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第四話(4)「白羽の反逆」

 第四話(4)「白羽の反逆」


 さて、俺はどうすればいいのだろうか。

 閉じ込められてはいないが、しかし脱出できそうな気配もない。『軟禁』というところだろうか。


「で、俺はいったい何をすればいいんだよ」

 暇になった俺は琴枷のベッドにダイビングする。俺がベッドに飛び乗った風圧と体重で周りにある紙束が少しだけ重力に反して風圧の力でふわっと宙に舞う。

 っていうかここ仕事部屋じゃなかったっけ? 何でベッドあるんだよ。

「何もしなくていいさ。というか、なにもする必要がないんだよねー。君をさらってきた目的はそこにはないんだからよー」

「どういうことだよ?」

 俺を攫ったのは何かキメラを作れとかいうそういう無茶ぶりをさせられるのかと思っていたが、そうでないとしたら一体何があるんだ……?

 なんて考えても、答えは出ないし、理由わけを聞いてみてもどうせさっきみたいに軽くあしらわれるだけだろうからな……。

 いよいよ何もすることがなくなってしまった。


「強いて言うのなら――白羽がここで何かをするのではなく、白羽があの場所・・・・に居ないこと、それから白羽がこの建物にいるということが重要なのかもしれないなー」

 ベッドにダイブした俺の方にくるりと向き直って、琴枷は首を少しだけ傾げながら彼女には珍しく言葉を慎重に選びながらそう言った。白くきれいに皺一つなかったシーツがくしゃっとなっていることに関しては何も言われなかった。

 いや、最初に俺が寝ていたからまあそれなりに折れてはいたんだけれど、ダイビングするとさすがに見栄えが悪いというか……ね?


 俺が、あの場所にいないこと……?

 なにか、あっただろうか。

 この時間、普段なら家にいるはずだが。なにか見落としをしているだろうか。

 そして、俺がここにいることで発生する問題。

 そもそも、この誘拐自体が秘密裏に行われているものであることは確かだし、こんなことをおおっぴらにはできない。いくら国が後ろ盾についているからとはいえ、そこまでやって国民の反感を買うような真似はさすがにしないだろう。

 では、なんだというのだろうか。

 今のうちに気付いておかなければ、後々大きな失敗を招くような気がして――。


「さて、しらはー。ちょいとアタシは行かなきゃいけないところがあるんだわー」

 俺の思考は、そんな軽いノリの琴枷の言葉によって遮られた。

 そんな琴枷はというと、ドアを開けたままこちらを見ながら話している0,5秒あればすぐにでもどこかに行ってしまいそうな姿勢で話している。

 今すぐにでもその場所に行きたい、という風な逸る気持ちが言葉の端々から零れ出ていて、少しだけ獣のような目をしている。

「でも、一応攫ってきたのは私だし、世話をしないといけないじゃん?」

「俺はペットかよ」

「いやいや、面倒は見ないとね。で、私は今から飯に行くんだけれど、来るかい? っていうか来いよ。ここに見張りを立たせんのも面倒だしな」

 俺は突っ込みながら琴枷と会話する。

 そう、彼女はとびきりの――グルメ(・・・)だ。食べ物に対して絶大な好奇心を寄せている。キメラ取引関連で、国という大きな取引ということで俺も幾度か同行しているが、その際に琴枷とは意気投合した仲だ。それ以来交友を深めていたが、こんなことになるとは思わなかった……。

 しかしまあ、本当に問題なのは、俺が今の状況を正確に認識できているのかと思えば、実際はそうでもないかもしれないところなんだが。

 友達の家に遊びにきた、という雰囲気が漂っていて、危機感をまるっきり感じていない。それはそれで幸せなのだが。


「ほら、早くしろよー」

 相変わらず気が張っているのか張っていないのか、不思議な声で琴枷はせかしてくる。その声は女性にしては低く、少しだけ怖さを感じさせられる。

 俺は、お、おう、という生半可な返事をして、ベットの柔らかい感触からの脱却を惜しみつつ立ち上がりドアノブを握りしめたまま立つ琴枷に近づいて、もういけるぞ、ということをアピールした。

「よし、行くか」

 と言って、琴枷は俺の手を握り――。


「別に手錠とか掛けないぞ? 逃げ出すとも思ってないし」

 廊下に出て通常の眼に戻った琴枷が唐突に言った。

「――それに、逃げ出したら捕まえるだけだよ」

 そう言った瞬間、どこからか衛兵が二名ほど何の音も立てずに現れた。

 衛兵っていうか、それ忍者の登場の仕方だよね!?

