に高校生という肩書は影響しない。影響されるのは自らの手腕だけ。要するに、実力次第でどこまでも這い上がっていける場所だ。そして、ここで技術班の長をしているという事は決して親の七光りに影響されたわけでもなく、白羽の腕が評価されて、ということだ。

 あるいは、アクの強い人たちを纏め上げるにはいい人材だったのかもしれない。

 その技術班は、実のところ構成員はたったの30人だ。それほどに人員は少ないのだけれど、クアイルの会社の仕事の大部分をこの班が占めていると言っても過言ではない。

 クアイルと言う会社は、主としてキメラに関する全般に関わっている。

 キメラを製造することから始まって、キメラのサポートは数知れず、挙句の果てにはキメラの葬式まで執り行う事もある。

 そこの、キメラの製造、これ全てを請け負うのが、技術班の仕事だ。

 と言っても、もちろん全世界のキメラをたった30人で造るなんて土台無理な話なので、技術班が造るのはキメラを創りだす機械だ。

 一つ一つ手作りされていて、設計図はない。

 紙と言うアナログなものに写す時点で、それは情報がいつ漏れてもおかしくないという親父の判断でそれは30人の頭の中だけにとどめられた。いや、30人プラス白羽だけれど。

 そして、その30人は世界中に散り散りとなり、いま日本にいる技術班は白羽を含めて3人だけだったりする。

 機械だって、相当頑丈に造ってあるし、壊れることなんて滅多にないので、そんなに人員を必要としない。なので、この人数だがいざ機械を造ろうという場合世界各国から技術班の人が駆けつけてこれるようになっている。大抵の場合は2人くらいで長時間をかけて完成させてしまうが。

 そんな日本にとどまる技術班の二人のうちの一人である千之寺せんのじにアポイントメントをとりつけておいた。

 この件は、はたしてどうなる事やら……。


 そんな事を考えつつも、学校に到着した。

 今日は誰とも登下校中に会う事も無く、それは教室に入るまで続いた。静かな登校で、物事を考えるのにはうってつけだったが、言い方を変えれば少しだけ寂しい通学路でもあった。だからといって何かあるわけでもない。一人でただただ歩を進めていれば自然と学校に辿りつく。

 風通りのいい道を多く通りと言う事もあって、夏に入りかけの時期にしてはなかなか涼しげな風が吹く。袖口から入って襟元に抜けてゆく風が心地よい。

 そんな幸せな時間も、少しだけで終わってしまったのが悔やまれる。

 今日も、また小悪党みたいな人物が、キメラと共に待ちかまえていた。そんな何回も起こるようなイベントでもないしなー、とか思いながら、気がついた瞬間にはもう既に、全力疾走していた。


 そもそも、何故白羽はこんなに頻繁に狙われるのか。

 白羽がその権利の代表者であることは世間には公表されていない。よって、白羽を襲ってくるのはクアイルの社内の誰かだとそこまでは容易に想像がつく。そこから先の推理は簡単で、白羽が倒れて得をする者、あるいは白羽のことを邪魔と認識している者が白羽を狙っている人物となる。よって、副社長よりの人物である誰かだと、白羽自身そう予測している。

 この予測は間違っているかもしれないし、合っているかもしれないが、今のところ一番有力な予想だと思っている。もしかするとどこかの他企業が技術狙いに襲っているという可能性も捨てきれないが。

 だが、白羽はそれに対する対抗手段を何も持ちえない。

 白羽にはいつも連れているキメラはいないし、いつもボディーガードを付けておくわけにもいかない。ただの一般人を装わなければいけない。だからこそ、何もできない。

 よって、逃げるに限る。

 だから、毎回こうだ。

 この間みたいに、運よく捕まえたところでどうせ名前なんて名乗っていないだろうし、手に入る情報なんてほんの少したりとも無い様な小悪党にそんな誘拐を依頼するという時点でどうせ相手は大した人物でないことはわかる。

