薄情な葬列 ~婚約者が浮気相手に刺されて死んだのですが~
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(ご都合主義のゆるふわ設定なので、細かいことは気にせずふんわり読んでいただけると助かります)
ローラン侯爵家の次男、アベルの葬儀は、少人数で静かに行われた。
死に方が死に方だったので、アベルの家族と親戚、そしてアベルのごく親しい友人のみが参列する葬儀となった。ギラン伯爵家の長女、コリンヌはアベルの婚約者として、両親とともに、仮とはいえ親族枠での参列となった。しかし、喪が明ければコリンヌはもう親族ではなくなるだろう。
コリンヌとアベルの婚約は、ひとえに、おいしいワインのためだった。どちらかがどちらかに恋情を抱いているということはなく、ただただ事務的に顔合わせをしたことを、コリンヌは覚えている。アベルが十二歳、コリンヌが十歳のころの話だ。事務的とはいえ、それでもふたりきりで話す時間は与えられた。お互いの両親がその場を離れふたりきりになると、アベルはイライラした様子で、「地味だな」と言った。
「そうですか」
顔のことを言われたのだな、とコリンヌは思った。侍女たちががんばって華やかに飾ってくれたのだが、コリンヌの薄い造形の顔がそれに釣り合っていなかったのだろう。ひっそりと傷ついたが、表情には出さないように気をつける。
「こんな形で婚約なんて僕は納得できない」
美しい顔を歪ませて、アベルは言った。
「そうですか」
コリンヌは言葉に感情をのせないように気をつけながら、ただそう言った。
「僕はきみに構うつもりはない。きみも、僕と結婚したければおとなしくしていることだ。僕の邪魔だけはしないでほしい」
「ええ、わかりました」
アベルは、よほど政略で婚約を結ばれたのが不満なのだな、とコリンヌは思った。コリンヌも、いくらおいしいワインのためとはいえ、よく知らない人と婚約だなんて少し嫌だなと思っていたし、アベルがあまりコリンヌへ良い感情を抱いていないらしいことに不安はあったが、先ほどのアベルの言葉を、「アベルはコリンヌを放っておくが、コリンヌもアベルを放っておいても良い」と理解してからは、少し気が楽になり、ありがたく、お互い干渉せずに平穏に過ごすことにした。
十三歳になったコリンヌが王都の学園に入学すると、二年先に入学していたアベルの噂が耳に入るようになる。とても優秀で、第一王子の側近候補に選ばれたという。しかし、聞こえてくるのは良い噂ばかりではなく、アベルの女癖が非常に悪いという噂も聞こえてきた。むしろ、そちらのほうがおもしろおかしく噂されている分、耳に入りやすかった。コリンヌはなぜそんな不名誉な噂をアベルがそのままにし、態度を改めないのか不思議だった。
アベルは、美しい令嬢を取り替えるようにして次々と親しく付き合っているという。コリンヌ自身も、アベルと美しい女生徒が一緒にいる様子を学園内でよく見かけていた。アベルが連れているどの令嬢も美しく、なるほど、地味な自分はアベルの好みではなかったから顔合わせの際にあんなに不機嫌だったのかもしれない、とコリンヌは考えた。考えたが、それだけだった。コリンヌは、浮き名を流すアベルの様子を呆れた目で見ていたものの、いままでどおり干渉しなかった。自分がなにかしらの害を被ればどうにか動いたかもしれないが、そんなこともなかったし、そもそもコリンヌがアベルの婚約者だということは、アベルやコリンヌの親しい友人くらいにしか知られていないようだった。それを幸いに、コリンヌはコリンヌで友人たちと自由に学園生活を楽しんでいた。ちらりと、あの方、そのうち誰かに刺されるんじゃないかしら、と思いはしたが、ありえない未来だとしてそんな考えは霧散した。
まさかアベルが、本当に刺されて死ぬとは思わなかった。
アベルを刺したのは、アベルと親しくしていた女生徒のうちの一人だった。痴情のもつれだという。彼女の名を聞いて、華やかで明るい感じの先輩だったのに、とコリンヌは思った。
彼女は今後、裁判にかけられ刑務を科せられることになるだろうが、未成年ということと、アベルの女性に関しての素行があまり良くなかったこともあり、少しの情状酌量もあるのではないかと言われている。
コリンヌはアベルの死よりも、その先輩の行く末を思い、気持ちが重たくなった。
教会での葬儀が終わり、埋葬するために墓地へと歩く。棺は、このために駆り出されたローラン侯爵家の使用人たちが運び、その先頭をアベルの両親が歩く。コリンヌたちは棺の後ろを二列でついていくことになった。皆、無言でとぼとぼと歩く。ふと、コリンヌのとなりに第一王子が並んだ。彼は、アベルの友人代表で葬儀に参列していたのだ。
「コリンヌ・ギラン伯爵令嬢。婚約者が亡くなったのに涙も見せないなんて、冷たい女だな。あなたはアベルがこんなことになって悲しくないのか」