 衛兵はその後どこかに消えていってしまった。

 神出鬼没という言葉が彼らには似つかわしいと本当に思う。




 クアイル――会議室


「――では、私が白羽を探しましょう」

 再び静かになった会議室で千之寺が言葉を投げかける。水面に一滴の水が落ちたかのように、その言葉から波紋のようにざわめきが広がる。

「千之寺さん、探してくれるんですか?」

 念を押すように千之寺に聞くのは坂匡だ。それに追従するように会議に出席している全員が千之寺の方を見る。

 千之寺は重役たちの視線をものともしてないような表情で重々しくうなずき、

「私なら白羽を捜すぐらいはできるはずです」

 千之寺も白羽と話す時とは違い、言葉が気持ち丁寧になっている。

 集まった視線に恥じないような態度で千之寺は会議室すべてを監視カメラのようにくるりと見回す。

「では……よろしく頼めるかね、千之寺君」

 最後にそう締めくくるように言ったのは絡砂社長だった。

 静かに、はい、とだけ千之寺は答えて、社長とアイコンタクトを交わし、千之寺は一人だけ圧縮した空気が蔓延するこの戦場から扉を開けて出て行った。


「――さて。では次の案も考えてしまおう」

 緊迫した空気が終わったと一息つこうとしている重役達に喝を入れるかのようなタイミングで坂匡はそううち漏らした。言葉を放った瞬間に、重役たちはさすがの貫録か、表情から態度から、仕事をするときのそれにしっかり戻している。


 白羽が技術班にいるということを知っているメンバーだけなので、必然的に人数が少なくなってしまう分、一人一人の発言のウェイトが重くなる。

 そのことが指し示すのはつまり――発言力の高まり。


 白羽を捜すという名目の今、そのことはあまり関係ないように見えるが、会社内がキメラ軍事利用推進派と反対派に分裂しているので重役会議の中でどのくらい坂匡に従属している人物がいるかで話は変わってくる。

 言うなれば、参議員や衆議院のようなものだ。

 支持している人数の多さでは、牛耳ることが可能というだけの話。

 ――それが、たとえ会社の重要人物の集合体であっても。


「俺が、もしも千之寺の案がダメだったときのためにもう一つ予備を張っておこうと思うんだが、どうだろうか」

 坂匡が挙手をして会議室の面子をぐるりと見回す。


「ええと、具体的にどういう予備を張るんだい?」

 その提案に対して疑問を投げかけたのは絡砂社長だ。

 それ以外の出席者は、それが当り前のことであるかのように、何食わぬ顔をして座っている。

 ――そう、予定調和のように。


「そうですね……とりあえず個人的な連絡網を使って、彼に対していろいろ聞いてみますよ。技術の力も必要ですが、こういう時に一番頼りになるのは、人脈です」

 社長に向って副社長は朗々と話す。社長も何の疑いもなくそれを聞いて、そして会議は何事もなく終了した。




「さて、他愛もない雑談でもしようか、白羽」

 にこやかに語りかけてくる琴枷に、白羽は目もくれず、給仕が運んでくる料理にのみ目を見やる。

「そんなことより、この料理美味しいですね」

 がつがつ、という擬音がつきそうにもないほど、白羽は年頃の男子としては意外にもお淑やかに食事を嗜む。

 食べている間は口を開かず、咀嚼することだけに終始して、テーブルマナーを几帳面に守っている。

 そんな様子を机ひとつはさんだ真正面から琴枷は苦笑しながら、

「そうだろう、ここは料理の味も質も上等だぞ? なにせ私が認めた店なのだから」

 自他共に認める『グルメ』の琴枷の舌はとても頼もしく、彼女と一緒に食べに行く店には“ハズレ”がない。一体彼女はどういうところでこういう店を発掘するのだろうか、その数の多さにも定評がある。

 やはり、食○ログか何かを使っているのだろうか。

 それとも、一軒一軒自分の足で巡っているのだろうか。

 一度彼女のプライベートに同行してみたいと思ったことはあるが、プライベートの琴枷と同伴させてもらっても、彼女はおいしいお店にしか他人を連れていくことはしないのだろうなとも思ってしまう。

