雨と雷と金曜日
真っ暗な部屋で二人で毛布に包まっていた。
カーテン越しにぴかっと光り、ドーンと大きな音を立てながら雷がどこかに落ちた。
空が光るたびに二人でびくついて、ますます体を合わせる。
「あっくんのお母さん遅いね…」
「…そうだね、みうちゃんのお母さんも遅いよ」
怖さを紛らわすために何度も同じ会話を繰り返す。それでも怖さは消えることはなく、二人の中を漂っている。
今日は金曜日で明日は休みだというのに、二人のお母さんは仕事が溜まりに溜まって、今夜は遅くなるらしい。二人とも母子家庭だから、こういう日はいつも二人でお母さんの帰りを待っている。
「…ねえあっくん知ってる?」
「何を?」
「ぴかって光ってから音が鳴るまで数を数えるんだよ」
「どうして?」
「数が多ければ多いほど、雷が落ちるのは遠くの方だから」
言い終わるとすぐに空が黄色く光る。二人は目を合わせて声を合わせた。
「「1、2、」」
数え始めると玄関が開く音が聞こえる。
はっと玄関のほうに目をむける。
「あつし、みうちゃん、ただいま」
「みう帰るわよー」
お母さんの声だ。
数を数えることを忘れて、二人で声のするほうへ走って行く。
「「お帰り!」」
そう言って抱き着くと、お母さんの服はしっとりと濡れていた。
*
高校を卒業して大学に入り、大学を卒業するとすぐに俺は就職した。
でも就職してすぐに母さんが亡くなった。
体の調子が悪いということで母さんは俺を連れて病院に行った。なぜ俺まで一緒に行かなくてはいけないのかと不思議に思ったが、その日は予定も何もなく暇な日だったからついていくことにした。
この時から母さんは気づいていたんだ。自分の死期を。
「あと3か月もてば良いほうです」
淡々とした口調で病院の医者はそう言った。
それから3か月もしないうちに母さんは亡くなった。
急なことだったが、亡くなるまでの短い間はいい時間だった。久しぶりに海に行ったり、水族館に行ったり、山に登ったり。母さんと二人で過ごす時間は良い思い出だ。
別に辛くはない。
只すこし、家に帰っても誰もないというのが寂しいくらいだ。
母さんが亡くなってからは、幼馴染の美羽が家に来るようになった。
美羽曰く「ちゃんと栄養を摂っているかみにきている」だそうだが、少しは心配してくれてることは嬉しかった。
「ねえあっくんはいつまでガラケーなの?」
美羽が持ってきたご飯を食べていると急にそう聞かれた。
「いつまででも、」
そう言いご飯を口に運ぶと、美羽は自分のスマホを取り出しちらちらと見せびらかしている。
「LINEとか楽だよ~電話も無料だし」
その言葉を無視して、目の前にあるおかずに手を伸ばす。美羽をちらっと見ると、まだスマホ自慢をしている。
「…いいんだよこれで、母さんの形見だし」
小さな声で言った。それは美羽に聞き取られることはなかったが、それで良いのだ。
はっきり言えばこの携帯にもガタは来ている。最近すぐに充電は切れたり、画面が真っ暗になるときもある。美羽はそれを知っているからこそ、俺にスマホを勧めているのだ。
「あ、そうだ。これ私のスマホの番号ね、あっくん私のメアドしか知らなかったでしょ」
そう言いながら白い小さな紙を渡してきた。
「あっくん携帯よく充電切れるでしょ?だから何かあったときはここに連絡してよね」
「…ありがと」
素直にお礼を言うと、相手は満足したのか笑顔になった。
ついその笑顔から顔をそむけてしまう。いつの間にかその笑顔を直視できなくなっているのだ。どうしてそうなったのかは分からないが、美羽が笑うときはいつも顔を背ける。
「あっくん、明日は夕方から雨だから、傘持っていくんだよ」
「わかってるよ、まるで女房だな」
冗談でそういうと、みうが少しだけ顔を赤くした。
「…給料の低い旦那なんて嫌だよー」
でもすぐにいつもの顔に戻り、そんな悪態をついた。
給料が低いのは新入社員だから仕方ないし、その言葉をご飯と一緒に飲み込んだ。
「じゃあもう行くね、お皿は後でちゃんと返してよ」
「ああ、ありがと」
そういうとまたあの笑顔を見せて玄関へ向かった。
俺はその背中に何も言わず、ただじーっと見つめていた。
*
朝とても晴れていて、雨なんか降るはずないと思い傘は持っていかなかった。
なのに、なんで夕方になると降り出すんだよ!