ぼそっとそう言った第一王子の目は赤く、彼は葬儀の間、誰よりも泣いていたのだった。アベル様のご両親よりも激しく泣くのは良くないのでは、王族が涙もこらえられないなんてどうなのでしょう、などという思いと、友人が突然に亡くなったのだからそりゃ悲しいわよね、という思いが半々のコリンヌだったが、とりあえず第一王子の問いに答えることにする。
「ええ……そのとおりです。自分でも薄情で冷たい人間だと思いますが、正直に申しまして、そんなに悲しくはないのです」
第一王子は、コリンヌが自分の言葉を肯定するとは思わなかったのか、
「なぜだ。あなたはアベルの婚約者だろう」
少し冷静になった様子で、そう静かに問うてきた。
「元気だった人の突然の死、というものに対しての漠然とした驚きや悲しみは感じておりますが、婚約者だったとはいえ、あの方とわたくしは親しいお付き合いをしていたわけではありませんし、お話をしたことも数えるほどしかありませんでした。なので、わたくし、あの方のことをよく存じ上げないのです」
「よく知らない?」
アベルとは、一緒にお茶をしたこともなく、夜会などでエスコートをしてもらったこともない。そのような申し込みもなかったし、こちらからも依頼することはなかった。家同士の交流の場では挨拶くらいはしたが、お互いの誕生日を祝ったこともなければ、手紙のやりとりをしたこともない。そして、コリンヌはそのことを不満にも思っていなかった。お互いになにかしらの情があるわけでもない、おいしいワインのための婚約だったので、そんなものだと思っていたのだ。コリンヌはアベルに放置されていたが、逆に、アベルのことを放置してもいた。
「ええ。どんな性格の方なのか、なにがお好みでなにをお厭いなのか。ああ、美しい女性を口説かれることはお好きで、わたくしのことは疎ましく思っていらっしゃったようですが、そのくらいしが存じ上げませんもの。例えるなら、いとこの友人のご兄弟よりも縁遠い方でした。そのように縁遠い方が亡くなられても、お気の毒にとは思っておりますが、そこまで悲しいとは思えないのです」
「いとこの友人の兄弟? さすがにそれは遠すぎないか?」
「わたくしにとっては、そのくらい遠いお方だったのでございます。ですが、殿下のお気持ちも理解いたします。わたくしにとってはよく存じ上げない方ですが、殿下にとっては大切なご友人ですもの。わたくしも、自分の親しい友人が突然亡くなったらと想像いたしますと、胸が張り裂ける思いです。殿下の心痛、お察しいたしますわ」
ちらりとうかがうと、第一王子は複雑そうな表情をしていた。王族がこんなに表情豊かで大丈夫なのかしら、とコリンヌは思う。だが、アベルの死という非日常な衝撃が、第一王子を素の表情にしているのかもしれない、と思いなおす。
「あの方も、殿下にこんなに悲しんでいただけて、きっと……」
お幸せでしょう、という言葉はすんでのところで飲み込んだ。刺されて死んだのに幸せもなにもない。それに、よく知らない人間の心情を勝手に語るなんておこがましい。
「申し訳ありません。よく知りもしない方の心情を憶測で勝手に語るなんて、差し出がましいことをいたしました」
コリンヌの言葉に、
「私も、申し訳なかった。アベルとあなたの関係をよく知りもせず、失礼なことを言った」
第一王子は先ほどよりも幾分か落ち着いた声でそう言った。
「いいのです」
「あなたは、アベルに執着……いや、アベルを愛しているのだと思っていた」
「なぜでしょう」
「以前、アベルがそう言っていたのだ」
「アベル様が? わたくしにはまったく心当たりがありませんが……」
「心当たりがない」
「アベル様は、なぜそのような勘違いをなさったのでしょうか」
「勘違い」
第一王子は、コリンヌのことばをいちいち噛みしめるように繰り返した。
「ご説明いたしますと、わたくしたちの婚約は、政略的なものです。当家は、ローラン侯爵領で収穫される質の良い葡萄が目当てでしたし、ローラン侯爵家は当家所有の醸造所が持つワイン醸造の技術が目的でした。もともと取り引きはありましたが、より強固な繋がりを、ということでわたくしとアベル様の婚約が成ったのです」
「ああ。大変わかりやすい説明をありがとう」
「おいしいワインのための、お互いの家の利益を考えた上での婚約でした」
「そうか」
「アベル様はわたくしのことをどんなふうに仰っていたのでしょう?」
「ギラン嬢がアベルに懸想して、政略の形をとって無理やり婚約が成されたと」
「なるほど。なぜ、わたくしがアベル様をお慕いしているなどと思われたのかはわかりませんが、アベル様がわたくしを疎ましく感じておられた理由は、たったいま理解いたしました」
アベルがなぜ初対面であんな態度だったのか、実は少し引っかかっていたコリンヌは、第一王子の言葉で、納得し、妙にすっきりした気持ちになった。
「本人が不在の席でこんなことを言うのははばかられるが」
第一王子は続ける。
「なんでしょう」
「アベルは美しい顔をしているだろう」
