漆器まつり当日
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山ノ中漆器まつりは、いつも五月の大型連休の後半に行われる。総湯の周りにテントを並べ、通常よりも値段を下げて販売したり、他にも地元の特産物や名物を売ったり、特設ステージでイベントをやったりと、毎年賑やかだ。
水仲さんの好意で、俺たちはテント内に半スペースを貰えた。ライナスが塗った椀や皿、漆塗りの板に描いた蒔絵、俺と合作した皿――まだ漆を始めて一年未満の人間が作った作品だったが、
「あら、この蒔絵もあんちゃんもステキねー! どっちも玄関に飾っておきたいわよねえ」
「あんちゃん、名前は? ライナスさんって言うの? 覚えたわよー」
「いつもバスターミナル横のスーパーで買い物してるでしょ? みんな気になってたのよぉ。イイ男で目の保養……あ、そのお椀買うわ」
祭りが始まって早々、ライナス目当ての女性陣が詰め寄り、話ついでに作品を買っていく。テント内の隣は濱中たちが漆芸館の研修生たちの作品を販売しているが、客の入りはこちらが上だ。決して内容は劣っていないが、ライナスの顔と存在そのものが強力な客引きになっていた。
彼女たちの視界におっさんな俺は入っていない。にこやかに応対し続けるライナスからそっと離れ、濱中との距離を縮める。
「凄いですね。ここまでライナスに人気があるなんて」
「前から気になっていたらしい。絶好のチャンスとばかりに話しかけまくってる。そんなに気になるなら、もっと早く話せば良かったのにな」
「幸正さんが怖くて、近づけなかったのかもしれませんよ?」
淡々と冗談めいたことを濱中に言われ、俺は唸るしかなかった。
「だろうな。こんな強面陰気おっさんには、俺だって近づきたくない」
「冗談を真に受けないで下さい。単に話が通じる相手か分からなかっただけだと思います」
「ライナスに群がってる中に、スーパーで買い物してた時、何度か話しかけていた店員さんもいるんだが?」
「……多分、覚えていないんでしょう」
濱中がしれっと言いながら目を逸らす。やっぱり原因は俺が怖かったんだろう。そりゃあ俺は親父に似て、無愛想の強面。加えて近づいてくれるなという空気を出していた。おばちゃんたちが近づかなかったのは当然のことだ。
にこやかに応対するライナスに、女性だけでなく職人のじいさんたちも近づき始める。水仲さんが紹介してくれたのだろう。
もう持ち込んだものは完売して、自然と輪を作って雑談を始めている。生まれも育ちも山ノ中の俺より、ライナスのほうが皆に受け入れられているように見えて、フッ、と俺の口元が緩む。
「ヤキモチは焼かないんですか?」
ふと濱中に言われ、俺は横に小首を振る。
「いや。これは俺が望んだ形だから」
ライナスが本気で漆をやっていくなら人脈は必要だ。材料を調達する際、余所の人間よりも地元の顔見知りのほうが融通を利かせてくれるし、仕事を回してもらえることもある。
俺は親父が作ってくれた繋がりと、辻口の協力があるからわざわざ作らなくてもいいが、ライナスはそういう訳にもいかない。
国の外からの人間というだけで、本来なら人脈作りのハードルは高くなる。それがクリアできるなら、後は腕を磨くことに専念すればいいだけだ。周りを納得させるだけの作品を作れば――。
「……Linus」
低く力強い女性の声に、その場にいた全員が彼女のほうを向く。そこには頭に薄紫のスカーフを巻き、サングラスをかけ、暑そうにするローレンさんの姿があった。
何かライナスに話しかけ、二言三言、言葉を交わす。ライナスが首を横に振ると、ローレンさんは額を押さえながら大きなため息をついた。
「ローレンさん、どうかしましたか?」
俺が話しかけるとローレンさんは肩をすくめた。
「どうしたも何も、ライナスから作品を作り始めたと連絡をもらったから来てみたのよ。まさか売り切れだなんて……っ」
日本語を話せると思わなかった周囲が、一瞬ビクッとなる。
しかし事情を知って、ライナスの近くにいたおばちゃんたちが手持ちのエコバッグの中を弄り、購入したライナスの作品を取り出した。
「これやよ。ええ出来やろ?」
「細かくて品のある模様やし、お茶菓子乗せてお客さんにお出ししたら、喜ばれると思うんよ」
彼女たちが購入したのは、俺とライナスで合作した皿だ。俺が塗った皿の縁周りへ、ライナスが蒔絵を――山桜や片栗、ユキノシタに沈丁花など、俺の近所で見かける花々を、自由に描いたもの。
やり始めで平蒔絵をここまで自在に施せるのは、才能が成せる業だ。他の者ならこうはいかない。まだ手習いの作品。世界に打って出られる代物ではないが……。
皿をチラリと見やってから、ローレンさんは小首を振った。
「まだまだね。これでは誰も納得してくれないわ」
はあ、と大きな息をついた後、ローレンさんの視線が俺を刺してくる。
