第四話(5)「白羽の反逆」
第四話(5)「白羽の反逆」
空を見上げると、さっきまで雲ひとつなかった空に少しづつ影が立ち込めていた。頬を撫でる風は次第に厳しく、服の裾を靡かせるくらいには強くなってきている。
朝は天気予報なんて見ている間もなかったが、この時期は一般的に雨が降りやすい時期だといわれていることくらいは知っている。
梅雨前線がとうとう到来かと、そんなことを考えた。
千之寺が仕掛けをしたキメラがここに搬入される時間がとうとうやってきた、そんな時刻が訪れた。
これから戻るその建物に、火が上っていた――なんてことは、勿論のことなかったけれど、なにが起こるか、こんな間近で見られるのは意外にもいい機会なのかもしれない。
「そうだ、ちょっと寄り道していいか?」
千之寺が帰り際にふと思い出したようなタイミングで唐突に問いかけてきた。
俺に断る理由もないし、あるとしてもキメラ見たさの興味本位だ、そこまで見たいと言ったら後々になって怪しまれる一因になってしまう。
ただでさえ、キメラの突然発作だと言い逃れるのが苦しいのに、それに真っ向から反するかのごとく自ら襤褸を出すわけにもいかない。
「いいけど、どこに行くんだ?」
「いや、まあ今日は日曜だしな。いろいろ行かなきゃいけないところがあんのよ」
まるで大人は大変だ、とでも言いたげな口ぶりで琴枷は話す。
俺はそれに適当に返事をして、一旦、琴枷の仕事場があるビルの下に戻り、車を出すことになった。
もちろん俺はまだ未成年なので、車の運転免許は取っていない。原付の運転免許などは取れるらしいが、生憎未だに必要性を感じていない。
琴枷はビルの地下駐車場に白羽を案内し、大きめの白い普通車まで誘導する。
「さあ、乗れ」
若干ぶっきらぼうともとれるような口ぶりで琴枷は俺を助手席に乗せる。
口調こそぶっきらぼうかもしれないが、顔を見るとニヒルな笑いが張り付いていて、口角がうれしそうにどこか上がっていた。
子供にプレゼントを上げる父親みたいな、そんな顔をしていた。
今はいないとはいえ、勿論俺にも父親がいた時期がある。
そしてその父親は忽然と消息を絶った。
その真相は今でもわからない。
ただ、クリスマスのあの時――俺を見てにんまりと笑う親父の顔や、家にいるフェニックスキメラを熱がりながらも愛でるときのにやりとした顔は、今でもたまに思い出す時がある。
琴枷のその笑みは、親父のそれに、なぜかよく、似ていた。
「――で、どこに行くんですか? 日曜日だって言うのに」
キメラがどのような行動を起こしたのか見ることができなかったという個人的事情を、言葉端に敬語で若干の嫌みとして詰め込んで、それこそ乱雑に琴枷に尋ねる。
隣の運転席に座る琴枷は、こちらに向かって一瞥もせずにただ運転に夢中になっているかのごとく一心不乱に前を見て、
「どこだろうな」
と、誤魔化し切れていない――というか、のっけから誤魔化す気なんてないのだろう――返事を俺に寄越すだけだった。
俺はいったいどこに連れて行かれるのだろうという、若干の不安を胸に抱いたが、最早誘拐犯に連れられているという意識はどこへ消えたのやら、完全に落ち着いていた。
――一方、クアイルでは。
暴走キメラ搬入日、午前九時。
「すみません……白羽の匂いはキメラでさえ感知できませんでした」
再び集められた緊急重役会議の第一声で、千之寺が頭を垂れて謝っていた。それを聞いた重役たちは顔色が少しずつ青褪めていく。
「キメラの力をもってしても見つからないというのか……」
「今のキメラの嗅覚を使えば捜索達成率は100%だと聞いたのだが……」
というような言葉がちらほらと聞こえる。
会議出席人数が、そこまで多くないので、全体が静まり返るまでには然程時間を要さなかった。
「ええと……千之寺君」
咀嚼するようにして千之寺の名前を呼んだのは副社長・坂匡だ。
