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第8章


 そんなわけで、わたしがブログも更新せず、携帯小説のサイトにもまったくアクセスしなくなった頃――自然、わたしはMr.ロバートのことを忘れていたし、<Mr.ロバートを探しています>というホームページを作ったことすら、すっかり忘れきっていた。


 ユリカはしょっちゅうわたしの家へ遊びに来るようになり、修学旅行前は自由行動の時にどうするかの計画で盛り上がり、修学旅行が終わったあとは、近くある学校祭の話で持ちきりといった感じになった。


「マリってさ、好きな人とかいないの?」


 翌日が日曜日の前日――うちに泊まりに来ていたユリカは、ベッドの上にわたしと寝転びながら、だしぬけにそんなことを聞いた。


「好きな人ねえ……そういうのは特に考えたことないな。だってわたし、少し前まで学校のことでハゲそうなくらい悩んでたから、恋愛のことなんて考える余裕、全然なかったし」


「そっかあ。じゃあ、初恋はいつ?」


 ユリカには、最近別れたばかりの彼氏がいる。中三の時に告白されて、高校が別々になっても時々デートするといったような、そんな関係だったらしい。


 でも何故突然、きっぱり別れることにしたのかというと――「あいつといるより、マリと一緒にいるほうが全然楽しいんだもん!」というのが、ユリカの答えだった。


「んー、たぶんね、たぶんだけど、中二の時。学校祭のクラスの出し物で、何故か準主役に選ばれることになって……準主役なんていっても、ヒロインの引き立て役みたいな役どころでね、そんな大した役じゃないんだけど。で、その時ヒロインの相手役だった男の子がいて――稽古してる間に、すごく仲良くなって。なんとなく漠然と「好きだな~」ってそのあとも思ってたけど、卒業と同時に終わっちゃったみたいな、そんな感じ」


「ふうん。でも、こうは思わない?実は向こうもあたしのこと……みたいにさ」


「思わないよ」と、わたしは笑って即答した。「なんでかっていうとね、その人、本当にすごい人だったから。学校のイベントごとでは常に中心人物で、べつに相手がわたしじゃなくても、他の誰にでも平等に優しいっていうタイプ。時々いるでしょ、そういう人」


「確かにいるね。たとえば今のうちのクラスでいったら、大野みたいな感じじゃない?話の要所要所で必ず笑いを入れるから、クラスのみんなに人気があって……みたいなね」


「そそ。わたしの恋愛レベルはね、まだ全然<あこがれ>のレベルから成長してないんだと思う。べつにいつか自分だけの王子さまが……みたいにも思ってないし、一生独身でも構わないって思うんだ。ただわたし、ひとりっ子でしょ?だから、パパやママに孫の顔を見せて喜ばせたいとは思うから、そういう部分でいつか結婚するのかなとは思ったり」


「マリっておっとな~!!マリはさ、あたしのことを大人だっていうけど、そんなことないよ。勉強は出来るし、いつでも当てられたらハキハキ答えてて。なんかクラスでもちょっと違う人みたいな雰囲気だったよ、ずっと。マリはドラえもんみたいに足下1ミリ浮いてたって言うけど」


「違うってば。ほんと、わたしすごく焦ってたんだから。下手したら高校中退しなくちゃいけないわけだし、勉強くらい出来ないと自分は将来どうなるんだろうって、不安で不安で……それに、授業もサボってばっかで友達もいないから、どこ宿題だされたのかもわかんないし、誰にも何も聞けないじゃない。それで必死こいて予習してたっていう、それだけの話」


「ああ、そういえば学校やめて、<マリー・ド・サガン>でウェイトレスのバイトしようかなって、本気で考えたこともあるんだっけ」


 ――今では、ユリカもまた<マリー・ド・サガン>の常連客のひとりになっていた。そしてわたしはそこで、例のMr.ロバートに纏わる話についても、彼女にすべて話していた。


「うん。わたし、もしあの時ユリカが声をかけてくれなかったら、今どうしてたかなって、かなり本気で思うよ。学校にも行かないで、家に引きこもって、「自分がこんなふうになったのはママのせいだ!」とか、八つあたりして毎日を過ごしてたかも」


「なんかわかる、それってすごく。頭の中ではさあ、もちろんわかってはいるのよね。自分の母親の不倫と不登校とは別の問題だって。でもそう言うことで親を困らせたいっていうか、向こうがどうでるかを試したいっていうか。そういえばマリのママ、相変わらずなの?」


