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おっさんにミューズはないだろ!~中年塗師は英国青年に純恋を捧ぐ~  作者: 天岸あおい
六章 おっさんにミューズはないだろ
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ライナスが作り出したもの

   ◇ ◇ ◇


 ライナスが描きたい蒔絵は、専門ではない俺が案を見ただけでも根気が必要だと分かった。


 構図自体はシンプルなほうだ。簡単なものなら二週間くらいで作れるだろう。だがライナスが目指しているのは、色に深みを持たせ、より複雑で奥行きのある世界。可能な限り工程を重ねなければいけない。


 それと材料も、金粉や螺鈿以外の物も必要として、調達が大変だった。こんな時、昔のように近くの山に入って、玉虫やハンミョウを捕まえることができると良かったのだが、ここらでもなかなか見かけないようになってしまった。何より絶滅させる訳にもいかない。捕るのは諦めるしかなかった。


 ライナスが欲しがったのは、青みのある輝き。貝の粉では欲しい色が出ないからと、別の物を合わせて色を求め、辿り着いたのが瑠璃だった。


 何度か調合してライナスが作り上げた青は、最初から深みがあった。それを何度も研いで色を重ねてを繰り返していけば、漆黒とよく馴染んだ。


 色を付けることで、漆黒の中に夜が生まれた。その中を金色の優しい光が点々と浮かび、ライナスがあの日見たホタルを描いているのはすぐに分かった。


 ただ、パネルの中央から左上に少しズレた所は漆黒のまま。不思議だった。他はどんどん色が重ねられていくのに、そこだけ穴がぽっかり。


 後で何か貼り付けるなり、金粉を撒くなりするのだろうかと思っていたが、一向に何もしない。周囲が彩られていく中、そこだけ漆黒が残り続ける。


 次第に穴のように見えていたそれは、完成間近になって見え方が逆転する。

 沈んでいたはずの漆黒が、初夏の夜に浮かんだ蒔絵。きっと俺だけがこの絵の真実を理解できる。


 この漆黒の部分は、俺だ。あの日ライナスが感じたことを蒔絵にしたのだ。


 夜の闇と蛍に彩られながら、浮かんで見えていたらしい俺。作っている様子をライナスの背後から見ていて、この時に気づいた瞬間、俺はその場にしゃがみ込んで悶絶した。


「どうしましたか、カツミさん?」


「ライナスっ、お前、やってくれたな……っ」


「え? 何をですか? ……ああ、気づきましたか」


「ここまでやって、ようやく分かったぞ。まったく」


 作品の真意に俺が気づいたことが嬉しいらしく、ライナスはずっと破顔していた。




 ライナスの作品が仕上がっていく。初めてライナスの絵を見て感じた輝きが、蒔絵で描いても宿り出す。


 やはりライナスは数多の色を操る才能に恵まれている。それなのに蒔絵をやりながらも口にするのは「カツミさんが作り出す漆黒がいいです」と、彩より無の色を好む発言ばかり。俺と一緒に上塗りする時間がライナスは一番好きらしい。独りではなく俺とやるのが良いらしい。