「現在我々の方でも監視カメラの情報をもとに捜索を続けている。そんなに気を落とすことはない。――ただ、キメラによる捜索率100%という我が社の喧伝文句が損なわれてしまうというのは非常に惜しい。このことは、くれぐれも他言無用で頼むよ」
若干フォローをしつつ、見つからなかったという点を社内の出来事として隠蔽しようと画策しているのが見て取れる。
他の重役たちは、坂匡が念押しをしなくとも、当たり前のように理解しているようで何も口を挟まない。
「……はい」
千之寺は、愕然とした様子で坂匡の顔を見るが、その顔に一ミリの歪みもないことを確認して席に着いた。
その後も、会議は着々と進み、このことを警察に相談するべきか、犯人からの要求はないのかなどの、様々な議題が持ち上がり――『情報不足』の四文字で最終的には片付けられてしまった。
「ああ、千之寺君、ちょっとこの会議が終わった後、私の部屋に来てくれ」
一時間に満たない会議が終わろうとする頃、絡砂社長が千之寺の名前を呼ぶ。どんな説教をされるのかと、血管を流れる血の速度が次第に早くなっていく。
日曜日だというのに呼び出された重役たちは顔には出さないこそすれ内心不満に思っていたのだろうか、そそくさと鞄を手にして立ち上がる。
千之寺は少しだけふくらみのある胸に手を当てて目を瞑り、どんな言葉が降りかかってきても耐えきれるように精神統一に近しいことを始める。
そして、千之寺が再び目を開けると、目の前には――絡砂社長が。
「さあ、行こうか」
千之寺の肩は、目視でわかるくらいに、震えていた。
千之寺が絡砂社長に連れて行かれたのはクアイル本社の外にある別のビルだった。
「どこなんですか……ここは?」
おそらく説教をされるのだろうなと、予想していたが、いきなりこんな敷地外に連れてこられると流石に驚きと疑問符を隠せない。
ビルの外観を見ると、クアイルに負けず劣らずの立派な建物で、オフィス街にあるビルを一棟そのままここに運んできたのかと思うくらいに遊び心のない単純なビルだった。
そしてなにより、しばらく隣に行ったところにあるクアイルの本社ビルが圧倒的存在感を放っていて、この建物にはきっと誰も目もくれないだろう。
灰色の外装で、窓ガラスはとても綺麗に拭かれていて、一種の美しささえ感じるほどに整っている。入口には警備員がクアイル本社と同じくらいの人数で警戒している。
「研究班の君は知らないと思うが――いや、研究班でなくとも、大半の社員はここの存在を知らないだろうな」
絡砂は言葉を打ち消し、そして紡ぐ。
「ここの建物は、『VIPルーム』だよ。それこそ、官僚とか社長とかと契約を結ぶ時に用いるためのスペースになっているんだ。もちろん、それ以外の用途にもいろいろ使われているけれどね」
絡砂はにこやかに笑ってそう言う。
千之寺の脈がようやく穏やかになり、足から力がへなへなと抜けていくような感覚に襲われているのか、すこし体制がふらつき気味だ。だが、次の瞬間には体制を整えて、絡砂が建物の中に入って行くのに続く。
エレベーターで昇り、扉が開いた瞬間に見えた大理石で作られたその廊下をカツカツと心地よい音を立てて歩き、そして廊下の一番奥にある上質な木で造られたのであろう扉が、絡砂社長の目の前で独りでに開いた。
「千之寺! 絡砂社長!」
頃合いを見計らって琴枷が立ち上がり扉を開けたと思ったら、その奥には二人がいた。
とてもよく知った、見知った二人だ。
俺は琴枷に、車で俺と琴枷が初めて出会った場所へと連れて行かれた。
誰と会うかなんて、一言も聞いてはいなかったし、なにより琴枷は一言も口を割らなかった。
そしてそのまま、なぁなぁでここまでやってきてしまったというわけだ。
「白羽! どうしてここに……誘拐されたんじゃなかったのか!?」
千之寺が感極まってすこしばかり泣きそうな瞳でこちらを見てくる。
そう言えば俺は誘拐されていたらしい。
……?
誘拐、されていた?
……なんでだ?
なぜ、それを。
――千之寺が知っているんだ!?
