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第二話(下)「白羽の敵対」

 第二話(下)


 今、白羽は紹鴎の家にいる。しかも、紹鴎の部屋に案内された。

 仄かに香る女の子らしい香り。ベッドやカーテンの色彩が主にピンク色で、箪笥の上には細かい小物が飾られている。勉強机には、女の子らしい可愛い鉛筆立てと、それに似つかわしくない機能性を重視したシャープペンシルが置かれている。普段から散らかしたりせずこまめに掃除をしているのか、塵一つ無いのではないかと疑うレベルの綺麗さがこの部屋からは放たれている。

 これが俗に言われる男子が夢見る理想郷というものなのだろうか。紹鴎の部屋は実に女子じみていた。本棚を除いて。

 可愛らしく全体がピンクで統一された部屋に、しかし一点だけ異彩を放つ空間が確かにそこには存在していた。その場所は本棚。そこだけは何かしらの高級な木材を使って作られており、確かに部屋のどこも丁寧に管理が行き届いているのだけれど、ここだけはレベルが違う。いや、次元が違う。何らかの二スのようなもので塗られており、光沢を出し渋ることなく常に輝いて見える。そして、そこの中に入っているのは女子女子した少女漫画というものではなく、男子の理想郷という夢を壊しかねないようなとんでもなく分厚い専門書だったり、普通の書店ではまず見ないような明らかに一般層の客を相手にしていないようなえらく堅苦しい辞典のような本だったりと色々だ。

 とにかく、そこだけは異彩を放っており、かつ、大事にされているというのが一目でわかる。


 さて、何故そもそも白羽はこんなところに来ているのか。それは白羽自身もあまりよくわかっていない。学校から帰る途中に、古道が先に帰宅するという旨を紹鴎に伝えた結果、次に紹鴎の口から出てきた言葉が、

「じゃあ、私の家に来ない? ゆっくり話せるし、時間に制限がないよ。うん、そうしよう!」

 という、相手に有無を告げさせない類の言葉だった。

 時間に制限がないのかどうかは白羽自身の問題だし、何故紹鴎が一人で自問自答しているのかよくわからないけれど、とにかくそうなってしまった。そうなってしまったものはもう仕方なく流れに飲まれていこうというそんな何となくの気持ちで、来てしまった。

 紹鴎の家に。

 敵の本拠地、と言ってもいいのではないのだろうか。穏やかな学園生活を脅かすキメラ大好き悪魔の。穏やかじゃないんですよ。

 と、普段なら有り得ないような幸せイベントを女子の方から強制的に付き合わされるというギャルゲーイベント強制スキップモードのような事をしでかした白羽は、それまでの順序を一切合財スキップしているから分からないので、ただただ座っていることしかできないのだ。

 一分前。紹鴎が、

「ジュースとか取ってくるから、そこで座って待ってて! あ、そこの本棚のもの勝手に見てていいよ」

 とか言いながら、二階にある紹鴎の部屋から一階にあるのであろうジュースを取りに行っている間、白羽は放置されているのであった。そして、今がその状況。

 ちなみに、その時の紹鴎はいつものお淑やかな感じが少し砕けた、友達に接する態度というか、いつもの態度というか、きっと家での態度なんだろうなという感じだった。

「いや……こんな大仰な本棚、触るに触れないよな……」

 本棚には、キメラ関係の本が大量に並んでいる。質量で測ってもそうとうだろう。というか、みているだけでお腹いっぱいになってしまいそうだ。

 紹鴎の家は、とても裕福というわけでもなく、極めて一般の中間層というような家だった。それでも一軒家に住んでいるというだけで十分裕福だろうが、こんなに専門書を買い込むとなれば相当の費用はかかる。紹鴎の熱意とやる気と、あと小遣いとかを全てつぎ込んでいるんだろうなぁと、ついつい思ってしまう。