 よく分からん、と言いながらも俺は理解していた。二人で漆黒と向き合う時間が、俺にとっても心地良かったから。体を繋げるよりも深く、互いを感じられる気がしたから。


 だがそれは続けるほどに、ライナスのためにはならない気がしていた。

 俺から離れられなくなる。つまりそれは、この限界集落に縛られてしまうということだ。世界に認められる奴が、俺しかいない所に縛られ、満足するなんて……。


 心地良さと胸の苦しさが、どこまでも俺の中で濃くなった。



   ◇ ◇ ◇


 約束の十一月になった。ローレンさんなりに気遣ったのだろうか、俺たちの前に現れたのは月末ギリギリだった。


 家まで来てもらうのは大変だと思い、漆芸館で落ち合う約束をし、辻口の好意で事務所を使わせてもらうことになった。


 ソファに座ったライナスとローレンさんが木製のローテーブルを挟んで睨み合う中、俺や辻口、濱中はライナスの後ろで様子を見守る。


 そっとライナスは脇に置いていた浅い木箱を持ち上げ、テーブルに置く。ゆっくりと蓋を開き、蒔絵の全貌が分かるにつれて皆が息を呑む音が聞こえてきた。


「これをライナスが作ったのか……やっぱりセンスが違うな」


 ボソリと辻口が感嘆の言葉を漏らす。濱中がすかさず頷き、俺に耳打ちしてくる。


「反応が良さそうですね。ローレンさん、驚いてますよ」


「そりゃあライナスが本気出して作ったやつだ。驚いてもらわんと困る」


 俺たちが声を潜めて話をしている中、ローレンさんが早口にライナスへ話しかける。あまりに早すぎて単語が一切聞き取れない。


 英語ができる辻口が聞き耳を立て、ざっくりと訳してくれた。


「めちゃくちゃ感動してるみたいだ。なんだこの宝石は、だと。ベタ褒めだ」


 そりゃあそうだろう、と俺は心の中で胸を張る。あれが俺との思い出のひとつということが分からなくても、色にこだわったライナスの蒔絵は誰が見ても惹かれるものがあると思う。


 小さな粉の一粒すら計算しているかのような繊細さ。様々な輝きを重ね、浮かび上がらせる漆黒。少なくとも現地でのライナスの知名度を考えれば、十分に高く売れるだろう。文句のつけようがない作品に仕上がったと思うが――。


 俺が考えていると、不意にローレンさんはライナスの手を両手で握る。そして首を少し傾け、俺のほうを見た。


「ミスター幸正、感謝します。素晴らしい作品ですわ」


「すべてライナスの努力の賜物です。俺は漆器の基本を教えただけです」


「この作品なら今までの絵画の代わりになります。最初の宣伝が肝心ですから、しばらくライナスには英国で活動してもらおうと考えています」


 話を聞いた瞬間、ライナスが全力で首を横に振る。


「嫌です! カツミさんから離れたくないです。ずっとここにいます。宣伝はローレンが――」


「ライナス、師匠命令だ。しばらくあっちで活動して、土台をしっかりと作って来い」


 俺の言葉にライナスは勢いよく振り返り、今にも飛び出そうなほど目を見開いていた。


「カツミさんと一緒がいいです……そうだ。旅行も兼ねて、カツミさんも来て下さい。それなら行きま――」


「俺は行かんぞ。あと、お前はもう一人前だ。弟子卒業だ。だから、これからは自分の作業場を持って活動しろ。いいな」


 まさか俺から突き放されるなんて、ライナスは思ってもいなかっただろう。しばらく茫然となってから、急に立ち上がってソファから身を乗り出す。


「ワタシはカツミさんと一緒に居たいです! これからも、ずっと……」


「駄目だ。俺は独りがいいんだ」


 ズキリ、と胸の奥が痛む。

 だがこれは前から決めていたこと。ライナスが外へ羽ばたくための、最後の仕上げだ。


「今すぐにとは言わんが、本格的に冬が始まる前に家から出て行ってもらうぞ。一人で工房構えて、完全に独り立ちするまでは会わんから、そのつもりでな」


「そんな、どうして急に……」


「急にも何も、俺はお前の師匠だ。師匠の役目は弟子を早く一人前にすること。今までのことは全部その一環だ」


 ライナスの目が、驚きから悲しみへと歪む。


「じゃあ、ワタシを受け入れてくれたことも……」


「早く一人前にするためだ。漆に集中してもらったほうが良いと思ってな。実際、もう一人前になれただろ? そして一緒にいる理由はなくなった」


 本気だと伝わるよう、俺はライナスの目を見据えた。


「終わりだ、ライナス。弟子の飛躍を邪魔する師にはなりたくない」


「……っ、イヤ、です。ワタシは……っ!」


 こっちに来かけたライナスを、俺は目力を強めて制する。

 もう俺はお前を受け入れない。視線に気迫を込めてぶつければ、ライナスはよろめき、事務所から飛び出ていった。


 誰もこの事態を想定していなかったのか、俺以外の人間が全員キツネにつままれたような顔で押し黙る。


 しばらくして、ローレンさんが目を細くしながら俺を見つめてきた。


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