「あー、いやいや、感動の再会のところ悪いね、とりあえず、席に座ろうか」
扉を開けに行った琴枷は、絡砂社長と千之寺を会議机のような長机の俺の真正面に座らせる。
皆が着席したことを確認して、琴枷が会話の口火を切る。
「白羽君を、受け渡ししましたよ」
「ああ、ありがとう」
絡砂が、それに追随するようにして感謝の意を述べる。
「それは……どういうことだよ!」
俺は、その場にいる3人に問いかける――。
「受け渡すって――それに、何で、ここに……社長が……」
俺の頭では、理解ができなかった。
問いかける声は、次第に震え、最後には音さえ出なかった。
……いったい、どういうことなんだよ。
「私から説明しよう。白羽君、それに、千之寺君も」
社長はこれまでの経緯を、語り始める。すべてうまくいっていたと思っていた俺たちの計画は、どうやら筒抜けだったということは、説明を聞く前から、なんとなく理解していた。社長にここで会った時点で、理解せざるを得なかった。
つまり、俺の計画は失敗に終わったと――。
「君が発注内容にキメラを一体すり替えているのは、発送業務確認の時点で、実は私は気付いていたんだ。なに、社長という役職は総監督のようなものでしかないからね。こういう雑務も、こなさなければいけないんだ。何より、技術班直属の上司、というポジションらしいからね。現実問題は違うにしても。そして、そのキメラが届く日――つまり今日だ。その日に、君たちを放置しておくわけにはいかなかったんだ」
――普通に考えて、キメラが暴走したとなれば、真っ先に疑われるのは君たちなのだから。と、社長は言う。
しかし、キメラという生き物は物的証拠を有しない――解析が不可能だからだ。
だから、まず誰が犯人かは割り出せない。
俺はそう考えていたが――考えが甘かったようだ。
社長曰く――キメラを作る機械を作る人物に、非難が集中するだろう、と。
俺としては、それはそれで好都合だし、なにより俺がその機械を作っているということを知っている人物はそう多くはない。
「だが、君たちが現場周辺にいたというのなら、話は別だ。疑わざるを得ない」
あまり知られていないとはいえ、人の口に戸は立てられない。
「だから、白羽君は琴枷に協力してもらい、『誘拐』してもらうというような形になった」
「いや、ちょっと待て、何でそうなる」
俺は話の飛躍についていけず、ポーズボタンを押すかのごとく会話の一時停止を求めた。
「琴枷は、第一国側の人間だろ? キメラ軍事利用賛成派だろ? いいのかこれ? それに、『誘拐』という発想が出たこともおかしい。それなら、食事に誘うとか、そういう風でもよかったはずなんだが」
早口で捲くし立てると、琴枷が隣から口を挟んでくる。
「そうじゃないと、白羽は自分の功績を――功罪を、見に行きたくなるだろう?」
うっ、と、口から言葉が漏れる。たしかに、その通りだ。
「それから、誘拐されたとなれば、他の重役たちの目も欺ける。本来の業務にただでさえ圧迫されているなかのこの騒ぎだ。最近はキメラ軍事利用推奨派が増えてきてしまったが――そいつらによる過激な運動からも、白羽君を守っておきたかったというのもある」
絡砂が補足説明を終えると、琴枷が、
「ああ、一応言っておくと、国に関する人間全員がキメラの軍事利用賛成だなんて、思っているわけじゃないからな。あたりまえだけど、そんな完全な思想統制がとれるはずもないからな。もちろんアタシは、反対派だ」
と、同じく言葉を補足する。
「そして、今頃搬入されているんだろうな。今君たちはここにいる。そして、その件に関しては何も関わっていない、いいな?」
絡砂の瞳が、柄にもなく瞳孔を開ききって三人を見まわす。
そんな真剣な社長の顔を見るのは、もしかしたらこれが初めてかもしれない。
「さて、これが今までのこちら側の推移だ。これからの様子はわからないが、キメラ軍事利用という世論も多少は引っ込むんじゃないだろうか。まあ、後始末くらいはしておくよ。これからも頑張ってくれ」
絡砂がそう締めくくる。
「今まで黙っていて済まなかったな。アタシの周りには、忍者みたいな護衛がいるだろ、あれのせいで迂闊なことは言えないんだよなぁ……」
琴枷が謝罪のような自己完結をひとりごちり、そしてこの場はお開きになった。
とはいえ、何かをするために集まったわけでもなく、俺は無事解放されることとなり、その部屋を絡砂に続いて出ようとする。
すると、後ろから琴枷の声が聞こえ、
「あ、そう言えば白羽、ほら、これ」
そう言われて俺は振り向くと、すでに何かが投げられた後らしく、重心が定まっていない不思議な板のようなものが俺の方に向かって飛んできた。
