浅葱色の誠〜椿屋〜
「聞きはった?"壬生狼"の事……」
「いきなり押し掛けて、二人も斬ったんやろ?」
「裏切ったとはいえ昔の仲間やのに……」
「怖いわぁ。ほんまに人斬り狼やったんやねぇ……壬生狼て……」
歳三は全てを塞いでしまいたかった。目も、耳も、全部。そうすれば、何も聞かないで済む。
さっきすれ違った女たちの噂ばなしも、あの人の寂しそうな顔も……。
あのあと、勇に二人を斬ったと告げた。勇は怒らず、悲しげに微笑んで
「分かった」
と言った。それ以上は何も言わずに腕を組んで目を閉じていた。
金策については、野口が今橋1丁目の両替商・平野屋五兵衛から100両借りる事に成功した。その金で隊服と隊旗を頼んだ。
しかし、歳三が家里と佐伯を斬ったことはたちまち噂になり、大坂から帰ってきた頃には壬生にまで広まっていた。さっきの声も、歳三が巡察中に山ほど聞いたものだった。
「ねぇ、野口さん、まだ怒ってるの?」
総司は、縁側でむくれている野口に言った。
「怒ってませんよ。私に家里さんのこと黙ってたからって」
野口は総司と目を合わせずにすねる。
「やっぱり怒ってるじゃないですか……」
平助はため息混じりに言う。
野口は金策に成功し、勇たちから感謝されたものの、総司と平助が自分に黙って家里を確かめに行ったことが許せなかった。
「でも……あの時は私たちも必死で……心に余裕が無かったっていうか……」
総司は野口の怒りを鎮める言葉を探すが、中々適当なのが無い。
「今度同じような事があれば、絶対に相談しますから!本当です!」
平助も一生懸命頼む。
「……本当ですか……?」
野口は交互に二人を見る。
「本当ですっ!!」
総司と平助の声が思わず揃う。それがおかしかったのか、野口は吹き出し、
「分かりました!じゃあ、団子でも食べに行きましょうか」
と言って立ち上がった。
「あ、賛成!お腹すいた!」
総司も立ち上がる。
「お二人の奢りですけどね!」
野口は笑顔を二人に向けると、さっさと歩き出してしまった。総司と平助は顔を見合わせ、野口の後を追った。
ったく、今日は誰も声をかけてこねぇ。
歳三は心の中でぼやいた。
歳三は島原に来ていた。こんな時には女を抱いて気を紛らそうと思ったからだ。ところが、いつもはしつこい位に客寄せをしている店の者たちが、誰一人として歳三に声をかけない。島原にまで噂が広まっているらしい。
歳三は諦めて屯所へ帰ろうと方向を変えた。そのとき……。
「あれ、土方君?」
すっとんきょうな声が聞こえ、その顔を見ると……。
「やっ……山南さん……あんた、何故ここに……」
歳三は驚いた。初めて島原で飲んだときは相手の女と話をしただけで済ました山南が、まさか島原に通っているとは思わなかった。
「何故って……多分君とそう変わらないよ」
山南は少し歳三から目を反らしながら言う。
「驚いた……馴染みでも出来たのか?」
歳三が尋ねると、今度は顔を赤く染めてうつむいた。山南は話題を変えようと、
「あ、君も良かったら行くかい?その様子だと、まだ店を決めてないんだろう?」
とぎこちなく言った。歳三は少し意地悪そうに笑って、
「おう。あんたがそこまで惚れた女に会ってみたいからな」
と山南の背中を軽く叩いた。
歳三は山南の案内で、ある店の前にやってきた。
「椿屋……ここは前に飲みにきた……」
歳三が呟くと山南は微笑んだ。そして二人は中へと入る。
中は不思議な香の香りが漂っていた。店内は外側から見るよりも明るい雰囲気で、奥から三味線の音や笑い声が聞こえる。宴会をやっているんだろう。
「あら、山南センセ、おこしやす」
店番の女が山南に声をかける。山南は顔を覚えられる位通っているのだろうか。
「こんにちは。えっと……」
山南が言いかけると、奥から小さな女の子がやってきた。
「山南センセ、遅いわぁ。明里ねえさん、とっくにお待ちどすえ」
と言いながら山南を部屋に案内しようとした。その時、山南の後ろにいた歳三に気づいた。
「新しいお客はんどすか?」
女の子は歳三と山南を交互に見ながら言う。
「そう。だから今日は先に別の部屋をお願い出来るかな?」
山南が女の子に言うと、彼女は笑顔で
「少々お待ちを」
と言って元気に走り去った。
「あれは……禿か?」
歳三は山南に尋ねる。
「おなつちゃんのことかい?彼女は私の馴染みに付いてる禿だよ」
山南が答えた頃、なつはまた駆け足でやってきた。
「ご案内いたします」
なつは一礼すると、二人を少し広い部屋に通した。
「ねえさんたち、呼んで来ますね」
なつは二人が部屋に入るのを見届けてからまた慌ただしく部屋を去った。
決して部屋は広くない。大人4人で、なんとか大丈夫だろうという広さだ。しかし内装は、歳三が見た中でも一番品があるかもしれない。
山南さんらしいな……。
そう思いながら歳三は笑った。そのとき、ふすまの奥から
「えろぉお待たせしました、天神の明里どす」
と、柔らかな声が聞こえた。
「どうぞ」
山南が応えると静かにふすまが開き、明里は深々と頭を下げた。そして彼女が顔を上げた時、歳三は心臓が止まるかと思った。
「お琴……」
山南も明里も歳三を見る。歳三はそれに気づいて我に返り、二人に
「何でもない……」 と言いながら顔を反らした。
お琴なのか……?
あの女が何故ここにいる?
「土方くん?体調でも悪いかい?」
山南の声で歳三が顔を上げる。すると明里は心配そうに顔をのぞき込む。
「お顔が真っ青どすえ」
明里と目が合い、歳三の鼓動が早くなる。
「だっ……大丈夫だ……今日は……帰る」
歳三はふらつきながら立ち上がる。
「旭ちゃん、玄関まで……」
明里が言うと、歳三の相手の旭がスッと立ち上がり、歳三について玄関まで送った。
「籠、呼ばはります?」
旭は歳三に聞いた。顔は怯えている。自分に責任を感じているのか、歳三が壬生浪士組の土方だと気づいたからなのかは分からない。
けれど歳三は穏やかな顔つきで、
「籠は呼ばなくていい。あと、あんたのせいじゃねぇよ」
と呼び掛ける。すると旭は微笑んで、
「おおきに」と言って頭を下げた。
店を出た歳三の心臓は、まだ焦っていた。突然の再会に頭は混乱していた。
「嫌な夜だ……」
歳三はそう呟くと、静かな闇夜に消えていった。そう、あの時の別れのように…………。
補足説明
・禿
遊女屋に売られた子や遊女の娘のこと。遊女の身の周りの世話をし、将来的に遊女になる。