「まあね。今日は前もってユリカがうちに来るって言ってあるから……家にいるけどね。じゃなかったらたぶん、向こうの人のお店にいってるんじゃないかな」


「えっ!?お店って何?マリのママってホストか何かにハマってんの!?」


 ユリカはがばりと起き上がると、隣で横になってるわたしのことを見下ろした。ユリカの長い黒髪が、わたしの頬や胸にかかる。


「言ってなかったっけ?まあ、ホストじゃないんだけど、小さなバーのマスターやってる人なんだ。で、土曜とか日曜はその人の店を手伝ってて……誰がどう見ても恋人同士にしか見えない感じなわけ。っていうか、あんなに生き生きした顔してるんじゃ、その生き甲斐をママから取り上げるなんて、わたしにはとても出来ないって思う」


「小さなバーのマスターねえ。ふう~ん、ふう~ん……」


 ユリカはどこか興奮したようにそう言い、ハート型のクッションを暫く抱きしめたままでいた。


「それ、マリが探偵よろしく、ママのあと尾けててわかったことなんでしょ?」


「うん、そう。いくらわたしが普通の高校生より多くお小遣いもらってるにしても、興信所に頼むくらいの預貯金はないから。最初はね、パパがいなくてママも寂しいのかなって思ったんだけど……なんか全然違うんだ。たぶんパパがこの家に戻ってきても、ママはあの店に通って、あの人に会い続けそうな気がする。相手の男の人も、結婚とかなんとか、そんなことは考えてなさそう。<今>が良ければ、明日のことは明日考えるっていう、見るからに軽そうなタイプの男だから」


 ここでユリカは、あっはは、と何故か突然笑いだしていた。


「ああ、ごめん、ごめん。なんかさ、マリがママにバレないように浮気現場を押さえようとしてるところを想像すると、あんまりいじましくて、思わず笑っちゃった。もしかしたらあたし今まで、マリの悩みを聞いてるようで聞いてなかったのかもしれないね。心のどこかでは、ママが生きてるってだけでも幸せじゃない、みたいに思ってたから……でも、今は前よりわかるよ。そんな断片的な情報しか得られないのに、それを元にして色々想像してモヤモヤしてなきゃいけないなんて、そりゃつらいわ」


「うん。わたし、自分が経験ないせいかどうなのか、あの愛人とママがセックスしてるところとか、そういうのはあまり想像してないんだ。わたしが許せないのはたぶん……ママがこの家の中にわたしの理解できない矛盾を持ちこんだことと、毎朝ニコニコしてる顔の裏では、あの愛人のことを考えてるのかなとか、そういうこと。わたしももう十七になるんだし、仮に両親が離婚しても、それは親の事情なんだって理解も出来る。けど、最近のママが何考えてるのか、あたしにはほんと全然わかんない」


「なるほどね。それで<ロバートを探そう>ってマリは思ったんだ。で、何かその後、進展あった?」


 わたしはがばりと起き上がると、机の上にあるノートパソコンの電源を入れた。それをベッドまで持ってきて、ユリカとふたり、黙って見下ろす。


「どうせ誰も連絡なんてくれるわけないと思って、暫くサイト見てなかったんだ。これから十年くらいして、ロバートなんかもうどうでもいいってなった頃に見つかるかもな~くらいにしか思ってなかったから」


「まあ、そりゃそうよね。あ、でもなんか一通、メール来てるよ」


 マウスをクリックして、わたしはなんの期待もなく、そのメールの内容を読んだ……たぶん、何かの冷やかし的文言が並んでいるだけに違いないと思いつつ。


「えっ!?>>わたしはあなたが探しているFです。ロバートはこの世に実在しません。ごめんなさい……え、ええ~っ!!!」


 わたしは驚きのあまり、隣のユリカと思わず抱きあっていた。日付を見ると、ちょうど修学旅行の最終日だった。こんなことなら、もっと早くにサイトをチェックしとくんだったと、激しい後悔の念に襲われる。