俺はそれを持ち前の動体視力でキャッチし、手に受けた衝撃とともに投げられてきたものを見る。
「ほら、預かってたろ、返すよ」
見るとそこには、俺の携帯電話があった。
「投げんなよ!!」
帰り道。
千之寺とともに、一旦研究室に行くことになった。絡砂にあの建物には近づくな、と散々言われてしまったので、行くあてもなく、心地いいところというところで候補に挙がったのが研究室だ。
そんなわけで、千之寺も戻るというので、一緒に電車に乗っている。
「あの、社長の言動――なんかおかしくないかな?」
千之寺が唐突に切りだす。周りは人ごみだというのに、お構いなしだ。
「どういうことだよ」
「いや、考えてもみてよ。なんで誘拐、なの? 監視とかじゃいけなかったのかな? それに、教えてくれてもよかったと思うんだ」
言われてみれば、確かに。
疑問符がつく点は確かに多かった。
そもそも何故琴枷に誘拐犯を頼んだのか、というのも残る謎の一つだし、これをしたところでどうなるのか、という謎も残る。
「それに、キメラが起こす事件、とは言っても、政府が内密に処理する程度のものしかおそらく起こさないし、そういう風に設定してある。まあそういう意味では君の顔を知っている人も政府の中にはいるから怪しまれないように誘拐をする、というのは間違っていないような気もするけれどね」
「確かにそうだな……。何か、裏で動いているものでもあるのか?」
「そんな話は私は聞いたことないけどね――とは言っても、会社になんてほとんど顔なんて出してないけどさ」
何が起こっているのだろうか。さっき話を聞いたばかりで、うまく状況を飲み込めていないらしい俺の脳味噌はすでにオーバーヒート状態でそもそも千之寺が何を言っているのかどうかすら、よく分かっていなかった。
ざっくりと纏めてみよう――。
・俺は、琴枷に『誘拐』された。
・『誘拐』を唆したのは絡砂社長。
・皆が俺が『誘拐』されたと知っているのは、絡砂社長がほかの重役たちの目を逸らすため。
大事な点はこんな感じだ。
では、ここから求められる謎としては何が挙がるだろうか。
・琴枷に頼む意味。
・重役から目をそらさせる意味。
まあ、大きく挙げてこんなものなのだろう。
絡砂社長のことだ。ああ見えて、実は策略家だから、きっと全てが合理的で、何らかの辻褄があっているんだろう。
琴枷は反対派だから、頼むことができた。重役から目をそらさなければいけない理由は、キメラ軍事利用推進を止めるため。
確かに合理的で、理に適っている。
だが、この胸の内にあるモヤモヤはいったい何なんだろう。
俺がしたことによって、取り返しのつかない何かが――起こってしまった気がする。
「さあ、着いたよ、白羽」
長らく電車に揺られながら座席に座り考え事をしていた俺に向って、千之寺は正面に立ち、おりる準備万端の体勢で俺の肩を揺らす。うつむいていた俺は、隣の挙動に何一つ気がつかないで目を閉じて黙々と考え事をしていた。
肩を揺らされて、目を開くと唇がすぐそばに会って驚きはしたものの、千之寺は特に何も考えていなさそうなので、俺はなにも反応を見せずに隠して、あわてて支度をして駅から降りた。
森のなか、と言ってもいいくらいな辺鄙な場所なのに、都会からそう離れていない辺鄙な場所だ。
利便性はいいのにもかかわらず、あまりこの地区の開発は進んでいない。どころか、この区域は森でおおわれている。
これにももちろん理由があって、このあたり一帯をクアイルが買い取っているからだ。
じっさい、この森を囲うようにしてビル群が軒並み立ち並んでいる。
もう少し場所を考えた方がいいと思うのだけれど、これと言って文句はないので、特に何も言うことはない。
扉を開け、中に入ると千之寺が占領しているスペースを見渡すことができる。
いろいろなパーツが転がっており、ふかふかの布団の上だけには何もなく、その近くに工具箱が置いてある。一言で言うと、ただの汚い部屋だが、部屋というのにもあまりにも広すぎる。
汚いといっても、我が家に帰ってきたような安心感はぬぐえない。千之寺との絡みも、たった一日しか間を開けていなかったはずだし、それ以上に間を開けて会っていない日もあるはずなのに、懐かしいという感情が湧き出てくる。
千之寺は扉を開けた俺の横を走り抜け、靴を真っ先に脱ぎパーツで散らかる床を滑るようにして物を足で雑に掃きながら進み、布団にダイブする。布団とは言えども、マットレスを何重に敷いているのかわからないくらい分厚い布団なので、高さ的にはベッドのそれとあまり変わらない。そしてそのまま千之寺はごろごろし始めたので、俺は靴を脱ぎ、下足箱に靴を収納して、千之寺と同じようにごちゃごちゃに散らかっている部品類を足でスワイプしながら俺の占領スペースである二階に上がろうと歩く。
