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おっさんにミューズはないだろ!~中年塗師は英国青年に純恋を捧ぐ~  作者: 天岸あおい
五章 二人で沈みながらも
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手を繋がれて




 総湯周辺のテント群から抜けて、俺は細い路地を入る。町のメイン通りは観光客用に整備され、立ち並ぶ店々は和のテイストを加えた建物で統一されているが、一歩脇へ逸れれば、昔ながらの雑多で古めかしい景色が残っている。


 早歩きで来たせいで体が熱い。鼓動も早い。ライナスの言動のせいじゃない、と自分を無理に納得しようとする。だがアイツの顔を思い出した瞬間に熱がさらに込み上げ、俺はため息をつくしかなかった。


 こんな調子では先が思いやられる。ローレンさんと約束した時期が過ぎた後、俺は――。


「克己、お疲れさん」


 突然背後から辻口に話しかけられ、俺は弾かれたように振り向く。

 俺の様子に特に驚くこともなく、辻口は苦笑しながらペットボトル入りのお茶を差し出した。


「事情は濱中から簡単に聞いた。まあ、これでも飲んで落ち着け」


 この熱を抑え込みたくて、俺はありがたく辻口からお茶を受け取る。ごっ、ごっ、と喉で音を鳴らしながら飲めば、少しだけ体の内側が癒された。


 ふぅ、と息をついた俺に、辻口が小さく吹き出した。


「あの人間関係にドライな克己が、ここまで誰かに振り回される日が来るなんてなあ」


「笑いごとじゃないからな。あんな目立つことして、じいさん連中が何と言うか……」


「そこは濱中が機転を利かせて、ライナスが師匠を尊敬し過ぎて崇拝しているって説明したそうだ。あながち間違ってはないだろ? 物は言いようだ」


 濱中、何から何まですまない。彼には金輪際足を向けて寝られないと思っていると、辻口は笑みを薄くした。


「なあ克己。前から少し気になってたんだが、何をそんなに苦しんでいるんだ?」


 辻口の言葉に俺は軽く息を止める。自分のことに鈍いなら、俺のことにも鈍くなって欲しいと、心底思いながら答える。


「恥ずかしいだけだ。こんなおっさんを相手に、人前でベタ惚れを隠さないなんて」


「でも、嫌いじゃないから追い出さないし、破門にもしない。拒まずに一緒に居続けることが、お前の答えなんだもんな。いやあ、仲良きことは美しきかな」


「からかうな。人で遊ぶなら俺はもう戻る」


「悪いな、ついクセで。真面目な話は苦手だから、どうしても逃げたくなる」


 一旦朗らかに笑ってから、辻口は気を取り直したように尋ねてくる。


「恥ずかしいってだけなら、俺も脇でニヨニヨ眺めて楽しむだけなんだがな」


「楽しむな。悪趣味だぞ」


「いいだろそれぐらい。でもな、ライナスに熱い目を向けるくらいお前だって好きなクセに、なんで悲痛そうな時があるんだ?」


 辻口の言葉に俺は眉間を寄せる。

 保育園の頃からの付き合いで、下手すれば実の両親よりも一緒の時間を共有している相手。無愛想な俺の心の機微に気付けるのは辻口だけだ。


 周りは誰もいない。せめて腐れ縁の友人には言うべきかと口を開きかける。その時、


「カツミさん、どこですかー!」


 ライナスの声が聞こえてきて、俺はキュッと唇を引く。そして辻口の目に視線を合わせた。


「何も聞かないでくれ。頼む」


「いつか教えてくれるのか?」


「時期が来れば一目瞭然だ。お前からの文句は一切受け付けんからな」


 言いながら俺は踵を返し、メインの通りへ向かう。

 路地を出て見渡せば、すぐに辺りをキョロキョロと見渡している長身の金髪が目に入り、俺は「こっちだ」と手を振ってやる。


 俺に気づいた瞬間、ライナスは遠目でも分かるほど表情を輝かせ、俺に駆け寄り――ガバッ。勢いよく抱き着いてきた。


「カツミさん……っ!」


「こ、こら、落ち着けライナス」


 どうにか引き剥がそうとするが、まるで溺れて岩にしがみつくかのようなライナスの力に、俺は抗うのをやめた。


「用を足しに行ったついでに、少し休んでいただけだ。俺は人が多い場所は苦手なんだ」


 ライナスから息が止まる気配がした後、心底安堵するため息が零れた。


「良かった。カツミさんが、どこか遠くへ行ってしまうかと……」


「行く訳がないだろ。俺はずっとここでやっていく。離れるなんてあり得ない」


 もったいぶらずに即答してやると、ライナスから力が抜ける。ずしり、とライナスの重みが俺の肩にのしかかった。


「そろそろ離れろ。目立ちたくない」


「は、はい、すみません」


 慌てて俺から離れかけ、名残惜しげにギュッと抱き締めてからようやく解放してくれる。


 今日は漆器まつり。ここはメイン通り。まつりの会場から離れていても人は多い。遠巻きに俺たちの様子を見ている人間が何人もいる。早くここを離れなければ歩き出そうとしたが――。


「カツミさん……っ」


 ――グイッ。ライナスに手を握られ、俺の歩みを止められてしまう。


「あの、テントまで、手を繋ぎたいです」


「駄目だ。これ以上目立ちたくない」


「お願いします! 今日だけでいいので」


「……今日だけだぞ。すぐ離すからな」


 ここまで粘られて仕方なく折れてやる。これから作品を作るためのモチベーションを下げたくないとか、望みが通るまで落ち込み続けるから仕方なくとか、体を通してライナスを知っているからの割り切りもある。


 ただ、ライナスに悔いがないようにしたい、という思いが強い。後悔はないほうがいい。そのほうが――。


「カツミさん」


 ライナスに話しかけられて、俺は我に返る。


「ん、なんだ?」


「ずっとこのままでいたいです。カツミさんと、ずっと一緒に」


「そのために頑張るんだろうが。浮つくのは今日までだ。明日から気を引き締めていけ」


「はいっ」


 次第にライナスの様子が明るくなっていく。本当に俺のことが好きなんだな、と思うと胸の奥がむず痒くなってくる。


 勘弁してくれと思いながら、前よりもこの感覚に慣れて、心地良さすら覚えている自分がいる。


 握り合っている手が熱い。ふと気づけば俺は自分からライナスの手を強く握りしめていた。


 体がまたライナスを覚える。どんどん取り返しのつかないことになっていると分かっているのに、応えたくてたまらなくなる。


 ライナスからフフ、と嬉しげに笑う声がする。さぞ世の女性たちが見惚れる顔をしているだろう。これ以上色ボケする訳にもいかなくて、俺は努めて前を向き、ライナスを見ないまま歩いていった。

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