「ミスター幸正。約束の時には間に合うのですか?」
「確約はできませんが、問題ないかと……むしろ順調すぎるほどですから。後はライナスが何を作るか、ですね」
「そう。ライナスの作品なのですから、さぞ高く売れたことでしょうね」
漆器まつりのことをよく知らないローレンさんに、いくらで売ったか言わないほうが良さそうだ。俺は黙秘することを決め込んだが、
「お皿、一枚千円でしたわよ?」
悪気なく素直におばちゃんが教えてしまう。
ローレンさんの体が固まった。そして俺に詰め寄り、胸倉を掴んでユサユサと揺さぶった。
「何を考えているの! ライナスの処女作がたった千円? あり得ないわ!」
「いや、あれは、練習を兼ねてのものですし、今日の祭りは、気軽にっ、漆器に、触れてもらうための――」
俺が説明しても興奮したローレンさんの耳には届かず、揺さぶりがますます酷くなっていく。その時、
「Stop Loren !」
ライナスがローレンさんの腕を掴み、動きを止めてくれる。
軽くめまいを覚えていると、庇うようにライナスは俺とローレンさんの間に割って入り、手に持っていた何かを彼女に突き付けた。
ローレンさんが微動だにしなくなる。周りもなんだろうと覗き込んで、目を丸くする。
そして皆がゆっくりと俺を見てきた。
嫌な予感がして俺も体を傾け、ライナスの手元を覗き込む。そこには漆黒に浮かぶ俺の顔――俺を描いた蒔絵の板だった。
「……っ! ライナス、家に置いて来いと言っただろ!」
「で、でも、常に持っていたくて……」
「本人がいるのになぜ持つ必要がある!?」
「どっちもあったら幸せです。サイコーです!」
力説するライナスに、ローレンさんを覗いた女性陣の目がなぜか輝き出す。男性陣は理解不能と思考を停止させて固まっている。そしてローレンさんは、顔の至る所を引きつらせていた。
「まさか、それが、貴方の処女作?」
「はい。これは絶対に手放しません。最愛の人を誰かに譲れません」
言い切りやがった……っ! しかも公衆の面前で!
羞恥で熱くなるやら、この後の反応に背筋が凍り付くやらで訳が分からなくなる俺に、ライナスが眩しく笑いかけた。
「カツミさんも、この蒔絵も、私の大切なもの……それを離せなんて、ワタシにはムリです」
俺の怒ろうと開いた口が息を止める。そりゃあもう本気で想ってくれている顔と声を向けられたら、何も言えなくなってしまう。
しばらくして女性陣が、各々に顔を合わせて頷き合った。
「仲の良い師弟ってステキだわ。ドラマみたい」
「いつも一緒にいるものねえ。微笑ましいわあ」
やけに女性陣の眼差しが温かくて落ち着かない。白い目で見られるよりはマシ、か?
早く平常心を取り戻そうとしている俺に、濱中がうっすらと笑いながら近づいてきた。
「最近は男同士の恋愛ドラマやったりしてますから、その影響だと思いますよ。良かったですね」
「良いのか、本当に?」
「娯楽と刺激が少ない田舎ですから、それは大切に重宝されるかと」
「井戸端会議で延々とオモチャにされるのか……」
安易に女性陣が嬉々として俺たちのことを夢中で話す姿が脳裏に浮かび、俺は頭を抱える。
ああ、祭りの前まで時間を戻して、ライナスから俺の蒔絵を取り上げてしまいたい。
切実なことを考えていると、濱中が声を落とし、俺にしか聞き取れない呟きを漏らす。
「それぐらいで済むなら楽なものです。ずっと秘めたまま、というのは思いのほか辛いですよ」
濱中の言葉が重い。まだ一年経たずの俺たちと違い、何年も辻口への想いを抱え込んでいるのだ。重みも出て当然だろう。
俺としては羞恥でしかない状況だが、これだけで済むのは微笑ましいことなのだろうな……と思っていると、ローレンさんが頭を振って我を取り戻してから、俺を睨んだ。
「ミスター幸正。いくらライナスのファンだからと言って、私欲に走られては困ります!」
「いや、勝手に描かれてしまったんです。ライナスのファンなのは認めますが、こんなむさ苦しい顔を蒔絵になど悪趣味でしょう」
「だとすれば監督不行き届きですね。二度とやらせないで下さい」
「ぜひそうして欲しいので、貴女からもライナスに言い聞かせて下さい」
「……ええ、もちろん」
了承の言葉を口にした割に、ローレンさんの反応が弱い。おそらく言っても無駄だと分かっているのだろう。
俺とローレンさん。二人でライナスに目をやれば、いつの間にか俺の蒔絵をうっとりと見つめていた。隠す気なくなったな……と遠い目をしそうになっていると、ライナスが俺に視線を向ける。
俺の蒔絵を見るよりも優しく、川面が日差しを弾くように輝きながら見つめられて、思わず目頭が熱くなりかけた。
「ちょっと席を外します。ローレンさん、積もる話もあると思います。ゆっくりしていって下さい」
言いながら俺は逃げるようにテントから出て、人混みを抜けていった。