 そんなことを舌鼓を打ちながら考えていると、スープが運ばれてきたので、俺は考えることを放棄し、味覚だけにすべての力を注ぎこむ。

 俺達が通されたのがVIPルームだということもあるのかもしれないが、用意されたナプキンが一枚一枚布でしっかりと作られた代物だというのが、庶民の俺からしてみたら驚きだ。

 いったいどれくらいの金額がかかっているのか、その時点で興味が沸いてくる。

「いやいや、せっかくのお客様だからね、丁重にもてなさないと」

 と、琴枷は俺の心を読んだかのようなことを言ったあと、顔に何が考えているか簡単にわかるさ、と大人の余裕を含めた顔で付け足した。


 それから、俺と琴枷の他愛もない雑談を1時間弱して――なんの取り留めもない話だったが――そして、帰路に就こうとしたとき、琴枷の元に着信があった。



「はい、琴枷ですが――」

 琴枷が名前を確認するなり反射的に電話口に声をかける。

 名前を確認した際に、隣にいた俺もそのかけてきた相手の名前を見てしまった。

[取引先]、という枠で囲われた――坂匡、という俺も知っている知人の名前を。

 その光景があまりにもスムーズすぎて、プライベートを殺してまで琴枷は常に仕事を優先しているのかと若干感動しながらも、俺は助けを求めるべく、声帯を揺らす。


 人で賑わう繁華街、ネオンの光が顔を照らす。

 人混みの中では、牽制をするにも目立ちすぎる。

 客引きが交差する通りのすぐ横で、千鳥足のおっさんがちらほら見える歓楽街に佇む高級レストラン、その目先で、俺達は互いに視線を交わし合う。

 声を出すなよ、という脅しにも近い――というか脅しだ――視線が送られてくるが、俺は俺自身を縛る身体的な鎖が何もないので、大声で、

「坂お……もごっ」

 叫ぼうとしたところを、忍者に止められた。

 少しだけ叫んだが、しかしこの喧噪のなか、歩いている人たちの誰一人としてこちらを向いてすら来ない。ということは、聞こえていないのだろう。

 やはり、無駄なあがきだったか……。

 外出して食べに行っているのに、そこまで警備の隙が緩いはずもなく。

 黒い物陰から現れた彼らは、俺の口を完全に封じ込めた後、琴枷の通話終了のタイミングを見計らって口元を緩める。


「――さァて、白羽ァ……」

 通話が終わった琴枷がすごい顔で睨んでくる。

「いやだって、俺誘拐されてる身ですし、当たり前といえば当たり前じゃないですか?」

「――いや、確かにそうだけどさ……」

 なんだか身内だから詰めが甘いというか、そうでなくとも今後の付き合いもあるわけで。

 っていうかどんだけこの計画甘いんだよ。

 外がサクサクで内側がとろりのシュークリームくらいには甘いんじゃないかこれ?


 甘い――?

 待てよ、こんなに計画が甘いって、どういうことなんだよ。

 慎重に捏ねられた計画というわけでもないということは、つまりその場で思いついた犯行ということになる筈なんだが……。

 どうにもそんな気配がない。そもそも俺用の付き人が存在するという時点で仕組まれた犯行だったはず……。


 ではなぜ俺の近くに琴枷がいる?

 琴枷がいるということはすなわち、私がやりましたと、公言しているようなものだ。

 これに伴うリターンが見受けられない。


 しかし、ここまでする以上リターンがない誘拐であるはずがない。

 誘拐犯の顔バレがあった場合、後のことを考えて――俺を殺す気か!?

 いや、でもそれは警察に追われる可能性があるからで、現状彼女は公的な誘拐――いわば俺を支配下に置くだけの行為などと言い繕って、国とグルになって攫っているという状況にあるわけだ。

 だから、このリスクはない。

 警官に追われるなんてことも、前科者となることも。

 だからこそ、今後のことを考えてこんなに気まずくなっているんじゃないのか……?


 そう仮定した場合、だいぶ考え方が変わってくる。

 琴枷いわく、俺に強制労働はさせない。そして、俺がクアイルにいないことが重要。

 つまり、誰かに対して俺の体と交換条件で何かを要求するといった従来の営利誘拐目的ではなく、業務妨害が主たる目的になるわけだ。


 さて――ここで、いったいこの時間、なにが行われていただろうか。


 そういえば、坂匡が気をつけろ、とか言っていたかな……。


 ――ッ!!