「ええ、そうですね」
第一王子も整った顔立ちをしているが、確かにアベルは、さらに美しい造形をしていた。
「そのため、アベルは昔から女性に言い寄られることが多かったと聞いた」
「そうでしょうね」
「だから、勘違いをしたのだろう、と推測する」
「といいますと」
「アベルは、当然、あなたもアベルのことを好きなのだと思い込んでいたんだ」
「……相手に確認することなく、そんなふうに思い込めますでしょうか」
「そうだな。だが、アベルにとって、女性が自分を好いているということはあたりまえのことだったのだ」
「あたりまえ?」
「以前から薄っすら思ってはいたが、アベルは、世の女性は皆、自分を好いていると思っている節があった」
コリンヌは第一王子の言葉に驚愕する。そして、もともとよく知らなかったアベルの知らぬ一面を知り、少しおもしろく感じた。
「あの……アベル様は、優秀だとお聞きしておりましたが」
言葉を選びながらコリンヌが言うと、
「そうだな。確かに、仕事はできるのだ。なんでもそつなくこなす器用さが、アベルにはあった」
第一王子はうなずいた。
「なんでもそつなくこなす方が、浮気相手に刺されますでしょうか」
「そうだな」
「なんでもそつなくこなすなら、婚約者であるわたくしのことも、浮気相手の方のことも、そつなく対応していただきたかったです」
「そのとおりだと思う」
「ただ、アベル様だけに責任があるとは思いません」
コリンヌは自分のアベルへの対応を、思い返していた。
「誤解のないよう正直に申しますが、わたくしは、アベル様がわたくしを放置することを良しとしておりました。アベル様のことを面倒ごとだと決めつけて、嬉々として放置され、こちらも嬉々として放置しておりました。どうせいずれは結婚するのだからそれまでは、と考えてしまい、アベル様同様、わたくしも自由に過ごしていたのです」
「アベルは、一方的にあなたを放置しているつもりだったようだが、あなたもアベルを放置していたのか」
「ええ。そのとおりです。わたくしが、面倒がらず、婚約者としてきちんとアベル様の素行をいさめておりましたら、こんなことにはならなかったかもしれません。アベル様とお付き合いしていた先輩も、こんなことをしなくて済んだかもしれません。楽なほうに流されて、現状を改善しようと動くことをいたしませんでした。わたくしは……わたくしは、できたはずのことさえしませんでした。本当にまったく、なにもいたしませんでした」
「アベルは、あなたがアベルに構わないのは、アベルとなにがなんでも結婚したいからだと言っていたんだ。そういうわけでもなかったんだな」
「確かに、初めてアベル様とお会いした際に、僕と結婚したければおとなしくしていることだ、と言われましたが。ああ、それでアベル様はさらに勘違いをされたのかもしれませんね」
コリンヌは反省する。やはり、勘違いさせた自分の態度も良くなかったのだ。
「そんなふうに反省しても、もう遅いのですが……」
「きっと、歩み寄りが大事だったのだろう。どちらか一方ではなく、お互いに」
「ええ」
コリンヌと第一王子は小さくうなずき合った。
「アベルは、女性に関してはアレだったが、親切で気のいい、楽しいやつだったんだ」
「そうなのですね」
第一王子はアベルに対し、本当に友人としての親しみを感じていたのだろう。コリンヌはこうなって初めて、アベルという人物をよく知らない自分を恥じた。第一王子の話を聞く限りでは、アベルは確かに女性に関しては最低で、面倒な人間ではあったようだが、同時に、おもしろそうな人でもあったのだな、とコリンヌは感じたのだ。
「しかし、いま話したことはすべて私たちの想像や推測だ。もうアベルはいない。本当のことを確認することはできない」
「ええ」
第一王子の言葉に、コリンヌは静かにうなずき、前を向いた。墓地に到着したのだ。
アベルの埋葬は滞りなく行われ、参列者は皆、アベルのために神に祈った。
神に祈りながら、コリンヌの思考は薄情にもあちこちに広がる。コリンヌがアベルに執着し、アベルとの婚約を無理に願ったと思い込んでいたアベルは、もしかしたら、コリンヌ以外の令嬢と親しくする様子をコリンヌに見せることで、無言の抗議を行っていたのかもしれない。そう思ったが、やはりこれもコリンヌの想像に過ぎない。アベルのことを知ろうとしても今更だ。やはり、アベルが生きているうちに、ちゃんと話をするべきだったのだ。
その後、ローラン侯爵家とギラン伯爵家で会議が行われ、おいしいワインのこれからのことを話し合った末、コリンヌはアベルの従弟との婚約を打診された。おいしいワインのためなので、コリンヌに否やはない。
コリンヌは、新しい婚約者が、いとこの友人の兄弟ほど遠い人ではなさそうでほっとし、今度はちゃんと婚約者と対話をしようと思うのだった。
了
ありがとうございました。
ボツにしたタイトル案
・故人を偲ばない
・おいしいワインのための婚約