 じだから、やはり情報狙いの線が強いのだろうか。

 白羽の予想はぐるぐる目まぐるしく移り変わる。だからと言って、答えがそこから導き出せるものでもないので、白羽は考えることをやめて、走ることに集中して追っ手を振り切った。



 偶然にも太陽が出る方角と学校の正門から学校を眺める位置とが奇跡的に被って、学校でダイヤモンド富士を見ているような感覚に苛まれた朝。

 逆光で見難い校舎を直視することもなく、下を向きながら疲れた表情で白羽はのこのこと歩いてゆく。今日も大混雑しているキメラ預り所を軽くスルーしてそのまま玄関口へ向かい、下駄箱を開けて靴を履きかえる。下駄箱が少し下の方にあるので、靴を取る際の屈折運動が少しだけ疲れた体に響いた。階段を上るという最早苦行でしかないような行動にも耐えて、教室の横開閉式扉を開けた。

「おお、おはよ、白羽」

 そうしてまた、いつもの日常が始まる。

 ここから先はいつも通りの、変わりなく淀みない日常が続いてゆく。

「あれ、白羽、今日もまた疲れてるな」


「ああ、いろいろあったんだよ。悪の手先に追われたりな」

 そういって、軽く茶化しておく。これは、実際に間違っているわけでもないけれど、殆どの人は信じない。当たり前だ。信じたら厨二病と言う烙印を押されてしまう。

 だが、事情を話した彼は――古道は。

 白羽のことをじっと見つめ、いつもの会話が終わったところで白羽の席に近づいてきた。

「……お前、もしかして」

 白羽は、古道の言葉を遮り、言葉を続ける。

「いや、心配することはない。いつも通りだから」

「そんな無茶していたら体壊すぞ? いつもキメラに襲われてるんだろ? 普通の感覚で言ったら毎日登校中に熊に襲われているようなもんじゃないか」

 そのたとえは何か少し違うような気もするが、横槍入れないでおく。相手も善意で言ってくれていることだ。

「まあ、それでも大丈夫だって」

「そんな『大丈夫』でごり押ししたって余計心配になるだけだからやめてくれ……」

「……すまないな」

「ああ、いや、わるい。ほら、紹鴎も来たから、いつも通りに振る舞え」

「ああ」

 そう言われて荒かった呼吸を整えるために深呼吸をする。服の中で少しだけかいていた汗を服でパタパタして風通しを良くする。

「おっはよ~白羽、古道!」

「ああ、おはよう、紹鴎」

 白羽がそう言って、それに続いて古道も同じような挨拶を述べた。

 顔に浮かべる笑みに、少しだけ生気が足りなかったのか、紹鴎がなにか疑るような顔でこちらを見てきたが、それを意に介していないかのように振る舞って、

「ほら、鞄おいてこいよ」

「あ、うん……」

 何事もないかのように接することができた。

 はたして、これが正しいのか正しくないのかはわからないが、人間関係の亀裂を少しだけ垣間見たような気がしてしまって、突然素に戻ったかのように、心が醒めた。

 ……いったい何をしているんだろうか、俺は。


 高校に入ってから、こういう気持ちがより一層強まっている気がする。

 何故隠さなければいけないのか。

 理屈では分かっている。でも、心では分からない。自分だけの特別性として、他人に広めたいという欲があるわけではない。

 だが、それでも。

 クラスメイトや仲のいい友達にまでこれを隠す必要があるのかどうか。そこに疑問を感じてしまう。

 可能な限り悪い方向に行くのを避けたい。だが、それは自分の日常を犠牲にしてまですることなのか。あくまでこれは予防線であって――と、思うけれど、予防線であるからこそ、貼っていなければいけないんだよな……。

 そう考えるのは、まだまだ俺がこの問題の大切さを理解していないからなのだろうか。


「昼休みだー!」

 チャイムが鳴り終わり、4時間目の担当教師が教室から去って行った2秒後あたり、古道がクラス内に響き渡るくらいの大声でその喜びを皆に伝えている。各々が食堂に向かったり各自で弁当を持ち好きなところに出向いたりとさまざまな行動が見られる中、いつものように白羽たちは教室に残って弁当を広げようとする。