二階まで上がり、防音対策の扉を開けようとしたところで、長らく取られていた携帯電話に着信が入った。脈絡もなくいきなり着信メロディーが流れてきて、背筋がピンと伸びたところで、携帯電話の画面を凝視した。
着信:坂匡
そう書かれていて、何なのだろうと思いながら緑色のボタンを押す。
「……繋がった、無事だったか白羽! いや、そんなことよりも、知らせなければならないことがあるんだ、どこにいるんだ!?」
坂匡が焦った口調で俺にそう問いかける。俺は研究室にいるぞというと坂匡は唸るような声を出して、きっと向こうの電話口で首をかしげているのだろうが、それは一旦置いておくことにしたのかそのまま話を続けて、
「キメラが暴走している!」
と報告した。
そんな話は聞きあきたよと思いながら、俺は適当に相槌をうつ。何せ企画した張本人だ。
「あー、なに、どこでどうしたんだー」
覇気のない声で俺は適当に受け流そうとしたのだが、坂匡は焦った様子で言った。
「国の防衛館で、一体のキメラが暴走したんだ!」
あー、しってるしってる。と薄ら笑みを浮かべて言いたかったが、そういうわけにもいかず、しかし真剣な返事を返すことができるほど俺の腹筋は強くなく、今にも爆笑が弾けてしまいそうで棒読みで返事をすることくらいしかできなかった。
「それに合わせて、動物キメラ化反対集団が押し寄せてきているんだ!!」
俺は、坂匡の発した言葉に固唾を飲んだ。
動物キメラ化反対集団。
動物愛護集団の一つで、キメラという存在は、そもそも二つの動物を一つに接続させて作り上げられている。だからと言って、上半分と下半分を分けた場合、どちらも有効に活用されて、動物そのものの数が減っているわけでもないのだが、「動物の痛みを考えろ!」「自然動物の保護を!」「キメラ反対!」などの言葉を掲げクアイルの邪魔をしてくる民間団体だ。
キメラが味わう痛みは人間の俺としてもよく知っている。だからこそ、痛みを緩和させ、なるべく早く接続ができるような仕組みを確立している。
だが、彼らの求めているものはそうではないらしい。
キメラそのものに対して反対運動を繰り広げている。
いまさらどうにかなるようなことでもないとは思うが、反対の意思は掲げておく、というのが彼らだと俺は認識していたのだが、今頃になっていきなり集結して押し寄せてくるとは……。
いや、タイミングが良すぎる。
どこからか情報はリークされている。
流石にこれが偶然だと思えるほど俺の頭の中はお花畑で構成されていない。
敵の敵は味方というが、確かにキメラを戦場に送りだすことについては反対だが、キメラ自体には反対してはいない。なのに、この風潮はこちらとしても有利に事を進められる出来事だ。誰かが情報をリークしたのは間違いないが、責めるほどのことでもないだろう。会社としては一大事だが、好都合であることには間違いないので、俺は坂匡に、
「あー、適当にあしらってください。あ、警察呼ぶのも忘れないでくださいね」
と、もう既に警察くらいは呼んでいるとは思うけど念押しついでに確認しておく。
ここまで大きくことが起これば、おそらく世論は大きく傾くだろう。当初の予定とはだいぶ異なった大ごとになってしまったが、結果オーライだ。
「えーと、それじゃあ俺にできることは何か?」
そう坂匡に聞くと、向こうは少しの間沈黙を挟んでから、
「あー、そうだな……」
と次の言葉を探し始めた。
なぜだか知らないが体はへとへとに疲れていて、今すぐにでも休みたい気分だ。
おそらくいつもの環境から遠く離れた環境下でことを過ごしたからだろうか、鉛のように動かない。3メートル先にあるベッドにたどり着くまでに瞼が何回閉じただろうかと思えるほどに疲れている。
これ以上面倒事に関わりたくなかったので――といっても、元凶は俺だが――欠伸混じりに畳み掛けるように坂匡に告げる。
「さっきまでちょいと野暮用があったんで、今ちょっと疲れてるんで、もし何かすることあるのなら一報ください。寝ます」
と、上司に対してあるまじき態度を取り、電話を切った。
立場上としては坂匡は上司だが、社内での重要度的には俺が優っているので、この位の業務不履行くらいは許されるだろう。という甘い考えのもと俺はベットに体を投げ込んだ。
そしてそのまま目を瞑り、脳は電源を切ったかのように何も考えられなくなり、布団の柔らかい感触のなか、俺の意識は蝶のように飛んで行った。
次話:エピローグ
第一章完結となります。