 紹鴎の事は今まで、なんとなくキメラが好きな、でもそんなのは趣味程度に嗜む、通常の理解の範疇を超えたくらいのキメラ好きだと思っていたが――これを見て、紹鴎の熱意がどのくらいのものなのか、白羽はようやく理解した。今までに見てきた、キメラが好き、という人間とは一線を画した、まさしく親父のような人間だなぁと、白羽は感じた。

 そしてそれは恐らく間違っていないのだろう。勉強机の上に置かれているのは、いつも見ているような学習ノートだった。その表紙には、『キメラについてVer7』という文字が見えた。

 これは、きっと研究の記録なのだろう。

 キメラに関する情報を白羽が社内外に対してひた隠しにしているのを、悪意なしに暴こうとしているのだろう。

 友達として、いや、友達だからこそ、その研究を止められない。

 本当は止めてほしいのだけれど、そんなことを口に出すことなんてできない。とてもじゃないが憚られる。白羽個人の意志と感情が対立している。

 ただ、キメラシステムについてはそんなに簡単に解明できるものではないと、自分自身分かっているから、それについては心配はいらないだろう。


「白羽~お待たせ~!」

 紹鴎が制服姿のままトレーにコップ二つと100%オレンジと書かれた紙パックのジュースを運んできてくれた。

 そして、いつ変化したのか知らないが、その目は朝のあの時と同じ目になっている。

 当たり前のように、男女がひとつの部屋にいる状況で通常一般的に起こりそうなラブコメ展開は何一つとして起こらない。

 お互いにとってお互いが、友達として認識している以上、そんな間違いは、起こるはずがない。

 紹鴎が慣れた手つきで自分の分と白羽の分のコップにオレンジジュースを注ぐ。オレンジ色の並々と注がれた液体は、手渡しで白羽に渡された。

 渡された直後なので、一口飲んでみたが、普通のオレンジジュースだった。虫歯や口内炎にはよく染みるのだろう少しの酸味と果実ならではの甘みが口の中に広がる。

 そして、少しだけ飲んだそのコップは、紹鴎が持ってきたトレーの上に戻して、紹鴎に一言お礼を言った。

 紹鴎がいつもの真面目なテンションで、机を挟んで対面するかのように座ったので、白羽もそれに従って正座をする。

「じゃあ、始めようか! 白羽!! どうしよう……何の話がいいかなぁ……色々あるけれど、とりあえず基礎の部分から語り合おうか!」

 目の色が変わったのを、白羽は目撃した。

「そうだな。じゃあ、基礎から……基礎って言ってもどこの部分だ? 何を話せばいいんだ?」

「じゃあ、まず私が理解した範囲のキメラの構造なんだけれど……」


 紹鴎はとてもうれしそうな顔で話をする。話を聞いているだけでは、見入ってしまいそうだ。しかし、頭の中はキメラ関連の話が出ると、強制的に起動してしまう。

 どの範囲なら知られても大丈夫なのだろうか、どの範囲なら取り返しがつくのだろうか、等、色々打算的な考えが頭の中を過る。

 こんなんじゃ駄目だって分かっているのになぁ……。


 四時間が経過して、白羽は帰らなくてはいけない時間になった。

「もう帰っちゃうの?」

 紹鴎は目で「まだ話し足りない」というオーラを出しながら、すがりつくようにこちらを見てくる。高校生とは言えども、こういうところで若干色気を出すという女性特有のテクニックは本能的に備わっているのだろうか、若干引かれてしまったじゃないか。

「ああ、悪いな。人と会う約束があるから」

 時刻はもう間もなく7時を回ろうとするところだ。人と会う約束がある、というのも紹鴎と話がしたくなくてついた咄嗟の嘘ではなく、実際にこの後入っている用事だ。それに、紹鴎とは今日の一件を考えて、もっと話したくなった。キメラについての意見を交わすということが、こんなにも新しい発見をもたらすことだとは思っていなかった。