 ここまで考えてきたところから求められる目的はあれか。

 そもそもの国の目的はキメラの軍事利用。

 そして、坂匡はそれの推進派リーダー。琴枷は国の手下。

 完全にそれじゃないか……。っていうか、それ以外に考える余地がない位に完璧じゃないか!


 ……でも、待て。

 だったらなんで琴枷はさっき、坂匡からの電話に対して、俺に黙れと言わんばかりのアイコンタクトを送ってきたのだろうか。

 体裁上坂匡に気を使って? いや、まさかな……。だったら忍者も出てこないだろ。

 何かほかの理由があるのか……?


 なんにせよ、時間が解決してくれそうな問題にしては、厄介なことになったぞ……。

 俺がここに捕らえられただと、重役会議を軽くすり抜けてお偉いさん方だけで話がまとまっちまう。

 一体全体どうすればいいんだ……?




「グアァァァァ!」

 場所は変わり――白羽家。地上35階のフロア全体に響き渡る鳴き声が白羽の家の鍵を開けたばかりの侵入者の鼓膜を大きく揺らす。

 その侵入者は緑色の長い髪を大きく揺らして白羽家の番キメラを務めるフェニックスキメラに挨拶をするように向かう。

 しばしの間鳴き叫んでいたキメラも、彼女の髪の毛の色を見た瞬間、誰だかを把握してその慟哭を止めた。

「やっほー、元気だったかい? フェニックスよ」

 白羽の家にやってきた緑色の髪の毛の人物――千之寺は、高温と謳われる伝説の獣のキメラを触っても臆しもせずに触れ続ける。

 1,2秒後経ったころか――ようやく、熱いなお前ー、などという言葉をかけてキメラから手を離す。久々のスキンシップにフェニックスも満足したのか、先ほどよりはかなり機嫌よく啼いているように聞こえる。

 そんな一人と一匹のスキンシップを遠目から見守るキメラが一匹――犬のような格好をしているが、豚のようにも見えなくもない。

 その犬豚キメラは、首が千之寺の手首に巻かれているリードにつながれているため、これ以上遠くまで行けないというところまで下がって待機している。

 キメラの中にも上下関係があるのだろうか――そう思わせるような構図だが、これは上下関係ではなく、弱肉強食の世界だと言ったほうが正しいのかもしれない。


「さて、イノブー、白羽の匂いを覚えるんだ!」

 千之寺がそう命令してキメラという名の獣を白羽家に放つと、イノブーと命名されたどこかのモンスターのような名前をしたキメラはそそくさとフェニックスキメラから離れるようにして獣が匂いを嗅ぐ姿勢そのままで遠ざかって行った。


 イノブー、というキメラは千之寺が開発したもので、人間捜索用のキメラ。鼻がいいだろうというイメージだけで作られているので、割と適当だったりするのだが、犬も豚も鼻がいいことには変わりがないので人を捜索するのには持ってこいだったりする。


 千之寺がイノブーについていこうとすると、フェニックスキメラが図体に似合わずかわいい声を出して――構って欲しいという事をアピールしているのだろうか――千之寺の目線を集めようとするが、千之寺は無情にも、

「じゃあね、また来るから」

 の言葉だけでフェニックスキメラの方には目もくれずイノブーの方についていってしまった。

 部屋リビングにはフェニックスキメラだけが取り残されてしまい、哀愁の漂っていそうな声で、「グワァ」と鳴き声を零した。


「さて、そろそろかな?」

 千之寺はイノブーの跡を追いかけるとともにイノブーの反応を確かめる。

 いくら千之寺といえど、キメラとの完全なコミュニケーションをとれるというわけでもない。犬としての調教は完全に終えているとはいえ(趣味で)、わからないことだってたくさんある。

 イノブーは後ろに立つ千之寺向ってくるりと振り向き首をふるふると小動物特有のかわいさを持て余した挙動でその短く茶色い毛を振り落としながら反応する。

 首を振る? イノブーですら感知できない匂いがある、というのはどういうことなんだ……? と、千之寺が予想を張り巡らせている間にも、イノブーは懸命に千之寺の期待にこたえようと四面――いや、五面が真白に保たれている生活感のかけらもない白羽の部屋のカーペットの匂いを嗅ぎつけようと懸命にその鼻を床に押し当てる。

