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おっさんにミューズはないだろ!~中年塗師は英国青年に純恋を捧ぐ~  作者: 天岸あおい
一章 押しかけ弟子は英国青年
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俺だけはやめろ

   ◇ ◇ ◇


 観光客相手に黙々と塗りの作業を見せ続け、昼間近で切り上げる。


 いつものように近くの食堂へ行こうと足を向けかけて、俺ははたと気づいて向きを変えた。不本意でもライナスは弟子だ。飯に連れていくくらいはしないと……。


 面倒だと頭を掻きながら、俺は研修室へ向かう。


「おい、ライナス」


 ノックし、呼びかけながらドアを開ける。視界に飛び込んでいたのは、窓際で刃物を研いでいるライナスの背中。俺に気づいていないらしく、振り向かずに研ぎ続ける。


 部屋の中はライナスと近くで休憩している濱中のみ。他の研修生は昼食を求めて部屋を出て行ったのだろう。俺に気づいた濱中が立ち上がり、こちらに寄ってきた。


「幸正さん、お疲れ様です」


「おう。どんな様子だったんだ、ライナスは?」


「すごい行動力ですね、彼。付近の家の包丁を集めて、ああやって研いでいるんですよ。刃物抱えて入ってきた時にはビビリましたよ」


「マジか……」


 研ぎ以外のことを濱中や他の研修生たちから聞ける機会。他のことを学べば良かったのに。


 昨日も延々と研いでいる。指も痛むだろう。俺が見ていない所で、適度に休んでいいのだが……と思っていると、濱中がぼんやりした目をこちらに向ける。


「彼に漆芸の基本を話そうとしたんですが、幸正さんから教えてもらいたいんだと興奮気味に教えてくれました」


「そ、そうなのか……」


「明るくて軽そうなのに愛が重いタイプですね。幸正さん、大変そうです」


「待て。濱中まで誤解しそうなことを言うな」


 愛だなんて単語を出されて思わず俺はギョッとする。なぜか濱中はきょとんとなり、不思議そうにしながら尋ねてきた。


「彼から告白された上で一緒にいるんですよね?」


「告白だぁ? 言われた覚えはないぞ」


「でも、ライナスから好きだと何度も言われてますよね?」


「確かに言われてるが、それは創作者としての――な、なんでそんな遠い目をしているんだ濱中?」


 元々表情を出さない濱中の目が、明らかに遠いどこかを見出す。そして息をついてから口を開いた。


「彼、幸正さんのこと、恋愛対象として好きだって言ってましたよ」


 ……なんだと? 恋愛対象? 俺を? 色気も愛嬌も一切皆無の、ほぼ室内にこもっている四十のおっさんを?


 嘘だ。あり得ない。質の悪い冗談だ。そんな言葉が頭の中に並ぶが――思い当たる節があり過ぎて全身に汗が滲んでくる。


 そうか。最初からクービューティーなんてほざいてたからなあ。やけに距離は近いし、好きを伝えようとするし、駐車場では頬にキスを――。


 人間、あまりに衝撃を受けると声が出せなくなる。俺は唇を戦慄かせるばかりで、言葉を紡ぐことができずにいた。


 濱中が自分の頭を掻いてから口を開く。


「どうしますか? 漆器を学びたい気持ちは本当みたいなので、研修の先生に俺から頼んでみますか?」


 とんでもない問題が分かった以上、さっさと離れて関わらないようにすべきだと思う。だが、ライナスの有り余る行動力を考えると、師匠を変えるだけでは無理だろう。そもそも俺から離れたがらない。


 すぐ「破門だ!」と暴れたくなるのをグッと堪え、俺は濱中に顔を近づけ、可能な限り小さな声で告げた。


「下手に遠ざけようとしたら、何が何でも俺にしがみついて余計に厄介だ。このまま師弟関係は続ける」


「放置して大丈夫なんですか?」


「漆芸と俺の現実を見れば目が覚める。それまで我慢する」


 漆芸の世界は厳しいし、俺は人として大したことがない。それが現実だ。

 現実を目で見せ、時に体感すればライナスだって嫌になって逃げるはず。俺はそんな確信を持っていたが……。


「逃げ出しますかね、彼。あれを見て下さい」


 おもむろに濱中が、業台の脇に積まれた包丁を指さす。気配を殺して包丁の山に近づけば、どれもきれいに研がれて輝きを放っている。


 ざっと見たところ十本は軽くあるだろう。目にしただけで丸くなっていたであろう刃が尖り、切れ味が増しているのが分かる。


 そして昨日より明らかに研ぎが上手くなっている。

 筋が良い。しかも塗りからは程遠い地味で指が痛くなる作業を、文句ひとつ言わず自ら進んでやっている。


  俺なんかへの想いがなければ、優秀な弟子だと言えるのに――。


 そういえば俺が嫌がることはしたくないとライナスは言っていた。

 だからしっかりと駄目なことは駄目だ言えば、表向きはただの師弟になれる。


 俺が距離感を教えればいいんだ。心の中で殺したいほど憎まれているよりは、好かれているほうがマシだと思えば、どっしりと構えていられる。答えが見えてくると心が落ち着いてきた。