 キメラでなくても、何だってそうなのかもしれないが、自分では気がつかない事がたくさんあったりする。

 そう、今から会う人との用事も、自分とは違う目線での物事の考え方をしている人とだ。

 ああ、思い出して、少しだけ嫌な思いをしてしまったが、紹鴎の顔を見ることでそのイライラを鎮める。

「じゃあ、また学校でな」

 白羽が、そう言って、紹鴎の家の前で紹鴎に手を振ると、今日一番の笑顔で紹鴎は手を振り返してくれた。少しだけ幸せな気分になって、白羽は帰路につく。



 キメラを取り扱う大企業である『クアイル』。

 白羽が今日会う約束を取り付けられた彼は、この巨大企業の社員だ。だから、学校で疲れた体を少しだけ解きほぐして、白羽は何食わぬ顔をしてその本社ビルの中に制服のままで入って行った。

 入口である自動ドアを抜けると、巨大なエントランスが広がる。上を向くと、巨大なシャンデリアがある。ただ、これが灯りを燈したことは一度として見た事がないので、これはシャンデリアではなくガラスでできた大きい飾りなのかもしれない。

 受付の人には社員証明書を見せるまでも無く、顔パスで通り抜けることができる。そりゃあ、10年も勤めていればそうなるだろう。

 白羽の現在の年は16歳。つまり、6歳のころから、この建物には、この会社にはお世話になっていたということだ。

 そして、奥に進むと、エレベーターがある。どこからともなく、その空間は高級そうな雰囲気を醸し出している。こういうところで、匠の技術は生かされているのだろうか。

 茶色という大人の色で高級感を出し、そこに赤という濃い色を突然置いてみたりすると視覚的に効果があったりするのだろうか。そんなことを考えているうちに、エレベーターがエントランスまで降りてくる。誰も乗っていなかったエレベーターを独占するように一人で乗り込み、少しだけ監視カメラに見張られているという謎の緊張感に苛まれて目的の階層――最上階の一つ下の階に辿りついた。

 監視ルームの方に知り合いがいると、なんだか少しだけ見られている、っていうプレッシャーがかかるんだよね。どうでもいいことだけれど。

 学校で靴の指定がされていないことをいいことに、それなりに値段が張るどこに行っても使える社会人用の革靴を履いて行っている。運動するときはもちろん運動靴を持っていくが、履いて行く靴は登下校の時だけなので特に問題はなかったりする。

 そして、いかにも重役が居るのだろうなという仰々しい扉がやがて白羽の目の前にどんと現れる。そこの扉の隣にある部屋の名前を見てみると、『副社長室』と書かれている。

 そう、今日会うのは副社長。白羽と、ひいては白羽の親父、開発チームのメンバー全員のだれもと、また違う目線を持った男。坂匡さかおみ義朗ぎろうに会う約束を取り付けられた。


 儀式的に、扉を2回ノックする。そんなことはする必要は無いと思っているし、相手もそういう仲ではないので、する必要があるかどうかが疑問なのだけれど、一応、慣例的なものとしてこなしておいた。

「失礼します」

 白羽は、扉を前にして、そう言って開ける。

 その扉の先には重役の部屋としてはかなり大きい部屋に分類されるであろう30畳くらいの部屋だ。その奥の方に、高級そうな机が置かれていて、そこに坂匡の姿が見えた。

 その後ろが全面ガラス張りというなんとも社長感あふれる部屋の所為で、顔が逆光で見え辛くなるなんてことは時間から考えても無いのだけれど、そのガラスからは東京が一望できる。

 そして、その前に座っているのはもう見慣れた顔だった。

 渋いハードボイルド感漂うダンディな顔をしていて、若干茶髪だが日本人顔だ。そして、顎髭が整っていて、それなりの若さを醸し出していた。

「久しぶりだな。白羽くん」

「お久しぶりです、副社長」

 挨拶をされたので、こちらも返しておく。一応目上の人物なので、敬語を使ったが、敬語で返した瞬間、むっと嫌な顔をされた。

 その表情は普通の社員なら恐ろしく思ったりおののいたりするのだろうけれど、白羽はそんなことでは動じない。それにしても、この人のムッとした顔には威圧感がある。目が若干釣り目になって髭の効果も相俟あいまって、いつもが温厚な雰囲気を放っているからギャップの効果もあって普通の人よりも二割増しで怖く見える。

