第6話 悪はモブ陰キャに屈す
俺は教室を出た後、そのまま渡り廊下を通って廃校舎の方に歩いて行った。
ここはつい最近まで使われていた場所だ。
取り壊しが決まって授業教室は完全に別校舎に移ったが、まだ部活で使う生徒はいる。
とは言え、それはあくまで部室や物置としての話。
教室の方は誰も基本的に使用しない。
しかし、だからこそ利用価値もある。
誰も足を踏み入れないからこそ、密会や悪巧みには最適の場なのだ。
俺は忍び足で校舎の教室を回り、お目当ての場を発見した。
「ねー、その筆箱どーすんのー?」
息を殺して聞き耳を立てると、早速女の笑い声が聞こえた。
ここは他でもない、梓乃李いじめグループの溜まり場なのだ。
中では女子達がぎゃははと汚い声を漏らしつつ、話していた。
「ってかアイツの顔見た? 泣きそうだったよ」
「マジウケるんですけど。愛しの暁斗に慰めてもらえて実は幸せだったり」
「教室でいちゃついてて目障りだよね~」
「それな! あのブス女、さっさと自殺してくれないかな」
「ちょっとあーちゃん、その顔で羽崎さんにブスとかよく言うわ」
「は? キレるよ?」
「でもちょっとわかるー。なんか鼻の形おかしくない?」
「ワンチャン整形してたり?」
「金かけてあのレベルとか救えなすぎでしょ」
聞くに堪えない暴言と言いがかりだ。
中にいるのは五人で、全員同じクラスの女子。
もっとも、俺はそれを気にする事もない。
どうせこの先は退場確定のモブの戯言なんだから。
ただ無言でスマホを構えるだけである。
あえてビデオ撮影にすることで、録音と画像証拠を両方抑えた。
その時、急に教室からカランッ!と金属音がして、俺は中を覗き見る。
すると丁度、女子達が梓乃李の筆箱を蹴飛ばして遊んでいるところだった。
「だっさいデザインだからアタシらで可愛くしてあげよー?」
あーちゃんと呼ばれていたリーダー格の女が、大胆に踏みつける。
筆箱はべこっと大きく凹んだ。
仮に綺麗に掃除したとしても、もうこんな筆箱は使いたくないだろう。
原作の暁斗はどんな気持ちでこれを持ち帰ったんだろうか。
しかしまぁ、こんなとこだろう。
勿論その犯行もしっかりカメラで捉えた俺は、スマホを片手にそのまま扉を開けた。
「でさー、この筆箱を――って誰ッ!?」
俺の侵入にぎょっと驚くのはあーちゃんこと、加藤亜実。
「誰とは失礼だな。同じクラスだぞ」
悲しきモブの宿命その一、同じクラスの生徒からすら存在を認知されていない。
開口一番傷つくことを言われて面食らったが、気を取り直して。
俺は教室に足を踏み入れていく。
と、俺の言葉に流石に思い出したらしい。
そしてクラスのモブ陰キャだと気づいてからは、面白いくらい態度を変えてきた。
ビビって損したと言わんばかりに仲間内で笑い始める。
俺如き、気にする価値もないと判断したようだ。
悲しきモブの宿命その二、舐められているから存在を軽視されがち。
……って、冗談を言っている場合じゃないな。
状況を端的に伝えるべく、俺は彼女らに笑いかける。
そして見えるように録画中のスマホを振ると、彼女達はまた血相を変えた。
「お前、それ……」
「随分楽しそうだったから撮ってみたんだけど、写りが悪かったら申し訳ない」
「ちょっ! 消してよ!」
「嫌だけど」
断ると、亜実が俺を睨みつけながら前に出てくる。
他の取り巻きが焦る中、コイツはまだ俺とやり合うつもりらしい。
「お前、先生にチクる気? そんなのさせるわけないし」
「何言ってんだ」
「は?」
「確かに人に見せる用に撮ったけど、俺は当てにならない学校とかいう組織に提出する気なんかさらさらないぞ。現に学校側もいじめは認知してるはずなのに放置だ」
「ま、まさか警察――?」
「残念、不正解」
奥の女子が聞いてきたので、否定した。
そのまま『教育委員会?』などと見当違いな予測をする連中に、俺は苦笑した。
「これを晒す場所なんか……ネットの海に決まってるだろ?」
「「「「「ッ!?」」」」」
こんな世界でもSNSは掃き溜めだ。
前世ではバカッターなんて言われる存在が炎上していたが、ここでも同じ。
ネットの海に流せば、瞬く間に拡散されるだろう。
しかも彼女達の顔が載っているのは勿論、それに加えて制服から学校の特定ができる上に名字の確認までできる。
あっという間に個人情報が特定されるはずだ。
となると、今後の人生がどうなるかなんて想像に容易い。
「や、やめて!」
不意打ちで亜実が掴みかかってきたが、躱した。
体勢を崩して床に手をつく彼女を他所に、他は血の気の失せた顔で立ち尽くす。
「俺の幼馴染に大層な事をやってくれたな」
言うと、女子の一人が上ずった声を漏らした。