 俺は濱中に小さく頷いてみせた。


「万が一はないだろうが、何かあった時には助けてくれ」


「分かりました。その時は猛吹雪でも外に放り出してみせますから」


 この淡々として常にボーッとしているような濱中のことを、心底頼もしいと思える日が来るなんて。

 辻口よりも心強い味方がいたことに感動していると、濱中がポツリと呟いた。


「今よりもジムで鍛えないと……」


 本気で物理的に放り出すつもりか。見た目によらず濱中の中身は武闘派だったとは。そして人間関係に淡白なようで、顔見知り程度の俺を心配する情の厚い人間だったとは。


「その気持ちに感謝する。まあ何事もなければ問題ないことだがな」


 強い味方がいるという安心感で、俺の動揺が完全に治まる。

 少しでもライナスに色恋を意識させないよう、俺は努めて普段通りの声で話しかけた。


「ライナス、よくやってるな。そろそろ食事に行くぞ――うわっ!」


 ふとライナスの手元が視界に入った瞬間、俺はたじろいでしまう。

 研ぎ石に広がる赤い血。包丁も指先もまみれている。血が出ているのにもかかわらず、ライナスはひたすら包丁を研ぎ続けていた。しかも俺が声をかけたのに手を止めない。それだけ集中しているのだ。


 遅れて気づいた濱中もギョッと目を剥く。そして慌てて薬箱を取りに行ってくれる。愛だの恋だのと気にする余裕なんぞなく、俺はライナスの肩を掴んで揺さぶった。


「やめろ、夢中になり過ぎだ! そこまでやらなくていい!」


「……あっ、カツミさん。お疲れ様です」


 我に返ってくれたはいいが、振り返ったライナスの顔は晴れやかな笑み。俺が言葉を失っていると、ライナスは一旦首を傾げる。そして自分の手元の異常にやっと気が付いた。


「わぁっ!」


「ほら、手を洗って来い! 包丁は俺が洗ってやるから」


 戸惑うライナスを促してやれば、バタバタと慌てて近くの洗い場で手を洗う。手ぬぐいで水気を取った指先は、どれも赤くなっている。白い肌だからより目立つ。何もしないとジワッと血が滲んできて痛ましい。


 濱中がライナスを座らせ、ライナスの手当てをしてくれる。その間、俺はしっかりと包丁を洗い、拭き上げていく。


 どれも刃が美しい。一通りのやり方は教えたが、こんなにすぐできるものではない。それに異常な集中力。凄いを通り越して怖い。


 凝視する俺に気づき、ライナスは顔を綻ばせた。


「どうですか、シショー?」


「師匠はやめろと言ってるだろ! ……内容はいい」


「嬉しいです! 褒めてくれた!」


 今にも跳び上がりそうなライナスに近づき、俺は頭を小突いた。


「だが体には気を付けろ。次を教えるのに支障が出る」


「次?」


「明日から新しいことを教える」


 漆芸の厳しさはまだまだこれからだ。未練なく俺の元から離れてもらえるように、現実を見せつけていかなければ。


 優しくなんかしてたまるか。俺がどれだけ厳しくて嫌な奴かを肌で感じてもらって、自分から出て行ってもらうんだ。これは決定事項だ。懸想されたまま一緒に住み続けるのはご免だ。


 だが、血が滲んでも気にせず研ぎ続けられるライナスに、少しだけ期待する自分もいる。これだけの熱意と集中力があるなら、しっかり教えれば立派な職人になりそうだと。


 できれば嫌になるのは俺だけだといい。他のヤツから学ぶ気になってくれれば、すべて解決だ。


 頼むから俺だけはやめろ。

 どれだけ一生懸命に尽くされても、何をされても、俺は誰とも手を取りたくないんだ。男だろうが女だろうが関係ない。


 あの限界集落で手を取り合った者の末路を、俺は目の当たりにしたから。


 ふと脳裏に親父がよぎる。俺の胸がわずかに痛んだ。




 昼食はライナスと濱中を連れて近くの大衆食堂へ行った。


 よほど腹が減ったのか、二人とも大盛りの丼を頼んで一気に腹へ収めていた。


 上手くライナスが箸を使う姿を見て、痛みは大したことがないらしいと判断する。


 酷くなければ良かった――ただ、すべて奢ることになった俺の懐は痛かった。


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