 ただ、白羽はそのくらいで物怖じしない。そんなことで怯えているようでは権利統括なんてしていられないし、何より人の上に立つ者としての面子の問題だ。

 俺は挨拶をしながら副社長の執務机の前にあるガラス張りの対談用の机の隣にあるモコモコのソファーに腰掛ける。

 それにしてもこの部屋全てが高そうなもので出来てるなぁ……。高そう、というかダンディズム溢れる用品、と言ったらいいのだろうか。細かいとこまで整理が行き届いているという点では紹鴎の部屋と一緒だ。

 坂匡は執務机から立ち上がり、ガラス張りの机を挟むような形で白羽の前に座った。

「さて、今日の要件だが――」

「まったく、学校がある日の夕方じゃなきゃいけないくらい大事な話じゃなかったら俺怒るからな」

 坂匡が要件を話し始める前に、とりあえず軽口を含めた嫌味を言っておく。

「あっはっは。これまた手厳しいジャブをもらったね。いやいや、今日の話は今までの話よりも割と重要な話だから安心していいよ」

「わかった。じゃあ真剣に聞くことにするよ」

 坂匡のおっさんは今まで下らないことで呼び出してきた事が数回あるから、正直不安だ。いや、毎回話していると気が合うというか、とても面白いのだけれど、こちらにも事情というものがあるのだから、唐突にスケジュールにアポイントメントをぶっこむのをやめてほしい。一応上司という事もあって体裁上断れないんだから。

 ただ、この人がこの部屋に呼び出すのは珍しい。いつもならファミレスとかで話したり、どこかの飲み屋とかに連れていかれて話す事が多いのだけれど……。

 まあ、それでも内容は大体分かっている。

 いくら人と人との仲がよくても、絆と経営方針はまた別の話だ。

「技術部長として白羽殿に連絡だ。私達は『|クアイル(企業)』として外部に『接続獣』を戦闘力として売り出す方針を告知していく予定だ」

「……何?」


 企業『クアイル』。

 恐らく、世界でもトップクラスの規模を誇る企業だ。接続獣キメラに関することはこの企業でしか扱えないという側面のため、どうしても大きくなりがちだ。もちろん、子会社だっていくつも持っている。

 通常なら独占禁止法によってこういう商売はできないものなのだけれど、キメラ関連の権利を全て持っているため、他の企業が参加してこないという事もあり、今やこの界隈はクアイル一社のみだ。

