異世界での休息2
カモミールのような、爽やかな香りがした。
頭の芯が重い。
目を開けたいのに、動かない。
誰かに、押さえつけられているかのような苦しさ。
「ん…」
かろうじて、柔らかな布団の感触を知る。
――あぁ、そうだ保健室であたし…
「えっ!?」
がば、と。
一度に記憶がよみがえり、反動かのようにキクカは上半身を起こした。
そこはホテルのような部屋。
「あれっ?」
動悸が激しかった。
「大丈夫ですか?」
傍らに、ユーキとよく似た黒髪の女性が座っていた。
「あの…」
「こちらの国の言葉はお解りになるのですね」
そう言って、女性は柔和な笑みをたたえる。
「あれ、そういえば…」
森で襲われた時の緑の青年の言葉は、解らなかったのに。
キクカはヴュラの最期を思い出し、胸を押さえた。
「苦しいのですか?」
「あ、いえ。大丈夫です」
「あなたは…王子のご学友だとか…」
王子、と言われ一瞬ピンと来なかったが、すぐにアヅマの事だと悟る。
「はい、あのあまり仲が良いわけではないんですけど」
「あら、そうでしたの?」
なぜか恐縮してしまう。ユーキに似た輝かしい容貌に。
「申し遅れました。わたくし、兄ユーキからあなたの看護を頼まれました、アナテイシアです。ご用はお申し付けくださいね」
「あ、木場キクカです」
上品な挨拶に、さらに恐縮してしまう。
「ユーキさんの妹さん…なんですか。ということはここは…」
そうだ。
ティエラ家を訪問し、小説内でも大好きなキャラクターであるユースミカエルのモデルとなった人物に出会って興奮してしまったのだ。
「ええ、我がティエラ家の一室です」
「や、すいません、なんか」
「いいのです。お体に負担がかかっていたようですね」
思い返せば、とんでもない展開に巻き込まれていたために、いつも以上のストレスがかかっていたのだろう。
アナテイシアが優美な動作で立ち上がった。
ふわりと、またカモミールのような香りが漂った。
――この人の香りだったのか…。
そう思っていると、目の前に何やら飲み物が差し出された。
「王子が、何も食していないからまずは胃にやさしい温かいものをと」
見ると、ミルクティーのような色をしている。
ふんわり甘い、炊きたての日本米のような薫りがする。
キクカは、その得体は知れぬが体には優しそうな飲み物にゆっくりと口を付けた。
きゅうう。
お腹が、小さく音を立てる。
まるで、今空腹を思い出したかのように。
ぽろぽろと、涙が溢れた。
「キクカさん?お口に合わなかったかしら?」
アナテイシアが、不安そうにキクカの肩に手を添えた。
「違うんです…。とってもおいしくて…」
アナテイシアのカモミールの香りと、やさしい味の飲み物。
穏やかな気が、キクカを包んでいる。
涙が。
押し殺す声を代弁し、流れ続けた。
「で?」
堅い調度品が据え付けられた部屋。
主人をひきたてるそれらの家具たち。
「で、って?」
「何を、隠している?」
ユーキの私室だ。
キクカの前とはうって変わって、王子に対する敬意のない言葉遣いで、ユーキはアヅマに問い続ける。
「あの女のこと、そして世界から消えたと噂されていたお前の突然の訪問の意図だ」
アヅマの前にも、キクカに出されたものと同じ飲み物が用意されていた。
しかし、アヅマは口を付けていない。
「なぜ我が家に来た?」
「質問ばっかだなー。幼馴染なんだから、優しくしてよ」
「その髪、どうした?」
「染めたの」
「気に食わないな」
「お前の好みなんて知らないよ」
苦笑しながら、ユーキを見つめる。
「王は…、父上は健在か?」
今度は、アヅマが質問した。
「ああ、今のところは反王党派との争いも膠着状態だ」
「侵食は進んでいるのか」
「…お前、本当にどこにいたんだ?」
「…半ば噂は真実ってこと」
「まさか…」
ユーキはその先を続けられない。
「ユーキ、頼みがある」
「…なんだ」
「俺は王都へ行かなければならない。オバさんを預かってくれないか」
「…何者だあの女は」
「俺の秘密を知り、俺の過ちの為に王とこの世界を滅ぼすかもしれない人だよ」
「…」
その告白に、ユーキは絶句するしかなかった。