いつもの鞄なら折り畳み傘が入っているが、今日は寝坊で急いで家を出たせいで別の鞄を持ってきてしまった。傘は家に数本あるから、コンビニで買いたくない。
仕方ないと思い携帯を開く。美羽に傘を持ってきてもらおうと思ったからだ。
でも、最悪なことは続くらしい。
携帯画面が真っ暗だ。少し待ってから開くがいまだに真っ黒。
きっと充電が切れたに違いない。
これは 濡れるしかないと思い前を向くと、向こうのコンビニに公衆電話があった。
最近は見ないから少し不思議に思ったが、天の助けだと思いそこまで一気に走る。
確か財布の中に美羽の携帯番号が書かれた白い紙を入れていたはずだ。
一度コンビニに入り、財布を探ると一枚の白い紙を見つけた。これで濡れずに帰れる。
すると急に、真っ暗な空が黄色く光った。そしてすぐにドーンと大きな音が鳴る。周りにいた女性はきゃあと小さな悲鳴を漏らしている。
…近くに落ちたな。
そう思い、しばらくコンビの中にいることにした。
近くの雑誌を開き適当にページをパラパラとめくると、ある1ページで手が止まった。
『雷特集』
そこには、雷がどこで落ちるかが数えればわかる、と書いてある。
そういえば俺にこれを教えたのは美羽だったな。
二人で怖がりながら母さんの帰りを待っていた。怖さを紛らわすために、ずっとずっと数えていた。手を握り、お互いの体を密着させながら声を合わせて。
また空が黄色く光る。
「1、2、3、…」
小さな声で数を数えてみる。次は、遠くの方で落ちたらしい。
無性に胸がきゅうっと詰まる。
独りで数えるのと二人で数えるのがこんなにも違うのか。
雑誌を置きコンビニを出る。
財布を開くと小銭がじゃらじゃらとたくさん入っている。小銭を公衆電話に数枚入れ、白い紙を取り出す。その白い紙は少し濡れて文字がにじんでいる。
俺は間違えないようにゆっくりと番号を押した。
プルルル…プルルル…
『もしもし、どちら様ですか?』
美羽の声だ。
「…美羽、あつしだけど…」
『あっくんか、…どうせ傘忘れたんでしょ?』
的を射た答えに少し言葉に詰まってしまった。
電話をしたはいいが、何を話していいかわからない。いつものように淡々と話せばいいのか?
「…そっちも雨降ってるのか?」
『うん、降ってるよ。雷まで鳴ってるし』
「そうか…」
足に不快感がわいてきたから下を向いてみると、もうびしょびしょに濡れている。肩や頭も鞄でさえ濡れている。
『で、どこに傘を持っていけばいいの?』
美羽が俺に問いかけてくる。これに答えればすぐに会話は終わってしまう。
いつもは、電話はすぐに切ってしまうタイプだが、今だけは長く話していたかった。
俺はまた小銭を数枚入れた。
「…傘は、いらない…」
『え?』
「…美羽と話すだけで、雨宿りしてる気分だから」
『……そっか』
電話越しでも、美羽が照れているのが分かった。
なぜこの言葉が出たのかは自分でも分からない。でもずっと話していたかった。
すると後ろの方で空がまた光る。
『あ、雷だ』
「…そうだな」
『…ねえあっくん、言いたいことあるんだけど…』
「…俺から言う」
『……うん、わかった』
また雷が鳴った。
何かを言おうと口を開くが、何を言っていいかわからず口を閉じる。
『あっくん、次の雷が鳴るまでに言わなかったら、私から言うよ?』
いたずらっぽくそう言う。雨がさっきより強くなった気がした。
「………少しだけでいいから、俺と話していて、」
思った出てきた言葉は愛の言葉でもなんでもなった。
ただ、今一人で数を数えたくなかったのだ。
この気持ちが何かはいまだにわからないが、自分の思うことを伝えた。
『…うん、わかった…』
その美羽の声はどことなく寂しい声だった。
びしょびしょに濡れた体は、気持ち悪いというのは不思議となかった。
ただ、瞳に溜まっているのが涙なのか雨なのかがわからなった。
『…今すぐそこに行くから、どこにいるの?』
濡れている俺には傘は必要ない。
「…来なくても大丈夫」
『ダメ、私が行きたいから…』
「いいんだ、傘よりも君が大切だから」
『…そっか、風邪とか気を付けるんだよ。私だってあっくんが大切なんだから』
「うん…」
そうだ、今日は初めて二人で数を数えた日と同じ金曜日だ。
そう思い俺はまた小銭を入れた。
久しぶりに打ったので、誤字脱字があるかも…