 まさに独占状態。

 そして、白羽はその会社の技術部の部長という肩書を持っている。

 その肩書は、先代社長――親父からもらったものだ。

 技術部はキメラを製造する機械を創る部署。そして、その技術は白羽の部署の人物しか知らない。

 故に、特許は取っていない。

 特許を取るという事は、技術を大っぴらにしてしまうという事でもあり、それが故に親父はキメラを軍事利用されないために特許を取らず、その仕組みを社外秘にした。

 どうにかして、色々なところに手を出しながら、その仕組みを合法的に誰にも漏らさないような仕組みを確立させながら。

 そうして、今のクアイルは成り立っているわけだが――まさか、親父も思わなかっただろう。社内からキメラを軍事利用に積極的に使っていこうという案が出るとは。

 いや、元からあったのだろう。親父が死んで以来、この動きは水面下から地表に現れ、クアイル社内で意見が真っ二つに割れている。

 そして、この状況だ。

 副社長から、キメラを軍事利用することを『クアイル』として推薦していくことを外部に(・・・)告知するというお達しが今、来た。

「坂匡さん……いえ、副社長。これはどういうことですか。先代社長の意志はどうしたんですか」

「そうカッカするな。これは重役会議で話しこまれている結果だ。社長は反対していたが、それでも賛成多数でこれが決まった」

 坂匡が白羽を諭すように宥める。だが、白羽は黙ってはいられない。

「それでも……この、外部へ告知、っていう言葉の意味と重みを分かっていて言っているんですか! この会社は全然黒字ですし、そんなに新しい事もしなくてもいいのに!」

「まあ……落ち着け。確かに黒字だけれど、こんな話が出てな……国の方から、キメラを軍事の方に役立てられないか、という打診の話だ。表向きでは、人を助けることに特化したキメラを作ってほしいとか言ってきているが、それは既存のキメラでも出来ると言った結果、向こうからは戦う事が出来るキメラを作ってほしいとのことだった。まあ、命令ではない以上、従う必要も無いんだが、それでも予算を見せられるとな……」

 結局は金か。なんと言うか、単純な気がするが、しかしそれでも会社は金を資本として廻っているのだから自然の摂理と言っても間違いでは……それは違うか。

「……で、それの代表者は誰ですか、話をつけてきます」

 白羽は、ガタっと立ち上がる。ソファーなのでそんな音はしなかったが。

「私だ」

「……ですよね」


 そう、そんな意見は水面下で前々からあった。その時から、坂匡がその意見の主導者だった。

 まず、こんな意見がなぜ出てきてしまうのか。それを元から断つために、親父は国の方へそういう打診をしないようにと文書を送っていた。そういう意見が出てくると、山火事のようにボワッと燃え移る。それを恐れていたのだろう。

 キメラだって、一つの命がある。それが人間より重いか軽いかなんて、人間が判断してはいけない。親父はそういう考えを持っていた。

 この考えは白羽も否定しないし、継いでいる。

 だが、そう考えない人間もいる。大量のキメラと触れ合っているため、キメラを『道具』としか認識できないようになってしまった人や、人間絶対主義者などがそういう意見を持つと、言葉巧みに上手く同志を募り、そして行動に起こす。

 親父が存命だった間は、絶対的権力によってそういう話は出てこなかった。

 いや、出る前に潰していたのだろう。出る杭は打つ。悪い芽は早めに摘んでおく。確かに大事なことだ。そして、その意見にも正当性はあったし、何より親父が圧倒的権力だった。

 だが、今はどうだ。

 圧倒的権力は消え去り、それでも前の社長について行くと言う人と、軍事利用を推し進める人の二つが出てきてしまっている。

 そして、気がつけば社内での派閥が出来上がってしまっていた。

 現社長を筆頭に、白羽の親父の意志をついで経営していくというスタイル。そして、坂匡を筆頭に軍事利用を推し進めるスタイル。

 坂匡個人とはとても仲がいいが、しかし経営方針は相容れない。それは白羽が親父に教育させられてきているからなのだろう。

 そして今回、国からの要望という大義名分を与えてしまった副社長派は勢いづいて、そしてこんな結果を招いてしまった。


「どうにかならないんですか……」

 白羽は、もう一度ソファーに座りなおして坂匡にそう問いかける。

 しかし、返事は予想していた通りで

「どうにもならない。もう決まったことだ」

 という返しだった。

 まさか、という気持ちでいっぱいだ。坂匡に呼ばれて油断していた……。ここ暫くそんな話は聞いていなかったから、今日もまた仕事帰りに雑談に行こうという感じの軽いノリかと思っていた……。


「まあ、要件はこんなものだ。いや、途中で伝えなくて済まなかったな。白羽君に伝えると何をされるかわからないからね……でも、伝えなければいけないから、伝えるのは決定してからすぐと決めていたんだよ」

 優しさなのかよくわからない言葉だ。慰めるようなニュアンスで坂匡は言うけれど、これは慰めではない。諭しだ。

 白羽は重役ではなく、唯の技術部長だ。だが、会社ではそれなりに知名度もあって、なにより仕事ができる人材だという事が知られている。親の七光りで入社したには違いないのだけれど、そういう事もあって白羽は好印象で会社には迎え入れられている。