「ああ、そうだな」

 机を動かしながら素っ気ないようにして古道の大声に反応する。

「なんだ冷たいな、もう少し明るい対応してくれてもいいんじゃないの?」

「明るい対応ってなんだよ。なんて答えればいいんだ?」

「それは……ほら、こう……『そうだね昼休みだねヒャッホー!』って」

「馬鹿じゃないの……」

 古道のボケなのか普通にそう接してほしいのか微妙に判断がつかない答えに対して、紹鴎の冷静な突込みが冷ややかな視線とセットで古道に突き刺さる。

「それを俺がしたら、古道はどう思う」

「馬鹿じゃねぇのこいつって思うな」

「そっくりそのままお前に返してやるよ」

 馬鹿じゃねぇのこいつ。

 目線を古道に向けずに淡々と進んでいくいつも通りの会話に紹鴎が少しだけくすりと笑って、風呂敷のように包まれているナプキンの結び目をするりとほどく。

「あ、白羽は今日は弁当は手作り?」

「ああ、俺の手作り弁当。って言っても、高校生の朝にできる料理なんてたかが知れているし、半分は冷凍物に頼っちゃってるけれどな」

 そう言って、白羽は二人に見せるようにお弁当の蓋を開く。

「いや、それでもすげーよお前! 将来はなんだ、料理人か?」

「料理人になりたいと思っているのなら半分冷凍食品とか使わないだろ」

「ええ、でもそのスキルはもったいないぜ……有効活用できないものか」

 有効活用って、何にだよ。それにそんな卓越した能力は持っていないぞ……。

「そんなスキルは普通に一般主婦なら持っていると思うけどな……」

「えー、でも、私のお母さん持ってないよ? そんなスキル」

 そう言っている紹鴎の弁当は、とてもきれいに整頓されていて彩もよく美味しそうに見える。そう見えるのは俺だけと言うことか?

「いやでも、その弁当美味しそうだぞ?」

 白羽の代わりに古道が紹鴎に質問をする。

「そりゃそうだよ。お母さんになんて作らせたら、食べれるものが弁当に入ってないもん」

 紹鴎は答えながらニコリとしたやわらかい笑みで白羽と古道を見た。

「え、それは自作なの!?」

「そうだよ。卵焼きも野菜炒めも自作だよ。昨日の残り物も入れちゃっているけどね」

「大丈夫。それは普通だ」

 紹鴎にフォローを入れつつ、白羽は紹鴎のお弁当箱にもう一度目を向ける。そこには、冷凍食品の存在が微塵も感じられない清楚で純白なお弁当箱があった。いや、それはおかしいか。

「普通かなー」

 と言いながら、紹鴎がその小さな口に卵焼きを運ぶ。その運ばれてゆく様は、女子らしいというか、こういう仕草にも紹鴎は気を使っているのか、動作がとてもきれいだ。なんというか、洗練されている。

 気を使ってるんだな……とか思いながら、白羽は弁当箱に向かってがっついた。

「ところでさ」

 古道が、何の前触れもなく話題を変えるときによくつかわれる接続詞を持ってきて、唐突に話し出した。

「どうしたの? 古道」

 紹鴎が口に入れた卵焼きを急いで噛んで喉に通してから、そう答えた。

 古道は言葉を紡ぎにくそうに一言二言嗚咽のように、「あ、その……」とか言葉を濁しつつ、苦渋の面持ちで周りを警戒するように、静かに言った。

「なんだか、すごい視線を感じるんだ」

「視線を感じるって、誰からだよ」

 白羽が笑い飛ばすかのように古道に言って、冗談交じりに後ろを振り返る。


 振り返ろうとしたその瞬間、古道が白羽から目を逸らして、後ろを振り向いた。そこには、白羽とは目を合わせないという明確な意思があった。

 一瞬どういうことかと頭を悩ませたが、後ろを振り向いたときにすぐに気が付いた。

 圧倒的な視線に。


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