「ぶひゅん」と犬とも豚ともどっちつかずの鳴き声を上げてから、イノブーはしょぼんと落ち込んだ。

「ダメ……なのか」

 よたっ、と覚束無い足取りからしゃがみ込むような体制で、手を後ろに回して尻もちをつくような体制で、なるべく臓器に衝撃を与えないような形にして、千之寺は床に座り込む。

 白羽はいろんな謎があるからな……。キメラに襲われやすかったりするとか言う話もしていたし――きっと、自分の匂いをキメラに感知させないための薬品でも作った、というところなんだろうな。という風に考えて、千之寺は落ち着く。

 自分とキメラ――二人揃ってもどうしようにもできない現実を目の当たりにした今、深いため息をつきながら。白羽の凄さに感嘆し。


「白羽――確かにすごいけど、裏目に出るようなもん作るなよ……めんどくさいなぁ」

 そうひとりごちる千之寺の後ろ姿は、どことなく震えていて。

 そしてまた――どうやって重役にこのことを説明すればいいかを考えなければいけないかを考えることすらも面倒くさいと思う千之寺だった。



 そしてその施設にある浴場に案内してもらい、一人――さすがに琴枷は監視役とは言えども風呂にまではついて来なかった――でゆったり湯船につかる。

 その晩――白羽はぐっすりと、まるで家にいるかのような状態でぐっすり眠った。琴枷の部屋にあるふかふかの結構値が張ったであろうベッドがその快眠状態を引き起こした。

 ちなみに、琴枷は予備の布団だとか何とか言って、ほかの部屋から布団を借りてきていた。

 というか、この施設は寝ることも想定されているのかよ、なんて思ったりもしたが、研究室にも布団があることを思い出したのはしばらく後の話だったりする。



 そして翌朝。6月19日。

 白羽はやはり見知らぬ天井をぼやけた視界に入れるような形で目を覚ました。見知らぬ天井、とは言えども二日目なので、見覚えのない天井、の方が正しいのかもしれないが。


「ふわぁあ」

 起きぬけに欠伸混じりの第一声を放つと、白羽は上体を起こし部屋の中をくるりと見回す。昨日に引き続き雑然と書類が撒き散らされているのは清掃してないのだから変わらないこととして、部屋の対称の辺にそって敷かれていた琴枷の布団は既に片付けられていて、そしてその姿もなかった。


 琴枷がいないならもしかして、なんて思って彼女の事務机を漁って見たが、俺が探している携帯電話は見つからなかった。


 それにしても、昨日から今日まででどのくらいの状況が変わっているのだろうか。

 そろそろ俺がいなくなったということに千之寺あたりが気付いてくれているのだろうか。そうあることに期待したいが――日曜日だしな……。


 ――日曜日? だとしたら、会社で重役会議が執り行われるとか、それ以前に出席する人たちは全員休みじゃないだろうか。

 昨日だって、土曜日だ。


 そうした場合、琴枷の目的が俺が予想したそれと、何か違うものになってしまう。

 キメラの軍事利用化ではない――?

 その線は、昨日の坂匡との会話からしても、確かにありうる線かもしれない。


 俺がいないことで琴枷に起こるメリット?

 しかも、そのメリットは国が拉致を認めるくらいには重要な価値があり、かつ俺に教えることができない。

 しかも、俺が今ここにいることが重要で、クアイルにいないことが重要。

 そして、それがキメラの軍事利用ではないとすれば。

 導き出せる答えは。


 ――ない。

 完全に設定矛盾している。

 これは、いったい。

 どういうことなんだ?



「おはよう、起きてたんか白羽」

「琴枷、おはよう。いい朝だね」

 いきなり扉を開けて入ってきた琴枷に思考を中断させられて現実に引き戻された。決まり切った挨拶を交わし、俺はベッドから立ち上がる。

「まだ寝てていいんだが?」

 一般に『アネゴ』と呼ばれるような口ぶりをするが、その割に結構優しい一面があるんだな、と今更ながらに思ってしまった。

「いや、琴枷が起きてるから、俺が起きないわけにもいかないだろ。次の仕事にも差し支えあるだろうし」

 なんとなく琴枷に気を使いつつ、俺は靴を履き、琴枷から借り受けた寝巻きから普段着に着替えようと脱衣所に向かおうと支度をする。

「いや、アタシの都合なんていいからさ、ゆっくりしていきなよ。客人なんだから」

 強情にもまだ俺を寝かせようとする琴枷に対して、俺は、いいよ、とだけ断って部屋を出ようとすると、

「あ、じゃあちょい待ち」

 と言って琴枷はロッカーを開き中をごそごそ漁る。俺はドアを半開きにしたままそれを見ているので、角度的に何を漁っているのか見れなかったが、部屋の散漫さを見ればロッカーの中も大体予想ができるような気がする。