 だが、あくまでも一社員。知れる事は限られる。

 これでも、親父の後を継いで国の方に文書を送ったりしたんだが……弱かったか。

 この位なら振り切れると踏んで、送ってきたのだろう。たしかに、こちらの文書は『要望』という体だった。押しには少し足りなかったのかもしれない。

「そうですか……それでは、失礼します」

 そう言って、白羽は立ち上がり、副社長室を後にした。

「ああ、白羽君。私たちの間に、敬語は不要だ」

 扉が閉まる前に、最後に坂匡はそう言った。その顔は満面の笑みで、まるで勝利を勝ち誇ったかのような顔をしていた。

 ……俺の性格が悪いからそう見えてしまうだけかもしれないが。


「さて、どうしたらいいものか」

 クアイルの正面玄関である自動ドアを潜り抜けて、駅まで歩く。ここは東京を代表するオフィス街で、様々な企業が立ち並んでいると共に、少しだけ裏道に入れば居酒屋で賑わっている。

 時刻は午後8時を半分くらい回っている。

 学生一人で居酒屋に立ち寄るなんてこともできずに、白羽はおとなしく家に帰って、打開策を練ることにした。

 家からこの会社がある場所まで電車で急行三駅ほど。疲れていた白羽は帰宅ラッシュで込み合う急行電車のホームを素通りし、座って帰ることができる各駅停車のホームに並び、電車を待つ。

「あら、白羽君じゃない」

 そんな声が後ろから聞こえた気がして白羽は後ろを振り向く。そこには、クラスでたまに見るような顔がそこにいた。

「ええと……こんにちは」

 白羽、って言っているから、きっと俺のことを呼んでいるんだろうな……こんな名前の人がそうそう居るはずもないし――という考えで、白羽はその人に向かって、頭を下げる。

 確か――ホームルーム委員をしていた人だった気がするな……。

 脳内で検索をかけても声をかけてくれた人の名前が出てこないが、それでも諦めずに白羽は海馬に蓄積された記憶の情報を引き摺りだそうとうんうん唸る。

 白羽の目の前にいた少女は、黒髪ロングヘアーで眼鏡を掛けていて、そして葛城高校指定の女子制服を身に纏っていた。全体的にすらっとした体つきで、顔は美貌と言うに相応しいそれだけれど、眼鏡のせいでそれが少しだけ隠されてしまっている。

 傍から見ると大人しげに見えるけれど、クラス内ではたしか騒ぎ立てているようなメンバーと一緒にいたような……まあ、とりあえず場所によって性格を変えられる八方美人のような人物なのだろうか。

「ああ、まあまだ学校始まって数か月だし、同じクラスとはいえ名前を憶えられていないのは仕方がないよね~。私は苑座そのざ鹿波かなみっていうの、よろしくね! 飾紀白羽くん!!」

 元気いっぱいといった風に、彼女――苑座はまるでそれが当たり前であるかのように自然な動作で白羽の隣に並んだ。

 駅のホームで友達でもない只のクラスメートに話しかけられるということが、あまりにも斬新すぎて、あまり頭が働かない。そもそも、ここは学校がある駅ではなく、そこからしばらく離れた距離にあるオフィスが立ち並ぶ企業街の駅だぞ……。なぜこんな所にこんな時間に同じクラスの委員長がいるんだ……?

 委員長と言っても世間一般|(主として二次元)で言われている委員長のイメージとは造詣が違い過ぎて少しばかり首を捻りたくなるけれど、それでも委員長には違いない。

「よろしく……苑座さん」

 白羽はあくまでも他所他所よそよそしく接する。

 クラス以外に白羽との繋がりがないのに、何故こんなにフレンドリーに接してくるのか訳がわからなすぎる。クラスという繋がりさえなければ、唯の他人同士なんだが……。

「いや~こんなところで会うなんて、意外だね~あ、白羽君も塾帰り? それとも誰かとデート?」

 にやにやした顔でこちらの目を見ながら聞いてくる。ついうっかり目を逸らしたくなったが、そこはグッと我慢して目を合わせて何もないかのように平然と答える。何も無いのに、変な勘ぐりをされても困る。