 >>ここのサイトのことは、<マリー・ド・サガン>のホームページのリンクを通して知りました。

 まさか、あんなに昔にあったことを、今問題にする人が現れるだなんて、思ってもみなかった。最初は、メールしようかどうしようかと迷いました。

 でもなんだか少し、ドラマチックでエキサイティングな気もして、結局好奇心のほうが打ち勝ってしまったのです。

 私ことFは、その頃とても苦しい恋をしていて、その相手のことを外人のロバートに見立て、<サガン・ノート>に書き綴っていたという、ただそれだけだったんです。

 もちろん、人が読んだらさぞ滑稽だろうなということも、書いている当時からよくわかっていました。でも私にはどうしても当時、そうした捌け口が必要だったのです。

 がっかりさせるようで申し訳ないけれど――私の書いていたロバートなる人物は、ただちょっと格好いいだけの、優柔不断なダメ男でした。

 でも私は当時、今よりもずっと若い二十代で、彼が奥さんと別れる気がないことなど、見抜けもしなかったのです。

 結果、妊娠を匂わせて困らせたり、結局はそのことが原因で別れました。

 まったく、よくある話すぎて、ドラマにすらなりません。

 でも、私はそのことが寂しくて悔しくて悲しくて――それで、少しばかり大袈裟に<サガン・ノート>に自分のことを書き綴ることで、憂さ晴らしをしていたんです。

 きっと、今ここを読んでいるMさんは、この事実にとてもがっかりしていることでしょう。

 ロバートと別れたあと、私は会社を辞め、今は海外で暮らしています。

 先日、実家へ戻った時に一度だけ、<マリー・ド・サガン>を訪れました。そしてアメリカへ戻ってきてから本当に何気なく、サガンのホームページにアクセスし、こちらのサイトの存在を知ったのです。

 もしその時にあなたがMr.ロバートを探しているとわかっていたら……たぶん直接お会いすることも出来たに違いないと思い、とても残念です。

 最後に、私が間違いなく本当に<F>であることのしるしに、本名とメールアドレスを書き記しておきます。

 何かご質問などありましたら、遠慮なくご連絡ください。


 Fumiko=Leeberman



「うっわあ。人生にはこういうことって、あるんだねえ……」


 ユリカがどこか放心したようにそう言い、わたしはといえば、震える手で彼女の手を握りしめていた。


「うん。なんかわたし、これからは「そんなことしたってどうせ無駄」なんて思わずに、一生懸命生きてけそうな気がする」


 ポタリ、とパソコンのディスプレイの上に水滴が落ちた。わたしが泣いていることに、ユリカは驚いていたけれど――本当はわたしのほうこそが、自分でも自分が泣いていることにびっくりしていた。


 かつて職場の上司と不倫していた女性が、彼をロバートという人物に見立て、妄想タッチで文章を書いていたというそれだけのことなのに……その彼女から連絡がきたということが、何故かこんなにも嬉しい。


 わたしはその夜、何か偉大なことでも成し遂げたあとみたいに、とても幸福な気持ちで眠った。そして翌日の日曜日、夕方にユリカが帰ったあと、早速<F>ことフミコさんにメールを書いて送信した。


 自分の母親が浮気をし、なんとも名状しがたいモヤモヤした気持ちの時に<マリー・ド・サガン>でロバートのことを書いたフミコさんの文章に出会ったこと、そのことがきっかけで、不倫をする女性の気持ちを知りたいと思ったことなど、今自分が感じていることを、なるべく失礼にならないように気をつけながら、一生懸命キィボードを叩いた。


 わたしとフミコさんのメールのやりとりはやがて頻繁になり、一種の人生相談のようになっていったのだけれど――その過程で、わたしにはいくつかはっきりとわかったことがあった。


 たぶん、わたしの書いたメールとフミコさんが送ってくれたメールをすべてここに並べたとしても、多くの人には何故わたしがそうした答えに辿り着いたのか、わかることは出来ないと思う。


 ただ、わたしは思いだしていた。小さな頃から今に至るまで……ママがどんなにわたしのことを大切にし、愛してくれたかということ、また、その時には気づかなかったことについて、突然理解ができたのだ。


 たとえば、二年前まで飼っていた、死んだ犬のコロのこと。雑種で頭が悪く、それでも愛嬌だけはある犬で――ママはコロのことをとても可愛がっていた。


 これもまったくよくある話だけれど、コロは元はわたしが拾ってきた犬だった。学校帰りに、公園の前に捨てられていたのを友達と見つけ、家まで抱っこして連れ帰った。


 パパは自分が数年内にまた転勤になるとわかっているので、当然ながら犬を飼うことには反対だった。ママも同様だった。わたしがいくら自分で「面倒を見る」と言っても、結局世話をするのはママなのよ、とも言われた。