 しかし、琴枷から渡されたそれは、俺の予想を大きく裏切った。

「ほら、それは今日の服だから、それに着替えてこいよ」

 手渡された服は、この部屋からはとても想像ができないような皺一つない服だった。

「おおぅ……ありがとな」

 俺は信じられなさに少しだけ動揺してしまったあと、感謝の言葉を述べてからバタンと扉を閉じた。


 脱衣所までは結構遠く、現在ビルの6階の角部屋に位置する琴枷の部屋から歩いて普通に5分弱かかる。

 窓が付いていない効率重視のオフィスの廊下を通るたびにここは仕事をする場所なんだなと思いだす。琴枷の部屋にいるとついうっかりそんな当たり前のことを忘れてしまう。

 そもそもあれは琴枷の部屋ではなく、琴枷の仕事場所だ。


 あれ、でもこれって、いま逃げ出そうと思えば逃げ出せるのかな?

 そんな考えが脳裏を過ったが、ここで逃げ出しても入口の警備員に捕まるだけなのかな、とも思い、無駄なことになりそうだったので、おとなしく用意された服に着替えて白羽はとぼとぼと部屋に戻る。


「さて、白羽、飯でも食いに行くか?」

 グルメな琴枷は朝からそんなことを言い出す。そんな生活をしていて体を壊したり金欠になったりしないのかと俺は聞きたいが、こんな位置にいるくらいなのだから高給取りなんだろうなと思ってしまう。

「あ、うん、行く」

 と、俺は言葉を返して、朝飯を食べに出かけることになった。


 朝の歓楽街は夜のように騒がしくなく、しっとりとした空気が流れている。梅雨の季節が垣間見える。今こそは雨は降っていないが、明け方まで降っていたようで地面が軽く濡れており、通りのコンクリートに打ち水効果が表れている。

 人の数は少なく、居酒屋などの店が多いため、この時間帯は灰色のでこぼこしたシャッターが通りに並んでいる。


「ここらへんは確かに基本居酒屋しかないけど、朝定食があるところも結構あるんだぜ」

 そう言って、シャッターが下りていないお店の暖簾をくぐり扉を開ける。

 入ったのは木で造られていることをおおきくアピールしたいのか全体的に薄茶色の建物だった。

 檜風呂で見るような質感の木を内部にも張り巡らされていて、純和風なお店だなと一瞬で理解することができた。

「おやっさん、朝食2人分」

 琴枷は入っていきなりそう声を上げた。

 いかにも毎日来ているかのようなテンションで、店主のおじさんとは仲がよさそうだ。

「あいよ!」

 というおじさんの呼応する声もなかなかに親しみに溢れている。

「ここの朝飯はうまいぞー。あくまで朝飯だがな」

 琴枷は邪気のない子供のような顔でそう言う。ついうっかり齢三十いくつの女性として認識できなくなりそうだった。

 というかそれは朝食以外はおいしくないということかな?

 そんな邪推をしつつ、出てくる料理をじっと待つ。


 待っている間に、店長が琴枷に向って一言。

「おや、あんたの旦那さんはどうしたんだい?」

 ええ、この人既婚者だったんだ!?


 とてもびっくりした。



 そんなこともあって、俺たちは朝食を食べ終わり、琴枷の部屋に戻る最中のことだ。

 歓楽街にある駅前の時計を俺はふと見る。

 時刻はもうすぐ10時になろうかというところだった。


 ――10時。

 6月の19日、午前10時。

 どこかで見覚えがあるような数字だ。


 どこかで――。

 俺は記憶の糸を辿る。

 その中でこの時間を示していたものは……。


 暴走予定キメラ搬入時間。

 そうだ。

 この時間頃だと、確か書いてあったはず。



 そして物語の歯車はようやく全てが揃い、動きだす。


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