 というか、委員長は塾に行っていたんだ……。

「いえ……そうですね……塾のようなものです。呼び出しを喰らっちゃったんで……」

 適当に誤魔化す。変なところから真相に辿りつかれても困るので、こういうときは抜かりなく。嘘に嘘を重ねて苦しくならないように、嘘には最大限の気を使いながら話す。呼び出しというのは間違っていないが。

「へぇ~なかなか勉強家なんだね~」

「勉強ができないから塾に行かされているんですよ。それに、普通に勉強ができる人は塾になんて呼び出されませんよ」

 笑いながら、応答する。

 苑座は、白羽の答えに少しだけ怒ったのか、可愛い表情で、

「白羽くん! 敬語は要らないから! 同級生でしょ!」

 と言った。

 なんか、同じようなことをさっきも言われた気がする。いや、これとそれでは全然シチュエーションから何から違うけれど。さっきのは意図的な敬語だし。

 それに白羽は、

「ああ……はい」

 という何とも微妙な返事でお茶を濁す。いや、濁しているわけでもないんだけれど……どうしても初対面の人とそんなフレンドリーに話せるだけの力は……俺には……無いです。


 そんなことを話しているうちに、電車が来た。ここはオフィス街でもあるが、しかし白羽達が使っている電車の終点でもあったりする。なので、こんなにも悠々と座る事が出来る。

 それでも、時間の所為か、人はたくさん乗ってくる。流石にピークは過ぎたころだとは思うけれど、それでも会社帰りのサラリーマンはまだまだ大勢いるようだ。

 白羽が真っ先に電車に飛び乗るようにして乗っていく。その後から苑座やほかの電車の乗客が乗り込んでくる。

 白羽は、ドアの近くの端の席に即座に陣取って一息つく。電車が出発するまであと数分ある。苑座は、白羽の隣の席をすぐさま陣取って、白羽に話しかけた。

「白羽君は、どこに住んでるの?」

 基本的に能天気と言うか、明るいというべきなのか悩むところだけれど、コミュ力の高い人は基本的に振る話題が尽きない。

 いやもう話題なんて振らなくていいから放っておいてくれ……というこちらの思考を完全に無視して話しかけてくる。それ自体はうれしいことなのだろうか。(疑問形)

「ええと……学校の近くですけど……」

「ああ、学校まで歩いていける距離圏内ね! やっぱり歩いていける範囲はいいよねー。羨ましい。私なんて毎日電車で一時間かかるよ!」

 学校まで歩いていけることが羨ましい? それはまた何を言っているのか。学校まで歩いて一時間かかるような道のりを、何を羨ましがっているのだろうか。

 基本的に自転車を好むけど、皆キメラと同伴で学校に来るから、キメラを連れていけない自転車で来ると凄い浮くので自転車で学校に行くことはほとんどない。

 皆に合わせるために、わざわざ歩いて一時間かかる徒歩圏内を、それでも羨ましいと言えるのか、と聞きたくなったけれど、初対面の相手にそんなことを言えるような度胸はない。

「それは大変ですね……」

 自分のことは棚に上げて、とりあえず相手に同情、または共感しておく。無難に会話を切り上げようとどうにか頑張ってみたが、今回はそれは不発に終わった。

「そうなんだよー。なんか、皆キメラを連れてるからさー。学校は勉学を学ぶ場であってキメラは家に置いておけばいいじゃんって思うんだけどー、それでも家にキメラを置いてくるのは嫌なんだよねー。何だろう子煩悩ならぬキメラ煩悩なのかな?」