「べ、別にいじめってわけじゃ」
「なるほど」
この期に及んで言い逃れをするつもりらしい。
立ち上がった亜実が睨んでくるので、俺はその腕を引っ張って取り巻きの元に放る。
「まぁ確かに、いじめってのは本人の受け取り方次第だからな」
「で、でしょ? 別にうちらは梓乃李と話したりするし」
「そ、そうだよ。マジで嫌ってるのはあーちゃんだけじゃん」
「はぁ!? お前らだって悪口言ってたでしょ!?」
「……」
泳がせた瞬間、取り巻きは亜実を盾にし始めた。
どうやら全ての罪を擦り付けて言い逃れるつもりらしい。
こうなると滑稽だな。
ふっと鼻で笑うと、怯えたように見られる。
「なんか勘違いしてるぞお前ら。俺が今抑えた証拠はいじめ以前に窃盗と器物損壊。列記とした犯罪行為だからな」
「「「「「!?」」」」」
いじめだろうと何だろうと、それ以前に犯罪に及んでいるわけで。
今この場で梓乃李との友情を謳おうと、無意味である。
絶望したようにきょろきょろし始める女子達に俺は笑った。
「でもまぁ、条件を飲んでくれるなら交渉してもいい」
「交渉って?」
「この録画を先生にも警察にも、そしてネットにも晒さない方向に落ち着かせようっていう譲歩をしてやらんでもない」
俺の目的はこいつらの破滅ではない。
盛大に性格悪く脅しまくっておいてなんだが、それは立場をわからせるための前提に過ぎない。
俺は続きを話した。
「お前らが今後一切羽崎に近づかず、なんなら学校も辞めてくれたら俺は引き下がるよ」
「た、退学って――!」
「ちょっとあーちゃん!」
食って掛かろうとする亜実に、他の女子が止めにかかる。
やはりさっきの脅しが効いたらしい。
自分たちの立場が分かったようだ。
しかし、制止を振り切って亜実が叫んだ。
「ふざけないでよ! お前が約束を守る保証ないじゃん! アタシらが転校してもお前が勝手にネットにばら撒くかもしれないし!」
「確かにな」
「じゃあ――!」
「だったらなんだ? お前が俺を信用しようがしまいが、俺は証拠を持ってるんだ。ここで交渉しないのは勝手だが、そうなったら俺は晒すだけだぞ? だったら大人しく従っといた方が平和だと思うんだけど。なぁ?」
後ろの取り巻きに聞くと、全員頷いた。
そして最後に畳みかけるようにダメ押しで付け加える。
「ちなみに俺のアカウント、オタク友達が多いからフォロワー数もそれなりに居るんだ。投稿したら一瞬で拡散されるだろうな。怖いぞー。オタクってのはいじめに敏感で歪んだ正義感持ってる奴も多いから」
自慢じゃないが、この世界において俺は癌だ。
転生体なせいで同年代とは仲良くなれないし、ネットや創作物くらいしか楽しめる媒体がなかった。
ある意味オタクになったのは予定調和と言える。
ネットリンチを予想して、一同は顔を青くした。
「……わかったって。学校辞めればいいんでしょ」
「あぁ。その後は干渉しないし、好きにしてくれ」
「当たり前でしょ。ってかガチでオタクキモ」
俺がオタクであると自称したからか、それとも身の安全が確保できそうだと思ったからか。
再び喧嘩腰に煽ってくる亜実に、俺は肩を竦めた。
捨てセリフくらいは大目に見てやろう。
連中が教室を去ってから。
この場には俺とスマホと、汚れた筆箱だけが残った。
「……ふぅ」
後悔はない。
原作ではなかったいじめグループの追放を決行したわけだが、これでよかったのだ。
あの連中は今後のシナリオでは出てこないし、どうなろうと影響はないはずだ。
交渉があるから、アイツらが今後梓乃李に関わる事は絶対にないし、逆恨みでさらなる鬱イベントが発生するとも思えない。
あと学校に居座られると、俺の事を今後梓乃李に話される危険性が出てくるからな。
証拠隠滅のためにも消えてもらわねば困るのである。
そして勿論、梓乃李もいじめが消えてハッピー。
全員にとって幸せな幕引きだろう。
あるとすれば、今後俺が個人的に刺されるくらいか。
それはそれで梓乃李の巻き添えエンドは回避できるという、奇妙な展開になるのが面白い。
うん、面白い。
「はっはっは、まぁそんな事あるわけないさ」
笑ったせいで嫌なフラグが立った気がする。
冗談でも変な事を考えるもんじゃない。
……。
さて、もはやどっちが悪役かわからんやり方でイベントを終えたが。
何はともあれ不安因子は捨て去った。
あとは、暁斗が今後梓乃李から向けられるだろう好意に応えるように、仕向けるだけだ。
モブは再び背景に溶け込もう。
「あぁ、寿命が延びた気がする……」
イベントを完遂し、安堵する。
力が抜け、埃だらけな床に俺は大の字になった。
しばらく動けそうにない。