 でもわたしはどうしてもコロを飼いたくて、強硬にがんばり続けた。そしてコロを飼うことになったものの、ママの予想どおり、子犬の世話の多くはママがうけおうということになっていた。


 コロが死んだ時、わたしもいっぱい泣いたけれど、ママはそれ以上だった。今も、コロが死んだ前日のことは忘れられない。病気で息が苦しいのに、パパの手のひらをぺろりとなめ、ママの手をなめ、最後にわたしの手をなめて――翌日の朝、気づいたらコロは死んでいた。


 その時、わたしは本当に本当にいっぱい泣いた。ママともコロを失った悲しみを共有し、抱きあって泣いた。でもその後たぶん……わたしはコロの死から立ち直るのも早かったと思う。何故といえば、学校があったし、受験も控えていたしで、他に友達づきあいなんかもあったから。


 コロが死んでから――確かにママの様子は少しおかしかった。今にして思えばどこか、抑鬱的とでも言ったらいいか……この時にもしママが、自分がただの家事ロボットで、本当は誰にも必要とされていない、といったように感じていたとしたらどうだろう。もちろん、ママがそんなふうに感じていたかどうかはわからない。ただわたしには、そんなふうに思い当たることがあるというだけだった。


 パパは優しい、真面目なとてもいい人だとは思う。でもコロのことは表面的に可愛がるというだけで、散歩へ連れていったりウンチやおしっこの始末をしたりということは、一切しない人だった。ゆえに、コロが死んだ時にもパパにとってその悲しみは、比較的軽いものだったろうとわたしは想像する。


 でもママはたぶん……わたしよりもパパよりも、もっとも自分を必要としてくれたコロを失って、その深い悲しみを理解してもらえなくて、口に出して言うことすら出来なくて、苦しんだのかもしれない。


「ママはいいよね。何も悩みのない専業主婦で」――いつだったか、受験の差し迫った一月か二月くらいに、わたしは本当に何気なく、そんな言葉をママに言った記憶がある。というより、これと似たようなことを小学生の頃から、わたしはずっとママに言い続けていた気がする。


 ママがとある大手企業で、交換手の仕事をはじめると聞いた時、わたしは驚いた。「ママ、わたしいつも、専業主婦は悩みがないとか言ったけど、ママも少しくらい働けばいいのになんて思ったこと、本当は一度もないよ」と、あやまりの気持ちもこめて、そう言いもした。


「これはそういうことじゃないのよ、マリちゃん」とママは笑っていたけれど……今にして思うとママは、コロを失ったことがつらく、時間が経てばたつほどむしろつらさが重くなるので、外へ出て働くことを考えたのかもしれないと、そんなふうに思う。


 ママはもともと美人だったし、パパと結婚する前までは、今でいうウェディング・プランナーのような仕事をし、また司会の仕事もよく請け負っていたという。一時期は、地元ラジオのパーソナリティをしていたこともあると、死んだおばあちゃんから聞いていた。つまり、ママはもともととても有能な女性なのだ。


 その女性が結婚を期に家庭へ閉じこもるようになり、これも子供のためと言い聞かせながら家事仕事に勤しみ、愛犬の死をきっかけに外へ働きに出てみたところ……仕事では褒められ、まだまだ男性にもモテる自分を発見した。もししかしてママが浮気するようになったことの背景には、こうしたことがあるのではないだろうか?


 もちろん、すべては娘であるわたしの、勝手な想像ではある。でももしそうなら、わたしはママを責められないと、初めてそんなふうに感じた。むしろわたしのほうこそが――「あの時、わかってあげられなくてごめんね、ママ」と、何故かあやまりたいような気持ちにさえなっている。


 そしてわたしが本当に心からママのことを「許せる」、むしろ自分のほうこそが「許してほしい」とすら思った時、どうしてかはわからないけれど、ママは突然仕事へ行かないようになり、また愛人とおぼしきバーのマスターとも会わないようになっていた。


 ある日の夕方、二階のわたしの部屋へやって来ると、ママはベッドサイドに腰かけ、<ワンワンライフ>という犬の雑誌を広げ、わたしに向かってこう言った。


「マリちゃん、ママ、お仕事やめちゃった。でね、家にひとりでいても寂しいから、また犬を飼おうかなって思うの。マリちゃんは、どう思う?」




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