 最近では、この風潮に呑まれてか学校だけでなく電車ですらキメラ利用可能となった。まあ、これは普通に従来のそれと同じで、ケースに入れなくちゃダメなんだけれど。

 おかげで、電車やあるいは地元から少し離れた都心なんかに来るとキメラを連れていない人が半分くらいいて、白羽の浮き具合もだいぶ軽減される。

 普通に、白羽の地元がキメラ関連に盛んに食いついてきて、新時代のキメラ共存市街を作るとか何とかで盛り上がっているというだけの話でもあるが。

 第一、そんな日常生活のすべてをキメラと一緒に過ごせるかと。白羽はそう考える。

 所詮はペットだ。確かに、家に言えるときは犬とじゃれ合いたいし猫とゴロゴロしたいと思う気持ちもある。それと同様に、キメラとじゃれ合ってゴロゴロしたいという気持ちはあるのだろう。だからと言って、日常生活にまでそれを引っ張ってくるとは……狂気の沙汰だと思ってしまう。

「そうですね……みんなどうかしてますよ」

 この委員長とは、考え方が少しだけ似ているのかもしれない。少しだけ思考の共通部分を感じ取りながら、適当に話を合わせたかのように振る舞う。

 相手に無関心だということをあくまでも少しずつアピールしながら、同意をさりげなく言質として残しておく。

「やっぱりそう思う!?」

 ああ……なんか失敗しちゃったかな? 少しだけ心の中で反省する。委員長が何故か話に食いついてきた。さりげなく同意するのが正解ではなく、少しだけ反論交じりに言うべきだったか。

 苑座は白羽が嫌そうな顔をするのにも目もくれず、顔をぐいっと近づけて話を進める。

「どこ行ってもキメラ一色でねー。学校にもキメラを連れてきていないとなんだか仲間外れー、みたいな空気が蔓延っているのよ……」

 出逢ったばかりの人にそんな話を持ちかけるのか? 普通。いや……違うな。ただ同じような思考の人を見つけたと思って愚痴に付き合わされているだけだな……。

「ああ、そうだな。確かに、キメラを連れていないと時代遅れ、みたいな風潮があるな」

「その風潮がどうも今の私には合わなくてねー。でも、仕方のないことと言ったらそれまでだけどね」

 なんだろう……似たような感じを、どこかで目にしたことがあるな……。この間の登校中だったっけ。確かそんなことを俺が言って、そうしたらあの二人は……なんて言ったっけ。

「まあ、可愛いからどうでもいいじゃん、ってみんなには言われるんだけれどね」

 そうだ……たしかあの二人もそう言っていたっけ。

 どこも思考が似たり寄ったりだな……。

「そうだな。みんなそう言う」

「どうにかならないのかねー……ってああ、なんかまともに話したこともないのに、いきなり愚痴を聞かせちゃってごめんね」

「いや……いいよ」

「でも、こんなこと話せる人って特にうちの学校なんかキメラ連れてくることが出来るからここを選んだ、って人がいるくらいだからこういうこと迂闊に言えなくてねー」

 ……じゃあなんで俺をその話し相手にしたんだよ。

 そんな純粋な疑問が頭の中に沸々と湧いてくる。

 電車がようやく一駅目に停車しようとする。その作用で自然と委員長が白羽に肩を寄せるような構図になってしまい、その髪の毛の香りが白羽の鼻腔をくすぐる。

 いい匂いだな……、とか、少しでも思ってしまった自分に喝を入れつつ、何とか話に集中することでそんな煩悩を打ち消そうとする。

「へぇ……まあ、俺でよければいつでも話し相手になるけれど」

 そんな軽々しい事を自分が言うだなんて、夢にも思っていなかった。が、軽々しいかはともかく、言っている態度や接し方から見て適当に言っているのは間違いないだろうと、誰が見ても分かるような言い方だから、そんな誤解をされる心配はない。

 単なる社交辞令だ。

「そう、ありがとっ!」

 でも、相手がそんな社交辞令を社交辞令として受け止めない態度だと、不安と言うか、寧ろ心配になる。

 というか、委員長はこれわざとやっているのかな……?



これにて2話は完結です。

第3話の完成までしばらく時間がかかる見込みです。

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